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文学のリハビリテーション

森博嗣 『実験的経験』~理系小説の彼岸からの問い

森博嗣の『実験的経験』という作品は、『すべてがFになる』、『スカイ・クロラ』といったベストセラー小説群とは大きく趣向の異なるものとなっている。この作品は「文学、すなわち芸術とは何か」という問いついて、批評文ではなく、小説と呼ばれるような形式を採用して答えた作品である。そして、この作品は、小説それ自身が、ロラン・バルトの言うところの「作者の死」を体現しているように思えるものとなっている。
 例えば、物語の冒頭はこのような手法で書かれている。登場人物の話し言葉ではなく、地の分に「」をつける。これは、「」の役割が、話し言葉と地の分を分けることにあるということに着目した使用法である。また地の分がない場合は、「」は空白を囲うことになるというのである。(小説内では、~空白」会話文「~空白~」「)といったように使われている。これはほんの一部に過ぎないが、全10章の間にくりかえされるのは、森の得意分野であるミステリー小説の論理的矛盾の指摘や、ダジャレ、言葉遊び、意味のないジョークの数々である。小説の最終章で、森はこの本に書かれているものは「死んだ発想」だと述べる。これは文字にする、広く表現するという行為が、そのまま何かを表現できないということを意味することであり、発想に対する表現の後進性を述べているのだと感じるのである。作者の死に、すなわち、作品の価値を評価するのは作者ではないということに、森は極めて自覚的である。しかしそれは、作者が起源として存在しないということをそのまま意味してはいない。そうではなく、芸術表現へと昇華する過程に確かに作者(の発想)が存在しており、また受け手は、作者の死した後の作品を見て、そこに確かに作者が存在していたと考えることができるということである。作者を死から復活させるものまた、読者の想像力なのである。

w・s・モーム『月と六ペンス』 ~芸術は誰のものか

『月と六ペンス』は、画家ゴーギャンをモデルとした、チャールズ・ストリックランドの生涯を、「わたし」の視点から描いた、ある種の伝聞伝記の様相を呈する作品である。作品の冒頭や、ストリックランドの生き方にも表れているが、芸術家はあくまでも、自分のために創作するというスタンスが、モームの文章から読み取れる。芸術家にとって本来的なのは、外の評価に左右されず、一心不乱に創作の価値と向き合うことである。周囲の人間や日常生活には一切関心を払わず、ただ描くことにのみに憑りつかれたストリックランドの描写は、芸術家の世界ではある種定番の表現であり、常人には理解できない天才の狂気といったものの活写である。
 ストリックランドに「わたし」が「人が人を完全に無視することなど可能でしょうか」と問いかける場面がある。ここでモーム=芸術家は、「わたし」=作品を通して、人は無意識に他人に影響を与えたいと思っているということを述べているのであるが、ストリックランド=作品の中の芸術家は、徹底して芸術そのものに向き合った存在として描かれている。これは、ストリックランドが芸術家にとっての一種の理想的で象徴的な側面として描かれているのかもしれない。(小説の中でもストリックランドの最高の作品は、実質的に自身の手で葬られている。)
しかし芸術は、世界に開かれていてもいい。芸術家というのは、個人的営みであることと、世界への回路としての芸術の両義性の上にいる。また個人的に寄りすぎた営みであっても、語り手=「わたし」がいれば、それは世界に開かれた芸術性へ変化する。その回路があることが、芸術家のパフォーマンスを担保しているのである。ストリックランドは徹底的に個人的な営みを行っているようであるが、「わたし」という世界への回路を必要とし、認めていたのである。

 

福岡伸一 『生物と無生物のあいだ』 ~人間にできること

福岡伸一は言わずと知れた生物学者であり、生命の定義を自己複製能力の有無のみにではなく、絶え間なく変化し移ろいゆく分子であるとし、動的平衡というキーワードで鮮やかに紹介した。動的平衡とは、要素の集合として生命を捉える機械論的生命観とは正反対のものであり、生命を要素の流れが生み出す効果として捉えるものである。私たちの爪や髪が入れ替わっていくように、生命全体は常に原子レベルで入れ替わり、また、修復される際には、その場にあるものでブリコラージュ的に修復を行う。加えて時間という一回性から逃れることのできないもの、それが福岡の提示する生命観である。
 この本の大きな魅力は、粒子レベルでの生命の律動が、それを探求する人間たちの行動との不思議な重なりを感じさせるところにある。それは一体どういうことか。私たちが科学によって対象を捉えるとき、その対象を機械的、論理的に捉えようとする。しかし、動的平衡の概念から捉えられる生命は、ミクロのレベルにおいても揺らぎ、置かれた状況に応じて柔軟に変化する。それは私たち人間の実存と同様に、非論理的で、制御困難なものである。
 この動的平衡の概念の説明に合わせて、生命の秘密を追い求める科学者たちの人間ドラマが、詩的な表現に乗せて描かれていく。登場人物たちは、利権を争い、不正を働く。また情熱や野心を持ち、様々な手法で研究に臨んでいる。多義的な人間の振る舞いが、論理的には説明できない柔軟さや困難さを持つように、我々を構成する生命のミクロの部分もまた同様に捉えることができないことが、重層的に描かれている。しかし、これは論理や科学の限界を示すものでは決してないと感じる。人間は何だかわからないもの、不気味なもの(それは私たち自身でもある)に対し何とかして向き合おうとする。それこそが科学的手法であり、人間の英知の積み重ねであるといえる。

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