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アーカイヴ化症候群による〈知〉の拡散と進化

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レストランで料理の写真をスマホで撮る行為は、賛否両論あるが日常化したといってよいだろう。〈知〉の伝達という文脈において、客観的・理性的な言語知といえるような再生産可能な〈知〉を「アーカイヴ」、主観的・身体的な経験知といえるような再生産不能な〈知〉を「レパートリー」とパフォーマンス研究のダイアナ・テイラーは定義したが、料理という文脈においては、アーカイヴはレシピに相当し、レパートリーはレシピを基に料理人がライヴ的に調理する一品に相当するといえる。そして、レストランで料理の写真を撮る行為はレパートリーのアーカイヴ化といえ、アーカイヴ化症候群ともいえるほど日常にあふれるようになっている。

このように、その瞬間、その場の一回性の体験を重視するともいえるレパートリーとそれをアーカイヴ化することに価値を見いだす人たちは多くなっているように思う。レストランの他にも例えば、野外フェスなどの体験型消費は活性化しているし、学校の授業などは教師による一方通行のアーカイヴを伝える授業ではなく、生徒同士の対話的・主体的な深い学び(アクティブ・ラーニング)の行為にこそ価値があるととらえられるようになっている。

 

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芸術文化、というと範囲が広く抽象的になりすぎるので、ここでは日本の美術館や劇場で鑑賞する作品やパフォーマンスといったアート作品に焦点をあててみたい。このようなアート作品は、そもそもそれが展示されたりする場に行かない限り体験できないことが多く、レパートリーを重視しているともいえるだろう。

しかしこのようなアート作品の体験において、冒頭のレストランでの体験例とは決定的な違いがある。それは、鑑賞者がスマホなどによってアーカイヴ化することを禁止している場が多いということである。

レパートリーはその場その瞬間の環境との相互作用や対話性にこそ価値があるのに、それをアーカイヴ化してしまうことによって価値が失われてしまうのだろうか。レストランでの料理のように味覚というわかりやすく一回性を担保できるようなものというよりは、視覚と聴覚による部分がアート作品には多いかもしれない。けれども、時間や周りにいる人、嗅覚や触覚もレパートリーに影響を与えることを考えれば、写真や映像という断片のアーカイヴ化を許可したとしても、その一回性の価値が失われることはないのではないだろうか。また、有名作品なら全国流通しているアーカイヴがあってレパートリーの疑似体験ができなくはないかもしれないが、小さな会場で開催されているものを含めたアーカイヴ化されていないレパートリーの数に比べれば、その数はかなり少ないといえるだろう。

もちろん、著作権や肖像権という観点、ほかの観客へのシャッター音による迷惑などの理由もあるのだけれども、このアーカイヴ化症候群の時代に禁止な場が多いという状況ではアーカイヴ化は促進されない。〈知〉の拡散装置となり得るアーカイヴ化症候群の人たちが活躍しきれず、共有されることも少なくなるため、結果としてレパートリーの疑似体験ができる導線をも減らしてしまっている状況は、アート界隈にとってはいささかもったいないのではないだろうか。

 

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ところで、なぜレパートリーとそれをアーカイヴ化することの価値が現在高まってきているのであろうか。

ユーザーの体験をデザインするというエクスペリエンス・デザインは、企業などのサービス開発において重視されるようになってきている。かつてはデザインといえば、いわゆる見てくれというか、最終工程の化粧的なものという位置付けでとらえられることも多かったが、今は、そもそもユーザーはなぜこのサービスを購入するのか、購入中はどんな体験をし、購入後にはどんな経験や能力を獲得しているのかといった、ユーザーのサービスの体験前、体験中、体験後の全体を設計することがデザインの範囲となってきている。

このような背景があるため、現在はただ単にモノを手に入れるということよりも、コトという体験や、体験と一体でモノを獲得することに焦点があたることが多く、サービスの開発努力が重ねられている。

そして、スマホのような手軽にアーカイヴ化できる機械を手に入れた私たちにとって、体験をアーカイヴ化することは大前提としてサービスがデザインされるようにもなってきている。その顕著な例は、「インスタ映えする」という、写真共有SNS「インスタグラム」に投稿した写真の見栄え良くする行為を、サービスデザイン側も気にしているということである。さまざまなイベントで、ハッシュタグをつけて投稿しようという呼びかけは、もはや常識的な光景といってよいだろう。

 

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ここまで見てきたように、美術館や劇場でのレパートリーのアーカイヴ化によって、レパートリーの一回性の価値がなくなりはしない。一方、レパートリーのアーカイヴ化を拒絶することは、レパートリーへアクセスする導線の数を減らし、体験する人の数を制限するという結果につながってしまう。

アート作品は持てる人、理解できる人、一部の人のためでよいという考えももちろんあるだろう。また、食文化の領域で少なくとも起きた、食べログといったレパートリーのアーカイヴ化を促進するサービスの出現による変化を参考に、アート界隈の食べログサービスをつくった方がよいという提言もいささか安易だとは思う。

しかし、欧米の美術館などでレパートリーを体験した人なら誰でも気づく、日本と違ってアーカイヴ化が禁止されていない環境が多いことに対するアートへの身近さは、日本にも広がってよいように思う。また、スマホ以上にアーカイヴ化が容易な装置や、見たものすべてを高解像度で記録できる装置を目などの身体に埋め込んだアーカイヴ化症候群の進化は加速し、〈知〉の伝道師として尊重される存在にすらなっているかもしれない。

アーカイヴ化症候群に美術館を開放することは、芸術文化の進化の第一歩ではないだろうか。

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