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ポストモダン建築における古典新訳  

「先取りの剽窃」を拒否したモダニズム建築

 

 初期の近代建築家たちは、建築における過去への遡及を軽蔑した。彼らは、折衷主義や、建築の要素としての様式として拒否した。そして同様に歴史主義を、彼らの建築、すなわち漸進的というよりは革命的な性格をもった技術志向一本槍の彼ら自身の建築を歪小化するようなものとして拒否した。-ロバート・ヴェンチューリ

 

二〇世紀の近代(=モダニズムの)建築家、ル・コルビジェ(「住宅は住むための機械である」)やヴァルター・グロピウス、ミース・ファンデルローエ(「Less is more」)は、工業製品などをモチーフに、機能的な形態を持つ近代建築を打ち立てた。それは、十九世紀の折衷主義への反発から生まれたものであった。この革命的な近代建築の時代は、中世ローマなどの都市の歴史を参照するにしても、建築に囲まれた広場の形態などの、空間性のみに着目する「空間の偏愛」の時代でもあった。
 その結果、数多くの建築の概念が生まれたが、一方でその弊害もあった。たとえば、ル・コルビジェの「輝く都市」をモデルとして再開発された都市が、開発以前よりも治安が悪化する問題も起きた。
 このような歴史をたどってきた近代建築の、折衷主義を否定した純粋主義は、時代を経るごとにソフィスティケートされるのではなく、閉塞感を帯びてしまった。

 

折衷主義への回帰

 

以上のような近代建築に対して、異を唱えた建築家がいる。ロバート・ヴェンチューリは、著書『ラスベガス』で、近代建築の空間偏愛を批判し、ラスベガスのリサーチから現代における象徴性(=シンボリズム)の復権の可能性を提示している。『ラスベガス』でヴェンチューリは自身の建築における「翻訳」についての言及をしている。

 

 文章を書く人間は、たんに自分が発見したと思われる事がらだけを題材とするわけではない。その時代の文学や成句とか、過去の文学の内にいきつづけているイメージなどで利用価値のありそうなものを題材とする場合も少なくないのである。文体上、彼らはその題材を、ぴったりと合う場合はそのまま真似し、そうでない場合は茶化して使ったりして、自分の感情を表現するのである。-リチャード・ポワティエ

 

『ラスベガス』の冒頭で引用した文芸批評家・リチャード・ポワティエの文章に、ヴェンチューリの批評態度を見て取ることができる。ヴェンチューリは、本書で十九世紀の折衷主義の文脈で、ラスベガスの建築におけるシンボリズムを語る一方で、同書や『建築の多様性と対立性』などで、近代建築家のマニフェストを皮肉りながら論考を展開している。たとえば、ヴェンチューリは、ラスベガスのストリップ沿いに建つ建築群を、近代が着目してきた「空間性」でなく、「象徴性=記号」に求めた。一方、『建築の多様性と対立性』ではミース・ファンデルローエの「Less is more」を皮肉った「Less is bore」という言葉を用いながら、建築の「複雑な統一」を論じた。
 ここでは、『ラスベガス』における、ローマとラスベガスの類似点に関するヴェンチューリの言説を見てみよう。

 

ローマとラスベガスを比較するには、いくつかの項目が挙げられる。例えば、ローマは平原に囲まれ、ラスベガスはモハヴェ砂漠に囲まれているので、双方とも町のイメージが極めて鮮やかに浮き彫りにされている。しかしローマは一日にしてならなかったが、ラスベガスは一日にして作られたものだ。・・・この点は調査にあったては好都合である。また双方とも原型というより祖型といった方が適切な性状を有し、そこから典型を導くための誇張された類例でもある。さらに双方とも地方的な構造の上に超国家スケールの要素を生き生きと重ね合わせている。すなわち、宗教の都には教会堂が、歓楽の都にはカシノとサインとがあるのだ。-ロバート・ヴェンチューリ

 

ヴェンチューリは、ラスベガスのストリップを、十九世紀ローマの街路の文脈から「翻訳」した。しかし、彼は近代建築家が着目してきた空間ではなく、その象徴(=シンボル)に着目した。ヴェンチューリは近代の建築家ジークフリート・ギーディオンの、バロック建築の考察に、象徴性に対する言及がないことを指摘する。

 

 ルネッサンスの図像がすべて構造的であるというわけではない。扉の上部の紋章はサインであり、たとえばフランチェスコ・ボㇽロミーニのバロック建築の正面にほどこされている、宗教とか王朝などを題材とした浅浮彫は、象徴性に富んでいる。ギーディオンは、クアットロ・フォンターネのサン・カルロ教会堂についての優れた分析の中で、対位法積み重ね、うねるリズム、全体構成の中での抽象的要素としての形や表現の詳細なスケールを、道路に面した外部空間との関連において描写しているが、これらの要素が持つ象徴的な意味の重層については言及していないことは注目すべきである。-ロバート・ヴェンチューリ

 

この指摘はまさに、近代建築の空間偏愛に対する批判である。このようなヴェンチューリの象徴性に対する着目をもとにラスベガスの考察を見ていこう。
 ラスベガスのコマーシャル・ストリップは格子状の町割りの上を斜めに貫くようにして通っている。その道路の先には空港があることから、ストリップの利用者想定は歩行者ではなく、空港からバスでくる来訪者であることがわかる。そしてヴェンチューリはストリップ沿いのサインと建築に「折衷主義」を見出す。自動車交通を前提としたストリップは道路に向かって主張しているサインが大事であり、建築の予算としてもサインに対する比重が多く、駐車場の奥に小さくある建築と比べ圧倒的な存在感である。これは、近代の建築家や都市計画家が軽蔑する構図である。なぜなら、近代は抽象性を求め、サインは最小限(できればないほうが良い)と考えられていたからである。しかし、近代建築が形態や空間をソフィスティケートする中でそぎ落してきたもの(=折衷主義におけるシンボリズム)を、ヴェンチューリはラスベガスに見出だしたのである。
 これらのことから、建築におけるポストモダニズムは「現前する歴史」を直視することにほかならない。近代の建築家や都市計画家が軽蔑するラスベガスを、ローマの文脈から翻訳することで、新たな「折衷主義」として「翻訳」したヴェンチューリは、まさに「真面目と不真面目の境界」を思考する文学的な建築家である。

 

引用文献:

『ラスベガス』(ロバート・ヴェンチューリ,1978,鹿島出版会)

文字数:2651

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