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話者の視点と、幼年期との距離

ゲームの構造が生む神話的ポップス (セラニポージ『勇気のでる歌』(作詞・作曲:佐々木朋子))

佐々木朋子はゲーム音楽に文学性をもたらした。

キャリアの開始は中学生。坂本龍一のラジオに『逆さ戦メリ』を応募した。現在もメインストリームで活躍する作家達の瑞々しい楽曲の中、「戦メリを逆から弾く」というコンセプチュアルな作品で、しかしその響きの豊かさは(印象派の絵を逆にして見るように)変わらず存在するという、確かな耳と思考力を見せている。90年代、SEGAに入社しゲーム音楽を手がけ始める。到達点のひとつがセガサターン『NiGHTS』の音楽だろう。ステージ中に物語と関係のない妖精がいて、遺伝や突然変異のシステムを備えるとともに、かれらの主人公への好意によって、BGMが変化する。エンディングテーマ『Dreams Dreams』は、ゲームクリアを映画鑑賞後のエンドロールへとアップデートした。始めのクリアルートでは子供の声で歌われ、最終的にアダルトなボーカルに成長する。

さて、『勇気のでる歌』は、『ルーマニア#203』というゲームのエンディングに流れる歌のひとつだ。エンディングは多数ありそれぞれ異なる歌が流れる。歌っているのはゲーム中に登場する架空のアイドル、セラニポージだ。プレイヤーは、大学生の部屋に住む神となり、控えめに彼の人生を動かす。セラニポージはその大学生が愛してやまないアイドルだ。歌の構造は「三人称視点でキャラクターを描写するアイドル曲」ということになる。登場するのは、主役の野良犬ミケと、背景である。三人称視点というのはつまり、神の視点である。日本のポップスにはあまり見られない(David Bowieの『Ziggy Stardust』などが近い)。ポイントは、視点の移動にある。過去や未来は説明されず風景の中に登場するミケの行動・心理に対して、歌唱主は自由に近づき一致し、また遠ざかり俯瞰する。移動する視点の中、ミケは孤独を自分のものとして歩き出す。宮沢賢治調の擬音が添えられる。ゲームシステムと入れ子になった神話の構造で成長を歌うゲーム音楽。これは文学として扱うべきだ。

 

寄り添ってくれる狂ったゴースト (清水義範『ドン・キホーテの末裔』)

この小説は文学批評文である。著者は本書で、人間に文学史という至宝があることを寿ぎたかったという。話者の構造自体が主題であり、ドン・キホーテというキャラクターが、メタ物語的な世界で主人公が追うべき、マリオカートのゴーストのように見えてくる。

『ドン・キホーテ』は、騎士道物語の読み過ぎでおかしくなった老人が、自らを騎士と信じ込み、小説の通りに行動しようとして失敗を重ねる物語だ。当時実際に流行していた騎士道物語のパロディである。また、前編出版後に贋作の続編が出版され、正式な続編では贋作の物語を主人公が実際に知ったり、それによって行動が変化する描写がなされる。つまり物語、作者、読者など、文学に関わる人々全体を含めた視点を味わう作品なのだ。

目次を見ると、章のタイトルは物語の内容をすべて速読消費者向けに安売りしている。この作品の題材がどこにあるかを演出する最初のパフォーマンスだ。 作中で、作家「私」のライバル作家(彼は物語を続けることに失敗して病んでしまう)が次のように言う。「小説家は世界の創造主である。そして小説家の創造する世界は、時として現実の世界よりも強靭である」。物語の終わりでは、憧れの『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスと、その登場人物ドン・キホーテが、執筆できなくなり苦悩する「私」の部屋に突然あらわれ、自らも文学作品の話者として創作されたキャラクターだと告げられる。そしてドン・キホーテとともに文学の森へ進んでいくことを決意する。

著者にとってパロディとは創作物へのリスペクトであり、ドン・キホーテは、文化を尊重し、自らの人生も前へと進めようとする人々の前に現れるゴーストだ。私たちが物語のキャラクターに対して抱く思いを肯定してくれる。

 

亀の情念 (園子温『ラブ&ピース』)

映画と同名の、幻冬舎から出ている絵本が作品のことをダイレクトに伝えている。東京で底辺の生活をする鈴木良一と飼っている亀の物語。絵本は、23枚の絵と言葉でできており、物語の細部は省かれている一方、一曲の音楽のように鑑賞できる。

絵本に出てくる言葉はふたつに分けられる。ひとつは語り手である亀の言葉であり、活字になっている。もうひとつは、直筆の言葉。あとがきで、著者自身が当時書いていた詩として出てくる言葉(「東京よ 今日もお前の歯は 光っている」)と一致しているため、これは当時の著者と重ねられた良一の心象と考えていいだろう。

良一と一緒に暮らす亀は、常に優しい視点で彼を見て、言葉で肯定する。しかしある日突然彼の前から去らなくてはいけなくなる。トイレに落ちた、と表現される亀の絵は、彩色されておらず、表情が無く、幽玄だ。その後亀は良一と離れたところで、彼の願いを叶えるために大きくなる(映画では、怪獣となる)。最後には爆発し、キノコ雲や黒い雨が描かれる。

本作の亀の表現は、美術批評家黒瀬陽平が『情報社会の情念』で分析した「縄文の「情念定型」」と一致している。岡本太郎「明日の神話」の骸骨の姿を、縄文芸術と核の超越的な両義性の表現として説明するものだ。

私は加えて、本作の亀に対して「日本の歌謡曲における「情念定型」」を見る。亀の慈悲と幽玄に重なるのは、「木綿のハンカチーフ」や「Woman “Wの悲劇”より」などの女性性である。主人公にとってこの亀は、都市生活に関して支えあいながらも離れてしまった女性ではないだろうか。もちろん今のところ破滅的な力に対応した女性性の歌謡曲は思い浮かばない。ここには主人公の幼児性が重なる。全てを許してもらえる感覚と、爆発するようなワナビー感(良一はロックスターになりたかった)。実際にスターになった良一のステージで、巨大化し帰ってきた亀は爆発している。

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