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冒頭はどこで生まれるのか

 

論考全体の流れがはっきりするまで、あえてもう少し待ちたいと思います。

4000字以上の「冒頭部分」を〈いま〉用意すると、ぼくはそれに引っ張られるようにして主張を書き連ねていく気がするからです。これはあくまでも個人的な感覚から導かれる問題です。

「冒頭部分」という足場を何度も組み替えながら書くことで、本文全体の主張を支える思考が整合性を乱してしまうこともあります。恐いのは、それを整える行為自体では決してなく、整えたと思っていてもそこになんらかのズレが生まれてしまうことの方です。慎重さを欠いて論理を強引に結びつけたりしてしまうと、主張が読者にうまく伝わっていかないことの、ひとつのきっかけになります。

論考全体に作用する諸要素のマッピングに納得した上で生まれ、かつ講評に値する質が担保された「冒頭部分」でなければ、この機会に提出することは難しいと判断しました。

 

最終論考では、尾田栄一郎の漫画『ONEPIECE』、MCU (Marvel Cinematic Universe)、サブスクリプション、さらには和田淳のアニメーション作品などに言及するかもしれません。

既存の議論を更新できるような作家論、作品論を目指すだけでなく、いまを生きる人々の認識の変化や態度変更に目を向けたいという思いがあります。いっけん文脈を共有していない複数の事象があったとして、それらは同じ問題に対する反応を示しているようにみえてきます。

 

文字数:600

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