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創造を問うもの

HHhH(プラハ、1942年) ローラン・ビネ著
物語を生み出す物語

アドルフ・ヒトラーの側近であったハインリヒ・ヒムラーの右腕だったラインハルト・ハイドリヒ。彼はユダヤ人大量虐殺の首謀者で責任者でもあり、金髪の野獣として恐れられていた。ロンドンに亡命したチェコ政府が送り込んだ青年パラシュート部隊員の二人、ヨゼフ・ガブチーク(スロヴァキア人)とヤン・クビシュ(チェコ人)によってプラハで決行された「類人猿作戦」と呼ばれたハイドリヒ暗殺計画について、HHhHは架空の人物が登場することなく描かれている歴史小説であり、歴史を追体験できる。

また、歴史を題材にした物語というだけでなく、小説を書くという作者の創作過程そのものを題材とした物語ともなっている。題名はなく数字のみが付された、長短さまざまな257の断章によって構成され、時代背景や登場人物のワンシーンからではなく、作者自身の物語からはじまる。

執筆動機や資料収集の過程が断章11まで描かれ、断章12で不意打ちのごとく、ハイドリヒの生まれたシーンが物語として挿入される。小説全体の三割ぐらいを使ってハイドリヒがどう頭角を現していったかについて書いた後、断章88では主人公である二人の青年の登場が遅いことを認めつつ、主人公を登場させる準備が整ったことと、書きはじめることへの恐怖をつぶやく。断章91では、現実の人物を使った二次創作に対する恥ずかしさを吐露している。そうして最後まで、事実、解釈、表現の三つ巴で葛藤しながら、小説という知識を創造しようとする作者の葛藤を追体験できる。

歴史の物語の面白さだけでなく、作者が今まさに取り組んでいる「創作の過程」それ自体が新しい物語であり、それがまた新たな物語を生み続けていける可能性を、この小説は提示しているのではないかと思う。

 

知識創造企業 野中 郁次郎+竹内 弘高著
知を起動する技能

「なぜ企業に差が出るのか?」という経営戦略論の本質的な問いがある。1970年代〜80年代の日本企業は国際競争での地位をなぜ高められたのか、欧米諸国にとっては謎であった。本書では「組織的知識創造」の技能・技術こそが、日本企業成功の最大の要因であると主張した。また、プラトン以来の西洋哲学の伝統に従って知識を、「正当化された真なる信念」と定義したが、静的な人間から独立した側面を強調するのではなく、「個人の信念が人間によって“真実”へと正当化されるダイナミックなプロセス」と見ることを強調した。

そしてこのプロセスを、知識の二つの次元であるアナログ的な暗黙知と、デジタル的な形式知との連関からなる、①個人の暗黙知からグループの暗黙知を創造する「共同化」、②暗黙知から形式知を創造する「表出化」、③個別の形式知から定型的な形式知を創造する「連結化」、④形式知から暗黙知を創造する「内面化」という4つのモードで進むモデルとして表現した。本書は、この4つのモードを経て新しい理論という知識が構築されていく、作者たちの創造過程を追体験できる物語でもある。

「日本企業は、確実なのは不確実の連続だけという環境の中で生きてきた」と本書で書かれている状況と、2018年現在の状況は大きく変わらないように見える。しかし前者は組織的知識創造で克服できた日本企業の姿があり、後者では停滞している日本企業の姿がある。

4つのモードは「個人の暗黙知」が起点となる。しかし本書は、組織的な活動に焦点をあてているため、個人の暗黙知を生み出していく技能についての言及は少ない。それ故に、組織的知識創造の起点を充実させる技能を形式知化できず、世代を超えて継承させていくことができていない。それが、日本企業の停滞につながっているのではないか。個人の暗黙知を創造するダイナミックなプロセスを提示する物語が求められている。

 

幼年期の終わり(光文社古典新訳文庫) アーサー・C・クラーク著
創造なき世界

21世紀初頭、圧倒的知性によってつくられたことが一目でわかる巨大な宇宙船が、地球の上空に突如として現れる。そして沈黙の後の六日後、異星人のスピーチを聞いた人類は、その知生体をオーヴァーロード(最高君主)と呼ぶようになる。

「幼年期の終わり」では、宇宙船が現れてから約150年で人類がどう進化していくのかを三部構成で描いていく。第一部では、オーヴァーロードが姿や目的を明らかにしないために一部の人類からの反発を受けながらも、世界国家が誕生し、安全と平和と繁栄をもたらす状況を。第二部では、オーヴァーロードがついに姿を現し、無知、病気、貧困、恐怖のないユートピアとなった地球で、宗教、科学、芸術、娯楽などがどうなっていったのかを。そして第三部では、オーヴァーロードが目的を明らかにしたとき、人類が進化を遂げていく状況を描く。

すべての個人に無条件で毎月一定の、生活資金を配る「ベーシックインカム」の導入が世界中で検討されているが、ここで描かれる世界は、ベーシックどころかベストインカムが保証された世界である。このような制度は生活が保障されるため、文化・芸術における知識創造が活発になると言われている。しかし、幼年期の終わりで描かれている紛争といった葛藤のない世界では、傑作は生まれなくなっている姿を描いている。そして、物質世界を支配できる知性の最高位と目されていたオーヴァーロードは、個という概念が消え精神的にすべてがつながっていく新人類を、理解できないながらも見守る、進化の袋小路にいる中間管理職でしかなかったことがわかる。

人類とそれが生み出す人工知能との関係を先取りしていたとも言えそうだが、個という存在が溶けたとき、知の創造は起動するのか。創造のない世界こそ、進化の袋小路ではないのか。

文字数:2349

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