印刷

はみ出し、そして拡張する私たち

世界はいびつなものだ。矛盾に満ちている。これまでポップカルチャーは、世界をフラットにしてきた。ひとつには、格差を。そして接触機会、言語の壁を。特に、時代の象徴としてポップカルチャーはたびたび引用される。それこそが、正義であると。

それはたとえば、2016年リオ五輪でのフラッグハンドオーバーセレモニーの中に。サンリオや少年ジャンプ、任天堂のキャラクターが次々と登場する。それらは選手の動きと呼応して、エモーショナルな音楽と画の演出とともに、昂揚感を煽る。最後は時の首相であった。たしかに、日本発信のキャラクター、マンガ、ゲーム、アニメの領域は各国で支持されてきた。年齢や言語を越えて人を笑顔にさせる存在は、たしかに貴重である。

今や、ポップカルチャーのような態度が正しい。なめらかで、シームレスな世界。ハイカルチャーと呼ばれていたものがポップカルチャーへ引き寄せられることも少なくない。かつて、一部のパトロンや権威のために存在していた芸術は、全人類共通の財産とみなされるようになった。

これは、人類は基本的に平等でありたいという考えに沿っている。理想の社会だ。理想は常に実現するために存在する。つまり実際の社会は格差ばかりだ。階級や性差、肌の色、ルーツ、姿形、体質など生まれついたバックグラウンド、生きていくなかでどうしようもなく起こる貧富の差。それらをひとつにまとめられる力を、人々は待ち望んでいる、ように見える。ポップカルチャーこそ、バラバラになった世界を結びつけるのだと。それがスーパーマリオかもしれない。

しかし、ほんとうにそれだけで解決されうるのだろうかという疑念は消えない。生活様式やテクノロジーの変化により、それ、フラット化は加速度的に進んでいる。そのいっぽうで――私たち人間は自らフラット化を進めておきながら、完璧なフラットな社会に耐えられないようにできているのではないか。いやむしろ、平らにしていく過程で、どうしても生じる突起が、私たちを断絶させていく場面にも遭遇する。ポップカルチャー、とりわけ世界から肯定されつづけているとされる日本のポップカルチャーについて、フラット化からはみ出る起伏について考えてみたい。

そもそもポップカルチャーが成立するのには、巨大なパトロンである大衆に支持されなくてはならない。つまり、ポップカルチャーは外から肯定されないと不安定だ。

現代のポップカルチャーを作ったひとつの潮目は、1770年に生まれたルートヴィヒ=ヴァン=ベートーヴェンという存在だと広く言われている。形式美に則った音律の中に見つけ出すのは容易ではない。というのも、そもそもの最初の功績は、王侯貴族や教会組織という権威のために存在した、古典音楽の集大成を作りあげたことだからだ。ただ、パトロンや政権との関係よりも、音楽の芸術性を追求した。そして、すべての人に開かれた、大衆のための音楽を作っていく。その56歳の生涯を閉じた1826年、ウィーンでの葬儀には異例の2万人が参列したという。愛されていた証拠である。それは、アーティストの芸術指向と時代が重なった幸運だ。この意味でも、ポップカルチャーの起源と呼べるはずだ。

もっと幅を狭めてみよう。日本でのポップカルチャーの起源のひとつに、浮世絵というジャンルがある。当初の興りは、狩野派・土佐派という「ハイカルチャー」側から生まれたものだ。元より「肉筆画」としての絵は一点ものであり、限られた者が所有していた。それが1765年、鈴木春信らによる木版多色刷り「錦絵」ができて状況が変わる。版画で美しく再現できる技術により、大衆に広まったのである。喜多川歌麿、歌川豊国、後には葛飾北斎。そして、東洲斎写楽。1794年5月から1795年1月までという、ほぼ10カ月の活動期間で140点超の作品を残した。歌舞伎役者の「大首絵」でイメージされるのは、5月に集中的に発表されたものだ。その大胆な構図と、特徴をとらえてデフォルメされた衝撃的な作品は話題になった。しかしやがて(と言っても数ヶ月だが)モデルの役者やファンからの受けが悪くなり、売れなくなってしまう。その結果だろう、作風があちこちに飛び(複数人いたという指摘もあるが)、活動終了を迎える。この独創性は、版元の蔦谷重三郎が起死回生を狙ったと言われている。どの流派にも属さない画師が、いままでにない絵を発表することは、起爆剤としては功を奏したといえる。しかし当時の江戸に住む人々は、ライバルの役者絵が持つ安定感を愛した。そういう意味で、浮世絵は間違いなくポップカルチャーの起源だった。

ところで、海外で役者絵=写楽というイメージがついたのは、ドイツの美術研究家ユリウス=クルトが1910年に『SHARAKU』を上梓したことに起因している。クルトが見たのは1794年から1795年という10カ月の間、遠い東の国で咲いた芸術。ロマン主義の勃興と同時代性を感じてしまっていたのだろう。

しかし同時に、現代の日本を生きる私たちは過去を忘れて、「写楽ってトーキョーカルチャーにつながってるから」と言ってみたりする。そして私たちは、海外で評価されたお墨付きと一緒に浮世絵を観る。

売れているから、興味がわく。そしてもっとファンが増える。これは突き詰めれば、ある権威の代わりに「みんな」の支持数を保証としているのと同じだ。

ベートーヴェンのフォロワーが続いたのは、その芸術性が時代の空気に呼応するものだったからだ。仮に彼が、人間の精神を吐露すると言って、もしくは観客を驚かせようとして、ショスタコーヴィチのような不協和音を持ってきてしまったら、受け入れられなかっただろう。しかし逆に、写楽の絵にはそういう特異点的なところがある。蔦谷重三郎が狂信的な実業家魂は、時代を先取りしすぎていたのかもしれない。

さて、そのベートーヴェンや写楽の時代から2世紀が経とうとしている。私たちは、かつてない平面へと揺り動かされている。物理的に、精神的に。そしてそれらはテクノロジー、電気信号とともに伝播した。それまで人類が芸術を残してきた石版、布、紙に比べて、物理的に軽やかに跳躍する。電話回線、レコード、映画館、ラジオ、テレビ、ビデオテープ、CD、DVD、インターネット。ポップカルチャーが世界をフラットにする。それは、世界がいびつであればあるほど、平板なものを求めているような気がしてならない。

 

1990年代半ば、バンドブームが過ぎた後の日本のミュージックシーンは、こぞってチャートにこだわった。大人の事情としては、バブルが崩壊したが、バンドブームが去っても、どうにか音楽業界は持ち直しているどころか、またバブルが来ているところで、もっと稼ぎ出したかった。

それでは、受容する側はどうだったのか。ある首都圏近郊の当時中学生の事情を一例に挙げてみる。「シングル初登場1位が連続記録を続行中」とか、「最大何位分を急上昇し」、「金曜の音楽番組では7位だったけど、こっちのランキングでは3位だった」とか「やっぱりこのカップリングがタイアップなのが効いてる」などと、こちらが聞いてて恥ずかしくなるようなことを熱く語っていた。あの心理状況は何だったのだろうか。

これは、いくつかに分けられるだろう。純粋に、自分の好きなアーティスト、バンドに1位を取ってもらいたい。自分の感覚が世間で認められていることがわかる。もしくは自分はマイノリティでもいい、イケてる人には分かってもらえるものが好きな私、カッコいい。いずれにしても自意識の極みだ。

ただの馬鹿な話として載せているのではない。子どもは子どもなりに、バブル崩壊後の時代の閉塞感を感じていたのだ。思春期というだけで、何かと悩みは多いのはご存知の通りだ。そして、サブカルに入る寸前にオウム真理教が地下鉄にサリンを撒いた。阪神大震災があって命の大切さを説かれて数年も経たないうちに、同年代の少年が猟奇的な事件を起こした。もし、そこに家庭や学校の人間関係が加わったらどうなるか。すっかり忘れそうだが受験もある。そんなカオスな状況に「数字」という、わかりやすくて絶対的な指標が現れてくれたのは、救いだったとも言える。

いつの時代にも名曲がある。けれども、この頃は、楽曲の良し悪しよりも大きく、数字に残るかどうかを受容する側も執拗に気にしていた時代だったように思う。なにか存在意義を見出さなければ消えてしまう危機感があったのだ。そして結果的に、いまでも歌い継がれている曲は、数字に残ったものになってしまった。

2018年現在、別の意味で危機がやってきている。CDが消え去ろうとしている段になって、配信サイトからダウンロードもしくはストリーミングで配信できる楽曲は、意外と限られている。数字に残らなかったが、コアなファンを獲得していたアーティストの曲が、サイトに登録されないままだ。

こうして、フラット化したデバイスは、ポップカルチャーの豊かさをさわやかな笑顔で駆逐していく。そんな状況は、ほんとうは誰も望んでいなかった。それに対抗するのには、これらの功罪を自覚することに尽きる。これまでのフラット化は、大きな画面に吸い込まれて同一化していくものに近い。あの、『華氏451度』のスクリーンである。これは渋谷のマルチビジョンが見えているとき、そんなことを思うのではないか。しかし、今や大きな画面と同一化することはできない。私たちの手中には、デバイスがある。これを取り込み、個を拡張していくことを意識的に行う必要がある。しかしそれはシェルターに閉じこもるのではない。拡張する個は、居合わせた人と少し触れあい、そしてさらに、水平的に広がっていくのだ。

文字数:3953

課題提出者一覧