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広告批評2.0への接続を試みる

◆序

『恋する原発』は、高橋源一郎が2011年に発表した文芸作品。同時に、作中で言及されるAVのタイトルでもある。オーディオ=ヴィジュアルではない。そのメイキングビデオの体裁を借りた小説と、メタ評論「震災文学論」。

私は、高橋源一郎氏の『恋する原発』を軸にして広告批評の可能性を論じたい。その際、『日本文学盛衰史』からの援用もある。『恋する原発』のコアな部分へのメタ的要素を持っているからだ。まずは高橋氏と縁の深かった『広告批評』での言説を広げてみる。そして次は「少年ジャンプ+(プラス)」という集英社のアプリで連載中の広告業界マンガ『左ききのエレン』を取り上げる。そこで、未来へつなぐ試みをしてみる。

『広告批評』

読者は、本に入り込むとすぐに「ある映像を見ている」ことになっている。そしてそこには、何の脈略もなく『日本文学盛衰史』に出てきた、あの男たちが召喚されている。この「おれ」は『援助交際白書――東海の小島の磯で潮吹いて』で大ヒットを飛ばした男と同じ人物だと読める。ちなみに、『日本文学盛衰史』において田山先生を悶絶させた「蒲団’98・女子大生の生本番」の売上は思ったほどではなかったらしい。これは残念な限りだ。

それはさておき、「おれ」の言うことに沿ってみれば、AV業界と広告業界は似た状況にある。90年代までは、死ぬほど忙しくても作れば売れた。そして、イキのいい業界だった。

しかしゼロ年代以降大きく変わる。[作れば売れた時代なんかもうとっくに終わって]いて、テレビや新聞で取り上げられる時は[訴えられた時]だけじゃないか!と言いたくなる状況になる。どんなに商品を出しても[政治と革命と宗教と文学に行ったらお終い]イコール売れないのでNG。そういう匂いは、想いを醸成する前にシラけさせる。ただし政治臭いのも[売れたから]OKで、[感情移入しやすい]オプションが必要だ。

10年後の現在。もう業界は[完全に崖っぷち]で[そこから落ちるのは時間の問題]だ。欲望のスイッチを入れる時に、若者が雑誌を読まなくなった。無料の情報で事足りる。いや、むしろ活字はジャマ者扱いだ。雑誌の付録が本体で、雑誌は付録が入っているハコになった。

「おれ」は、思う。[もうすぐやって来るに違いない。無文字社会が。]

これはもう、まるで広告と同じ状況である。

さて。「おれ」には10年前にはいなかった相棒がいる。ADのジョージだ。ジョージは、[実は地球を侵略しに来た宇宙人]であり、テレパシーができて、物を自在に操る超能力を持っている。ジョージは、一瞬にして女優を36メートルにすることも、誰かの存在を無かったことも、とにかくむちゃくちゃなことができる。カタコトの日本語を話し、[角度によっては、トミー・リー・ジョーンズにも大林宣彦にもラムズフェルド元国防長官にも見える]というジョージ。野暮を承知で言う。サントリー缶コーヒーの「BOSS」の「宇宙人ジョーンズ」のパロディだ。

最近の広告と批評とを結びつけるのには、奇妙な感覚があるかもしれない。しかしほんの少し前、2009年まで続いた雑誌『広告批評』の独壇場とはいえ、たしかに広告は批評的とされていた。創刊からの流れを見てみよう。

まずは『広告批評』1979年の創刊準備号の巻頭の天野祐吉は、こう言い切る。

広告は、大衆文化のなかのすぐれて前衛的な表現です。“いま”と切実な関係を保ちつづけることによって、広告は人びとの暮らしに対する想像力を切りひらき、しなやかに生きるための目を鍛えてきました。

1996年7月号、福袋が百貨店の目玉になり、通販人気の時勢にひと言。

いままでの商品世界から抜け出した新しい生活のイメージとはどんなものか。政治家も起業家も、マスコミも広告も、だれもそれを描くことのできないままに、きょうもあちこちで「福袋」は買われている。

2000年9月号では、インターネット広告の可能性に触れた。

インターネット広告の出現によって、広告がみずから暴力性をみずから制御しつつ、その表現のなかに商品批評と生活批評を成り立たせていく可能性が大きくなってきたことに、ぼくはいまいちばん注目したい。

そして2009年4月号(最終号)の巻頭言より。

広告の世界は、いま大きく変わろうとしています。が、広告がなくなることは決してありません。広告は、時代の映し絵というだけじゃない、いい面も悪い面も含めて、人間そのものの映し絵でもあるからです。

それから10年を迎える現在。広告がどうなっているのか?

最近のCMですぐ思い出すのは「宇宙人ジョーンズ・白戸家・三太郎」になるだろうか。広告賞の選評で「そろそろ、これらに対抗する作品が見たい」という声は何度も聞く。三太郎はそもそも、桃太郎に金太郎に浦島太郎。そう、昔話だ。ひょっとしたら、見たことのないキャラクターによって、新しい文脈を立ち上げることすら、必要とされていない。反復を心地よく感じている人が多いだけなのかもしれないが。

反復について『日本文学盛衰史』で「ラップで暮らした我が先祖」の項を見てみよう。

「この世でほんとうにおそろしいのは、家父長制でも封建制でもなく、また環境汚染でも資本主義でもなく、あの反復、あの単純性なんじゃないだろうか」

「いや、きみ。そうじゃない。ほんとうにおそろしいのは、あのばあさんたちの無限の反復を誰も聞いていないことさ!」

二人の文学青年らしい仕草がまぶしい。しかし同時に、それは新たな反復を生み出すだけで生産性がない、とも言える。

さて、再度『恋する原発』。「おれ」は[国民が表現の自由なんか必要ないと思ってる]と言い放つ。実はこれ、震災の数分「前」の会話である。「後」ではない。

すでに日本ではそういう状況だったのだと認識しておく必要がある。

「震災前と震災後で、何もかも変わってしまった」という言説がある。災害がなければ、もしくは事故がなければ……等々。しかし、それはほんとうに、そうだったのだろうか。とっくに分断されていたのではないか。

もちろん、地震により直接的に、置いて行かれた人、置いてきてしまった人がいる。それでも、その前がほんとうに「ひとつ」にまとまっていたと言えるだろうか? いや、それはかなり怪しい。私たちはすでに、色々な人の言葉を排除し/され、または囲い込み/まれ、生きてきた。前述した反復する母の昔話に耳を塞いで走り去るのも、好みの音楽が合う人と親しくなるのも、また同じ。この無限に終わらない母たち・祖母たちの反復を作り上げた社会が存在している。いい加減に私たちは、そこから逃げるだけではなく、何かを生み出す必要がある。

『左ききのエレン』

広告を軸に1990年代半ばから現在まで触れてきたのだが、この流れをストレートに体感できるマンガがある。それが集英社のアプリ『ジャンプ+(プラス)』で連載中の『左ききのエレン』だ。クリエイティブ業界の現場を少年ジャンプの話法で描く。

元々原作者かっぴーがcakesで連載していた作品は、ほぼ「ネームの状態」だった。しかし、それはそれで成立していた。読者もどんどん増えていった。その状況に、漫画業界の中でもちょっとした衝撃が走った。cakesでの連載が一区切りつくと、作画担当のnifuni氏と組んでの連載がスタートし、単行本化も進む。

1998年から始まる高校~大学時代と2008年社会人編。時系列が入り乱れる形で話は展開し、やがて2011年3月11日がやってくる。この作品には時代固有の空気が流れている。それは、ちょっとした小物や、流行っている言葉、洋服など、日常のディテールから立ち上る空気だ。1990年代には残っていた、華やかさへの憧れ。2000年代の渇望と停滞、2011年の東日本大震災。もちろんこれは「震災マンガ」ではない。ただ広告業界の側で感じた、表現の自主規制や、地震への恐怖そのもの、炎上体質的なものが支配する、その空気を言い当てている。

広告業界に限らず支持が集まるのは、時代を客観的に見ることができるからではないか。『左ききのエレン』は、ホームのような場所だ。私たちはいつでも、ルーツを確認できる。だからもう、反復して不安に怯える必要はない。その場所から踏み出せる、起爆剤になれるような、そんな昂揚感を生む。

また、『恋する原発』の[もうすぐやって来るに違いない。無文字社会が。]への応答のひとつが『左ききのエレン』の広告マンガと言える。これまでの東急プラザ銀座、サントリープレミアムモルツのキャンペーンは、広告マンガにとって画期的な出来事と言っていい。本編をいじらず、アナザーストーリーとして収斂させる。クライアントへの貢献度も高く、作品への貢献度も高い。かなり特異なケースだろう。しかし、こういう気持ちの良い広告が増える未来は明るい。

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高橋源一郎は『広告批評』2009年4月号(最終号)において、天野祐吉・谷川俊太郎・イッセー尾形との対談で、広告が戦後の言葉を包括的に捉えてきたと語っている。最終号を迎えたことについて「引き際」としては良いタイミングではと話している。

しかし、それが仇になったとも言える。包括的に捉える「文脈」を見つける作業は、実作者には難しい。デジタルとグラフィック、CM、すべてを俯瞰して見ることのできる人は、ほんの一握り。『広告批評』のない日本の広告は、言葉がバラバラになってしまったのではないか。そして多くの人が逃げている。新しいものを生み出すためには、それが、文脈が必要だ。

【参考文献】

・恋する原発/高橋源一郎 講談社 2011

・日本文学盛衰史/高橋源一郎 講談社2001

・広告批評/2000年9月号

・広告批評特別号/2013

・左ききのエレン1~3/かっぴー・nifuni 2017 , 2018

文字数:3996

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