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「残る者」と「消える物」

今回は課題のキーワードとなる言葉を解釈していきたいと思う。私は課題文を読むたびに新しい言葉に出会う。これらの難しい言葉(中学校で習わない)は初めに意味を正確に定義づけピン止めしておかないと、私が書く文章はきっと本筋からそれていき雲散霧消(中学校で習った)し意味不明な文章になってしまう。これが口頭で話すのであればその場の流れと人間関係によりお互いわかったような空気をつくりだす事ができ、もし後から意味が通じていなかったと判明しても受け取り側のせいに押し付けても証拠は残らない。しかし、文章として残ってしまうと、私の意味不明な文章は土に埋めたとしても耐久さえしていれば掘り起こされ証拠として再生産させられてしまう。
課題文における以下三つの言葉をキーワードとして改めて課題文より引用する

・「知の伝達」

・「アーカイブ」耐久性があると想定されている素材(たとえば、テクスト、文書、建物、骨)、(中略)変化に抵抗すると想定される諸アイテムとして存在する

・「レパートリー」「身体化された実践/知、たとえば、話される言葉、ダンス、スポーツ、儀礼」、(中略)消えてしまう再生産不能な知だと通常考えられる諸行為

「知の伝達」に関しては課題文には明確に定義はされていないが、「知」という言葉より、丸裸の事象ではなく誰かが咀嚼し解釈した事象を認知させる事、と定義づける。アーカイヴとレパートリーに関しては課題文に定義付けがされており、「変化に抵抗する諸アイテム」、「再生不能な諸行為」、という部分がポイントで、ざっくり言うと「残る物」と「消える行為」と表す事ができるだろう。

ここで「残る」、あるいは「消える」というのはあくまで物質的な区分で、魅力や価値といったものを左右する区分ではない(忘れられないかけがえのない記憶というものが誰にでもある)が、しかし、この「残る物」と「消える行為」という区分が、近年の環境変化により知の伝達において魅力や価値といったものに大きく関わるようになっているのではないだろうか。

近年の環境変化において最も我々の価値観を変えたのはIT、更にいうとコンピューター、更に言うとSNSとスマホだろう。過去、芸術や表現は、一部の才能溢れ研磨を怠らない物だけがスペシャルワンだけがそれにより金銭を授与して飯を食っていた。三島由紀夫の「若きサムライのために」で彼は、

芸術と人生との一つの勝負でもあり、競争でもある。

と語っている。カサノバとスタンダールという二人の芸術家を例にだした。スタンダールは凡たる人生のなかで文学によって夢を実現させようとした這い上がり、カサノバは文学的な人生を送ったのちに稀有な才能によって文学にすることが間に合ったと述べている。いずれにせよ、スペシャルな存在であったが、近年SNSにより別に飯を食わなくてもいいプロフェッショナル以外の人々が自己表現のために芸術を表現する間口が広がり、自己承認欲求の肥大化が急速に生じている。

ここで、アーカイブとレパートリーと再解釈したい。再びの引用になるが、物であれば残るのか、者であれば消えてしまうのか?。その場で消えてしまうとはなんだろうか。物であるから繰り返す事ができる?ほんとうに?はたしてパフォーマンスや口伝えは再生不可能であろうか。あるいはそれは再現性の難度の話であり、今後無限の試行ができるとされるAI

ならばできるのでは?AI万能。AI万歳。

そうすると、本当に再現不能とはなんだろうか。それは間口の広がった玉石混合の世界だからこそつくられるものなのでは、アーカイブとは作品であり、レパートリーとはハプニングと解釈する

 

雲散霧消となってしまった。この後は言いくるめてしまおう。言いくるめてしまえば、誰も再生不能だから

 

 

※参考文献

文字数:1563

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