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『風と共に去りぬ』にビヨンセを聞く

古典新訳は、現代においてその原作を届けるべき人がいるから行われる。届けてどうしたいのか。古典と言われている作品や作家が生きた時代とその距離感、物語の登場人物に重ねているもの、そして語り口。そういうものが、今のあなたが日々思っていることと歴史としてひと続きなんですよ、と伝えたいのだ。本稿では、参考図書である鴻巣友季子訳『風と共に去りぬ』から、そのことを読み解く。

こうして、新訳の『風と共に去りぬ』から伝わることを説明していくことにするのだが、はじめに、こう表現してしまおう。作者の、音楽の趣味とかが分かっちゃうわけですよ。この人たぶん、ビヨンセ聴いてるんじゃないかな。漫画だと、『東京タラレバ娘』は読んでるだろうな。『にこたま』は、どうだろう。あとツイッターでジェーン・スーのことはフォローしているにちがいない。・・・なになに、作者のマーガレット・ミッチェルは1900年にアメリカ合衆国ジョージア州アトランタに生まれて、作品は1936年に発表されていて、3年後映画化され、そのあと10年で亡くなっている。Oh, it’s the plagiarism by anticipation. では何故日本の30代男性である私はこんなことを思ったんだろうか。次節から確認していこう。それが創作物や創作者とその歴史的背景を私自身に接続することだ。聴こえてくるBGMと作品を行き来する形で。

ビヨンセの2018年コーチェラフェスティバルでの圧倒的なパフォーマンスは記憶に新しい*。音楽や歌詞はもちろんのこと、衣装や演出を含めて「黒人女性の歴史」を総合的に表現したと評価されている。詳しい内容は記事を参照していただきたいが、アメリカの黒人女性歌手として自らのルーツを様々なモチーフに落とし込んでいる。これは歴史を体現することだ。そして、その濃密な背景の中で、アメリカにおいてR&Bによって黒人女性の自立と自由を歌うことで表現のアップデートをする必要があったのだ。モチーフから2点取り上げてみよう。1点目は、クレオールについてだ。ビヨンセは自らの家系がクレオールであるということをアイデンティティにしている。コーチェラでは、エジプトの古代女王ネフェルティティに模した衣装で登場した。高貴な黒人女性の表現として、様々な黒人アーティストがモチーフにしているとおり、ビヨンセにおいてクレオールというルーツと重なっている。『風と共に去りぬ』において、クレオールはニューオリンズの都市性と共に現れる。スカーレットがレットとハネムーンで訪れ大いに遊ぶニューオリンズと、家を建てるときのデザインの争点となるクレオール風の邸宅。スカーレットが古臭いデザインと切り捨てるとおり、作中の時代のニューオリンズで既に伝統としての役割を担っていたことがわかる。2点目に、マーチング・バンドがフィーチャーされたことに注目するべきだろう。なぜなら、南北戦争をきっかけにR&Bに繋がる音楽文化が生まれた流れの重要なポイントだからだ。南北戦争終了後、軍楽隊の楽器が貿易拠点であるニューオリンズに大量に集まり、容易に入手できるようになった。これがマーチング・バンドの隆盛につながっている。さらに、マーチング・バンドはジャズとR&Bへ変遷を遂げていった。

ここで一度、視点を『風と共に去りぬ』と作者マーガレット・ミッチェルに戻してみる。『風と共に去りぬ』における南北戦争はどのようなものか。それは1人の女性が体験し見つめる近代化のプロセスだ。貴族社会の美学や制度を色濃く残す南部にあり、土地や家族を愛しながらも、自身は先進的な信条を持ち生き方で実践する。そこに生まれる周囲との齟齬や、本人の内部に生まれる齟齬。自由間接話法の文体によって表現されたのが、声で発せられるだけではない複数の言葉や、主人公が自分自身を見る複数の視点であり、当時としては前衛的な手法だったというのが鴻ノ巣由紀子の新訳のポイントだ。さらに、作者がこのような手法を用いた点はその生きた社会状況ともオーバーラップする。マーガレット・ミッチェルは、1920年代に青春を過ごすフラッパーだった。欲望を肯定し、自立と自由を体現する女性として生きる必然性がある時代だった。ジャズを聴いて踊り、お酒を飲み、男をたぶらかす。作者が聴いていたジャズは、もちろん南北戦争以降に発展したものだ。

再度、ビヨンセを経由してアメリカの音楽に戻ろう。マーチング・バンドがR&Bやジャズになっていく過程で最も重要だったものは、ドラムセットの発明だといえる。もともと別々のパートとして合奏されていた、異なる特徴を持つ打楽器が、一人のパフォーマーによってリズムになる。リズムの個人技術化である。個人の中に複数の要素が並列して、グルーヴを生む。それぞれの打楽器の打点がボケたり突っ込んだりして揺れる楽しさだ。それが個人の中で行われているということ。ドラムセットの発明は、『風と共に去りぬ』の複数の言葉や視点と不思議な重なりを見せる。分断が生んだ個人の中の複数性として。ところで今文書を書きながら私はBGMとしてアルバート・アイラーを聴いている。マーガレットの時代を経てモダンジャズが生まれ、その後の前衛として生まれたフリージャズ。ここでアルバート・アイラーがモチーフとしたのが南北戦争の軍楽隊のラッパだった。南北戦争と並行して起こった近代化による逃れられない分断と、それを統合する表現。マーガレットの場合は母の時代の物語を現在の文体でつづることであり、アイラーの場合は、ニューヨークの都市生活の中で口寄せのように南北戦争で聞こえていた音を再現することだった。アメリカの分断と統合に関する最も新しい表現がビヨンセのコーチェラだったわけだ。

では最後に『風と共に去りぬ』新訳が現在の日本に現れた理由を確認しよう。これは、近年の日本のサブカルチャーにおける女性の語りをマーガレットの文体と接続し、未来に向かわせるためだ。東村アキコの『東京タラレバ娘』で、登場する女性たちが酔って白子やレバーと会話を始めることは有名である。 渡辺ペコの『にこたま』にも様々な語りが表れている。『にこたま』は、現代の日本で長年同棲し、結婚していないカップル(温子と晃平)の関係性が描かれる漫画だ。物語は、一夜の過ちによって晃平が会社の先輩を妊娠させてしまうところから始まる。これは動物的な欲望に身を任せることが偶然重なっただけという起点を象徴的に表していて、登場人物たちはその地点から様々に思考しながら関係性について考え始める。また、主人公である温子は卵巣皮様嚢腫になり、子供を産めないという状況になる。これは晃平のエピソードと対をなすポイントとなる。登場人物の独白は時に地の文として書かれ、声として何かが発せられている時、また発せられていない時にも、並行して流れる思考のプロセスが言葉として書かれる。また、カップルは各々ぬいぐるみの「むるたん」と想像上の会話を始める。「むるたん」はときに突っ込み役である。現代の日本においても、自律し自由に知性を持って社会の中で生きるためには、発する声以外に様々な語り手が必要なのだ。これから日本にも、『風と共に去りぬ』に重ねて聴こえたビヨンセのように、歴史を背負い前に進む誇り高い表現が生まれることを私は心待ちにしている。

 

*ビヨンセがコーチェラで魅せた「Beychella」の歴史的意義。紋章を解読 https://www.cinra.net/column/201804-beychella

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