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『ハッピーアワー』と『寝ても覚めても』における脇役の役割について

 以下に『ハッピーアワー』と『寝ても覚めても』の二作品における、脇役の役割について記します。両作品とも濱口竜介監督により撮影されていますが、この二作品は各々独自の方法で撮影されていると思われるため、各作品ごと、独自にその手法を取りあげることにします。

 

1 『ハッピーアワー』

『ハッピーアワー』は、仲の良い30代後半の4人の女性たちが、その中の一人の友人を失ってしまう、という物語です。

 この章では、この4人の女性たちが最後に一緒に行動をすることになる、有馬温泉への旅行の描写をとおして、物語にどの様な伏線が張られているかを明らかにします。
 次に、映像によって明確に描写されている箇所から、その背後に(つまり映像化されていない部分において)どの様な人物関係が展開されていたのかを、推察します。
 最後に、なぜその様な推察が可能なのかについて、私なりの理由を述べたいと思います。

 有馬温泉へ旅行に行くのは、アートセンターでキュレーターをしている芙美、看護師のあかり、中学生の息子を持つ主婦の桜子、夫に離婚訴訟を起こしていて、間もなく判決が確定する純、この4人が30代からの仲良しで、たびたび行動を共にしています。ただし、桜子と純の2人は、中学生の時からの友人です。

  4人は駅で待ち合わせ、有馬温泉までは、芙美の夫の編集者、拓也が運転する車に乗って行きます。
 拓也は、温泉を題材にして連作小説を書こうとしている若い女性作家、能勢こずえの付き添いをするため、ちょうど有馬温泉に行く予定がありました。
 この温泉に行くまでの車中の会話に、『ハッピーアワー』の伏線が二つあります。

 一つ目の伏線は、この後すぐに展開されるため、とても分かりやすく示されています。
 拓也の担当する作家が若い女性であることを知った3人の友人たちは、拓也の浮気の可能性をめぐって、運転する拓也と助手席に座る芙美に、夫婦関係の危機を煽ります。
 助手席の芙美も、運転する拓也も一笑して真面目に受け止めませんが、3人の友人たちは、この夫婦が普段から表面的な会話しか交わしていないことに気づいており、3人の懸念は当たってしまいます。
 つまり、この若い女性作家をめぐって、夫婦関係は実際に危機に陥ることになります。

 もう一つの伏線は、時間的に後のほうで展開されます。
 そして、映像として描写されることはありません。
 そのため、『ハッピーアワー』を見ている観客が、推測することになります。
 映画の中で映るのは、拓也が担当する作家能勢こずえの作品『しらたま』を、離婚訴訟中の純が既に読み、「めっちゃ泣いた」と述べる場面です。
 拓也は「泣くんですか」と疑問に思いつつ、純の夫の公平に、この小説『しらたま』について取材したことがある、と返事をします。
 このことについて、純は特に何も発言しません。
 ただ、作家能勢こずえの朗読会のチラシをしっかりと握りしめています。
 この場面が第二の伏線となり、離婚訴訟後に失踪した純の手がかりを求めて、能勢こずえの温泉小説『湯気』の朗読会の会場に、公平が現れることになります。

 有馬温泉で4人が麻雀を行う場面がありますが、ここでも拓也と能勢こずえの親密な雰囲気が話題になります。
 自分の気持ちを問いつめられて 「私は本当はワガママだ」と告白する芙美に対し、「知ってた」とあかりと純が即答します。
 お互いのことをあまり良く知っていなかったことに気づいた4人は、麻雀卓を囲みながら「はじめまして」と初対面の挨拶ごっこを始めます。
 カメラは真正面から1人ずつに向かい合い、4人は「はじめまして」と名乗ります。

 続く場面では、旅館の前で、純が一人で佇む姿が映されます。
 残りの3人は車に乗っていて、お互いに手を振り合うのですが、車はゆっくり去って行き、純の姿はどんどん小さくなっていきます。
 4人が会うのは、この場面が最後になります。
 離婚訴訟に負けた純が、この後失踪するためです。

 能勢こずえの温泉小説『湯気』の朗読会では、小説家本人の朗読後、鵜飼景というアーティストと対談が行われることになっていました。
 『ハッピーアワー』の前半では、この鵜飼景がワークショップを行う場面がありますが、そのワークショップを主催したのが、芙美の勤める会社でした。
 このワークショップの打ち上げの飲み会において、純が離婚訴訟を一年近く行っていたことが明らかにされます。また、真面目な主婦の桜子がその後、一夜限りの関係を持つことになる鵜飼の友人、風間雄大と知り合うことになります。
 そしてこの飲み会では、看護師のあかりと鵜飼景が口論を交わした後に親しくなり、その後の『湯気』の朗読会では、この二人は会場を放り出して対談前に去ってしまうのです。
 そこで能勢こずえの編集担当の拓也は、能勢の小説『しらたま』で対談をしたことのある純の夫の公平に、消えてしまった鵜飼景の代役を、『湯気』の朗読会場で依頼します。

 恐らく、『湯気』の朗読会後の能勢こずえと公平の対談場面から、対談後の打ち上げの飲み会までが、『ハッピーアワー』のもう一つの伏線が回収される場面であり、この映画の最初の山場となっています。
 まず、それまで脇役でしかなかった公平と拓也が、台詞と共に、前景に現れてきます。
 公平はそれまで、あまり自分を押し出してこない、少し冷たい人物として登場していましたが、この朗読会の対談とその後の打ち上げでの場面では、かなり自分の気持ちを語る人物として描かれています。拓也も、編集者という、芙美の脇役という位置を超え、自分がいかに能勢こずえという小説家を大事に思っているかについて、自分の意見を主張します。

 ここで一つの不在が、映像に現れない形で、明らかになります。
 この場面には、小説家能勢こずえの他に、4人の人物が登場しています。
 能勢こずえと夫の拓也との親密さに、苦しさを感じている芙美。いきなり現れた公平の存在と、芙美と拓也と能勢こずえの三者の関係に不安を覚える桜子。対談の代役を急遽引き受けた公平に感謝しつつ、公平の能勢の小説への意見に反論する拓也。失踪した妻の手がかりを求めて会場に来た公平。
 有馬温泉に行く車中で純が、能勢こずえの『しらたま』を「めっちゃ泣いた」くらい好きだと言った言葉が、どこにも反映されていないのです。
  芙美と桜子は目の前の状況に手一杯であり、拓也は仕事が兎も角ひと段落したことで、やはり余所に気持ちが届かないとしても、問題は純の夫の公平です。

 公の場である対談中はともかく、対談後の打ち上げの飲み会でも、自分がかつて取材を受けた能勢の小説『しらたま』を、妻が「めっちゃ泣いた」くらい好きだということを、作家能勢本人の目の前で伝えることが出来ないということは、公平は純が『しらたま』を好きだという事実を知らなかったということです。
 有馬温泉に行く車中で、拓也が純の発言に驚いていることから、『しらたま』の能勢と公平の対談においても、このことが語られていないことが分かります。
 仮に『しらたま』の対談中に、純がその作品を読んで泣いたことが、公平から能勢に語られていたとすれば、『湯気』の朗読会後の対談で、公平の職業についてよく分かっていない能勢こずえ本人が、自分の対談相手の家族が自分の作品のファンであることについて、言及しているはずです。

 つまり、同じ能勢こずえという小説家の作品を、夫婦で好きでありながら、純の夫の公平は、そのことについて全く無自覚だった、ということがこの場面から明らかになるのです。

 終わりに、なぜこの様な「深読み」を『ハッピーアワー』が可能にさせるのかについて、推測出来る理由を述べます。
 それは拓也と公平という、『ハッピーアワー』における、脇役たちの描写の、時間における推移があるからです。
 仮に拓也と公平が映画の最初から、自分の意見や感情を率直に述べていたとすれば、スクリーンに映し出される出来事の背景について、その出来事より以前から育まれていた事情があった、と想像するのは、難しいでしょう。
 それまでただそこに「いる」だけの存在だった拓也と公平が、自分たちの感じていることを徐々に明らかにしていったため、『ハッピーアワー』を観ている者は、そこに幾つものサイドストーリーの可能性を感じることが出来るようになるのです。

 『ハッピーアワー』の主人公は4人の女性なので、どの人物に着目するかによって、様々なサイドストーリーを作ることが出来ます。

 たとえば、看護師のあかりは、多くの場面では、自分の意見を率直に話す人物として描かれていますが、見方によっては、少女らしい性格を持った人物とも描かれています。
 あかりと再会した湯沢祐司という男性は、かつて世話になった幼い娘のすず香が、一番慕っているのが看護師のあかりだと見抜き、あかりと3人で動物園に行き、一緒に休暇を過ごします。
 あかりの勤務先の医師栗田耕史は、階段から落ちて、松葉杖が必要となったあかりを、あかりの自宅まで送りますが、『湯気』の朗読会のチラシに気づくと、すかさず「案外、乙女よな」と話しかけます。それを聞いたあかりは、ベッドの上のクマのぬいぐるみを、ベッドと窓ガラスの間に落として、ぬいぐるみを隠すのです。
 『湯気』朗読会当日では、鵜飼景よりも先に、鵜飼の妹の日向子の心を動かすことに成功し、最終的には鵜飼景を誘惑することにも繋がります。
 あかりは日向子に対して、同じ週に二人と関係を持ったことを打ち明けていますが、恐らくその二人とは、再会した湯沢祐司と、医師栗田耕史であることが、『ハッピーアワー』を観ている者に伝わってくるのです。

 

2 『寝ても覚めても』

 『寝ても覚めても』は、昔の恋人と顔がそっくりの男性に出会った女性が、自分の気持ちを整理出来ないまま、その男性と恋愛関係に陥っていく、という物語です。

 主人公の朝子は、昔の恋人の麦(ばく)とは大阪で、次に、麦と顔がそっくりの現在の恋人、亮平とは東京で出会います。
 朝子は亮平と付き合うことに当初はためらいを感じますが、2011年に起こった東日本大震災での動揺をきっかけに、亮平の恋人になり、二人は毎月、仙台にボランティアに行くことになります。
 亮平が大阪本社へ転勤することが決まり、朝子と亮平はこれを機に結婚することになりましたが、東京での友人達とのお別れ会の会場に、昔の恋人の麦が登場します。朝子は麦と共に会場を抜け出して、車で麦の父親の実家の北海道へ向かいます。ところが朝子は、仙台の手前で車を降りると、麦に別れを告げて、大阪へ転勤した亮平のもとへ帰っていきます。

 この章では、主に2人の脇役に焦点を当て、この2人が物語の展開にどの様な影響を与えているかを明らかにします。
 次に、台詞と映像によって描写されている箇所から、主人公2人(朝子と亮平)の内面について、スクリーンを観る者がどの様な想像を働かせることが可能か、記述します。
 最後に、なぜその様な想像が可能か、私見を述べます。

 一人目の脇役は、東京で亮平の同僚である、串橋(くっしー)です。
 東京で朝子と同じ部屋に住む鈴木マヤは、亮平と亮平の友人をマヤ達の部屋に遊びに来るように誘いをかけます。ところが、大阪本社から転勤して来たばかりの亮平には、知り合いがいません。

 そこで亮平は、会社の同僚の串橋に話しを持ちかけます。
 朝子がお好み焼きを作るのが上手だとマヤから聞いた亮平は、まず串橋に尋ねてみます。
 「お好み焼きって好き?」
 串橋は素っ気無く「好きじゃないっす。別に。全然」と答えます。
 マヤが女優の卵だと知っている亮平は、次にこう尋ねます。
 「じゃあ、テレビに出てる女優との合コンて興味ある?」
 この台詞を聞いた串橋は、うつむき加減に、頭を動かします。
 今度は、亮平に対する返事を拒否しています。

 晴れて4人は、朝子とマヤの部屋でお好み焼きを食べることになりました。
 居間のテレビ画面には、マヤが舞台で演技をしている場面が流れています。
 ところがマヤは突然、リモコンでテレビの画面を切り、「恥ずかしいです」と照れはじめます。
 そのマヤの台詞を聞いて、串橋の怒りが爆発します。
 ここが『寝ても覚めても』で、脇役がストーリーに対して、重要な役割を担う、大切な場面です。
 串橋は役者志望だったのですが、それが叶わず会社員になりました。
 串橋はこの事件をきっかけにマヤと付き合うことになり、亮平と朝子との仲も接近していくことになります。

 二人目の脇役は、大阪で麦の親戚として登場する、岡崎です。
 大阪のシーンは、(1)朝子が最初に麦と付き合っていた時期と、(2)朝子が亮平との婚約祝いの会場において、麦と逃げ出し、その後麦と別れて、大阪に転勤した亮平のもとへ帰っていく時期の、2つの期間に分けて描かれています。

 朝子は亮平のもとへ戻りたいのですが、亮平は、婚約祝いの会場で昔の恋人と去って行った朝子を許すことが出来ず、大阪の新居に現れた朝子を追い出します。
 次に朝子は、大阪時代の友人である岡崎を訪れます。
 岡崎は以前は元気な青年でしたが、今は難病を患い、寝たきりの状態になっています。
 岡崎と岡崎の母に挨拶をした朝子は、岡崎の母に対して、自分は現在の恋人(亮平)のところへ行き、「また来ます」と告げます。
 ここが、『寝ても覚めても』において、脇役との描写によって物語の展開が示される、もう一つの大切な場面です。
 昔の恋人である麦が、大阪に戻って来た朝子の居所を探すことが出来たのは、麦の親戚の岡崎からの情報を頼りにしてでした。
 つまり、岡崎家と付き合いを続ける限り、麦の情報は今後も、朝子に常に入ってくる状態にあるということです。
 現在の朝子は亮平を選び、かつ岡崎家と接触を絶たない、ということは、再び麦が目の前に現れた場合においても、朝子は亮平のもとを離れないということが、この「また来ます」という朝子の台詞で示されているのです。

 ここで一つの問いが、台詞と映像によって生まれてきます。
 朝子は婚約祝いの会場で、当初は麦を選んでおきながら、なぜ亮平のもとへ戻りたいと思い返すようになったのでしょうか。
 海辺に路駐している車中で、朝子は麦の顔をじっと見つめますが、まだ時刻は明方でほの暗く、顔の見分けがつくほど陽が差していません。
 ここがどこかと尋ねる朝子に、「仙台の手前」と麦は答えます。
 仙台は、朝子と亮平が付き合うきっかけとなった、震災復興のボランティアに参加していた場所でした。
 亮平にとっても、仙台のボランティアに参加しているシーンは、少し特別な場所として描かれています。
 亮平というキャラクターは、友人達とくつろいでいる場面でも、常に周囲に対する配慮を欠かさず、しかもそのことが、配慮する相手の負担にならないように、相手に気さくに話しかけるように設定されています。
 亮平、朝子、マヤ、くっしーと楽しく会食する場面でも、大抵自分はビールを飲み、或いは缶チューハイを注いでいます。
 ただ一箇所、朝子と二人でボランティアに参加している場面においてだけ、自分の商売道具でもある日本酒を呑むことを、自分に許しています。
 朝子も、亮平と付き合う前に、自分が運んできたコーヒーの味を亮平がほめる際、自分の会社が日本酒を扱っているので「水が命」だと初対面の朝子に告げていたのを、聞いています。

 朝子は、亮平にとって何が大切な価値観となっているか、そして亮平が、どの様な状況においてどの様な態度を取るのかを、亮平と付き合う年月の間に、学んでいたのです。

 最後に、なぜその様な推測を『寝ても覚めても』が許すのかについて、理由を述べます。
 それは『寝ても覚めても』における脇役たちと、主役である朝子との距離の置き方が、台詞だけではなく、映像によっても、巧みに配置されているからです。
 ここでは、東京の友人マヤと、先ほど挙げた岡崎の2人を例とします。
 大阪時代に麦の親戚として設定されていた岡崎の場合は、朝子が大阪を離れた一因が岡崎にもあったこと(大阪に居れば、岡崎を通じて麦の情報が入ってくる可能性があるため)、また、東京で過ごした年月の経過を、岡崎との再会で示すことで、麦との恋愛関係が終わったことを示す効果があります。
 岡崎は難病を患ってしまったため、同じ役者が演じているのですが、別人の様な姿で映像に登場します。

 これに対して、東京時代の朝子の同居人マヤは、女性2人と亮平・串橋との出会いを設定し、朝子・亮平及びマヤ・串橋という、恋人同士の間柄をとりもつ役割を担っていました。
 この良好的な4人の関係が破壊されたことを示す時、つまり朝子がマヤからの連絡を断つ場面で、マヤの演出のされ方が効果をあげています。
麦と朝子はまずタクシーで東京へ向かいます。
 東京から北海道へ麦の車で高速に乗る前に、モデルと俳優の仕事は大丈夫か、と尋ねる朝子に対して、麦は「もう言うべきことは言っている」と答え、携帯電話を駐車場に叩きつけて壊します。
 過去の自分を捨てる決意として、携帯電話が壊されるのです。
 同じく、東北自動車道の中で、マヤから朝子に連絡が入ります。
 もう亮平のもとへは戻らないと答えてから、朝子も携帯電話を車中から道路に叩きつけます。
 過去数年の自分を捨てる決意として、朝子は麦と、全く同じ方法を選びます。
 つまり、亮平と麦を目の前にして、一旦は麦を選び、亮平との関係を断つということを、マヤという脇役との関係の映像によって描写しているのです。

 今までの推論の経緯をまとめてみます。
 『寝ても覚めても』において、物語の展開を決定づける場面において、亮平が串橋を誘う台詞、朝子が岡崎親子に再会を約束する台詞が、重要な役割を担っていることが分かりました。
 また、映像によっても、難病を患った岡崎や、携帯電話を道路に叩きつける麦と朝子の描写が、後戻り出来ない物語の展開を示しています。
 従って、朝子が麦と別れて、亮平のもとへ戻る理由も、台詞と映像の両方から読み解くことができる、ということです。

 朝子も、自分自身の行動に戸惑っていました。
 再開した麦との失踪後に、亮平のもとへ戻ってからも、自分の感情を完全には把握することが出来ませんでした。
 一度、亮平の家から追い出されて、岡崎の前で「私は元気、でもないな」という台詞を自分の口から出して、初めて、朝子は泣きはじめます。
 この時やっと、朝子の行動と感情が一致したのです。
 亮平に何を伝えるべきかが分かった朝子は、岡崎の母に、亮平に再び会いに行くこと、そして岡崎親子にも、また会いに来ることを告げます。
 亮平がどの様な回答を示そうとも、この場面で、朝子の最終的な態度が決まったことが、台詞と映像の両方から、分かるのです。

【参考図書】
濱口竜介『カメラの前で演じること』(2015)左右社
田中幸子・濱口竜介「脚本 寝ても覚めても」『月刊シナリオ』(2018年9月号)シナリオ作家協会

文字数:7742

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