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芸術の解体―福田美蘭の自由間接話法

0.東京都美術館で育った作家

美術館に行くとき、わたしは度々絵画を見ていると同時に、歴史の権威を目にしているような気がすることが多くある。世界の名画であればあるほど、解釈を作者のコンテクストに委ねてしまう、そんな時がある。
 話が逸れるが、例えばこんな経験があった。昔から巷で噂のラーメン屋に行って自分の口に合わなかったとき、そのラーメンが受容されてきた意味を解釈しようとし、結果的にこれが人気のラーメンというものなのかと自分を説得させるようなモヤモヤとした経験だ。しかし、一方で、そうした元祖ラーメンから派生したラーメン(=オマージュ)がとても美味しくて、オマージュを通して新たにそのラーメンに思いを馳せるときがあった。それは、もはや元祖を食べているのか、オマージュを食べているのか区別がつかない「自由間接話法」的な経験であった。
 そんな元祖ラーメンに対するオマージュのように、歴史的な、西洋中心主義的な権威を持った作品を、オマージュを通して解体し、開けたものとして新たな視座を与えてくれる展覧会があった。

 『福田美蘭展』は、2013年7月23日から9月29日にかけて東京都美術館で開催された。東京都美術館のリニューアルに伴い、東京都美術館にゆかりのある現代作家が周期的に展覧会を行う企画展が開催され、その第一弾として福田美蘭の展覧会が選ばれた。
 福田は、グラフィックデザイナーである福田繁雄のもとに生まれ、東京藝術大学に学び、同校の卒業制作展、修了制作展に始まり、東京都美術館を舞台にキャリアを積んだ。福田の作品には先に述べたように過去の作品のオマージュとしての作品が多く見られ、「自由間接話法」的に作品に侵入、解体し、新たな歴史の見方を私たちに与える。また、ポップアートと歴史的な絵画を作品の中に併置することによって、絵画の歴史的な時間軸を転倒させるような作品が多く見られる。

 

1.美術館に対するオマージュ

東京都美術館のリニューアルに伴い始まった企画展ということで、福田の展示には東京都美術館への敬意を持った作品もいくつか見られる。
 〈バルコニーに立つ前川國男(2013)〉は前川國男の等身大の肖像画が2階のバルコニーから展示空間である1階のギャラリーを見下ろしているものである。ここにも時間を解体する工夫が表れている。リニューアルに際して企画された展示会で、福田の作品を見る観覧者が、前川國男の肖像画という作品に見られているという感覚を持ち、観覧者に改めて東京都美術館の空間を認知させる。
 また、〈ロゴマークを描く(2013)〉では東京都美術館の「ロゴマークの描き方」のプロセスがクレヨンで描かれており、東京都美術館に訪れる子どもたちに美術館を覚えてもらおうとする態度が現れている。

 

2.大衆文化と日本の伝統芸術の融合

本展覧会のテーマの一つである「日本への眼差し」では、消費社会におけるポップアートと襖絵などの伝統芸術を、父・福田繁雄的な視覚的なテクニックで表現する作品が多く見られる。例えば、〈銭湯の背景画(2002)〉では、銭湯ではお馴染みの富士山と湖の風景画にマツモトキヨシや富士フィルムなどのロゴが隠し絵として組み込まれている。また、〈扇面流図(2007)〉は、日々大量に消費される、路上で配布された団扇を琳派の扇面屏風に見立て表現している。
 これらの作品を通して、福田は日本の伝統芸術の文脈から大衆カルチャーを捉え、新たな視座を提出している。

 

3.素材と社会の並置

「現実への眼差し」をテーマとした作品群には、素材と社会の並置が特徴として挙げられる。
 福田が初めて社会的なテーマを扱った作品〈メトロカード(1995)〉は、消費社会における「メトロの回数券」に、「地下鉄サリン事件」という社会現象を載せたものである。制作が1995年という事件が間もない時期の作品であり、日常的に使われるメトロカードに歴史的事件を重ねたアートである。
 また、福田はニューヨークの貿易センタービルのテロに対する作品も制作している。〈ニューヨークの星(2002)〉はニューヨークの夜景が描かれているが、ツインタワーの窓の部分がくりぬかれており、そのくり抜きが星として空に散りばめられている。「パネル」という素材の「オモテ」と「ウラ」を使い、ツインタワーのテロ(=非日常)とニューヨークの空(=日常)の表裏の一体性を表現している。
 このように、福田は扱う素材や社会現象は異なれども、日常・非日常の表裏一体を、それぞれを「並置」することで表現している。

 さらに福田は、社会現象のみならず日常の風景に対しても同様の手法を用いている。〈道頓堀(2001)〉は、パネルの半分を蝶番で分けることで、複製された版画として道頓堀川の水面に映された川沿いのビル群を表現している。「版画」という素材を駆使し、日常の風景にも新たな見方を与えている。

 

4.絵画の常識を覆すこと

「西洋への眼差し」をテーマとした作品群で、福田は我々が歴史的な権威として無批判に見てしまう西洋絵画や、絵画との接し方の脱構築を試みている。
 〈リンゴとオレンジ(2000)〉では、セザンヌの同名作品を添削し、ペン入れしたものを額装して展示している。それは、神格化された作品に対するユーモアを持ったオマージュであり、新たなセザンヌの作品の見方を与えている。
 〈絵画の洗浄(1994)〉では、ルーベンスの三美神の画面を部分的に洗浄すると不思議の国のアリスが出てくる様が描かれており、歴史を反転させることで、私たちが絵画の歴史性を疑いえないものとして認識していたことを暴いている。「絵画の洗浄」とはまさに、メタ的にも我々の絵画に対する常識を洗い出している。
 また、その無批判にとってしまう我々の「作品の見方」への意義申し立ては、その空間性=「絵画の平面性」に対しても行われる。たとえば、〈開ける絵(2000)〉〈冷蔵庫(1999)〉などは、二つ折や冷蔵庫を開かないと見れない仕掛けになっており、観覧者が自発的に絵に接する行為を与えている。また、〈床に置く絵(2000)〉〈Portrait(1995)〉は床や天井の角などに絵画を展示することによって、「壁に展示される絵画」という常識に対するアンチテーゼとして提出されている。

 

 

5.社会を映すアート

 震災後に「四季」を題材として描かれた4作品〈春―翌日の朝刊一面(2013)〉〈夏―震災後のアサリ(2012)〉〈秋―悲母観音(2012)〉〈冬―供花(2012)〉は、福田が震災時に制作した作品である。展覧会の一年前から描かれた一連の作品であり、展覧会の中心をなす作品であると言える。〈春―翌日の朝刊一面(2013)〉は、震災翌日の朝刊を描いたものであるが、震災翌日も日常と変わることのない朝刊を、福田の混乱していた心情で表現したものであり新聞の文字は読むことができない。〈夏―震災後のアサリ(2012)〉では、津波による環境変化のストレスで模様が変容したアサリを描いている。〈秋―悲母観音(2012)〉は、以前の福田の作風が顕著に現れている作品である。この作品は狩野芳崖の〈悲母観音(1888)〉のオマージュとして描かれており、人々の救済のために旅立つ嬰児の姿を震災の救済に重ね合わせた作品である。〈冬―供花(2012)〉は、ゴッホの〈薔薇(1890)〉のオマージュであり、制作の2年前に亡くなった父に対して贈られた白い花々をコラージュし、震災に対する供花として表現している。

 震災後の福田の作品に見られるのは、日常や自己の経験を社会の構造として昇華している事である。特に〈夏―震災後のアサリ(2012)〉では、震災後に市場を歩き模様が変異したアサリを集めるという、福田自身の個人的な関心から社会へと接続、表現するプロセスが特徴的に現れている。

 

6.複製技術における芸術

 これらの福田の作品に見られるのは、複製技術の発達した時代の中で、過去の絵画が持つ歴史的権威を「宙吊り」にし、新たな見せ方を提示することである。そして、その手法を展示空間にも延長し、平面的な「絵画に正対して作品を見る」という我々が以前から持つ常識に対する異議申し立てを行っている。
 福田の作品には、オマージュのもととなる作品の表現なのか、福田自身の表現なのか、複製技術の産物なのか区別がつかない(いや、そんなことはもはやどうでもいいのかもしれない)「自由間接話法」的な空間がある。歴史的絵画に大衆文化を、日常に非日常を衝突させることで、芸術を解体し、新たな地平を与えている。

 

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