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「観る」人のために

かつて、これほどまでに多くの「映画」を観ることのできる時代はありませんでした。2018年のいま、世界的に平均寿命は延びており、つまりは生涯のうちに個人が「映画」を観られる時間も増えています。

そして、ネット時代のプラットフォーム。芸術的に評価が高いとされる作品から、完全な娯楽作品まで。いろんな時代の、さまざまな国の作品も。ショートフィルムも、長尺CM動画と呼ばれる作品、2時間超の大作も。いずれも、ひとつのフォーマットで観ることができます。掌に収まるスマートフォンで「映画」を観ることのできる時代です。まるで文庫小説を読むのと同じスケールで「映画」を観ているのです。

もっとも、これには全員の同意は得られないのは理解できます。私がここで念頭に置いたのは、NetflixやHulu、Amazon Primeといった配信サービスのことですが、数多くの映画制作者、映画ファンの間で「これは映画ではない」という認識があるのも事実です。それもまた、その人にとっては真なのでしょう。

しかし、もはや「これも映画である」と認めない態度は、世界の半分から目を逸らすのと変わりありません。認めようと認めなくても、すでに観客がいるのですから。

2018年は、配信サービスが実際に私たちの生活に馴染んできた年であると言えます。携帯電話の料金プランにも、配信サービスとカップリングした形態が出ているほど。

とはいえ、こうした議論は、それほど新しいことではありません。かつてレンタルビデオサービスが勃興した際にも起こったことでした(もちろん、セルビデオ/DVDに対しても、パッケージの是非に関して議論はありますが、マネタイズという観点あるいはマニアの衝動として好意的に捉えられ、あまり問題にはされていないように思います)。私たちは、その議論に決着をつけることなく、さらに奥深くまで技術を進めてしまったのです。歴史に学ぶよりも、歴史を塗り替えるほうに夢中になっています。

これはなぜでしょうか。なぜ、こんなに「観たい」と思うのでしょう。それはただの好奇心なのでしょうか。知識欲だけで、人が吸い寄せられるものでしょうか。

まずは、本来一回性の体験である「映画」にレンタルという概念が生まれた意味を考えてみようと思います。1980年代後半から2018年までの流れを見ていきましょう。

 

レンタルビデオ店は、1977年から1978年にかけて、アメリカのロサンゼルス、ニューヨークで相次いでレンタルビデオ店が開業しています。その原型は、レンタルレコードだったそうです。それから間もなく日本でも開業。家庭用ビデオデッキの普及とともに、世界中でカウチポテトの相棒として活躍。日本でも1990年代にかけては特に、庶民のカルチャーを支えるビジネスとして流行しました。2018年現在の状況からすると想像しづらいですが、中小のネットワークや個人経営のショップも相当数ありました。メディアがVHSからDVD、ブルーレイへの移行時期、セル作品の価格低下や不景気が重なるなど、2000年代半ば以降は、大手のフランチャイズになる店舗が増えるなど、寡占状態が進み、今に至ります。世界――最も大きな市場だった北米では、ほとんど崩壊しています。世界17カ国で展開していた最大手のレンタルビデオ会社が、ネット中心の時流の変化に合わせることができずに衰退し、2010年には倒産。そのいっぽうで、1997年にレンタルビデオ会社として出発したNetflixは、今では世界規模で配信サービスの雄として業界を引っ張る存在になりました。

こうした状況に比べれば、2018年現在の日本は、世界的に見ると特殊な状況でしょう。競合であるオンライン配信サービス有料衛星放送への加入がドラスティックに伸びていないことで、メディアのレンタルもまだ生きています。作品数や海外作品の吹き替えを望む人が多いということ、ネット決済の普及がそこまで進んでいないという事情もあるようです。

とはいえ、この状況もいつまでも続くものではないと容易に想像できます。配信サービスを利用しない人の増加よりも、メディアをレンタルする人が減少する方がずっと多いからです。いまの日本は、過渡期の真っ最中なのです。

ここで私は「メディアか配信か」という話をしたいわけではありません。どちらにしても、私たちは身近に「映画」を「観る」体験を通過することで、「映画」が生活の一部に同化している状況があります。映画業界において「古き良き時代」とよく言われる頃よりも、「映画」を観たことのある全体の人口が増えてているのは想像に難くありません。意見はさまざまなのは確かですが、作品に偏りはあるものの「映画の興行収入」だけが他の業界に比べて極端に落ちている、というわけではありません。むしろ、デフレが進んでいる日本では健闘しているとも言えるのではないでしょうか。

私が思うに、これは必然だったのです。なぜならば「映画」とは複製技術であることが運命づけられた「総合芸術」だからです。区切られた時間のなかで、平面上に映し出される光の集約によって生まれる映像で表現される、小説・音楽・詩・マンガ等々のカルチャー全体を包摂する、それは現代の「総合芸術」。しかし、それは常に複製技術とともにあるのです。作り手がスクリーンで観てほしいと願うことや、デジタルへの嫌悪感を示すことは自由です。しかしながら、その運命は、常に複製技術とともにある、それが本質なのだと思い直すことで、自由になれる気がしませんか。むしろ「映画」の可能性を拡げることになるのだと。

ここまで、プラットフォームの話を主にしていきました。ここで、実際の作品に触れたいと思います。複製技術でありながら芸術作品である「映画」の性質が現れている「リメイク」作品を取り上げます。

「リメイク」という言葉がもっとも相応しいのは「映画」でしょう。演劇はそもそも、演出が変わる前提だからです。音楽の「カバー」や「編曲」とも異なります。絵画の「模写」とも抜本的に異なります。「リメイク」が別個の作品として評価されるだけでなく、関連性のあるものとして正々堂々と認識されているのは映画文化ならではと言えます。

この2018年に相次いで「リメイク」版が公開された作品として、韓国で2011年に公開された『サニー 永遠の仲間たち』を挙げます。粗筋は、およそこのようなものです。

かつて女子高校生だった主人公のナミは、2011年現在、主婦として家庭を守っています。ひょんなことから、かつての仲良しグループのリーダー・チュナと再会しますが、彼女は末期ガンに冒されていました。チュナの希望は、かつての仲良しグループ「サニー」のメンバーとの再会。その願いを叶えるため、ナミはメンバー探しに奔走するとともに、かつての輝かしい記憶を思い出します。25年前(民主化前夜の韓国です)、田舎町から首都ソウルの女子校に転校してきて早々、環境の変化に戸惑ったナミでしたが、チュナはじめ6人と仲良くなり、そのグループを「サニー」と名付けることに(当時流行っていたボニーMの『Sunny』から)。初恋と友情に囲まれた青春の日々を送り、文化祭でダンスを披露することを目指していました。しかし、その文化祭で起こった事件で7人は離れ離れに。そして25年後、チュナの命が尽きようとしている中、バラバラになったグループのメンバーは会えるのか、永遠の仲間たちの絆はどうなってしまうのか――というところ。

この映画は、ことさらに社会派の作品ではありません。しかし、当時流行った音楽が使われ、小さなエピソードを挿入することで、学生運動やデモが絶えない時代を想起させる作品になっています。むしろ、ポップで底抜けに明るいディスコミュージックが、隠しきれない世相を滲ませている、とも言えます。この作品は韓国で大ヒットしたのはもちろん、2012年には日本でも公開されて好評を得ました。

そして、2018年夏、に満を持して日本で「リメイク」されたのが『SUNNY 強い気持ち・強い愛』です。監督は大根仁、プロデューサーに川村元気。主演は篠原涼子、その高校生時代を広瀬すず。音楽は小室哲哉(2018年1月に引退宣言をしており、実質的な最後の仕事とです)で、使用楽曲は自身の安室奈美恵に代表されるTKサウンドのみならず、表題にもなった小沢健二の『強い気持ち・強い愛』やPUFFY『これが私の生きる道』、CHARA『やさしい気持ち』、森田童子『ぼくたちの失敗』等々が並んでいます。あらすじの構造は、オリジナルとほぼ変わらず。グループのメンバーが1人減り、舞台が1990年代後半の日本と2018年の日本に置き換わっただけ、と考えて問題ありません。

さらに、ベトナムでも「リメイク」されています(邦題『輝ける日々に』)。ベトナム版では、1975年の南北統一と、アメリカとの融和が進む2000年が舞台になっています。このあらすじも、基本的には同じ構造です。グループは4人ですが、おそらく現実的な落としどころだったのでしょう。

日本版の「リメイク」が興行的にどうだったのかといえば、おそらく期待されていたよりは低かったでしょう。ただ、そこは私にとっては、たいした問題ではありません。

日本版の「リメイク」は、映画の「リメイク」ではなくて、「時代のリメイク」に近かったのではないかと思うのです。韓国もベトナムも、政治的な出来事を軸にしているので、高校生時代の設定が狭まっていました。しかし、制作側が「日本には政治的な出来事なんて思い当たらない」「あの頃の女子高生ってすごかったなぁ」という曖昧な印象から作ってしまったがために、ざっくりとしたことしか言えなくなっているのです。制作を思い立った側は、当時オトナだったおじさんです。実際の1990年代には、いろいろなことがあったのに、それをひとくくくりにしてしまおうというところにムリがあるのです。制作側にとって、小沢健二は1990年代を代表する音楽のひとつで、ギャルが歌ったらクールだな、などと思ったのかもしれませんが、現実味がありません。小沢健二にも向かえる意識があったら、彼女たちのその後は違っていたのではないか、などと思ってしまいます。

また「あの頃の女子高生はわかりやすかった」「あの頃の高校生には個性があった」ということを、学校の先生にも言わせていますが、彼ら制作側の印象論に過ぎません。騒いでいたから思ったことを全て伝えていたわけではないし、ギャルは浮かないように必死に生きていた側面のほうが大きいのです。それ自体、大きな問題ではないのでしょうか。そうした本質をとらえないまま、時代を「リメイク」した作品は、映画の「リメイク」とは言えません。

そういう意味で、爆発的にヒットしなかったことが、むしろ希望になりうる映画と言えます。逆説的に、本質をとらえた複製技術を観たい人が多い、ということを示したことでもあるからです。

時代の「リメイク」は、世代間の対立を煽っただけでした。しかし、それが支持されないことはつまり、「映画」を通して私たちはきっと、わかりあいたい、コミュニケーションを取りたい、そう思っているに違いないのです。

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