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文学と、


アート:杉本博司『アートの起源』


杉本博司による『アートの起源』は、書名と同名の展覧会の補遺という形をとっている。しかし、「アートの起源」を言葉によって問う中で、文学的な想像力のあり方についても語っているように思われる。例えば、杉本は自らの光を主題とした作品について述べながら、以下のように書く。

名前さえ付けなければ世界は豊潤で一体なのかもしれない、病名がなければ病気もないように。(中略)世界は無限の色に満ちているのに、自然科学は世界を七色にしてしまう。しかし私は捨象されてしまった色の間でこそ世界を実感することができるような気がするのだ。そして科学的な認知が神を必要としなくなった今、そこからこぼれ落ちる世界を掬い取るのがアートの役割ではないかと思うようになった。(46)

ここで杉本は、世界を分節化しようとする科学的な態度とアートのあり方の差異のみを述べているわけではない。むしろ、私はこの中に、言葉と文学的な想像力のあり方の対立が見出されているのだと指摘したいと思う。言葉によって様々な形で切り取られてしまった世界を、文学的な想像力こそが掬い取れる―つなぎなおすことができる―のだと。

上のように述べるとき、この本が、様々な断片によって成り立っていることは大きな意味があるだろう。この本には、杉本が異なる機会に記したテキストが並ぶ。形式も、散文・和歌・茶会記と多岐にわたる。これらのテキストに統合性を与えるのは、「本」という便宜的な形式であり、その形式によって生じる文学的な想像力だ。

離れ離れとなり一見すると全く関係のないもの。これらをつなぐ、あるいは、つなぎなおしてみせること。これが文学的な想像力の持つ一つの力である。この著作の読者は、ここにまとめられたテキストの群れの中にこうした想像力の発露を大いに見ることができるだろう。そして、断章の中から「杉本博司」という一人のアーティスト像を見出すだろう。


日常:土井善晴『一汁一菜でよいという提案』


土井善晴による『一汁一菜でよいという提案』を開いたとき、私は困惑した。本の冒頭に置かれた「食は日常」と題されたエッセイは以下のような言葉で終わる。「一汁一菜とは、ただの「和食献立のすすめ」ではありません。一汁一菜という「システム」であり、「思想」であり、「美学」であり、日本人としての「生き方」だと思います」(10)。土井善晴という料理研究家によって書かれた、みそ汁を中心としたおかずによって構成される「一汁一菜」の食事を勧める本が、このように始まることは興味深い。明らかにクックパッドのレシピ群を読むときとは違う何かがここにはある。

では、私が困惑を覚えたものは何だったか。ありていに言えば、私はレシピを―断片化された情報を―求めていた。しかし、土井のテキストからは料理を、いや、日常生活全体をより大きなものへと接続しようとする意志・想像力が感じられたのだ。

土井が日常生活を接続させるのは、例えば、日本において縄文以来積み重ねられてきた歴史であり、繕いのない純粋さ・美しさである。このつながりを生じさせる回路こそが私が困惑を覚えた一つの原因であった。極めてナイーブに言えば、日々の生活を、より大きなものと接続させていく必要などあるのだろうかという疑問である。

違和感を覚えつつも、実のところ、土井がこのテキストを通じて行っている日々の営為をより大きなものへと接続しようとする想像力自体は私自身にとっても身近なものである。例えば、ここで私が行おうとしている批評という営み自体がある種の超越的な感覚なしでは始めることすらできないであろうからだ。

我々は完全に無意味な中では生きられない。その耐えられなさを克服しようとする時に召喚される回路こそが、ある種の超越的なもの―それが何であったにせよ―との交感ではないか。そして、土井はこの本の中で料理という題材を通して、その一つのあり方を見せてくれているのだ。


療養:グレン・R・シラルディ『自尊心を育てるワークブック』


『自尊心を育てるワークブック』は、認知行動療法の知見を基にしたセルフヘルプのための自習書である。実際、この本を著したのは米国の心理療法の専門家であり、訳者にも臨床心理などの専門家が並ぶ。一方で、この本には、他の認知行動療法をベースにした実用的なストレス管理スキルを伝えるためのワークブックで扱われている内容から飛び出してしまうような部分がある。そのことがこの本を文学的な存在へと昇華させているといってもよい。

この本は、「人間の価値はどこにあるのか」「愛とは何か」「私はなぜ存在していて、なぜ存在し続けてよいのか」といった問いに直面しようとする。本の各所に、人間の価値・存在、そして愛についての様々な引用が含まれるが、これらの引用はこの本が上記のような問いを抱え込もうとしている証左といえるだろう。しかし、より本質的には、この本が生まれる契機となった治療の現場において、医療者と患者が自ずとこうした問いに向き合わざるを得ないということを示してもいるだろう。そして、この本を利用する者はワークブックと向き合う中で臨床場面を追体験するのだ。

この本には、明らかに不在の中心がある。この本の読者―あるいは、この本はワークブックなので、あえて主人公と呼んでみよう―は、自らの存在の基盤となるような超越的な存在と対峙することを求められるのだ。そして、明示的には言及されていないが、それぞれの章に使われる「無条件の人間の価値」「無条件の愛」といった言葉からは(キリスト教的な)神の存在が前提とされているように思われる。

このように心理学の知見を基にしたワークブックの中にも超越的なものを召喚するような想像力―それをここでは、文学的な想像力と呼んでみたい―の発露がある。一方で、その想像力の回路は、療養という達成すべき明確な目的が設定されているためか極めて限定的な形で閉じられているようにも思われるのだ。

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