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戦略家と小説家

シリコンバレーのギャングたち

シリコンバレーにはギャングたちがいます。今ではテスラやスペースXで有名なイーロン・マスク、テクノロジー業界で珍しくドナルド・トランプ政権を支持するピーター・ティールなど、電子決済サービスのペイパル(設立1998年)の創業メンバーたちは、数々の有名企業を立ち上げたり、ベンチャー投資家集団となったりして「ペイパル・マフィア」と呼ばれるようになって強い影響力を発揮しています(マフィアは大人の暴力集団で、ギャングは若者を指すと言った意見もあるけど、ここではマフィアもギャングも同様の意味で使っています)。彼らはもちろん、殺人や強盗などの犯罪を犯しているわけではない(と思います)が、退社後もビジネス関係は続き、強い団結力と技術力によって金もうけに励む姿が、マフィアのビジネスモデルに似ていると言うことで、このように呼ばれています。

ペイパルの本社のあるカリフォルニア州のサンノゼや、アップルの本社のあるクパチーノなど、アメリカ西海岸の複数の市からなるシリコンバレーは、イノベーションの中心地であり今や知らない人はいないのではないかと思うくらい有名になりました。

 

分野横断的な新結合表現

ここでさらっとイノベーションという言葉を使ってしまいましたが、イノベーションは技術革新と訳されることで、技術を発明することだと狭く誤解されたりもします。しかし、この言葉を初めて定義したヨーゼフ・アロイス・シュンペーターは、手段や資源や人材などをそれまでとは異なる仕方で「新結合」することだとより広く定義しています。

高橋源一郎のデビュー作となる1982年発行の長編小説『さようなら、ギャングたち』には、中島みゆき、ウィリアム・オッカム、エリオット・ネス、キャサリン・ロス、アリストテレス、ベーブ・ルース、マーロン・ブランド、シェイクスピア、イジドール・デュカス、コーネル・サンダースなどなど多様な分野の固有名詞が多数登場し、古典から漫画まで幅広い作品の引用がちりばめられ、これらが新結合をしながら、独特な、虚構と現実が融合したような世界観が構築されていきます。シュンペーター的意味において、この小説はイノベーションの匂いがあります。

高橋源一郎によると、小説を書こうとしたときの表現の基準は日本の現代詩や映画であり、それまで彼が読んできた小説ではそのレベルの表現を実現できていなかったので、現代詩でやっていることを小説にしようとしたと言っています。文章は短く断片的に構成されていて、ワンセンテンスごと主語と述語が明確で文の意味はわかりやすいのですが、詩人とギャングというメタファーは著者自身の半生を表している、詩論を展開している、概念を言葉として正確に説明する困難さを伝えていると言ったことは推測できても、小説全体を通して一貫するストーリーやテーマを断定することはとても難しい(少なくとも私には断定できません)。

隠喩的表現から文章解釈には多様性がある一方、このような文章表現のつくり方からは、小説表現にイノベーションを起こそうという意図を明確に読み取ることができます。最古の創造性技法とも言われる「ランダム刺激」という、テーマとは無関係な刺激を選び強引に結びつけて自由に連想する手法や、それを高度化したとも言えるジェイムズ・ヒギンズによってまとめられた「エクスカーション」という、テーマとは無関係なリストをつくり、テーマと組み合わせてアイデアを考えていく手法や、シュルレアリストであるマックス・エルンストとアンドレ・ブルトンによって偶然と無意識を文学や芸術に導入するために開発された、意外な組み合わせによって奇想を創出するデペイズマンという手法を使っているとも言えます。固有名詞や引用作品を新結合させるにとどまらない、これらの手法を使ったわかりやすい実例が業務用冷蔵庫のヴェルギリウスでしょう。

「ぼくの名前はヴェルギリウス、友だちはマロと呼んでくれるけど」と「冷蔵庫」は言った。
わたしの前にはGM社製の3ドア・冷凍庫つきの業務用冷蔵庫が座っていた。

高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』、講談社、1997、第二部Ⅱ「おかえりなさい」5

これは1970年から10年くらい、失語症からの回復のために高橋源一郎が断片的な文章を書き続けることを反復してやっていたことが、結果としてこれらの手法を(この手法の存在をしってか知らずかわからないですが)、操れるようになっていったのではないかと思います。佐々木敦は『絶対安全文芸批評』の中で、高橋源一郎を「書けないことを書くにはどうしたらいいのか?」という問題にこだわり続けていると評しましたが、『さようなら、ギャングたち』では、「小説表現でイノベーションを意図的に起こすにはどうしたらいいのか?」にこだわっているとも言えるでしょう。

ビジネスデザイナーの濱口秀司の言うように、議論を生むことがイノベーションの条件であるならば、『さようなら、ギャングたち』は第4回群像新人長編小説賞の選考でも賛否に関して議論を生んでいて、このイノベーションの条件に当てはまります。しかしこれはこの小説表現のつくり方を意図的にやっていた高橋源一郎にとっては、何ら驚くことではなかったでしょう。

 

小説市場への参入戦略

シュンペーターがイノベーションの定義をしたのは1911年であり、現代ではイノベーションという言葉はさまざまなところで普通に聞くようになっているけれど、企業戦略としてイノベーションが中心にあり続けてきたかというと、そういうわけでもありません。1970年代後半に、アメリカ西海岸を発祥の地とするITやハイテク業界の爆発的成長がはじまりますが、この前後くらいから、イノベーションが改めて注目されはじめ、外部環境を重視し勝てる市場を取りに行くポジショニング派や、内部環境を重視し自社の強みがあるところで勝とうとするケイパビリティ派のさまざまな研究を誘発しました。そしてポジショニング派とケイパビリティ派の理論を融合した、ジェフ・ベゾスが1994年に創業したアマゾンが登場し、ペイパルなどへとつながっていきます。

高橋源一郎は、現代詩にあるような表現を小説に持ち込めば新しい表現になるとポジショニングを意識し、失語症からの回復にあたって新結合による虚構世界の表現を生み出す独自のケイパビリティを獲得し、それらを組み合わせることで、『さようなら、ギャングたち』を、小説市場へのイノベーションとして意図的に参入させています(とはいえ蛇足ですが、戦略があれば後は実行するだけという簡単なことではないため、一つの作品としての小説を書き上げるという日々の活動をきっちりとやり遂げたというのは、高橋源一郎のイノベーション遂行能力の高さも示していますし、それまで従事していた肉体労働からいきなりどうやってそれを実現したのかのノウハウは、多くの知識労働者が欲することでしょう)。

 

高橋源一郎というイノベーションの先駆者

シリコンバレーなどの海外事例の方を国内事例よりもありがたがってしまう傾向が日本企業には根強くあったりしますが、高橋源一郎の研究は小説表現の観点だけでなく、企業のイノベーション戦略の観点からも先行事例として示唆を出せる可能性があります。そしてまた、分野横断的な知を磨いている高橋源一郎は表現技法だけでなくそこで示す内容にも、イノベーションの香りを確かに残しているから目が離せません。例えば、「でぶのギャング」は次のように語りかけます。

「私たちは金の問題については、ある意味では悲観的な立場をとっていました。
この世界に於ては、金の本質は仮象だからです。
金は、私たちが相対的な存在であるのと同じように相対的です。
私たちが奪う金の総額は、前もって計上される『雑損控除』の上限をこえることはありません。別の表現をとるなら、私たちは会計上では、強盗を働いていないのと全く同じなのです。
『強盗』は投入=産出分析の中の一つの情報、仮象の中の仮象にすぎないのです」

高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』、講談社、1997、第三部Ⅰ「ごめんなさい」13

ここに仮想通貨につながる話を読み解き、現在であればフィンテックといわれる分野でイノベーションを起こすことも可能かもしれません。

『さようなら、ギャングたち』に描かれる性交の場面では、そこで為される会話表現は隠語で茶化していて臨場感を感じることができない人もいるでしょう。しかしそこで描写される体位やしぐさは、丁寧に易しく描かれており性欲を十分に喚起するものです。

「ちりちりカールの陰毛ちゃん」と男は手の指で櫛のように陰毛を梳きながら言った。

高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』、講談社、1997、第一部Ⅴ「アガートは大好きさ、フレガートが」26

これこそ、新結合によって新たな表現を生み出そうとする型に真剣に取り組もうとする、創造への欲望を持ったイノベーション戦略家としての高橋源一郎が、デビュー作には立ち現れています。

 

参考・引用文献

  • 高橋源一郎「30歳近くで小説につかまれる」|現代作家アーカイヴ~自身の創作活動を語る|飯田橋文学会|cakes(ケイクス) https://cakes.mu/posts/18329
  • 読書猿『アイデア大全――創造力とブレイクスルーを生み出す42のツール』、フォレスト出版、2017、p48 、p58、p181
  • 佐々木敦『絶対安全文芸批評』、INFASパブリケーションズ、2008、p259
  • 濱口秀司が語る「バイアス壊しが重要な理由」 | Biz/Zine(ビズジン) https://bizzine.jp/article/detail/18
  • 三谷宏治『経営戦略全史』、ディスカヴァー・トゥエンティワン、2013
  • 「フィクション」から遠く離れて http://www.geocities.jp/literature_and_situation/fiction_0_0_0.html

文字数:4065

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