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テンからマルへの広告ガイド―空白地帯を旅する【冒頭】

【目次】

はじめに:「ほしいものが、ほしいわ。」の向こう側

1)広告批評の空白地帯

・言葉とメディアの変容

・平成史との同期

2)挑発としての広告批評

・作品性の剥奪

・「少女小説」の社会実験

おわりに:テンからマルへ、野性に目覚める私たち

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はじめに:「ほしいものが、ほしいわ。」の向こう側

「かつてあった時代」を懐かしむのはよくある話。そしてそれは人が持つ「性(さが)」なのかもしれません。特にいまの日本では顕著な傾向にあります。景気が長期にわたり低迷しているなかで、世界での存在感が薄くなるばかり。平成からの改元を控えて「あの時代はよかった」という議論に、さらに拍車がかかっているようです。

現状と過去を比べると、たいていの場合は「いろいろあったけど、あの頃はよかった」という結論になります。脳科学的な研究で、快と感じた記憶を優先的に残さなければ憂鬱が勝って生きていけないという報告がありますが、リバイバルブームは幸福感の再生産なのかもしれません。しかし、だからと言って、世の中の誰もが振り返ってばかりでは、次の幸せは生まれません。それでは、ため息で二酸化炭素が増えるだけです。

一部の人が、少しの間だけ想いを馳せるのに問題はありません。また、年長者が時に懐かしむのも、若い人が歴史に敬意を払うのも、自然なことです。しかし特異なほどに「あの時代」を夢見る多くの若者が集う場所が存在しています。それが他でもない「広告」というジャンルです。世の中の先を見据える必要がありつつも、多くの若者に「あの頃」への強烈な憧れが受け継がれています。

こうした過去の記録・記憶を振り返る手段を持っているのは、人間独自の機能であると言っても違和感はないでしょう。人は長い時間をかけて、自身や他者の記憶を記号により伝達する手段を獲得してきました。「言葉」もそのひとつです。

しかし、飼っている小鳥を眺めていると思うことがあります。どうも私たちは、その獲得と引き換えるかのように、野性が萎えた状態で生きている気がしてならないのです。

彼らにとって大切なのは、いま、その瞬間だけ。いつも隣にいるパートナーがいなくなると悲しむものの、代わりの異性が現れればすぐにアタックし始めます。そして、育児書や誰に教わるでもなく、卵を産めば温め、雛が出てくれば、ごはんを適度に砕いて与え、育て上げます。それは子育てばかりではありません。「食べたい」瞬間にシードに飛びつき、水浴びをしたいと思った瞬間に水浴び場へ直行する生活。彼らは、欲求を満たすために生きているのです。小鳥たちの世界は、こうした反復の中にあります。その意味において、飼われているとはいえ、小鳥たちの姿を「野性のままに生きている」と言って良いでしょう。

それでは、私たちにはもうそこまでの野性は残されていないのでしょうか。そして、一度獲得した記号は、失うことがないのでしょうか。いいえ、そうではありません。むしろ、ものを知ることによって、欲望は広がりました。煩悩を抑えることは古今東西を問わず人類の難問であり続けています。

そして、なにより、言葉は変容していきます。言葉は移り変わるものです。いわゆる「活字離れ」は実のところ当たらずとも遠からず。これだけデジタルに囲まれた私たちの生活は、書き言葉中心の世界には、もう戻れないでしょう。手書きの原稿用紙でものを書く感覚は、たまに味わうのであれば良いけれど、それを標準にすることは、もはやできません。

そう考えると、広告というのは妙なものです。自然から距離を置くために作られた記号(たとえば言葉、絵)によって、「ほしい」という原始的な欲求を刺激します。ずいぶんとアクロバティックな行為なのです。

広告における「あの頃」は、主に昭和から平成のはじめを指します。この空気は昭和の真っ最中から繋がっているもので、バブル期や経済成長の理由だけに収斂できません。参考までに具体例として、いまでもクリエイターと話していて特に憧れとされるコピーを紹介します。広告は言葉だけで成り立っているわけではありませんが、どの媒体においても軸になるものです。

(1)さくさく、ぱちん。/国際羊毛事務局・1975年(昭和50年)…西村佳也

(2)ほしいものが、ほしいわ。/西武百貨店・1988年(昭和63年)…糸井重里

(3)hungry?/日清食品・1992年(平成4年)…前田知巳

(1)と(2)は新聞広告、(3)はTVCMです。ウールの触感を洒脱に表現した(1)は、オノマトペとの融合。この頃から、今の広告コピーにつながる、「話し言葉」を重視したコピーが主流になってきます。その理由としては、TVが当たり前の環境になったからでしょう。(2)はそのひとつの完成形とも言えます。宮沢りえのキス写真に乗せた言葉が、バブル最中の時代を切り取ったのでした。(3)はマンモスを追いかける原始人、マンモスに追いかけられる原始人をコミカルに描いたTVCMで有名です。

もちろん、このあとにも印象的な広告は登場しています(それらについては、次項で詳細を述べます)。しかし、これらの時代に作られた広告を目指す人が後を絶たないという実情があるのです。平成が31年で終わろうとしていることを考えると、奇怪な気もします。自動車の設計士を目指す若者が「初代マーチみたいなクルマを作りたい」と思うのなら、それはなかなか、希有なことです。しかしながら、広告クリエイティブには、そうした面が色濃く残っているのです。

「昔はよかった」と言うのは簡単です。そして、言葉を磨いていくことは間違いではありません。ただ、現在の私たちが目指すものは、過去にはない。明日からも胸を張って生きるために、この論考を始めたいのです。なぜならば、私たちはすでに「ほしいものが、ほしいわ。」の向こう側にいるのだから。

 

Ⅰ 広告批評の空白地帯

日本にはかつて『広告批評』という雑誌がありました。そのタイトルのとおり、主にマス広告の批評を扱った月刊誌です。天野祐吉が主宰、島森路子が編集人・発行人。発行元のマドラ出版は『広告批評』のためにあったようなもので、両者が決めた『広告批評』の休刊ともに会社も解散しています。コラムニストとしての天野祐吉は、広く知られていたでしょう。ここで扱われる情報量と熱量は稀代のクオリティを保っていました。しかし「稀代の」という長所は同時に弱点でした。雑誌というのは、通常、編集長が変わっても成立するものです。しかし、中心にいる彼らは、2009年4月号を最後に休刊としました。時代が変わったことや、当人の体調や年齢を考慮したうえでの英断とされています。

これがもし、編集長を交代して『広告批評』を続けていたら――歴史に「たら」「れば」がないことは承知の上で――おそらく良い思い出にはならなかったでしょう。なぜならば。天野祐吉と島森路子以外の人間の手による広告の批評は、ほとんど機能しなかっただろうから。

ほかのジャンルでも「批評」は招かれざる客ということは多々あります。批評する側にとって、そもそも広告は芸術ではないのだから批評する必要はないという考え方が、まずひとつ。それから「昔はよかった」というのと似た考え方、つまりマーケティング理論が先に立ち、企業の言葉が反映されすぎた最近の広告は批評に値しないという考え方もあるでしょう。しかし、そのいずれにおいても、社会に、生活者に多大な影響を与えているという観点に立てば、その必要性は認められるはずです。

ただし、広告をつくる側からすれば、間違いなく招かれざる客です。(もちろん、個人的に「評論」と「批評」は違うと認識していますが、それぞれの発言ママを再現すると)明晰で批評的な本を上梓している人でも、若手コピーライターに対して「評論家になるな」と教えたり、「私は評論家になるつもりはない」と言ったりするクリエイターがほとんどです。確かに、人の作ったものを論じている時間があれば、ひとつでも多くアイデアを出すべきで、ある部分ではその通りなのかもしれません。しかしそんな人たちの中にあっても、『広告批評』は特別な存在でした。業界を志す学生から大御所と呼ばれるクリエイターまで、『広告批評』には絶大な信頼を寄せていたのです。もちろん、人柄もあるでしょう。ただやはり決め手は、業界のことをよくわかっているから。清濁あわせて広告への愛を持っている、そのうえで本当のことを言われたら、納得するしかありません。

もっとも『広告批評』は、文壇的なものとは別の場所に位置していました。あくまで実践が第一。その証拠に「広告学校」というコピーライター養成所も主宰していました。卒業生には、コピーライターはもちろん、著名なアートディレクターも数多く生まれています。

この批評誌は「広告」のために大きく寄与しましたが、「批評」のために人を育てるのは難しかったようです。そして誰も、その必要性を感じていなかったのでしょう。

そしていま現在、広告を批評するということは、ほぼありません。なぜヒットしたのかという分析は数多く生まれていますし、「名作コピー」を集めたまとめサイトも存在します。また、広告主や媒体、代理店やクリエイターへの「批判」や「誹謗中傷」も世に出回っているのですが、それらは広告自体を批評する試みとは別のものです。

『広告批評』が休刊してから、ほとんど広告批評がないという立場をとると、ちょうどテン年代の広告が批評されていないことになります。ここで私は、天野氏の言葉を手がかりにしながら、ここ10年分の広告と、その前の時代との接続を試みます。「言葉とメディアの変容」によって。さらにそれを「平成史」と重ねていきます。それらの分析を通じて、広告から作品性が奪われいてく様子が見てとれるでしょう。これは文学における「受容理論」とつながっていきます。そして、「受容理論」という観点から平成に生まれた「ティーンズハート」という文庫レーベルに着目します。ここでは、一人のコピーライターが鍵を握っていたのです。この作品群に影響を得た「少女」たちが消費の主役になっていったこと、テン年代から次の年代を迎えようとしていることとの関係を指摘します。そして「ニマルニマル」と広告業界を中心に呼ばれる2020年から以降の広告について、論を重ねていきます。

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