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「あの戦争」からの、「正しさ」との闘争

「シーニュ」としての「戦争」

 思考するということは、一つの能力の自然的な働きであること、この能力はよき本性とよき意思を持っていること、こうしたことは、事実においては理解しえないことである。人間たちは、事実においては、めったに思考せず、思考するにしても、意識が高まってというより、むしろ何かショックを受けて思考するということ、これは「すべての人」のよく知るところである。(ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(1968))

先に引用したのは、ドゥルーズの思考の発生に関する考察である。ドゥルーズは、人がものを考えるという事態は「暴力」や「強制」などの記号(=シーニュ)によって発生すると述べている。高橋源一郎の活動には繰り返し起こる「戦争」という「シーニュ」が現前しているように感じる。どういうことか。
 高橋の「戦争」の定義は独特である。高橋は『「あの戦争」から「この戦争」へ』(2014)のあとがきで以下のように述べている。

 日本人の記憶に刻みつけられた「3.11」という「あの日」は、その破壊の大きさから、もう一つの「あの日」を思い出させることになった。「8.15」である。・・・
 「あの日」は終わった。けれど、「戦争」というものは、終わることのないものかもしれないものなのかもしれない。(『「あの戦争」から「この戦争」へ』)

また、高橋は2012年の東浩紀との対談で、第二次世界大戦と東日本大震災の他にもう一つ戦争があったと述べている。それは1960年代末~1970年代はじめだという。その時期は全共闘時代であり、高橋が東京拘置所に収監されていた時期と重なる。高橋が小説家としてデビューのきっかけは、拘置所収容中に「失語症」となり、文字を読んだり書いたりできなくなったことに対するリハビリテーションだった。
 さらに対談で、高橋は「あの日=震災」を境に、ツイッターの空間が激変したと語っている。震災前は、ツイッターは面識のない人々の言葉がタイムラインに流れ、大きな社会を描いている「小説=群像劇」のような多孔感のある空間であったが、震災以後は、切迫した意見や、横からの情報が増え、切迫した「街路」のような空間になった、と。この「街路」という表現は高橋が全共闘時代に直面した、路上で暴動が起きていた学生運動に重ね合わされていのだろう。
 「全共闘時代」と「東日本大震災」という戦後に起きた「2つの戦争=政治的危機」に駆動された作品、『ジョン・レノン対火星人』(1983)と『恋する原発』(2011)を読みながら、政治的危機における高橋の「正しさ」に対する闘争に見られる思想を見ていこう。

「追憶の1960年代」との決別

『ジョン・レノン対火星人』(1983)は、第24回群像で落選した高橋の幻のデビュー作『すばらしい日本の戦争』を手直しして出版されたものである。ポルノグラフィー作家が、突如現れた、死躰の亡霊が見えて錯乱状態に陥っている「すばらしい日本の戦争」(これは作品の登場人物名である)を救うという物語である。本書は、死躰の生々しい描写やエロティックな描写が散文的に描かれている。高橋はあとがきで、本書について以下のように述べている。

 それは、奇妙なものでなければならなかった。考えうる限りバカバカしいものでなければなかった。最低のもの、唾棄されるようなもの、いい加減なものでなければならなかった。
 ・・・『ギャング』は、ある意味で、「文学」に満ちた作品だった。だが、ぼくは、ほんとうは、「文学」など一かけらもない作品で、つまり『戦争』でデビューしたかったのだ。(『ジョン・レノン対火星人』)

高橋を駆動させているのは「文学」ではない。「戦争」なのである。東京拘置所や死躰の描写が描写されていることからも、この「戦争」というのは、高橋が八か月を過ごした全共闘時代の拘置所生活であるといえるだろう。
 さらに時代背景を把握するために、巻末に付録されている内田樹の解説を見てみよう。内田は高橋がこの小説を書いた理由の一つを「過激派の時代を生き残ってしまったことに対する疚しさ」であると推測する。さらに、内田や高橋ら「過激派学生」が「過激派」と呼ばれるのは、彼らの存在が彼ら自身にとって危険だったからにほかならないと言及している。

 ・・・「過激派」である私たちは「政治活動のアマチュア」であった。というか、「政治活動のプロ」(既成政党)を全否定することに「過激派」の本義はあったわけだから、「過激派」の若者が「政治活動というメチエ」についてなにごとか有用な経験則を習得しているということは原理的にありえないことだったのである。無党派のラディカリズムというのは「アマチュアリズム」そのものであった。
 ・・・たぶん、私たちは「過激に生きるか凡庸に生きるか」の二者択一が自分たちにはつきつけられており、誰もそれを避けることができないと思い込んでいたのだろう。(『ジョン・レノン対火星人』内田樹の解説)

「過激に生きること」を選択した内田や高橋は、内田の言う「ほとんど無垢なまでに邪悪なもの」という、実体的な暴力がその犠牲者を選ぶときに「理解できる基準が見えない事実」を目の当たりにし、無秩序にまわりの人が殺戮されていく光景を目にしたのである。
 本書の内容に移ろう。ポルノグラフィー作家の「わたし」は、「すばらしい日本の戦争」に見えてしまう死躰の亡霊を、T.Oと「性交」させる事で取り払おうとした。しかし、なかなか「性交」が上手くいかず、ついに「わたし」は「すばらしい日本の戦争」にこんな言葉をかけてしまう。

「『すばらしい日本の戦争』。わたしにはわかっています。わたしは最初からずっとわかっていました。あなたは気が狂ったふりをしているだけです。」(『ジョン・レノン対火星人』)

 そしてこの言葉を投げかけられたあと、「すばらしい日本の戦争」は死躰が見えなくなった。しかしながら、「わたし」は「完全に失敗してしまった」、「はずかしく、うちのめされ、死にそうだった」と思っている。
 この描写を検討してみると、こんなふうに思えてくる。「すばらしい日本の戦争」は、全共闘時代に失語症を患った「高橋自身」なのではないかと。失語症という盾を携え、「追憶の1960年代」を拭いされずにいる高橋を、もう一人の高橋である「わたし」が弔おうとしているのだ。そして、失語症を取り払い、「全共闘時代の死者」を弔い、現実を受け入れる態度なのだと読み取ることができる。
 そして、このような態度を表明するために、高橋が「文学」ではなく「戦争」でデビューしようと思っていたのは、「出所」したあともなお、「過激に生きること」を選択したからなのだろう。

現実と虚構の境界を揺さぶる「震災文学論」

『恋する原発』(2011)は、震災後の約半年で書き上げられた本である。「不謹慎すぎます。関係者の処罰を望みます。-投書」という衝撃的な一文から始まる本書は、ひとりの男が会社の命令で、東日本大震災のチャリティーAVを制作するという、フィクションの物語である。この物語では、実在する世界の著名人や日本の政治家もパロディとしてAVに出演している。
 高橋は本書で新たな「挑発」を披露してみせる。全7つの「メイキング☆=章立て」の、第6章と第7章の間に、突如「震災文学論」というテキストが挿入されている。この「異物」を前に、読者は戸惑うであろう。
 ここで我々は疑問に思う。なぜフィクションの物語に「震災文学論」を入れなければいけなかったのか、なぜ他の著書ではなくこの本でなければならなかったのか、なぜプロローグやエピローグではなく「メイキング☆」の間であるのか、と。
 「震災文学論」を見ていこう。高橋はここで、批評家のスーザン・ソンタグの9.11に対する言説や小説家・川上弘美の『神様(2011)』、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』、石牟礼道子の『苦海浄土』を引用しながら文学論を提示している。パロディやオマージュが飛び交う『恋する原発』に突然現れた「震災文学論」は何を意味しているのか。それは、「現実」と「虚構」の境界を揺さぶる思考であると思う。どういうことか。この「震災文学論」では、実際の批評家や作家の言説や作品を引用している。
 しかしながら、引用する際の名称はソンタグを除き、「メイキング☆」と同様に「カワカミヒロミ」や「ミヤザキハヤオ」という引き方になっている。これは、フィクションで書かれた『恋する原発』の中で扱われた人物と実在の人物とを等価に扱うことにより、現実と虚構の境界の消去を試みているのであろう。どういうことか。
 例えば、「震災文学論」で取り上げられている、東日本大震災直後のある人の「ぼくはこの日をずっと待っていたんだ」という言葉や、批評家・スーザン・ソンタグの9.11テロ事件に対してアメリカの行動や利益を批判する言葉、水俣病を引き起こした海(=苦海)を浄土として描いた石牟礼道子の『苦海浄土』(1969)などは、震災を経験したばかりの我々にとってはまるでフィクションのような話ばかりである。しかしそれは、我々が非常事態に言葉を失い、「正しさ」という固定観念に縛られてしまっているからだ。これらの言葉や作品はそれぞれの人間の「身体」から発せられた言葉なのである。高橋は、フィクションの物語の中に、「震災文学論」というフィクションのような現実を差し込むことで、我々の「正しさ」を揺さぶる。
 我々は「あの日」から、現実と虚構の区別がない世界を生きているのである。

「耳慣れぬ音」「速さ」「アマチュアリズム」から照射する「民主主義」

ここでは高橋の論壇時評を引き、3つのキーワードを交えながら最後のまとめに入りたい。

まずは「耳慣れぬ音」について。高橋は『恋する原発』を執筆したのち、軽い「失語症」になった。「あの日=東京拘置所の日々」のように。冒頭で引用した『「あの戦争」から「この戦争」へ』は2012年4月から2014年8月の「文學界」の連載をまとめた本である。本書の序盤で、『恋する原発』を書き終えて「失語症」になった高橋は、いくつかの小説や演劇、様々な人に触れながらリハビリをするように文章を書いている。
 しかし、そんな「言葉を失った」高橋の言葉に、デビューから一貫する思想を見ることができる。以下の文章は大半が統合失調症患者の、ある医療施設の患者との会話での高橋の回想である。

 というかですね、その施設の「スローガン」は、
「病気になってよかった。治らなきゃいいのに」
 で、それを聞いた時には、誰だって(というか、ぼくも)びっくりする。
 でも、よく聞いてみると、統合失調症なんてものは、せんじ詰めれば、敏感すぎるが故に、世界の雑音まで聞こえてしまうビョーキらしいのだ。ぼくたちも、ほんとうは、様々な雑音が耳に入ってくるのだけれど、一々、聞き入っていては、「まともに」暮らしてはいけないので、そんな雑音はシャットアウトしてしまう。そのことによって、なんとか生きていけるのである。

・・・考えれば考えるほどぼんやりしてなにも考えずただ常識に従って行動したりしゃべったりするのが正常で、世界の微かな震動や奥底の震えを敏感に感じとってしまうのがビョーキではないかと思えてくる。だとするなら、目指すべきなのはビョーキなんじゃないでしょうか。(『「あの戦争」から「この戦争」へ』)

政治危機において、人々の観念は固定化されてしまう。そんな「常識」や「正しさ」に、「耳慣れぬ音」にアンテナを張りながら「文学」を通して闘争すること。そんな思想が、言葉を失った高橋の根底に感じられる。

次に「速さ」について。高橋は、批評家・スーザン・ソンタグについて『恋する原発』のみならず、文壇時評でも数多く述べている。2011年9月11日、ニューヨークで起きた同時多発テロの知らせを、ソンタグはベルリンで聞いた。事故の6日後に発効された「ニューヨーカー」でソンタグは、「臆病」の名に値するのは、「報復の恐れのない距離、高度の上空から殺戮を行う者たち」(即ち「アメリカ」)として、凄まじい憤激を巻き起こした。着目すべきは、高橋がソンタグの言説について、「順番」の問題や「速さ」といった「時間軸」を用いて論じている点である。

おそらく、ここには、「順番」の問題がある。・・・
 戦争について書くとき、直接明示しないにせよ、わたしたちは、「あらゆる戦争は憎むべきものであり、二度と、このようなことを起こしてはならない」とまず書く。その上で、「戦争」に関する、自分の考えを記す。・・・
 だが、実際のところ、この「正義の論法」は建前にすぎない。あるいは、単なる「文法」にすぎない。あるいは、あまりに抽象的すぎる。
 そのソンタグの論理(倫理)は抽象的なものではない。彼女が生涯で学んだすべて、彼女が読んだ本、・・・それから、彼女の日常生活の一こま一こまからやって来たものだ、とわたしは感じる。ソンタグの論理には、彼女の肉体が刻印されている。(『恋する原発』)

 考える「深さ」こそが大切である問題では、わたしたちは、安心して、「知性とはものごとを深く考える能力のことだ」といってかまわないだろう。
 だが、ときに、このでは、「深さ」よりも「速さ」を必要とすることだって起こるのである。(『丘の上のバカ-ぼくらの民主主義なんだぜ2』)

以上のような、ソンタグに関する高橋の言説から、『恋する原発』の順番の疑問も解消する。高橋は震災時直後にこの本を書き始めたが、そこで大事だったのは「順番」「速さ」だったのである。高橋の肉体に刻印された論理を前に出すことが、「震災文学論」を述べるよりも先にあるべきだと思ったのである。また、おそらく、高橋がこの問題に対して「時間軸」について執着して書くのは、ソンタグの「戦争=9.11」の経験と、高橋の「戦争=全共闘時代」の経験を重ね合わせているのだろう。そして、東日本大震災という「戦争」でも、高橋は「過激に生きること」を即決したのである。

最後に「アマチュアリズム」について。高橋は、『丘の上のバカ-ぼくらの民主主義なんだぜ2』で、「民主主義」の起源である2500年前の古代ギリシアについての文献を参照しながら、これからの民主主義の可能性を示唆している。

 現代に生まれたわれわれは、人生の早い段階から、専門化した特定の狭い領域に自分を押し込めることを要求されて育つ。現代人は、何か一つの専門技能を果たすことに生きる道を見出さねばならない。いまやアマチュアとは、むしろ「半可通」というほどの消極的評価しか受けないかもしれない。・・・
 古代ギリシアのポリス市民は、その対極にある生き方を理想とした。あらゆる方面にバランスよく、しかもそこそこに能力を発揮することが、民主政を支える市民としてふさわしい生き方だと考えていたのである。・・・
 民主政のおおらかなアマチュアリズムの根底には、人間は本来あらゆる能力が潜在的に備わっているのだという価値観が横たわっていた。(『民主主義の源流』からトゥキュディデス『戦史』二巻四一章一節)

 政治は、一瞬だけ参加して、そのあとは、どこかでだれかが勝手になにかをやっているのを遠くで眺め、そのことに対してため息をつくことしかできないシステムではなかった。政治は、自分の目の前にあり、直接、耳で聞き、手で触ることができるものだった。そのことによって、自分の内部に眠っている「人びとと共に生きる」感覚を、甦らせて、育てるものだったのだ。
 アマチュアとは「バカ」のことだ。自分が知らないということだけは知っている人間のことだ。そして、知らないからこそ、目の前で起こっていることを前のめりになって知ろうとするのだ。
 かつて、丘の上に「バカ」がいたのである。(『丘の上のバカ-ぼくらの民主主義なんだぜ2』)

東日本大震災という非常時において、デモなどが起こり、アマチュアが「再び」声を上げるような時代になった。そう、高橋が経験したもうひとつの「戦争=全共闘時代」のように。柄谷行人は「デモで社会は変わるのか?」という問いに「デモで社会は変わる、なぜなら、デモをすることで、『人がデモをする社会』に変わるからだ」と述べている。丘の上に人々が立てることになったことで、いままで消極的な意味合いであった「アマチュア」の重要性は増していくだろう。高橋が文筆家・五所純子との対談で、文体を身につけてしまうということが、作家としての自分のスランプであると述べたように、高橋は「文学」の世界でもアマチュアであり続けようとする。
 高橋の姿勢はいつの「戦争」でも変わらない。「バカ」として丘の上に立ち、声をあげているのだ。

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