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さようならCR

 

 

 

テディベア。

人間を食らう獣の偶像は、同時にもっとも愛されてきた偶像でもあった。テディの語源であるセオドア・ルーズベルト米大統領が熊を助けたエピソードは20世紀初頭の逸話であるが、いまや21世紀のテディベアは、子供たちが描く空想の世界から飛び出して、拡張現実の世界に活きている。テディベアの表象を探求することは、空想と理想が入り乱れた暗澹たる時代に、子供じみた大人が子供に大人になるように諭す社会に、またはこの、動物はいないのに動物性で溢れかえっている奇妙な世界に、少しでも、わずかにでも道筋を示す灯光になりはしないだろうか。彼らを大人になり切れなかった大人の残骸として切り捨てるのは簡単ではあるが、まずは彼らのストーリーに耳を傾けようと思う、断罪するのはそのあとでも遅くはない。そう、もうテディベアに語りかける時代は終わり、彼らの語りを聞く時代になったのだ。

 

Ⅰ.<動モノ>としてのテディベア

 

 

『プーと大人になった僕』(原題Christopher Robin:2018年公開)。

 

クリストファー・ロビンは100エーカーの森を去ったあと、寄宿学校生活や従軍経験を経て、今では家庭をもち、鞄メーカーの中間管理職として多忙を極めている。人員削減を迫られ、家族でサセックスの故郷に戻る予定を中止して、自宅付近で人員整理に悩む中、プーは彼の前にひょっこり現れる。彼はプーとその仲間たちと共に徐々に子供時代を思い出し、家族とプーの仲間たちの重要性を再認識して、それゆえに仕事でも成功収めるのだった。空想のなかの住人であったクリストファー・ロビンが大人の世界で躓き、その後空想の世界の力を借りて現実を世直しするという展開は、ファンタジー「実写」映画の鉄板的な展開なのかもしれないが、それでもクリストファー・ロビンという空想世界の代表的な人格が大人になったということはなんとも解しがたい事実だ。

 

まず気をつけるべきなのはこの映画はディズニー版の『くまのプーさん』であるということ、にもかかわらず、そのアメリカ版のプーさんが、本家のイギリスを舞台にするという、屈折した舞台設定になっていることである。私たち一般に目にする『くまのプーさん』はディズニー版のカートゥーンであり、アクション性のあるコミカルな作品であるが、A.A.ミルンによる原作はイギリスの童話らしい落ち着いて詩的な雰囲気を持っており、ディズニー版プーさんはかねてから原作ファンの攻撃にあってきた。ではなぜこのような設定になったか言えば、やはりクリストファー・ロビンの大人時代というある種のシリアスさを描くのに、アメリカよりはイギリスを舞台にしたほうが、描きやすかったからではないかと推測する。または、従軍経験や寄宿学校生活など、クリストファー・ロビンのモデルである、A.A.ミルンの息子、クリストファー・ロビン・ミルンの半生を「少しだけ」重ねることを意識した結果なのかもしれない。

 

どちらにしても、クリストファー・ロビンを大人として描く矛盾性は、この映画のみならず、テディベアというモノにまつわる呪いでもある。子供はモノ(動物のぬいぐるみ)を動かして、逆説的な意味での<動物(動モノ)>にして遊ぶのである。それが反転して、この映画では「動物を模したモノが動く<動モノ>世界を模した実写世界」というなんともパラドシカルで不気味な世界になるのである。

 

『くまのプーさん』(原題:Winnie the Pooh)が、もともと熊ではなく、熊のぬいぐるみとして描かれたことは十分に特筆すべきことであるように思える。なぜなら、そこにはすでに子供の目からみたオママゴト性(幼児性)を帯びているからだ。このオママゴト性とは、動物と<動モノ>を区別する目を持つということである。しかし映画ではその幼児性を「なにもしないこと」として一旦否定され、大人がそれを回復するという子供視点のオママゴト性を理解しない展開になっている。劇中、プーとその仲間たちと「現実世界の住民」とが遭遇するが、これが単なる彼らの驚き(例えば「ぬいぐるみの言葉がわかる」魔法や超科学的な仕掛けを噛ませることすらなく)として片付けられてしまうことは、子供の世界と大人の世界が陸続きである証左と言えよう。それは「センス・オブ・ワンダー」ではなく、単なる「アメージング」を求める現代の象徴でもある。まとめるならばこの映画は、現実から空想へ向かうことを、子供の世界から大人の世界へ軽々しく横断して描くことで、子供と大人の「垣根が低くなった」現代の拡張現実的な世界観を見事に表現した作品であると言えるだろう。

 

 

『パディントン』(Paddington : 2014)『パディントン2』(Paddington2 : 2017)

 

ペルーからやってきた礼儀正しいクマ。訛りのないイギリス英語で、軽く帽子を取って挨拶する姿は何とも健気である。しかし、忙しいロンドンの市民たちは、しゃべるクマに一切興味を持たずに通り過ぎていく。ロンドンでは礼儀正しくしていれば誰か世話をしてくれる、そう聞いていたそのクマは、誰にも拾ってもらえず、パディントン駅のホームで途方に暮れてしまうのだが、最終的に偶然通りかかったブラウン一家に拾われて、彼は「パディントン」と命名され、ようやく物語が始まるのであった。

 

前述の『プー』映画との最大の違いは、彼が一応本物のクマであるということだ。マーマレードが大好きで、間抜けな失敗を繰り返す姿は、どこかプーさんと重なるところがあるが、原作および映画『パディントン』の舞台はあくまで、現実のロンドンである。そのため、訝しく思われることはあっても、決してしゃべるクマに驚くものはいない。また、プーのような幼稚さは見られず、パディントンは礼儀正しく、そして自由闊達な青年として描かれる。『パディントン』の世界には、『プー』映画のように子供の世界と大人の世界という区別は存在しないため、より純粋な児童文学的作品、つまり子供向け映画であると言えるだろう。

 

しかしながらCGと実写が交差する世界においては、どこまで本物のクマであると言っても、やはりそれはテディベア的であり、モノと動物とヒトの間に宙づりにされた奇妙な状態であることに変わりない。『プー』でも同じことが言えるが、これが単なるアニメーションや児童文学であれば、そのオママゴト性は保持されたまま、子供の空想世界として受容できるのかもしれない。だが、都会独特の騒がしいラッシュアワーや豊かなエスニックが、実写世界として顕れる場所では、パディントンは<動モノ>としてのテディベアにならざるをえないのだ。

 

典型的なヴィラン(悪役)であり、パディントンを執拗に追いかける自然史博物館の剥製部長、クライド。彼女は、パディントンを剥製にする(stuffing)ことで、パディントンを自らのコレクションに加えようと画策している。パディントンは「生きている動物」であるから、当然彼女から逃げようとする。劇中、パディントンが剥製にされた(stuffed)イメージシーンが一瞬だけ挿入されるが、それどう見ても、死んだ動物の剥製ではなく、止まった<動モノ>のスクリーンキャプチャである。また『パディントン2』では、彼は窃盗犯と間違えられて捕まり、「ヒト」として裁判にかけられて、刑務所へ送られる。ブラウン一家はパディントンが冤罪であると信じて、真犯人を探し続けるが、パディントンは自分が見捨てられたと勘違いして塞ぎ込み、ついには脱獄を決意する。非常に人間的な感性のパディントンの姿は、テディベア:モノとして見るならば、人間に見捨てられたおもちゃの悲運を描いた『トイストーリー』シリーズやピーター・ポール&マリーの楽曲『Puff, the Magic Dragon』を彷彿させる。いずれにしても、彼が熊なのか、人間なのか、テディベアなのか、は永遠に問われることはない。それは私たち大人が許さないのである。

 

以上のように『パディントン』シリーズを『プー』のように、大人と子供、ヒトとモノで分けることは賢明でない。そのかわりに、同年代の童話原作CGアニメ&実写映画である『ピーターラビット』(Peter Rabbit : 2018)と対比させると、イギリスにおける都会(city)と田舎(country)という対立軸が見えてくるので面白い。『ピーターラビット』は、前述の2つの映画と比べれば、大変コミカルでノリのいい作品になっており、ピーターの言動は、いたってハチャメチャである。そして『パディントン』とは正反対に、自然豊かな田舎目線で、都会的人間を批判的、戯画的に扱っている。ピーターラビットの「恋敵」として登場するトーマス(ドーナル・グリーソン)は、ロンドンから湖水地方に来たばかりでウサギを害獣として見なしており、ピーターたちの巣穴を爆破しようなど、典型的な潔癖な都会人として描かれている。ピーターは基本的に、人間とは会話不可能であるが、なぜか劇終盤に憎しみ合っていたトーマスとだけ言葉通じるという不可解な設定となっている。<動モノ>としてのクマは出ないが、トーマスの元勤め先がロンドンの老舗高級百貨店「ハロッズ」であったり、(クマのプーさんはこの百貨店で購入された設定である)そのトーマスが、発狂して大きなテディベアを殴るシーンなど、テディベアへのオマージュを多分に含んでいる映画であるといっていい。

 

礼儀正しいパディントンと自由奔放なピーターラビット。どちらもかわいらしい<動モノ>に違いないが、現代イギリスの食い違う都会と田舎の主張を見事に代弁してはいないだろうか。

 

 

『ブリグズビーベア』(Brigsby Bear : 2017)

 

幼い頃に誘拐されたジェームズは怪しげな数学の研究に没頭する夫妻に監禁されていた。夫妻は彼に外は危険であると教え、外部との接触絶ち、ニセの教育番組である「ブリグズビーベア」を見させて倫理性を教えようと考えていた(しかし夫妻は予想以上に番組を熱心に見続けるジェームズに困惑気味である)。そしてついに、夫妻は警察に逮捕され、ジェームズは保護される。彼は本当の両親に暮らすようになるが、幼い頃から監禁されつづけて、「ブリグズビーベア」でしか人間関係を知らない彼にとって、現実社会は摩訶不思議なものであった。そして紆余曲折経て、彼は仲間たちと「ブリグズビー」を完成させるために映画制作に乗り出していく。

 

『プーと大人になった僕』とは対照的に、『ブリグズビーベア』は空想から現実へ目覚める物語である。空想を単なる空想で終わらせるのではなく、周りを巻き込んで自己実現と社会参画を両立させたジェームズの姿は、独我論的空想から抜け出すためのサクセスストーリーだ。「ブリグズビー」は小さなテディベアというよりは、等身大のマスコットキャラクターであり、ジェームズもまたそれを理解しているのであり、「プーさん」の世界とは一線画する世界観であるが、しかしそれは物語の冒頭部分、つまりジェームズが保護されたあとの話であり、彼が監禁されていた時の彼の世界観は十分に拡張現実的であったと想像するのは容易い。「ブリグズビー」の番組はジェームズにとって<動モノ>的であり、それでいてオママゴト的でもあったのだ。

 

仲間たちと作った「ブリグズビー」映画が上映され、ジェームズはスタンディングオベーションで観客に迎え入られる感動的なラストシーンで幕を閉じるのであるが、果たしてその後のジェームズとブリグズビーの人生を苦慮することは単なる邪推であろうか。彼は自立できるのか。彼はブリグズビーに執着し続けるのではないか。すでに劇中ではその特異な出自が周囲弄ばれており、それが彼を映画制作に向かわせる要因になるのであるが、映画の完成はむしろブリグズビーというモノに依存することになる。ジェームズはブリグズビーがいることで、ようやくジェームズであることができるのだ。結局のところ、彼もその周囲も、ブリグズビーというモノが動くことで<動モノ>的空想性に希望を見出したのであり、ジェームズは決して自由になってはいないのだ。

 

モノをモノとして扱うことは、モノに相互作用を求めないこと、「なにもしないこと」でそれを信じ続けることである。ブリグズビーはモノである限り永遠に存在しつづける。それに話かけつづけることは、やはり幼児的であり続けるということである。ブリグズビーとジェームズの10年後は、アイロニカルでアダルトな「大人」の物語になり得るのだ。

 

 

『テッド』(Ted : 2012年) 『テッド2』(Ted2 : 2015年)

 

悪態をつきながらマリファナをふかすテディベアのテッド。想像するだけで可笑しな設定だが、劇中ではもっとひどい。国民的なカートゥーンである『ファミリー・ガイ』ではピーター・グリフィンを演じるセス・マクファーレンは、落ち着きのない「ダメな」テディベアを快闊なボストン訛りで飛ばしていく。クマのぬいぐるみが職探し、友情、恋愛、結婚に頭を悩ませ、人工授精による出産を決意する。笑いの種は尽きないのであるが、笑ってだけではいられない。この作品から人間とモノの関係に決定的な変化を見出すことができるのだ。

 

『プーと大人になった僕』や『ブリグズビーベア』では大きな摩擦となっていた空想と現実の折り合い、動くモノ(テディベア)が人間社会に認知される過程は、『テッド』においてはものの3分で完結してしまう。しかし、『テッド』における「ぬいぐるみがしゃべることへの驚愕」が「テディベア映画」の中でもっともリアルであることは大変な皮肉であると思う。ジョン・ベネット少年の願いが叶い、テッドがしゃべるようになった直後、ジョンの母親が「しゃべるぬいぐるみ」を見て青ざめる姿は、アメージングどころか、ほとんどホラーである。ジョンが「友達がほしい」と願い、テッドが誕生した「奇跡」が起きたのは1985年であったが、時は残酷に過ぎ去り2012年、35歳になったジョンとテッドはうだつが上がらないオッサンコンビになっていた。いつまでも雷におびえるジョンとテッド。ジョンの彼女に疎まれ、部屋から追い出されたテッドは悪態をつきながら職探しを始める。ジョンもテッドも大人になりきれない子供である。

 

その一方でR15+指定の映画であることからもわかるように、映画内容は極めてアダルトだ。テッドの暴言の数々は、ポリティカルコレクトネスに雁字搦めになっているアメリカ人の鬱屈晴らすものである。笑いによって鬱屈を晴らすことは、古今東西、普遍的な現象であるが、本来は子供の世界の住人であるテディベアが、大人の世界に跋扈して大人が言えない本音を代弁することは、やはり単にコミカルであると片付けられない何かがある。インド系アメリカ人に「9/11をありがとう」、黒人の精子バンクを拒絶された精子と決めつける、ウェイトレスが「ファックミーアイ(あたしとヤッての目)」をしていると騒ぐその姿は、機知のあるコメディアンというより、わきまえのない中学生であるが、しかしまたポリコレに神経を尖らせて身動きが取れない現実の閉塞感を打ち破る、「大人」な発言にも聞こえてしまうから不思議である。現実世界の停滞と、アイロニーがインフレ的に盛り上がっていくシニカルさは、いわば「スタグフレーション」のように、なにも解決しないのにも関わらず、なりふりかまわず膨張していく。成長も成熟もなく、そこにあるのは通貨的な膨張だけなのだ。

 

『テッド2』では、テッドは仕事場の同僚であったタミー・リンと結婚して、出産を決意する。精子提供選びで紆余曲折あるのだが、最終的にタミー・リンが過去の薬物乱用が原因で出産不可能であるとわかる。そのため養子縁組を求めて、施設に問い合わせいたテッド夫妻であるが、その時の身元調査の結果、テッドはそもそも「人間」でないと法的判断が下されて、養子縁組はおろか、仕事も解雇、結婚も取り消しになってしまう。その後テッドが「人間」かどうかの裁判になる。パディントンは裁判で「人間」としては扱われたが、テッドは誰よりも人間的であるにもかかわらず、結局「モノ」として判決を受けることになる。ここでテッドは性的に不能で(生殖不可)、職業的に無能な、身体障害者的な存在として扱われていることがわかる。彼は、前述のどの「テディベアたち」よりも人間的現実的であるが故に、人間とモノとの明確な境界に直面しなければならないだ。

 

この裁判沙汰の裏には前作からの悪役であるドニーの陰謀が絡んでいた。彼は、玩具メーカーに清掃員として忍び込み、隙を見てCEOに「テッドの仕組みを解明して量産すれば大儲けできる」と唆し、テッドをモノであると訴えることを提案する。ドニーは、この案の代わりに「プロトタイプ」を彼のモノにしてほしいと嘆願していた。彼もまた、『パディントン』のクライドのように、テッドを自分だけのモノ(所有物)にすることに執着していた。しかしドニーがテッドを「量産する」ように提案したことは、テッドが複製可能なモノ(玩具)であることを強調することでもある。映画では、テッドは解剖される手前で助かり、量産されることはなかったが、例えば、テッドがドニーから逃げるシーンの中で、ニール・ダイアモンドの楽曲Sweet Carolineに「感染」してしまうシーンは、「量産された世界」を考える上で示唆的だ。テッドはコミコン会場でドニーから逃げているのであるが、自分の同型のテディベアの展示場に見つけてそこに紛れ込む。ドニーはテッドを選別するために、ボストン・レッドソックスの8回表が終わった後に毎試合流れるSweet Carolineのサビを歌いだす。

 

Hands touchin’ hands

Reachin’ out

Touchin’ me

Touchin’ you

 

Sweet Caroline!

 

BAH BAH BAH

 

テッドは歌につられてBAH BAH BAHと相槌を打ってしまう。他のテディベアは歌うわけがないので、テッドはモノの中で浮いてしまい、ドニーに捕まるのであった。確かにふざけたシーンであるが、しかし現実のレッドソックスの試合においても、この「量産された」もしくは「感染した」現象に出会うことに、多少の違和感を覚えざるを得ない。雰囲気に飲まれ合唱することはむしろ人間的であるというだろう。しかしテッドが量産されていれば、展示されていたテディベアたちも一緒に歌うはずだ。果たしてそれは人間的であろうか。テッドは人間的であると感じることは、なにか人間が機械的(モノ的)であると言っているようにも思えるのだ。『テッド2』では最終的に、テッドたちが敏腕弁護士に雇うことで、人間としての地位を回復、無事に代理出産も成功して幕を閉じる。(ただし逆転判決勝ち取るシーン、代理出産の過程はほとんど省略されている。)

 

ベルクソンは近代における笑いとは「生命活動の機械化」であるとした。チャップリンの『モダンタイムス』のように、本来なら可変的な主体である人間が、モノ的(機械的)な反復を繰り返すことがアイロニーとして捉えられていた。しかし『テッド』では、モノがせわしく動き回り、むしろ人間的に振る舞う<動モノ>性こそがアイロニーの正体である。テッドは<動モノ>である限り、ジョンを永遠に子供と大人の中間に宙づりにさせるのだ。また、テッドはどこまで問い詰めても人間ではありえず、しかしまたモノでもない存在として漂い続ける。アイロニカルな<動モノ>から問わなければいけないのは、そもそも結局のところ大人とはなんであるのか、子供とはなんなのか、その違いはあるのかということである。子供じみているのにアダルトなテッドが暴言を吐き捨てて、それを見て大人が子供のように笑う世界は、『プーと大人になった僕』に負けず劣らず、私たちを困惑させるのである。

 

 

2010年代におけるCGアニメーションおよび動物を主役にしたアニメーションの成功

 

前述の映画群は『ブリグズビーベア』を除けば、CGアニメーションと実写映画を融合させた作品だ。2010年代に動物を主役にしたCGアニメーション作品が大きく躍動した理由として、GPU(Graphics Processing Unit)処理の導入といった制作現場の技術革新があげられる。それまで大手CG制作会社のピクサーであっても「レイアウト」「アニメーション」「ライティング」といった工程を別々に行っており、特にキャラクターの毛描写が多い作品では、「最終レンダリングで、毛の向きが反対であることが判明してすべてやり直し」といった事態があり、その際に大変な労力を割く必要があった。例えば『モンスターズインク』のサリーの場合あたり、一体あたり90万本もの毛が生えており、これら別々に処理する必要があるということは、ピクサーの「職人芸」があったからこそ乗り越えることができたのだ。しかし00年代後半から「物理ベースレンダリング」を導入することで、より最終レンダリングに近い状態で、アニメーションを制作できるようになり、労力を大幅に削減できるようになったのだ。このような技術革新が今後も続くことは間違いないだろうが、それがどのような「テディベア」作品を生み出すかは、この論の範疇ではない。

 

 

Ⅱ.シームレスな存在としてのテディベアと障害者

 

 

テディベアとビリーポッサム

 

ここまで映画におけるテディベアについて論じてきたわけだが、これらはあくまで現代の特異な表現形態としてのテディベアである。テディベアは今に至るまで長い間、身近なモノとして、クマのぬいぐるみとして受容されてきた。それではその出自はどのようなものなのだろうか。なぜ、テディベアは現在多様にある<動モノ>たちの中でも、特権的な地位を占めるに至ったのか。ジョン・モレアム氏は野蛮な獣が、愛らしい生き物に変貌した物語をアイロニカルに説明する。

 

1902年の秋の事でした。セオドア・ルーズベルト大統領はちょっとした休暇を取る必要があったのです。それで彼はミシシッピのスメデスという街の外れでクロクマ狩りをしようと列車で向かいました。狩りの初日、一匹のクマも見かけることはなく、誰もがひどく落胆していたのですが、二日目、猟犬が長い追跡の末、一匹を追い詰めたのです。でもその時までには大統領は狩りを諦めて、昼食をとりにキャンプに戻っていたのです。狩りのガイドはクマの 頭を銃の台尻で殴り、木へ括り付け それを撃ち殺す栄誉を差し上げようと、ルーズベルトを呼び戻すために、ラッパを鳴らし始めたのです。メスのクマでした 呆然とし、怪我をしており、酷く痩せこけ、毛もまだらで、この動物が木に括られているのを、ルーズベルトが見た時、彼は引き金を引けませんでした。彼はスポーツマンとして、守るべきものに反すると感じたのです。

 

この逸話はすぐに挿絵入りで新聞に載った。この時の挿絵は従来のクマのイメージを覆すかわらしいものであった。その後、ルーズベルト大統領晩餐会に、テーブルディスプレイとしてクマのぬいぐるみが使われたことで、セオドアのニックネームである「テディ」と名付けられたぬいぐるみが一般庶民に広まることとなる。モレアム氏はその後日談に注目する。この時点では、テディベアは数あるぬいぐるみの一つでしかなかった、もっと言えば、大統領にあやかったタイアップ商品の一つにすぎなかったのだ。どういうことかというと、実は次代大統領のウィリアム・タフトが就任した時も、同様の「タイアップ商品」が作成されていたのだ。その名も「ビリーポッサム」。オポッサムというアメリカ大陸に生息する有袋類の一種(外見はネズミに近い)をモデルにしたこのぬいぐるみは、テディベアに代わる目玉商品として販売された。しかし結果は散々であった。テディベアは100年後の現在も生き残り、ビリーポッサムはすぐに忘れさられた。モレアム氏は、ビリーポッサム失敗した理由は、オポッサムが不細工であり、またルーズベルト大統領のときのような美談がなかったことをあげた。

 

彼の主張を明快である。動物を直接触れることがなくなった現代、私たちの動物に対する印象を決めるのは、メディアである。かわいらしい表象をもつ動物は保護され、そうでない動物はビリーポッサムのように忘れられる。これは諸刃の剣である。うまく使えば、人々の関心を環境保全に向かわせることもできるし、逆に、関心のない動物が絶滅しようが屠殺されようが構わない人間にもなる。新聞の挿絵がもっと写実的に描かれていれば、テディベアはいなかったかもしれない。ビリーポッサムにもすばらしい美談があれば、もしくはもう少し可愛らしい外見であれば、いまや銀幕のスターは、テディでなくビリーだったかもしれない。本物の動物とは全く無関係に始まった<動モノ>の表象は、現実の動物たちの命を定める基準になろうとしているのだ。

 

ワシントンポスト紙に掲載された挿絵 1902年

マルガレーテ・シュタイフの「不格好な」織物

 

テディベアにまつわる誕生秘話には、前日譚がある。ルーズベルト大統領の晩餐会に使われたぬいぐるみは、アメリカ製ではなくドイツの玩具メーカー「フェルト・トイ・カンパニー 」のものであったと言われる。その後のテディベアの大ヒットを支えたのもこの会社である。1909年に、この会社は創始者の逝去に際して、敬意をこめて「マルガレーテ・シュタイフ社」と社名を変更した。マルガレーテ・シュタイフ。彼女こそ、クマのぬいぐるみに限らず、<動モノ>たちに命を与えた張本人である。

マルガレーテ・シュタイフは1847年、現在はドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州ギーンゲンにて、毛織物手工業を営むシュタイフ家に生を受けた。1848年、ドイツにも革命の余波が伝わる中、1歳のマルガレーテは小児麻痺を患い、右手と両足が不自由になるというハンディキャップを負うことになる。彼女は生涯、車椅子で過ごすことになる。大きくなるにつれて、兄弟たちは家の手伝いに精を出すようになるが、マルガレーテができることといえば、不自由な手と格闘しながら、「不格好な」編み物を作ることだけであった。父親や姉弟たちは彼女を熱心に介護して、療養施設の温泉に送り込むなど、できる限りのことを尽くすのだが、彼女の障害がよくなることはなかった。そんな中、母親だけは、家事や仕事ができない彼女を厳しく叱責した。彼女はそれでも、

 

一度でいいから、お母さんの手伝いをして、ほめられるようなことがあったらいいのに!

 

と願うのであった。

 

そんな彼女の転機になったのは、産業革命の浸透とドイツ統一である。彼女は1861年頃から手動のミシンを使って姉とともに洋裁店を営んでいた。その後ギーンゲンに鉄道が開通したこともあって、シュタイフ家の商売が繁盛する。また親戚のハンスとアドルフが作った毛織物工場が成功して、彼らはマルガレーテの監督能力を買い、当時あまり馴染みがなかった女性と子供洋服を通信販売する会社を設立したらどうだと、彼女に持ちかける。当初は障害者の自分が経営者になるなど、夢のような話だと考えていたようだが、結局会社設立受け入れることになる。その後、マルガレーテは甥や姪たちに向けて作ったクリスマスプレゼントのぬいぐるみをヒントに、動物のぬいぐるみ販売を開始する。これが予想以上の大好評となる。1893年には「フェルト・トイ・カンパニー」として玩具メーカーとして世界展開するほどになっていた。そんな中、甥のリチャードは手足が動かせる「クマのぬいぐるみ」を発案する。1903年、このぬいぐるみがアメリカに流通したことで、テディベアが誕生したのである。

 

マルガレーテ・シュタイフは障害者としても女性としても最初期の実業家であった。彼女の成功は、確かに、手足に麻痺があったことを除けば、当時としては恵まれた環境のおかげであるとも言える。8歳のころに、医者の勧めで、家族と離れて一時的にシュトゥットガルト近郊の療養地で暮らすことになるが、19世紀の障害者の扱いを鑑みれば、最高レベルに手厚いものであった。またそこでウェルナー医師という先進的な考えをもつ医者の家に預けられたことは、外の世界を知り、先進的な思想を得る最高の機会であった。その他でも、母の反対を押し切って弟フリッツや従妹のマリーが外へ連れて行ってくれて、他人の手足を使って自分のしたいことその都度達成することできた。彼女は他人を使うかわりに、年少者に物語を聞かせたり、友達の相談にのったり「口達者」な性格を生かして、生き延びてきた。こうした人を使う能力こそ、彼女が会社を運営する上でもっとも役に立つ能力であったのだ。

マルガレーテ・シュタイフ 1909年

それでも手足が不自由であるということは、バリアフリーやノーマライゼーションといった概念のない当時、想像に絶するような苦悩を彼女に与えたことは間違いない。結婚して子をなすことができないことも大変な苦痛であった。そんな彼女が、テディベアを、<動モノ>たちを、生み出すことができたのは、単なる偶然ではないように思う。なぜなら彼女こそ、同年代の子供たちが外で遊ぶ中、動物のいない世界(家の中)で、モノ(車椅子やミシン、裁縫)とうまく付き合っていくことを強いられた人物であったからだ。マルガレーテは、自分の作る織物が「不格好な」であるがために、モノに付加価値をつけることが重要さを知っていたのだ。

「プライムベア」

マルガレーテの精神は現在の日本にも受け継がれている。例えば「プライムベア」は、障害者たちの自立支援ためにデザインされたテディベアである。これらは知的障害がある子供たちによって織られた「さをり織り」と呼ばれる布を使いテディベアを製作、販売することで、障害者の経済自立を目指す仕組みである。モノに付加価値をつけることは、「生産性のない」とされる障害者であるが故に、より必要なのだ。テディベアは<動モノ>として、人間とモノをシームレス(継ぎ目なく)につながること、これを可能にする。しかしそうであるとすると、今度は、限りなくモノとして扱かわれてきたヒトについて考察しなければいけない。

 

 

横田弘とモノであることの恐怖

 

横田弘(1933~2013)は半ば伝説的な障害者運動家として語られている。彼は脳性麻痺(Cerebral palsy, CP)を抱えており、立つこと、歩くこと、話すこと、日常生活に必要な動作すべてが不自由であった。しかしそれでも、マルガレーテ・シュタイフが「私はしたいことがわかっている」と胸を張ったように、横田も「障害者だって○○していいじゃないか」と健常者に堂々と要求する。しかしこれは大変勇気のいることである。原一男監督の『さようならCP』(1972年)は、脳性麻痺者が健常者に立ち向かうことがいかに困難で苦痛に満ちているかを物語っている。

 

横断歩道を不自然に動くめく物体。それは思い通りに動かない四肢で道を這うように進む横田であった。「歩いた(這った)ほうが車椅子より速いから」。横田は決して自らは権利運動家ではないと主張する。単に健常者ができることを、自分たちも要求しているだけだと。劇中、脳性麻痺者の組織「青い芝の会」は駅前でカンパを募るのだが、カンパをした人々は「気の毒だから」「自分もああなったかもしれない」「同じ人間だから」とそれぞれ理由を述べて去っていく。なんといわれても煮え切らないものがある。彼らは通行者には人間の形をした置モノのように見えている。

「われらは強烈な自己主張を行う」

「われらは愛と正義を否定する」

 

「青い芝の会」の綱領にはこのように書いてある。健常者社会で抵抗しても、なにか横田たちの運動は空を切るように、人々の間を通り抜けていく。しかし、彼らが問いかける問題、訴える問題は決しては空虚なものではない。現にモノと人間の境界をどこに「線を引く」のかという問題は旧優生保護法改正の際に深刻な問題となった。たとえば問題にされている出生前診断は、胎児に障害があるかないかを出生前に診断するものであり、障害があると判断されれば、多くの場合は中絶を選ぶ。これは、障害児は死ぬべきであるという思想だとして、障害者団体にとって許せないことであり、70年代から80年代にかけて、女性の権利として出生前診断を求めるフェミニスト団体と激しく議論が交わされてきた。

 

立岩真也は、『私的所有論』において、両者の和解を試みる。まず「<他者>であることの受容」という原理を立てて、他者が最初に現れる存在として女性を認めることで、人工妊娠中絶を容認する。そしてすべての社会成員を他人として捉えることで平等に支援する必要が生まれるとして、障害者の生も肯定しようとする。しかし彼は決断主義的に、どこかで線を引かなければいけないと言っているわけではない。彼は杉田俊介との対談のなかで、出生前診断に賛成はできないが、禁止とは言えない、そして安楽死尊厳死にはきっぱりと法制化反対すべきと、独特なバランス感覚で答えた。

 

線を引くのは確かに暴力です。でも、暴力的にでも線を引かなくてはいけないこともあるのです。線を引かないと、ずるずるってなって、べろっと剥がれてしまうこともあるわけですから。

 

しかし、よく考えれば人工妊娠中絶は、障害者と女性だけの問題ではないことは明らかである。日本では妊娠22週未満であれば、本人の同意さえあれば、中絶可能である。現に2016年には16万の人工中絶が実施された。これは新生児の約10分の1にあたる。そして12週未満の胎児は医療廃棄物として、文字通りモノとして捨てられる。私たちはすでにもうどれがモノで、どれがヒトなのかを選択しているのだ。

 

障害をもつということは動かないモノを持つということである。そして障害を抱えながら生きるということは、そのモノと人間をシームレスに繋げざるを得ないということである。しかしどこか「継ぎ目」を見定めて切断もしなければいけない。人々がモノと人間の境界に正しく向き合っていないとするならば、それは責任を逃れるためであるというより、自身がモノあるかもしれない恐怖に立ち向かうことができないことからであろう。これはまた、<動モノ>を求める心理、できないこと、動かないことを「障害」とみなす心理ともつながる。私たちが子供のフリをして<動モノ>と戯れ続けるということは、自分がモノになるかもしれないという恐怖を紛れさせるためなのかもしれない。

 

 

 

Ⅲ.別れること

 

私たちは道筋を照らそうと、ここまでテディベアをめぐる表象を探求してきたのであるが、残念ながら進めば進むほど隘路が狭まっていくように思える。しかしもう一度だけ辛抱して『ウィニー・ザ・プー』の世界にお付き合いいただけないだろうか。テディベアがモノから<動モノ>になった100エーカーの森。ここに立ち戻らなければ、私たちは永遠に「プーさん」の世界からは逃れられないのだから。

 

クリストファー・ロビンが『プー横丁にたった家』の最後にプーにいった「なにもしないこと」。このことの恐ろしさを非常によく描いた短編小説が高橋源一郎の『さよならクリストファー・ロビン』である。この世界は誰かが描いた物語の世界であり、そして誰も物語を書かなくなったせいで世界は徐々に虚無に飲み込まれていく。最後に残ったプーとその仲間たちは物語の中に生きる偶像の残酷な運命を嘆き、ついには皆消えていく。

 

この短編小説では大人と子どもの区別がない世界、物語を語る側と語られる側が同一の世界、あるいは大いなる外部を持たない世界の不可能性を端的に示している。大人は大人だけでは物語は作れないし、子供は子供だけで物語を作ることができないのだ。逆にいえば大人と子供の区別が、物語が成立する十分条件であること、またその持続性は大人と子供という存在によって担保されるという法則を導き出せる。高橋は、まさにこの場で「大人であることはなにか」を突き付けている。私たちはやはりクリストファー・ロビンに戻らなければならない。

 

 

『グッバイ・クリストファー・ロビン』(Goodbye Christopher Robin : 2017)

 

 

『グッバイ・クリストファー・ロビン』は2017年の映画であるが、前述の「プー」映画とは似て非なる史実ベースの伝記映画である。原作者A.A.ミルンとその息子、クリストファー・ロビン・ミルン(以下クリストファー・ミルン)の「本当の」半生を描いている。この映画では『くまのプーさん』の制作秘話を伝記的に紹介し、(たとえば、プーという名称が近くの沼にいた白鳥に由来すること、クリストファー・ミルンは当時家族からビリー・ムーンと呼ばれており、「クリストファー・ロビン」という名前にはなじみがなかったということなど)また「世界一有名な」息子となったクリストファー・ミルンの葛藤も重要なテーマとして扱われている。映画では最終的に父と息子は和解したように見えるが、現実は映画よりさらにシビアな様相を呈している。クリストファー・ミルンの自伝である『クマのプーさんと魔法の森』(原題:The Enchanted Places)では、クリストファー本人の悲壮な叫びと、美しい思い出が混在する複雑な思いが垣間見れる。

 

・・・父が私の幼い肩に乗っかって、現在の地位にのぼり、私から名誉を奪い去り、ただ、父の息子であるという空虚な名声だけ残してくれたのではあるまいかと思えるときもあった。

A.A.ミルンとクリストファー・ロビン・ミルン、そしてテディベアのエドワード 1926年

彼は単に本名がクリストファー・ロビンあるということ、クリストファー・ロビンのモデルであるということだけではなく、子供時代の彼が奪われ、しかしそれが同時に自分の外で虚構の存在が同居し続けるというアンビバレント状態に苦しんだのだ。

 

 

彼はその後、クリストファー・ミルンとして生き、幼い頃のクリストファー・ロビンと「プーさん」(実際にはエドワードという名のテディベアであった)を封印しようとするであるが、しかしそれは世間が許さなかった。彼は常に二人に分裂して生きていかざるを得なかった。彼は就職することをあきらめ、ひっそりと本屋を営むことになるのだが、その後も「クリストファー・ロビンの本屋」「どうせ親の印税で賄っている」という世間の声に苦しんだ。彼は父の死後も『くまのプーさん』の印税をもらうことを拒否し続けた。

 

クリストファー・ミルンには脳性麻痺障害(CP)をもつ一人娘、クレアがいた。ミルン夫妻は、終生クレアを熱心に看護し続けた。彼は工兵としての従軍経験を活かし、クレアの生活合った「椅子、お盆、皿やフォーク」をハンドメイドで作ったが、それは彼にとって大きな喜びであったようだ。

 

クリストファーは最終的に「クレアのために」と父からの印税を受け取ることを決めたのだが、不思議なことに彼が「父母の遺産」と表現したものは、クレアに工作物を作ることができた才能のほうであった。1996年、クリストファー・ロビン・ミルンは亡くなり、クレア・ミルンは2012年に逝去している。A.A.ミルンからの遺産は現在でも「クレア・ミルン・トラスト」としてイギリスのコーンウォール州とデヴォン州の障害者支援基金として生き続けている。晩年のクリストファーは、ロンドン動物園にて「プーさん」のモデルになった「クマのウィニー」像の除幕式に姿を現したり、その他慈善活動を熱心に行ったと伝えられている。

クリストファー・ロビン・ミルン、1981年ロンドン動物園「クマのウィニー」像除幕式にて

 

ところが、不幸にも、フィクションの上のクリストファー・ロビンは死ぬことを拒み、彼と彼の生きている同名人は、いつもうまくいくというわけにいかなかった。

 

普通の主人公であればすぐに忘れ去られてしまうのに、永遠に空想世界に存在し続けるクリストファー・ロビン。<動モノ>が大人のオママゴト性を隠蔽しつづける時代、<動モノ>的空想世界からの復帰を拒否しつづける社会、アイロニカルに膨張し続ける<動モノ>になんの手立てを打てないでいる世界。この変種の拡張現実にはじめに向き合ったのは紛れもなく、クリストファー・ミルン本人である。彼はモノを信じること、モノから応答を求めないこと、「なにもしないこと」を受け入れること、これを実践せざるを得なかった。

クリストファーは自然を愛する人物であった、そして工作を好んだ。しかしモノを動かすことはなかった。彼の「プー」はいつに動くことはなかったのだ。彼は子供時代のクリストファー・ロビンに別れを告げたのだ。

 

 

Ⅳ.大人になること

 

大人と子供の違いとは、モノ(テディベア:障害)とどう付き合うかという態度の違いである。大人になるとはモノ(テディベア)との対話を絶ち、モノ(障害)があることを受容して、子供時代(クリストファー・ロビン)に別れを告げることなのだ。クリストファー・ミルンは自著の末尾において、クリストファー・ロビンの台詞を引用しながら、プーの返事を待たずとも、プーは「彼」を理解してくれるだろうと考えた。

 

「プー」と、クリストファー・ロビンは、いっしょうけんめい、いいました。「もしぼくが―あの、もしぼくがちっとも―」ここでことばが切れて、クリストファー・ロビンは、またいいなおしました。「たとえ、どんなことがあっても、プー、きみはわかってくれるね?」

 

私は、プーはわかってくれたと思いたい。そして、これで、ほかのひとたちにもわかってもらえるようにと思う。

 

プーは「わかるってなにを?」と答えた。理解したようには見えない。

しかし私たちはこのあと、物語は次のように続くことを知っている。

 

そしてクリストファー・ミルンはクリストファー・ロビンにいいました。

さようなら、クリストファー・ロビン。

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