印刷

文学にリアルをもたらすもの

ある精神科医の”自伝的小説”ーー春日武彦著 『私家版 精神医学事典』

「私家版」とあるように、精神医学の用語について、教科書的な説明がされているわけではない。項目は五十音順などではなく、著者の連想順に並んでいるという。よって、どこから読み始めてもよいし、飛ばし読みしても支障はない。
著者の連想のおもむくままに、精神科医として出会った患者たちのエピソードや、文学作品、ネットから得た情報などが散りばめられている。それでも散漫な印象を受けないのは、精神医学事典という枠組みにのっとって、ひたすら症例の紹介がなされているからだろう。
適当なページから読み始めたが、すぐに引き込まれた。音楽でいうところの、グルーヴ感がある作品だと思った。
本書に登場する人物たちは、実在する者も架空の者も、愚かな言動をする。著者はそれを、医師の立場という高みから批判したり、断罪したりはしない。著者自身の過去の強迫神経症についても語られており、神経症患者と自身を同じ俎上に載せてすらいる。
また、読んでいるこちらにも身に覚えのある類の妄想をする、患者たちの例が登場する。
六法全書を暗記すれば司法試験に受かり、一発逆転エリートの仲間入りができると考えている患者、スターなど手の届かない相手と恋愛関係にあると言い張る患者など。高みの見物から引きずり降ろされる思いがする。
それから、アウトサイダーアートに対する著者の意見も興味ぶかく読んだ。要約すると、作品がすぐれているかどうかと、作者が精神科の患者であるかどうかは、分けて考えなければならない、ということである。
ただ、この本はこのような知識や知見を紹介するだけの、専門書ではない。本文の背景からは、一人の精神科医の性格(キャラクター)が浮かび上がってくる。著者の半生を描いた長編小説の趣すらある、と私は思うのである。

 

SNSは文学を駆逐しないーーF著『真夜中乙女戦争』

本作にはさまざまなSNSの名前が登場し、この作品自体もSNSのノリで書かれている印象を受ける。
本文を読んで最初に思ったのは、ツイッターを読んでいるようだな、ということ。おそらく著者は、ツイッターで目にした文章や表現を、本文に数多く取り入れている。
主人公と、主人公が思いを寄せる「先輩」との会話は、LINE上のチャットをそのまま引き写したようだ。
また、「佐藤」以外の人物は、あだ名のような名前で呼ばれ、主人公も先輩も、ついに本名が明かされることはない。これはあたかも、ネット上でのハンドルネームのようである。
とめどなく流れていくツイートを高速で流し読みするように、主人公は自分や世界を脳内だけで処理して、大学生なのに達観したようなことを考えていた。ただ、先輩への恋心だけは、脳内で高速処理できずにいた。
「黒服」の指示で主人公は東京中を爆破していき、黒服も殺してしまう。最後に、先輩と電話で話をして、先輩の内定先、大学も爆破し、自分も死ぬつもりだと伝える。このような主人公の破壊行動は、スマホの連絡先などのデータを消していく、リセット行為のようでもある。
最後に先輩から、君が今生きているならそれでよしとしよう、という、愛の告白のようなことをいわれるが、主人公はこれで破壊活動を中断しただろうか?(中断したと思いたい。)
SNSの要素をうまく小説に取り入れて、リアル感を出している。SNSと文学は同居できるのだな、と思わせてくれた。

 

言葉とイラスト、二重のメッセージ性ーーはらだ有彩著『日本のヤバい女の子』

昔話や古典に登場する女性人物たちを、現代に生きる女性である著者が、現代女性の視点から語ったエッセイ集。
著者は歴史や文学の研究者ではなく、エッセイやマンガ、テキスタイルなどのクリエーターである。
しかし、古典の原文や学術書にもあたり、昔話の舞台になった場所を訪ねるなど、研究者顔負けの熱心さである。
その原動力となっているのは、やはり、女性人物たちに寄り添いたいという思いだろう。
著者は一貫して女性人物の側に立ち、彼女たちの願望、欲求、無念さなどを書き記していく。もちろんそれらは、あくまで著者の想像であるし、男性人物(たとえば、女盗人の夫、末娘に殺された猿、浦島太郎)が犠牲になることが気になる読者もいることだろう。著者もそれはわきまえているようである。その上で、女性人物たちに共感し、もっと自由に生きてほしい(ほしかった)と書いている。それほど、女性が自由に生きる、ということにこだわりがあるのである。
このように強烈なメッセージ性を持つ作品だが、著者が描いたイラストのおかげで、いくぶんやわらいだものとなっている。少女漫画を思わせる、ピュアなやわらかさの中に華もあるイラスト。
この本では、本文のみならず、イラストも著者のメッセージの一部なのである。
昔話の人物おかめが現代のスーツを着ている絵、十二単の女性と洋服を着た現代の女性が、一緒に缶のお酒を飲んでいる絵。イラストが文章を補完しながら、時に文章より雄弁になっている。

文字数:2045

課題提出者一覧