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フラットな映像空間の方へ―TSUTAYAからNETFLIXへ―

平成年間の華やかで大衆向けの映像文化の一翼をになったのはテレビドラマだったといってもいいだろう。特に、ある時期までのフジテレビ系列で放映されたテレビドラマの影響力は計り知れない。フジテレビは1990年代はじめから連続して恋愛ドラマのヒット作品を放映した。そして、「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」 「ひとつ屋根の下」「ロングバケーション」といった恋愛ドラマ群は一種の社会現象を引き起こした。また、1997年から放映された刑事ドラマ「踊る大捜査線」シリーズは、魅力的なキャラクターが受け、数多くのスピンオフ作品が作られたほか、何度か映画化もされた。特に、『踊る大捜査線 THE MOVIE レインボーブリッジを封鎖せよ』は歴代邦画興行収入ランキングで現在も上位の一角を占めている。

テレビが時代の空気を取り込みつつ、ドラマに代表される時代の参照項となるような「共時的」なコンテンツを作り出し続けるフローのメディアであったとすれば、映像コンテンツをストックする役割を担ったのがビデオテープやDVDを中心とする記録メディアであった。私が過去の映画群に触れたのは、名画座のスクリーンを通してではなく、ビデオデッキやDVDプレイヤーで再生される映像を通してだった。そして、映像を手に入れるために大きな役割を果たしたのが、TSUTAYAをはじめとするレンタルビデオショップだった。ビデオ・DVDなどのメディアを通して過去の作品にアクセスすることは、共時的な記憶を生み出しにくい。しかし、TSUTAYAなしには、過去の名作映画に触れることが出来なかった。レンタルビデオショップは、映像の受容に確かに大きな影響を及ぼしていたのだ。

この小論で試みようとするのは、冒頭に描き出したような時代を画する個別の作品の名前を挙げて、ある時代の映像文化の全体像を記述しようとすることではない。社会学者の鈴木洋仁は『「元号」と戦後日本』の冒頭部で、自著『「平成」論』の内容を振り返りつつ、「「平成」へと改元してから、すでに三〇年近くが過ぎた。にもかかわらず、「平成文学」や「平成史」といったことばが、明確な像を結ばない。その理由は、平成がフラットになった=中心を欠いているからだ」(鈴木洋仁『「元号」と戦後日本』 (Kindleの位置No.60-61))と述べている。鈴木の問題意識を、ポピュラーカルチャーとしての映像の受容という文脈にスライドさせてみるならば、すべての映像が時系列の区分なく「フラット」に消費される場こそが「平成」的な場所ということになるだろう。何が映像をフラットに受容することを可能にしていたのか。私はレンタルビデオショップの棚に、この映像のフラットな消費を可能にしていたものを見出す。

加えて、平成とは、元号というローカルな時空間を措定することが無効になるような事態が進展していった時代でもあった。特に、この傾向は1995年以降にインターネットが爆発的に個人へと浸透していくことで強まっていったように思われる。TSUTAYAに代表される「フラット」な映像の消費を可能にする場所が、どのような形でインターネットと接合していったのか。あるいは、接合できなかったのか。これを描き出すことで、平成最後の年に我々がどこに立っているのかを改めて確認することができるだろう。


TSUTAYAという「場所」


まず、簡単にTSUTAYAの歴史について振り返っておきたい。日本のレンタルショップの代名詞ともいえるTSUTAYAの歴史は、1982年に増田宗昭が大阪のベッドタウンである枚方市にレンタルレコード店「LOFT」を構えたことに端を発する。喫茶店を併設したこの店舗は近隣の若者の支持を受け非常に繁盛した。増田はこの店舗の活況を見て事業の拡大を決意する。1983年に本、CD、レコードなどの様々なソフトを扱う「TSUTAYA」一号店を枚方に出店。1985年にはカルチュア・コンビニエンス・クラブという、TSUTAYA事業をフランチャイズ展開するための会社を設立し、全国にTSUTAYAを展開させていく。創業こそ平成を迎える少し前だが、TSUTAYAが本格的に発展していく時期の歴史は平成の歴史と並走しているといってもいいだろう。

増田の中では、TSUTAYAは単に様々なソフトを提供する事業に留まらなかった。カルチュア・コンビニエンス・クラブという社名には、映画や音楽を中心とした「生活提案する情報を、手軽にいつでも手に入れられる」ようにしたいという想いが込められているという。映画、音楽といった様々なコンテンツを、より簡便に消費できるようにし、新たな生活を提案することこそがTSUTAYAの目標であった。これに関して、増田は以下の様に述懐している。

これからの社会は、ちょうど道路や水道や電線のように、映画や音楽、本といった「カルチュア=文化」も、人々の生活に欠かすことができないインフラになると考えたわけ。そのインフラを作っていこうと。(川島蓉子『TSUTAYAの謎』 (Kindleの位置No.393-395))

 

増田がTSUTAYAを展開し始めた折から見ていたビジョンは、社会的にも受け入れられていった。レンタルソフト事業を基軸にTSUTAYAは最盛期には海外店舗を含め1500店舗近くまで店舗数を伸ばした。映画や音楽といったコンテンツを流通させるインフラとしての役割を十全に果たしていたといっていいだろう。

TSUTAYAが面的な広がりを目指したのは、高尚な理念によるものだけではなかった。より実際的な理由の一つに、少数の店舗では得られない知見(マーケティングデータ)が、多数の店舗を抱えることによって獲得できることがあった。1996年に刊行され2013年に復刊された『情報楽園会社』の「ネットワークバリューの威力」と題された章の中で、増田は店舗ネットワークを通して「文化を売るノウハウ」を得ることの重要性を説いている。ここで、コンテンツは文化的な価値の多少によって評価されていない。むしろ、いかに多くの人々に消費されうるか=商品としていかに優れているかという尺度に沿って評価されているのだ。そして、TSUTAYAは多くの人に消費されることを目的として作成される映画や音楽を商品として扱うからこそ、より多くの人々によって利用されること、「インフラ」になることが事業に求められた。大衆の欲望を捉えるためには、大衆に尽くすことがまずは必要であった。

ここで述べてきたようなことは、読みようによっては、文化もまた消費される商品でしかないという、ある種の消費社会論へと安易に回収されてしまうように思われる。むしろ、ここで重要なのは、コンピュータという理念を実装する装置をTSUTAYAが持っていたことだろう。増田は、かなり早い時期から、フランチャイズ化しネットワークが拡大した後のことを考え、コンピュータに投資を行っていた。店頭に並ぶ商品1点1点をデータとしてとらえ、顧客の動向もまたデータとして「フラット」に処理するという発想が、TSUTAYAという場所を理念的にも、物理的にも支えていたのだ。

TSUTAYAの特徴はその面的な広がりだけではなかった。例えば、1994年に開業したTSUTAYA恵比寿ガーデンプレイス店は、「無いビデオは、無い」をコンセプトとして多種多様なソフトを取りそろえていた。商業的な空間でありながらアーカイブとしての役割もまた担っていたのだ。たとえ、恵比寿ガーデンプレイス店に足を運んだことがない読者であっても、数多くのソフトが並ぶ棚の前で目がくらむような体験をした人は少なくないのではないか。膨大な数の映像ソフトを抱え込むことで、TSUTAYAは平成の映像文化を下支えしていたといっても過言ではないだろう。

しかし、TSUTAYAの店舗数は、直近、減少傾向にある。また、旗艦店であった恵比寿ガーデンプレイス店も2018年2月に閉店した。コンテンツを流通させるインフラが、別の物にとって代られようとしている。その存在こそ、ネットフリックスに代表されるオンデマンドビデオ配信サービスである。


NETFLIXという「場」


なぜ、平成年間における映像受容について語ろうとするときに、ネットフリックスという米国発のサービスを話題にしようとするのか。それは、平成の映像文化を支えていたTSUTAYAのビジョンを、TSUTAYAとは異なる形で結実させたのがネットフリックスであるように思われるからだ。ここで、本稿のもう一つの軸であるインターネットという要素とレンタルビデオ事業が出会うことになる。インターネットを介して多様な地域にサービスを展開する事業者についても述べなくては「平成」という時空間は語りえないのだ。

ネットフリックスは1997年に起業家のリード・ヘイスティングによって創業された。創業当時は、ネット上でレンタルDVDを注文し、郵送で配達と返却を行うという事業を展開していた。この事業は好評で、ネットフリックスは順調に事業を拡大していった。ネットフリックスが大きな方向転換に踏み切ったのは2007年のことである。インターネット回線の高速化に伴い、事業内容をレンタルDVD事業からインターネットを通じた映像配信事業へと主軸を移したのだ。DVDを物理的に流通させるためには、郵送網をはじめとする物理的なインフラがサービス展開の障害になりうる。映像配信事業サービス展開のためにもサーバーなどの物理的なインフラは必要となるものの、事業を拡大するにあたってDVDを物理的に配送することで飛躍的に増大する手間はネットフリックスにとって更に大きな懸念であったのだ。映像配信へと転換するという選択は結果的に正しかったといっていいだろう。これによって、ネットフリックスの会員は、自分の望む端末で好きな時間に動画を視聴することができるようになった。そして、ネットフリックスは現在、190か国に1.3億人の会員を持つ、文字通り全世界に映像配信サービスを提供する企業となっている。日本でも2015年から配信事業を開始している。

増田が論じていた「ネットワークバリューの威力」は、ネットフリックスによって更に追及されたといっていいだろう。ネットフリックスは全世界の視聴者の行動を事細かに分析し、少しでも長くネットフリックスというバーチャルな場でコンテンツを消費するように日々改善を繰り返している。実際、サービスを開始したアメリカでは、ネットフリックス上での映画の一気見(binge watching)が社会問題として取り上げられるほどになった。また、翻訳などに膨大な費用をかけ、世界同時配信という形で地理的な空間を越えてコンテンツを届けることで、増田のビジョンを更に徹底して追求している。また、店舗という物理的な空間を持たないがゆえに、ネットフリックスのバーチャルなソフトの棚は無限に広がっていく。

ここで、読者に一つの疑問がわくかもしれない。インターネットが国境を越えたサービスの展開を可能にするという意味で、「フラット」な平成年間を代表する変化だと述べることに異論はなくとも、ネットフリックスに限らず、ニコニコ動画やYouTubeなどの動画サービスも存在する中で、なぜネットフリックスに特権的な地位を与えようとするのか。

ニコニコ動画やYouTubeに見られる断片化され大衆的な形で集積された「映像たち」は確かに魅力的である。しかし、それらの魅力を支えているのは、映像自体の魅力だけではないように思われる。むしろ、ニコニコ動画やYouTubeがともに、投稿者に支えられている映像配信サービスであるからこそ、投稿者を核としたコミュニティがそこに発生する。そして、私たちがニコニコ動画やYouTubeといったユーザー主導型の配信サービスから得るのは、コミュニティの快楽のように思われるのである。一方で、TSUTAYAが担っていたような無機質な「アーカイブ」としての機能は、ネットフリックスが積極的に担おうとしているように思えるのだ(といっても、そこに我々が見ている全体性は、様々な商業的な思惑の中で作り上げられたものでしかないのだけれど)。

 

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現在、カルチュア・コンビニエンス・クラブは、代官山をはじめとする蔦屋書店などの生活提案型書店を積極的に展開するようになっている。往時の大量のソフトが並ぶ棚で埋め尽くされた空間ではなく、そこでしか体験できない特別な何かを探し求める場となっている。そこには、フラットな消費ではなく、ある種のロマンあふれる消費の場が展開されつつある。かつては、どこでもありえたTSUTAYAという場所が、代官山をはじめとする強い磁場を必要とするようになってきたのだ。

一方で、かつてTSUTAYAが象徴していたようなフラットな消費の空間は、インターネット上へと移動し、文字通り世界を巻き込みながら、よりラディカルな形で実現されつつある。その前で、我々は単なる消費する一個人としてデータ化されるだけかもしれない。しかし、そうした孤独の中で、他者とのつながりを希求することこそ、なにかを作るものの原点にあったのではなかったか。今日も自室にこもりながら、ネットフリックスから配信される動画を見つつ、そんなことを思っている。

 

 

参考文献

大原道郎『テレビ最終戦争』朝日新書

川島蓉子『TSUTAYAの謎』日経BP社

鈴木洋仁『「元号」と戦後日本』青土社

増田宗昭『情報楽園会社』復刊ドットコム

文字数:5522

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