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孤独なダンス ~ 動き続ける ということについて~

孤独なダンス ~ 動き続ける ということについて~

tofubeatsはインターネットを利用した音楽活動から、2013年にメジャーデビューしたアーティストである。彼のメジャーデビュー後3枚目のアルバムである、「FANTASY CLUB」を聴いていると、柔らかい音と低く響くベース音が心地よく流れていく。楽曲のセレクトについても、1枚のアルバムとして聞くことが苦にならないような穏やかなつなぎになっており、極めてストーリー性、メッセージ性の強いアルバムであると感じた。
 ポスト・トゥルースがこのアルバムのテーマの一つなっていると本人が語っており*1、楽曲の歌詞からは、正しいもの、正しいことが分からない、この世界とどう向き合っていくべきかということが表現されている。それは、一見自身の手で社会を切り開く力強さのようなものでも、反対にニヒリズム的な内への閉じこもりでもなく、極めて現代的かつ、俯瞰的な視点である。
 それはまさに、一つ前のアルバム名である「POSITIVE」のtofubeatsなりの実践のようなものとして受け止められた。しかし、このような観点の言及は非常に重要であると感じるのであるが、今回は楽曲そのものとは別の視点から、tofubeatsのメッセージ性について言及してみたい。

 

このアルバムのジャケットは淡い色遣いで、艇庫で話す二人の男が描かれている。tofubeatsは、この絵を選んだ経緯を以下のように述べている

 

 

そこから帰ってきたラフスケッチは確か4つ。その時から自分にはこのジャケしか選ぶ気が無かった。船は何かの力で進むことができるが、実際は海や川の流れに大きく動きを支配される。それはもしかすると音楽を作ったりすることのと近いかもしれない。*2

 

アルバム「FANTASY CLUB」のジャケット

 

もちろん私は他の候補の絵を見ていないのであるが、確かにこの絵こそが「FANTASY CLUB」のジャケットにふさわしいものであったと感じるのである。tofubeatsが音楽の創作行為と、船が進んでいくことのイメージを重ねていることも、素直に気持ちが良いと感じたのであるが、私がこの絵こそが、今回の「FANTASY CLUB」というアルバムにふさわしいと感じた点はもっと別のところにある。

 

1つ目は、私がこの絵に感じた欠如から事を発したものである。そう、この艇庫の絵には決定的に必要なあるものが描かれていないのである。そして、その決定的に必要なものが描かれていないことによって、このアルバムは、アルバム制作者本人も気づかないところで、一層そのメッセージ性を高めているのである。もう一度、よく絵を見てみてほしい。そこに描かれていないもの、それは艇を進めるために必要なもののひとつ、「オ―ル」である。確かにこの絵は、艇庫の一部が描かれているにすぎない。加えて、ボートのオールというものは、基本的に艇庫の壁際に保管されることが多く、場面上描かれていないことが不自然ではないとも考えられる。しかし、二人の人間が艇の前で話しているような場面で、艇に関して必要不可欠かつ、とても目立つ存在であるオールが描かれなかったのは、このアルバムと無関係には思えないのである。このボートは、間違いなく手漕ぎボート、それも競技用ボートである。(このことについては、先ほど引用したテクストの中で、tofubeats本人が、競艇の艇と勘違いをしていたというエピソードを書いている。)手漕ぎボートの動力源は、そのボートに乗る人間である。そしてボートは、水中にいれたオールの水かき部分(ブレード)を支点とした「てこの原理」によって、水面を滑るかのように進んでいくのである。

船は確かに「何か」の力で進んでいく。しかしその「何か」が進むためには、世界との「接点」が必要になってくる。世界との確かな「接点」のない時代、豊かではあるが、どこにも進めないような時代。我々は、どこに進んだらいいのか分からないのではなく、世界との接点としての「オール」を失っているのではないだろうか。どこに行きたいかは、そのあとのことである。自分と世界との接点を見つけること、それが第一歩なのである。そしてtofubeatsにとってのオールは、音楽なのである。

 

もう一つは、ジャケットに描かれた手漕ぎボートに対する私のイメージに起因するものである。先ほども言及した通り、この絵に描かれているのは競技用の手漕ぎボートである。競技用ボートの大きな特徴の一つとして、ボート(艇)の進み方があげられる。驚くほどのことでもないのかもしれないが、この艇は漕者の背中側に進む。すなわち、自分がどこに進んでいるのか、視覚的に、直接的に分からない乗り物なのである。もう少し正確な説明をすると、この艇は厳密には「手漕ぎ」ボートではない。艇に乗り込むと、足が固定される。そして2本のレールの上に乗っかった座席(シート)に座ることになる。レールに乗ったシートが前後に動き、オールを使って脚力を伝えて進むボートなのである。地上でのイメージでいうと、足の動きは連続でジャンプしているような運動に近い。ただし腕は地上でジャンプするときとは違い、自由ではない。オールによって水面とつながれており、そこに力を及ぼすことで艇が進む仕組みである。下の画像は4人乗りで、一人が1本のオールを操る艇であるが、一人が2本のオールを扱うものもあり、乗船人数、も1人~9人のものが存在している。

 

 

上図進行方向は背中側

 

そのため、艇を漕いでいる人から見ると、進行方向(未来)は全く見えず、視覚的に予見不可能なのである。また、艇に乗っている人は常に一人(孤独)である。これはどういうことかというと、上の図からも明らかなように、この艇は、(一人乗りの艇(シングルスカル)なら言うまでもないことであるが)漕者が一緒に漕いでいる他の人の顔が見えない仕組みになっているのである。進行方向(未来)は見えないし、今一緒に漕いでいる人も見えない。この艇を漕ぐということは、極めて孤独な営みでもあるのである。

しかし、それは同時にこのポスト・トゥルース的な現在をいかに生きるのかということの一つの答えを示唆しているようにも思えるのである。

それは、あえて表現するのであれば、孤独(一人)でありながら、孤独(一人)ではないということに対する、自身への納得感のようなものである。

このメッセージ性は、tofubeatsが作成した様々な作品から読み取ることができる。

例えば、FANTASY CLUB」に収録されている『SHOPPINGMALL』では、ショッピングモールで一人ぶらぶらとなんとなく過ごしている人の姿が歌われる。また、2018年2月に公開されたdigital singleの「ふめつのこころ」のミュージックビデオでは、2人の男女が同じ部屋で、しかし別々の時間帯に過ごしている様子を画面に並べたものとなっている。

 

直感からこれほどまでにメッセージ性を強めたことは、偶然にしては驚くべきことである。

右とか左とか、ハイカルチャーであるとかサブカルチャーであるといったようなことは本来取るに足りないことである。何事にもとらわれずに(一人で)踊り続けること、それが極めて保守的であり、しかし革新的な世界との向き合い方なのではないだろうか。そのようにしてtofubeatsは一人でも、孤独でも、世界とまさしくつながっている。そのつながりを自身にとって空しいものにするか、はたまた良いものにするのか。それは世界に接して、自ら漕ぎ出してみないと分からないことなのである。

 

*1、*2 アルバム「FANTASY CLUB」付属 本人作成のテキストより

文字数:3142

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