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野球の想像力

娯楽は大衆を馴致させる。社会の矛盾や諸々の現実の非情さから、目を背けさせる効能をもつ。それゆえ大概の娯楽は享楽的である。当然、楽しくもないものをわざわざ享受する所以はない。

しかしながら、娯楽によって現実から目を背けているということに気づかないほど、大衆も愚かではない。それどころか、娯楽に興ずるほどに、ますます己の現実が追いかけてくるかのようである。そうでなくとも、娯楽から覚めようとしない人間などいない。娯楽から覚めないということは、現実へと戻れないという、ある種の恐怖である。浦島太郎のような思いを、誰もしたくはない。大衆は、娯楽と現実の間を、常に行き来している。

娯楽と現実の複雑な関係は、野球という娯楽に顕著にあらわれている。野球という娯楽は、哀しい。野球ファンはどこかのチームを贔屓にし、熱狂的であればあるほど、贔屓に自らを同化させ、贔屓よりも弱い敵のチームのファンに対して、優位に立とうとする。もちろん、野球を経験したことがあり、技術的な側面、数値的な側面で野球を高度に鑑賞できる人間なら、話は別だが。しかし多くの野球ファンは、己の矮小さを、どこかで感づいているはずだ。社会の中で孤立した人々が、結局のところ大きな集団を形成するという、かの批判的な視座が、現代によみがえるかのようである[1]。神宮球場外野席のカープファンは、さながら畜群といったところか。

なんにせよ、大衆の心情にぴったり寄り添うものであるからこそ、野球という娯楽は今日まで生き延びてきたのである。野球が文芸の題材たりうるのも、その点にある。

本稿は高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』[2]に関する論評であるが、本稿に関連するものとして、ある作品について先んじて言及するのを、避けることができない。1966年に書かれた寺山修司のエッセイ、「野球の時代は終わった」[3]である。高橋の当該著作が雑誌『文芸』で連載され始めたのが1985年のことで、この間には19年の歳月が流れている。野球というものの当時の在り方について、寺山は示唆に富んだ記述を行う。

寺山のこのエッセイで明示されるのは、大衆が何かにつけ、やる側から見る側へと移行してしまったことに対する、異議申し立てである。「彼ら〔サラリーマン〕の人生にとって、野球ナイターとは何であるのか? と私は考える。/巨人が勝っても阪神が勝っても、損もしなければ得もしない。ただ、贔屓チームの誰かが『ホームイン』するたびに拍手するだけで、自分も参加しているように錯覚しているナイター・マニアのサラリーマンたちには、本当の『野球の良さ』などはわからないのではないだろうか?」[4]。少年期に野球に取り組んだ寺山にとって、「野球ナイター」すなわち職業野球は、「野球の良さ」の本質とは少し外れたところにある。寺山は「当時花形だった赤バットの川上も、青バットの大下も、言わば私たちの『代理人(モデル)』であると思われた。野球の主体はあくまでも私たち自身であって、モデルのプロ選手ではなかった」[5]と回想する。寺山にとり、野球は「する」ものである。

寺山のこうした「する」野球への傾倒は、ある想像力に満ちた理念に支えられている。これは彼が青森で出会ったバーテンのナベさんなる人物から教えられた寓話で、いわば野球の創世神話である。「そのナベさんが言った。『二人のさびしい男がいた。これが、ピッチャーとキャッチャーだ。二人は啞でものが言えなかったので、仕方なしにボールで相手の気持をたしかめあったのだ。二人の気持がしっくりいったときには、ボールは真直ぐにとどいた。しかし、二人の気持がちぐはぐなときにはボールはわきに逸れた。そして二人はいつでも、このボールの会話をかわすことをたのしみにしていたのだ。/ところが、この二人に“嫉妬”する男があらわれた。彼は、何とかして二人の関係をこわしてやりたいと思った。そこで棍棒(バット)を持って二人のそばに寄ってきて、いきなりボールを二人の外へはじきとばしてしまったのだ。バッターの役割というのは、まあ、そんなところだね』」[6]。この寓話は、寺山の所見と共に、次のように締めくくられる。「『一つのものを守ろうとしたら、われわれは多くのものを殺さねばならない。これは野球主義の理想だ。七人のやさしい啞たちは、二人の会話を妨害した罰として、バッターを刺殺したり、捕殺〔ママ〕したり、併殺したり、封殺したりするのだ』/私は、野球というものが、基本的には小さな一つのコミュニケーション(投手と捕手の会話)を軸として、それを破壊しようとするエネルギーと、それを守ろうとするエネルギーの戦いだということに、ひどく共鳴した」[7]。「する」野球の理念は、コミュニケーションということにあり、攻撃と守備の間のエネルギーの相克である。

この、コミュニケーションのモデルとしての野球という観点は、さらにこの後安保闘争の話題にまで波及するが、最後に寺山は大衆の幸福の在り方に言及して、エッセイを締めくくる。「野球ばかりではない。『する』から『見る』に変ったのは、戦後のサラリーマン文化の特質であって、しだいに客体的人間になりきることで不満を解消しようとするのは現代人の安っぽい『幸福論』である。/『なにか面白いことはないか』ということばを口ぐせにして、『面白いこと』を『する機会』よりも『見る機会』を待っている。/こうした視姦症的な無気力の人たちを見ていると、私はつくづくと野球の時代は終ったなあ、と思ってしまうのである」[8]。野球はテレビの画面の中に押し込められ、ホームドラマ同様の健全さを帯び、これを娯楽として享受する人間は、すっかり受け身になってしまった、というのだ。これはそのまま、大衆の想像力の危機と言い換えてもよいだろう。

こうして、寺山修司により、日本野球は終了の宣告を受けるに至ったのだった。本来自らの手で「する」ものだった野球が、「見る」ものへと変ってしまい、つまるところそれは大衆の幸福の質に関わる、という論旨は、このエッセイの文明批判的性格を強く印象づける。しかしこのエッセイが単なる文明批判以上の意味をもつとすれば、上記の物語の役割が鍵となる。野球は物語に変換できる。このエッセイの意義はむしろ、野球の物語、あるいは言語との関わり方の可能性を、それとなく示している点にある。そして自ずと、次のような問いが生じてくる。寺山の物語は「する」野球のそれであったが、終了宣告以降、「見る」野球が優勢となった状況、想像力が危機に晒された状況で、それでも野球の物語は可能か。

高橋源一郎『優雅で感傷的な日本野球』〔以下、『日本野球』〕は、その問いに応答する。

『日本野球』においては、通常の意味での「野球」は存在しない。野球という概念が、通常それが指示するところの出来事から解離しているか、あるいは野球そのものが、てんでばらばらに、忘却の淵に追いやられている。例えば第一章「偽ルナールの野球博物誌」では、野球に関するものとされる資料が、図書館で鼻紙として破られて利用され、焼却炉で焼かれそうになったあげく、救済されている。また第二章「ライプニッツに倣いて」では、バッターがライプニッツの『単子論』を野球論にパラフレーズして、なんとかスランプから脱却しようとする様子が描かれている。この小説の登場人物たちは、野球の危機を戦い、それぞれの仕方で野球を追い求め、野球を救済しようと必死なのである。そして、世界は野球を知る者と知らない者とで二分されており、知る者はこの世界では異端者として描かれている。

この作品では、1985年に阪神タイガースは優勝しなかったことになっている。この作品全体が、阪神が優勝しなかった世界の出来事という構造をとる。「阪神ファンの劇作家」なる人物が登場し、彼は1985年に阪神タイガースが優勝しなかったと確かに記憶している。阪神の選手がその結果どういう運命を辿ったか、彼によって回想される。

彼の回想によると、阪神の選手たちは、自分たちの優勝が近付くにつれ、野球から情熱を失っていった。いやむしろ、野球を忘却してしまった。優勝を目の前にし、ファンがチームの勝利ばかりに気を留めるようになったのも、一因である。自分たちのやっているものが野球のまがいものであると気づき、阪神の選手たちはチームから離れていってしまった。「する」野球を忘却したのだ。ある選手は「野球行き」のバスに乗り、別のある選手はポルノ・ヴィデオの男優となり、他にも、図書館に通い野球の文献を集めるようになった選手や、精神病棟を渡り歩くことになった選手もいたのだった。

こうして、読者は「優勝しなかったタイガース」という想像力を要求される。そしてこれは、「見る」野球を少しずつ破壊する。なるほど、現実の野球から、優勝や勝ち負けの契機を取り外してしまったら、野球を「見る」のは容易ではない。「ナイター・マニアのサラリーマン」は贔屓の勝ち負けを見ているのだから。

そして「優勝しない」あるいは「勝たない」ということは、野球の根幹に関わってすらいることがわかる。思えば、野球における優勝とは、ユートピアの実現ではなく、むしろ消滅である。竜宮城が娯楽ではなくなることほど、そら恐ろしいものはない。阪神タイガースという野球チームの特色は、敗北を期した翌日のデイリー新聞の一面を、偏向報道で飾るということにある。これは「フモール」の一種で、そうした営みから逆向きに、ファンは自らの一貫性を規定しているのである。チームが負けなかったらフモールも生じないので、阪神ファンではなくなるという算段だ。『日本野球』において、阪神ファンの劇作家の記憶から、優勝が消え去っているというのは、おそらくそうした事情によるものだろう。

この作品は、1985年という日本野球にとって記念すべき年――阪神タイガース21年ぶりのリーグ優勝と球団史上初の日本一の年――を題材に据え、まるで現実の陰画のように、しかしそれによりなお一層現実に接近して、ディストピアめいた世界を描く。「見る」野球を爆破し、野球を非在とすることを通じて、野球の物語を可能にしようとする。

 

[1] E・フロム 著 日高六郎 訳『自由からの逃走』東京創元社、1951年

[2] 高橋源一郎 著『優雅で感傷的な日本野球』河出書房新社、1988年

[3] 坪内祐三 編『「文藝春秋」八十年傑作選』文藝春秋、2003年

[4] 同書、311頁。

[5] 同書、312頁。

[6] 同書、313頁。

[7] 同箇所。

[8] 同書、315頁。

文字数:4312

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