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今日において、建築ファンにとてもよく似ている存在は、鉄道ファンである!

 夏休みに、プール付きのお屋敷に、一泊二日の滞在をしました!

 というのは戯れ言でして、この写真は、東京都品川区の天王洲アイル駅から、徒歩5分の場所にある「建築倉庫ミュージアム」で開催(2018年8月4日から10月8日まで)されている、『「建築」への眼差し』展で撮影した写真です。
 会場には、13人の写真家によって撮影された、合計37点の有名な建築の「写真」と、被写体のうち6点の建築のミニチュアの「模型」が展示されていました。

 写真は、オスカー・ニーマイヤー(1907~2012)という建築家の「カノアスの邸宅」という、1942年に建てられたこの建築家の自邸を、写真家のホンンマタカシ(1962~)が2002年に撮影したものに対して、さらに筆者がカメラで撮ったものです。
 インクジェットプリントで出力されたこの写真は、縦150センチメートル、横200センチメートルという非常に大きなサイズなので、会場で見ると映画のスクリーンに映し出されているかのような巨大な迫力が感じられます。

 建築物を、絵画や写真などの二次元の創作物の対象にすることは、昔からおこなわれていました。
 建築に興味がある人も、立派な建築が美しく撮影された写真集や図集を持っています。
 ですが、建築は歴史があり、それなりに前提となる知識が必要な分野ですので、ハードルが高い領域だ、と思っていらっしゃる方も多いのではないでしょうか?
 かくいう私自身、この展覧会を見るまで、建築のことについては、あまりよく知りませんでした。
 なので、ハードルを下げて、皆様に親近感を持っていただくために、あえてこんな比較をしてみたいと思うのです。
 「今日において、建築ファンにとてもよく似ている存在は、鉄道ファンである!」

 普段はあまり比べられることはありませんが、両者には「写真(図集)のコレクターである」「ミニチュアの模型によるサイズ変更の楽しみを実践している」など、共通点があるのです。
そして両者とも、二次元の世界(写真など)に満足することなく、三次元の実物(前者は建築物、後者は鉄道の車両)の中に入っていき、実物を肌で体感することに喜びを感じます。
 また、建築ファンや鉄道ファンならずとも、三次元のものを二次元に置き換えるということは、どんな感覚の変化をともなう体験であるのか、ということについて、少し立ち止まって考えてみるよい機会になるのではないでしょうか。

 ところで、二次元と三次元の違いとは、どういったものなのでしょうか?
数学の世界では、X軸とY軸で描かれた図が二次関数をあらわすために用いられ、X軸とY軸とZ軸で描かれた図によって、立体的な世界があらわれてきます。
 理論的にはそれで正解なのですが、この説明では、私たちが絵画や写真など、二次元の創作物を鑑賞したときに感じる不思議さを、説明しきれているとは言いがたいのです。
 ここに、一枚のイラストがあります。
これは、私が子供の頃に持っていた図鑑による「二次元の世界に住む人」の説明の図を、なるべく忠実に思い出して、描いてみたものです。

 二次元の世界に住む人は「高さ」という概念を持たないので、イラストのように、たからものなどの大事なものを金庫に保存するためには、周りを線で幾重にも取り囲む、という方法をとります。
ところが、ここにふと三次元の世界に住む人がトコトコとあらわれてきて、上からそのたからものをひょい、と取りあげてしまうとしましょう。
あとになって、二次元の世界の人が金庫をあけてみると、たからものは跡かたもなく消え去ってしまって、非常にびっくりしてしまうのです。

 この図鑑の説明には続きがあって、実は同じような関係は三次元の世界に住む人と四次元の世界に住む人にもあてはまるのだ、とありました。
つまり、三次元の世界の人(私たちのことです)が縦・横・高さを持つ鉄の金庫にたからものをしまっていても、四次元の世界の人はもう一つの「次元」を持つので、あるところから手をのばしてきて、ひょい、とそのたからものを持っていってしまうことができる、というのです。
 この図鑑の説明がどこまで正しいのか、少しあやふやなところもあるような気がするのですが、後者の説明の方が、私たちが絵やマンガを見たときに感じる不思議な感覚について、うまく説明をしています。

 西欧においては、中世までの遠近法が発明される以前の絵画は、のっぺりとして、高さや奥行きを感じさせませんでした。
ところがルネサンス以降、遠近法を用いて製作された絵画では、高さや奥行きを感じることができます。
 あとは美術史のくわしい話になってしまうので省略しますが、中世以前に描かれた絵画の画集とルネサンス以降の絵画(において遠近法が使われているもの)の画集を見比べてみると、私たち三次元の世界の住人が、どんなふうに「本当らしさ」を再現するのかということについて、またそれとは別に、「どのようにして」再現された作品に私たちが美的感覚を感じるかについて、いろいろなことを考えさせられるのです。

 このような視点から、今回の『「建築」への眼差し』展に話をもどしていきます。

 

 上の写真はル・コルビュジエ(1887~1965)という、モダニズムの偉大な建築家の中でも名高い「サヴォア邸」という、1931年に竣工された建築を、杉本博司(1948~)が1998年に撮影されたものに対して、さらに筆者がカメラで撮りました。
下の写真は、「サヴォア邸」を50分の1の縮尺により製作された、ミニチュアの模型です。

 上の杉本博司の写真は、ゼラチン・シルバープリントという、銀塩フィルムで撮影され、銀塩印画紙に印刷されたいわゆる「アナログ写真」で、近くで鑑賞すると紙のでこぼことした質感が伝わってきます。サイズも縦119.4センチメートル、横149.2センチメートルと、先ほどの「カノアスの邸宅」よりも小ぶりで、額に入れられて壁に掛かっているので、いかにも「展覧会の絵」を見ているような気分になります。
 下のミニチュアの模型は、ここがこの展覧会の展示方法における工夫された部分なのですが、壁の隙間に小さく切り取られた穴から、鑑賞者が「のぞく」ことによって鑑賞することができます。
写真の下の半分近くが黒くなっているのは、筆者が「のぞき穴」の狭い部分にカメラをあてて撮ったためです。

 一体どうしてこのような工夫を凝らした展示をしたのかについては、様々な推測をすることができますが、一つは通常のミニチュアの模型を鑑賞する場合のように、そばでじっくり眺めることをできないようにするため、という理由を挙げることができるでしょう。
簡単に言ってしまえば、鑑賞者はのぞき穴からのぞくことによって、写真家が撮影した時の視点と同じ場所に立つことができるのです。

 先ほど、「今日において、建築ファンにとてもよく似ている存在は、鉄道ファンである!」という、やや突飛な比較の方法を提示してみました。
 そして、その理由として「写真(図集)のコレクターである」ことと、「ミニチュアの模型によるサイズ変更の楽しみを実践している」ことを挙げました。
 一つめの理由である「写真(図集)のコレクターである」ことについては、どんな建築ファンでも、世界中すべての建築を一度に鑑賞することは不可能なので、納得していただけるでしょう。
 二つ目の「ミニチュアの模型によるサイズ変更の楽しみを実践している」ことについては、もう少し補足説明が必要になります。

 アーサー・C・ダントー(1924~2013)というアメリカの哲学者・美術批評家は『ありふれたものの変容』という著作のなかで、「われわれが模倣に感ずる快は、…(中略)…それが模倣であって現実のものではないという知識に依存する。われわれは、牛を模倣する人が出す牛の鳴き声に、現実の牛の鳴き声には覚えない(小さな)快を覚える。」という説明をしています。
 建築ファンや鉄道ファンは、実際の建築物や鉄道の車両に対しても美的感覚を感じるので、この説明のすべてがあてはまる訳ではないのですが、模倣に対する愛着とは、オリジナルに対する愛着とは違った角度から検討してみることが可能だ、ということは理解していただけるのではないのでしょうか。

 本物の建築や鉄道の車両を所有したい、という望みはなかなか叶えることができないし、そんな大きな模型を置く場所もないので、仕方なくミニチュアの模型で我慢しているのだ、という前提条件はあります。
 ところで、世の中にはとても手先の器用な人がいて、小さなガラスびんの中に、ピンセットのような道具を使って、船のミニチュアの模型を作ることができる人がいます。
 普通に模型を作ろうとするならば、大きければ大きいほど実物のサイズに近くなりますし、ペンキのような塗料を使って色を塗ったり、布を使って帆を作ることもできます。
 ですが、小さなガラスびんにとても小さな船の模型を作る人の作品からは、「実物に近ければ、近いほどよい」といった発想を感じることができません。
 むしろ、ビンの中という小さな世界の中に、船というものを丸ごと閉じ込めてしまうことに、美的な感覚を覚えるのではないか、と思えるのです。

 写真を撮影したり、ミニチュアの模型を製作するという行為には、視覚に写った物を紙に描写したり、三次元の世界で再現させる、という目的があります。
しかしもうひとつ、ごく限られたスペースの中に、この世界にある物を丸ごと閉じ込めて、その世界観を提出してみせるという、人間が生きていく上で欠かせない機能もあるのです。
 まず、この世界を一度、丸ごと把握することになるのですが、そこで発揮されるのがこの「模倣に対する愛着」「模倣を作ることに対する愛着」です。
 ここで必要なのが、原寸大の建物や車両を再現することではなく、例えば縦119.4センチメートル、横149.2センチメートルの紙の上に建物の「像」を置き換えることであったり、ミニチュアの模型によるサイズ変更を楽しむ感覚です。

 そして、私が建築ファンと鉄道ファンを比較してみたいと思った、もう一つ別の理由があリます。
私たちが美術館でみる絵画や、博物館で見る模型は、極端に言ってしまえば、生きていく上で絶対に必要なものではありません。
 ですが、生きていく上で、何かしらの建物に住んだり、現代であれば電車に乗ったりすることは(田舎であれば車が必要なのかもしれませんが)、多くの人が避けては通れない手段となっています。
 現に、この「建築倉庫ミュージアム」を訪れるためには、近所に住んでいるという方、自家用車を使用する方は別として、多くの人が電車を使って行かなければならないはずです。
 ならば、「建築」という、勉強が必要な分野の展示会を肩ひじ張って見にいく姿勢よりも、私たちがこの展覧会を訪れるために利用する「電車」だって三次元の構築物で、外から眺めたり、その中に入っていろいろ物思いにふけったりする、あるいはほかの人を観察しておもしろいと思ったりする、そのように、私たちの生活により近いところから連想をふくらませていけば、新たな発見が生まれると思ったからなのです。

 この『「建築」への眼差し』展に限らず、展示会というものは、多くが「見る」ために開催されるので、どうしても人間の「視覚」に注意を向けることになります。
そして美術の分野においては多くの「視覚論」が語られています。
 ところが実際の絵画は、人間が手に筆を持って作られたものですし、写真だってカメラを手にしてボタンを押す、という行為がその前段階として必要になってきます。
建築も、もちろん人の手によって作られたものです。

 絵やマンガを描いたことがあれば、ペンやタブレットの感触を、出来上がった作品と切り分けて考えることはできないでしょう。
 ジョン・バージャーという美術評論家の『イメージ』の日本語訳には、訳者の伊藤俊治の<見ることのトポロジー>という解説がつけられていますが、そこにはこんなことが書かれています。

仮に今、我々が表面に見えるものしか意識をあわせられないにしろ、自らが成り立っているのはその地層から上層に至るまでの関係性においてなのだから。そのことの認識においてのみ、見る瞬間に全身で参加し、あえていえばその瞬間に所有されることが可能になる。存在するものに我々のあらたな存在をよりそわせることができる。その見ることの活動が我々の記憶を縛っている枠組をおしのけ、思考と知覚とが一体になる感情を回復させる。そうした”肉体を持った眼”こそが今、我々が必要としているものではないだろうか。その眼を取り戻していくことはひどく困難な作業ではあるが、その眼だけが始原的と呼ぶしかない世界への感情的回路をつくりだし、空間の根底の地層に触れる新しい見ることの位相をたぐりよせていくはずである。

 そこで、芸術を鑑賞する際に「視覚論」のほかに「触覚論」のようなものをあらかじめイメージしておけば、この展覧会のように、扱う対象が三次元の建築であっても、あまり緊張せずに楽しく鑑賞できるのではないでしょうか。

 以上のことをみなさまにお伝えしなければいけないと思ったのにも、やはり理由があります。
それは、今回の『「建築」への眼差し』に限らず、どうしても「建築」を鑑賞したりあるいは語ったりする場合、それは現代の建築に限られてしまう傾向があるからです。
 そのためには、『「建築」の眼差し』展において、写真および模型というかたちで展示された建築について、その竣工年を、全部ここに列挙してみなければならないでしょう。
少し長いですが、『「建築」への眼差し』とうたいながら、それらは全て「現代の建築」に限られていることがわかるのが一目瞭然となるからです。

(写真)
作品番号
01 「カノアスの邸宅」オスカー・ニーマイヤー(1953)
02 「カノアスの邸宅」オスカー・ニーマイヤー(1953)
03 「カノアスの邸宅」オスカー・ニーマイヤー(1953)
(ビデオ)
04  アフター・テン・イヤーズ
(写真)
05 「聖ベネディクト教会#01」ピーター・ズントー(1989)
06 「聖ベネディクト教会#03」ピーター・ズントー(1989)
07 「Untitled (メリニコフ邸,#05)」コンスタンチン・メリニコフ(1929)
08 「Untitled (メリニコフ邸,#04)」コンスタンチン・メリニコフ(1929)
09 「Untitled (メリニコフ邸,#08)」コンスタンチン・メリニコフ(1929)
10 「Untitled (メリニコフ邸,#16)」コンスタンチン・メリニコフ(1929)
11 「ユダヤ博物館、ベルリン」ダニエル・リベスキンド(2001)
12 「ユダヤ博物館、ベルリン」ダニエル・リベスキンド(2001)
13 「ユダヤ博物館、ベルリン」ダニエル・リベスキンド(2001)
14 「ユダヤ博物館、ベルリン」ダニエル・リベスキンド(2001)
15 「ユダヤ博物館、ベルリン」ダニエル・リベスキンド(2001)
16 「青森県立美術館」青木淳(2005)
17 「青森県立美術館」青木淳(2005)
18 「アビタ’67」モシェ・サフディ(1967)
19 「アビタ’67」モシェ・サフディ(1967)
20 「エルプフィルハーモニー・ハンブルク ヘルツォーク&ド・ムーロン ハンブルク I 2016」 ヘルツォーク&ド・ムーロン(2016)
21  「エルプフィルハーモニー・ハンブルク ヘルツォーク&ド・ムーロン ハンブルク II 2016」ヘルツォーク&ド・ムーロン(2016)
22 「h.t.b 19」ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1930)
23 「h.t.b 17」ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1930)
24 「h.t.b 02」ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1930)
25 「グリーン・レイク・パビリオン(ガラスの家)」フィリップ・ジョンソン(1949)
26 「4531(ガラスの家)」フィリップ・ジョンソン(1949)
27 「4559(ガラスの家)」フィリップ・ジョンソン(1949)
28 「0744(ガラスの家)」フィリップ・ジョンソン(1949)
29 「バーティカル・レイク(ガラスの家)」フィリップ・ジョンソン(1949)
30 「5237(ガラスの家)」フィリップ・ジョンソン(1949)
31 「6009(ガラスの家)」フィリップ・ジョンソン(1949)
32 「ドームプラッツ #03」ハンス・ホラインによる模型(生没年1934~2014)
33 「バラガン邸の美食の秘密のためのノート1」ルイス・バラガン(1948)
34 「バラガン邸の美食の秘密のためのノート2」ルイス・バラガン(1948)
35 「バラガン邸の美食の秘密のためのノート3」ルイス・バラガン(1948)
36 「サヴォア邸」ル・コルビュジエ(1931)
37 「ル・コルビュジエの眼鏡 パリ「近代住居」の講演のための原稿を見る」
(模型)
38 「サヴォア邸」ル・コルビュジエ(1931)
39 「トゥーゲンハット邸」ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(1930)
40 「メリニコフ自邸」コンスタンチン・メリニコフ(1929)
41 「カノアスの邸宅」オスカー・ニーマイヤー(1953)
42 「ベルリン・ユダヤ博物館」ダニエル・リベスキンド(2001)
43 「青森県立美術館」青木淳(2005)
(竣工年については『「建築」への眼差し』展における、筆者による展示の写真撮影があるものについては、展示において表示されていた製作年を、それ以外のものについては後で調べて記入)

 一番古く建てられたものが、1929年の「メリニコフ自邸」ですから、第一次大戦後のことになります。
 ほとんどの現代人が、住んだり、働くための「建物」を必要としているのにもかかわらず、「建築」となると少し身構えてしまうのは、私たちの日常生活とはかけ離れたものだ、と多くの人が感じる要素があるからでしょう。
 現代建築とは、遠くから見ると、ガラスの立方体が積み重なっているような大変シンプルなつくりのものもあれば、鉄筋コンクリートが曲線のカーブをえがき、円形や楕円形のように見えるものもあります。
 ところが、私たちが例えば「あの建物」という言葉で具体的に指す建築とは、体育館や図書館、駅前広場など、大切な思い出が残っている建築物なのではないでしょうか。

 建築を身近に感じることができるような展示会があればいいな、と思っていたところなのですが、今回の展示会場の隣の展示室Bにおいて『UNBUILT : LOST OR SUSPENDED』という、一風変わった企画があるので、こちらもご紹介しておきます。
 LOSTとはコンペで負けた、SUSPENDEDとはいったんはその案が採用されながら、諸般の事情により建設がまだ着工されていないさまざまな建築案の「模型」が展示されているのです。

 そうした模型をたくさん眺めているうちに、これらの建築が本当は建つはずだった「仮の世界」が頭に浮かんできて、よく知られている著名な建築の影には、こうした無数のボツになった模型があったのだ、と色々と空想をめぐらせることができます。
 そこにあったであろう、さまざまな人間のドラマの脚本には、現代建築の見かけや多くの建築論とはまた違った、複雑な人々の心理的なかけ引きがあったことを、見る者に訴えかけてくるのです。

 

 

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