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にらむその眼はなにを見ているのか ~十一代目市川海老蔵論~

 

Ⅰ 奇妙な役者

その怪力で悪七兵衛景清が自らをいましめた縄をいきおいよく引きちぎると、ひびきわたる大音声に獄屋の格子は砕け散り、舞台には折れた柱が次から次へと落ちてくる。はげしく鳴らされる三味線にのり、とりまく捕り手を蹴散らしていく景清。はては舞台奥から突如として現れた巨大な鏡餅の上に登り、これまた六間はあろうかという大海老を片手で持ち上げ見得をする。

考えてみれば、これほど理屈のとおらない奇妙な芝居はない。しかしこの、あとにもさきにも例をみない荒唐無稽な大芝居を演じ、観客から大喝采をうける役者がいる。

十一代目市川海老蔵。

歌舞伎の歴史のなかでも最も由緒ある名跡である市川團十郎という、燦然と輝く名前を継ぐことを生まれながらに宿命づけられた男である。市川團十郎家は元禄年間に活躍した初代市川團十郎をその祖とし、おもに荒事と呼ばれる荒々しく豪快な様式を家の芸とする。これまでに十二人の團十郎がその芸を守り受け継いできたが、もちろん江戸歌舞伎の宗家として別格な存在でありながらも、かならずしも彼らのすべてが團十郎らしい團十郎ばかりというわけではなかった。陰鬱な悪を感じさせる役を得意とした四代目や、上品な色気ある二枚目役で人気を得ながら若くして自ら命を絶った八代目、普通の銀行員でありながら婿養子として市川家に迎えられ、九代目亡きあと役者として遅いデビューを果たした十代目(死後に名跡追贈)など、それぞれに個性のある團十郎によって、三百年以上の歴史が築かれてきた。二〇一三年二月、十二代目團十郎が惜しまれながらこの世を去って以来、この市川團十郎家の看板を背負いながら新しい試みをつづけているのが、現・海老蔵である。

海老蔵はまだ新之助を名乗っていたときから、発声・口跡の悪さ、芝居のまずさなどがたびたび専門家より指摘されてはいたが、同時に「海老様」と呼ばれた祖父・十一代目團十郎を彷彿とさせる端正な容姿、荒事を演じるにふさわしい大きな目玉など、そのたぐいまれなる素質は多くの見巧者たちをうならせた。市川宗家にとっては團十郎についで重要な海老蔵という名跡を十一代目として襲名した頃から、ぐっと芸力に磨きをかけるようになる。

懸案の発声の悪さを改善するために、坂東玉三郎の紹介と云われるヴォイストレーナーのもとで試行錯誤を重ねたと聞く。本来は海老蔵の声帯はたいへん優れた「楽器」で、持っている声そのものはツヤと深みのあるゆたかなものであることはもとより明らかであったため、数年の迷走を経て魅力的な声へと変貌した。またかなりの本格的な筋肉トレーニングと食事管理(いずれも個人的な趣味の部分もあるにせよ)につとめ、鍛え上げられながらもしなやかさをもった肉体を手に入れた。

そして上演される歌舞伎の演目について、また歌舞伎というジャンルそのものについての更新にも積極的だ。市川家に伝わるいわゆる「歌舞伎十八番」のうち、レパートリーとして上演されるのは『勧進帳』『助六』『暫』『矢の根』『鳴神』『毛抜』などに限られていた。他の十八番の演目もごくまれに新しい趣向で復活狂言として上演されることはあったが、なかなか定着しないままに忘れ去られていた。そんな状況のなか、十二代目團十郎が『外郎売』『象引』『景清』を復活させたのを受け継いで、海老蔵は残る演目もさまざまな機会に復活させ(父・團十郎から「一つは封印せよ」といわれたとのことで、二〇一九年現在の時点で『不破』以外の十七演目の復活を完成させた)、そのうちの少なくないものは自身の手で再演を重ねている。また、オペラ歌手や能楽師といった、歌舞伎とは関わることのなかった他ジャンルとのコラボレーションも積極的に行っている。

しかしここでとりあげたいのは、もちろん海老蔵の役者としての成長ぶりではない。たぐいまれなる才能を持った人気役者の秘密にせまるものでもない。それまで愛する人を虐げられ自らの未来に絶望していたはずの人物が、まぶしくもめでたい舞台の真ん中で巨大な鏡餅の上に乗り海老のオブジェをかかげて見得をするという、いわばナンセンスでグロテスクな舞台。そこに観客が興奮し拍手をおくりそれどころか感動の涙まで流してしまうという「フィクション」がどのように成立しているのか、それを検討することである。

そこへいたる道程として、まず歌舞伎の特徴である「見得」という演技術についての考察をあしがかりに、芸の根幹である「型」というものが近世から近代、現代へどのように受け継がれてきたのか、そしてそれが海老蔵によってまったく違ったものになるとすればどういう意味を持っているのかを考える。そこに示されるのは、突然変異ともいえるひとりの役者の手によって、明治以降変質しつづけた歌舞伎がその新しい姿を見せるかもしれないという可能性であり、それとともにその歌舞伎のありかたが、他の舞台芸術などとおなじような言葉で語り得るものになるのではないかという問いである。

 

Ⅱ 見得とはなにか

頬っ被りをして下手に座っていた与三郎が立ち上がり、懐に手を入れじりじりと舞台中央へ寄っていく。
「おかみさんぇ……ご新造さんぇ……お富さんぇ……いやさお富、久しぶりだなぁ」
「そういうお前は」
不審そうに尋ねる上手のお富をしりめに、与三郎はいきおいよく手ぬぐいを取り顔をさらす。
「与三郎だ。おぬしゃあおれを見忘れたか」
「えぇ」
一瞬ふたりは顔を見合わせたかと思うと、ぐいっとからだをひねり各々にポーズをとりツケ打ちをともないきまる。

歌舞伎のなかでも人気の高い演目である『与話情浮名横櫛』の「源氏店」のワンシーンである。やくざの愛人として囲われていたお富と出会って恋に落ちてしまった与三郎が、やくざに制裁をうけ海に投げ込まれて生死をさまよう。命はとりとめたがゆすりをなりわいにするようになった与三郎が、偶然にも三年ぶりにお富と再会する場面である。このあと、「命の綱の切れたのを…」という名科白がつづく。春日八郎の歌った「死んだはずだよお富さん」で昭和時代にはよく知られていた話だ。

ここで大事なことは、この短い場面のなかでもっとも緊張感がたかまりクライマックスになるのが、けっしてセリフの応酬だけではなく、ツケ打ちとともにふたりの身体の形がきまるところにあるということである。歌舞伎においてセリフという言葉も大事だが、それ以上に役者の身体がつくりだすダイナミズムがその根幹にある。

演劇評論家の渡辺保はこの歌舞伎役者の身体的な演技を、動きをともなう「しぐさ」と静止する「きまり」のおりなす静と動の演劇であると定義し、次のように云う。

つまりいくつかの動きの連続が漸層的に積み重ねられて一つのクライマックスとしての「きまり」をつくる。このことが重要なのは、小さな一つ一つのしぐさによってエネルギーを発散しつつある身体が、最後の瞬間に大きくそのエネルギーを凝縮させるのが「きまり」だという点である。(渡辺保『歌舞伎~過剰なる記号の森』より)

この身体がつくりあげる「きまり」とそれへ向かっていく「しぐさ」が描き出すエネルギーの折れ線グラフ。この「きまり」はその折れ線のかどかどにおいて、小さなものはちょっとしたアクセントとして、大きなものはひとつの頂点として存在する。その大きな「きまり」のうち特に強調され、より力強い表現をおこなうのが見得(みえ)とよばれるものである。

見得はおもに立役(男役)においてなされる「きまり」の一種である。一連の動きの流れの中でひときわ大きく身体をきめ、「の」の字を書くように首を大きく振りかぶり、ここぞというポイントでちからづよく見開かれた眼でにらむ。多くの場合は「ツケ打ち」とよばれる樫の板と拍子木をバタッ、バタッと打ちつけた音をともなうダイナミックなものになる。

この見得を説明するのに「映画などにおけるクロースアップのようなもの」と語られることが多いが、はたして適切なたとえかといえばそうではあるまい。クロースアップは被写体を大写しにして強調すると同時に、強制的に見る対象を限定する。しかし歌舞伎の見得とはむしろ、そこに流れているエネルギーをせき止め、緊張感が最大限に高められたひとつの静止画にしてみせることである。それはわかりやすく云えば静止しながらも実は時間が流れ続けているという矛盾の上に成立したスクリーンショットである。そのスクリーンショットは、じっと見つめているはずの役者そのものだけではなく、まわりの脇役との構図や背景などもっと広い範囲のものを含んだものになっているはずだ。歌舞伎が「絵面(えめん)の芸術」と云われるゆえんである。そのとき観客ひとりひとりの眼がカメラになるのであり、見得の瞬間わたしたちはそのシャッターをきる。

動きをともなって時間が流れていた舞台が、見得をすることにより「絵面」という静止画になる。このことは舞台を見ているものの意識に少なからず変化を強いることになるだろう。ロラン・バルトがその著書『明るい部屋』で述べたように、映画などのようにつねにとどまることなく進行するものを前にしてわたしたちは「眼を閉じる自由を持って」おらず、「たえずむさぼり見ることを強制される」ことになる。しかし写真のような静止画の場合は、わたしたちはその前で立ち止まりなにかをそこに付与することを許す時間的な余裕がある。つまり、時間の強制的な推移をともなって舞台を受動的に見ていたわたしたちは、見得によって切り取られたスクリーンショットを突如として見せられることで、その眼に見えているものに能動的に意味を求めて関わることを促されるようになるのだ。

新劇などの古典的なリアリズム演劇がプロセニアムという窓から舞台をのぞき込むような観劇を想定しているのに対し、歌舞伎はプロセニアムの内側から客席へ向かってエネルギーを放出する演劇だと考えられている。そこには「舞台⇒観客」というベクトルがある。派手なポーズをともなう見得も、その圧倒的な頂点であるととらえられることが多い。しかしその見得がつくりだすスクリーンショットが、「観客⇒舞台」というまったく正反対のベクトルを瞬時に生んでいると考えたらどうだろう。見得という言葉の語源ははっきりしないが、仏教用語の見得(けんとく)が「真理に気づき、それを会得すること」だということに思いをはせれば、そこに遠くないつながりを感じずにはいられない。そこにあるかのように舞台に立ちあがるイメージや意味は、あちらから受動的に与えられるのではなく、見るもののなかで生成される。見得を前にしてわたしたちはなにかを「見せられる」のではなく、なにかを「見る」のである。

 

Ⅲ 團十郎の「にらみ」と不動明王

歌舞伎役者であればだれもがする見得だが、力強い役を演じるときには、大きく見開いた両の黒眼をぐっと寄せて、特徴的な顔をつくり印象づけることが少なくない。写楽の描いた役者絵などで見る、あのいびつな寄り眼のような見得である。そのなかでもとくに海老蔵の生まれた市川團十郎家(正確には團十郎家ときわめて密接な親戚関係にある松本幸四郎家なども含む)には独特の見得が代々伝わっている。一方の眼球はまっすぐ前を見据えていながら、もう一方の眼球を極端に寄り眼にする。この強烈な印象をあたえるアシンメトリーな見得は、もちろん芝居のなかにおいてももちいられるが、それだけではなく具体的な演目をはなれて、見得をするというただそれだけが出し物になることもある。まさかり銀杏に柿色の裃を身に着け口上を述べたのち、左手に三方(さんぽう)を持ち、右足を踏み出して見得をする。とくに「にらみ」と呼ばれるこの豪快な見得は、江戸時代は「團十郎のにらみを見たものは一年間無病息災で過ごす」とまで云われたほど人々にご利益をあたえたものであった。

このときひとつの奇妙な現象がおこる。舞台の上で役者が「にらみ」をするとき、その役者と眼が合うなどということはほとんどない。考えてみればあたりまえで、これは歌舞伎に限ることなく役者はどこか一方に顔を向けて芝居をしなければならないわけで、とくに横幅の広い現在の歌舞伎座のような劇場においては、見得の瞬間に役者と眼が合うのはほんのひとかたまりの観客に過ぎないだろう。それにもかかわらず、わたしたちは役者と眼が合っているような感覚におちいることがある。もちろんそれは錯覚には違いなのだが、なぜそのような現象がおこるのだろうか。

市川團十郎家の「成田屋」という屋号は、真言宗の大本山である成田山新勝寺に由来する。子宝に恵まれなかった初代團十郎が、成田山に子宝祈願をしたところ、のちの二代目團十郎を授かったという縁から、元禄八年に『成田不動明王山』を初演し大当たりした。それ以来市川宗家は代々「成田屋」の屋号を名乗り三百年以上におよぶ関係が続いているが、この成田山新勝寺の本尊が不動明王である。

不動明王は、密教の根本仏であり宇宙そのものである大日如来の化身であるとされる。比較的古い時代の不動明王像は両の眼とも正面を向いてにらんでいるが、時代が下り平安時代末期以降、天台宗の僧・安然のとなえた「不動十九観」にもとづいたアシンメトリーな憤怒の相をたたえた不動明王像が作られるようになる。その天地眼(右眼を見開き左眼を眇める)は、宇宙をあまねく見通すという意味を表しているが、市川團十郎家の「にらみ」のルーツがこの不動明王の天地眼にあるであろうことは想像に難くない。もちろん天地眼と歌舞伎の「にらみ」とは厳密には違う。だがその違いにこそ、代々の團十郎の工夫があるように思われる。

片方の眼を眇めるということは、舞台における眼力をなかば削ぐことになる。そのため役者は両の眼を見開いたままではあるが、かわりに片方の眼だけを寄せ、不動明王とおなじようないびつなアシンメトリーをつくる。二つの眼の焦点があっていないことで、不思議なことに正面から見ても、斜めから見ても、その眼線が見ているこちら側と見合っているように見える。劇場のどの席に座っていても、役者が自分のことを見てくれたように感じる。舞台の主役に眼をむけるすべての観客は、彼と見つめ合っているのである。

もちろん、一般的にほかの演劇(とくに第四の壁を越えて観客席を意識するようなものはとくに)でも目が合うことはある。だが、観客すべてがある役者といちどきに眼があっている、しかもカメラ目線で写っている写真をじっくりと見たときとおなじように、見得というスクリーンショットと観客全員が対峙している、というような状況はなかなかあることではない。「にらみ」を考案した歴代の團十郎のだれかがそこまで考えていたかどうかは別として、宇宙すみずみまで見つめ、もっとも頑なな衆生さえもちからずくで救うという不動明王の天地眼と、おなじ効果をもたらしていると云ったら考え過ぎだろうか。

「にらみ」をためしにやってみればわかることだが、左右の眼の焦点をずらしているために視界はぼやけ、にらんでいる当人にはなにも見えていない。しかしそれにもかかわらず、なにも見ていないはずの眼が、自分のことを見ている、自分と見つめ合っているというフィクションを生む。そして、そこに生じているフィクションはそれだけにとどまらない。

 

Ⅳ キューブリック凝視

スタンリー・キューブリックは、カメラの使用法、一点透視図法、ライティングへのこだわりなど、意識的にその手法にこだわった映画監督として知られている。そんなキューブリックの映画においてとりわけ印象を残すのが、しばしば効果的なシーンで登場人物が極端に上眼遣いでカメラを「にらみ」つける、キューブリック凝視(Kubrick stare)とよばれる手法だ。いわゆる「カメラ目線」という表現方法は映像作品ではさまざまな効果を生むが、このキューブリック凝視はまた独特な存在感を示している。彼らが恐れおののき、怒りにふるえ、ときにはあやしく微笑みながら無言でこちらを見つめる三白眼の「目線」は、必然的に観客のそれと交わることになり見るものをたじろがせるのである。

そんな「目線」のなかでもいささか特殊な例が、代表作のひとつである『2001年宇宙の旅』のなかで見出される。この作品は人類が月に住むようになった時代に木星探査へと出かけた、宇宙船ディスカバリー号がおもな舞台となる。暴走するコンピュータを停止させるべく船長ボーマンが孤軍奮闘するシーン、また彼がスターゲイトを通り抜けていくシーンなどでこの上目遣いの三白眼はつかわれているが、そのなかにあっても最も印象的な「目線」はディスカバリー号に搭載された人工知能HAL9000のそれである。

HAL9000はいわゆるヒト型ロボットのような独立した身体を持っているわけではなく、あくまでディスカバリー号に搭載されたプログラムだ。宇宙船の運行や船内のさまざまな環境制御を行っているが、同時に言葉をつかって乗組員とコミュニケーションをとり、相手の考えや気持ちを察したり、また自身の思考部分が停止されることに恐れを感じ「こわい」「やめて」などと発言したりと、人間的な面をもっているのが特徴だ。そのHAL9000にとっての「眼」にあたるものが、宇宙船内いたるところに設置されたビデオカメラだ。乗組員との会話のシーンなどでも繰り返しこのカメラのレンズそのものが映し出され、あたかも彼らが顔を突き合わせて話をしているように見えることがあるのだが、なにも云わないHAL9000がじっと何かを見ているときや、何かを考えているときにもしばしばカメラがクロースアップして映し出され、それがきわめて効果的な「キューブリック凝視」になっている。

そもそもビデオカメラのレンズは顔ではないし、そこにはにらんでいるだの三白眼だのといった表情はあらわれていない。それを眼であるとわたしたちが認識するのは、前述のように乗組員との会話をつうじて繰り返し話し手の顔であるかのように映し出されることで刷り込まれるためだ。それにもかかわらず、その偽装された眼がスクリーンのこちら側に向けられているのを見るとき、わたしたちはその不気味なまでに鋭い「目線」のむこう側にただの人工知能に過ぎないHAL9000の内面をのぞき見るかのような不思議な感覚におちいるのである。

このHAL9000の偽装された眼が他のどんな登場人物よりも印象を残すのは、HAL9000の「内面のなさ」に由来する。それは人工知能にこころや感情があるのかどうかという議論とは関係ない。たしかにHAL9000は人間的な感情があるかのような発言をするが、それは同時に文字通りコンピュータによって計算されたものであるという冷たさも感じさせ、なによりそれを具体的な表情としてそとにあらわれたものから読み取ることを拒絶している。つまりここで云うHAL9000の内面のなさとは、より正確に云えば、HAL9000に内面があるかそれともないかということをわたしたちが認識できないということであり、その不確定性こそが、見るものを「ありもしない」内側へと引きずり込んでいくのだ。もっとも有名なキューブリック凝視の例として知られるのは『時計じかけのオレンジ』の主人公アレックスのそれだが、このタイトルのもとになった“queer as a clockwork orange”(時計じかけのオレンジのように奇妙な)という下町のコックニーが、「何を考えているかわからないおかしなやつ」という意味であることも、そのことをきわめて象徴的に示している。

わたしたちが海老蔵の「にらみ」を眼にしたときにもつ吸い込まれるような感覚は、このHAL9000の「凝視」を見たときのそれによく似ている。表情という言葉はまさに「感情を表に出す」という意味だが、歌舞伎役者の見得はいわゆる表情ではない。海老蔵の「にらみ」はなにか役の具体的な内面を表しているものではない。だがその強烈な印象を残す顔から意味がはく奪されているからこそ、かえってわたしたちはそのなかにさまざまな意味を想像する。こちらに向けられた顔のむこうにある、ありもしない内面。それが「にらみ」が生みだすもうひとつのフィクションである。「にらみ」がそれだけで芸として成立するのは、ありもしないものが舞台に立ちあがり、そこへ観客を引き込んでいくという、演劇を演劇たらしめている最低限の骨子がそこにあるからなのだ。

だが同時にその内面とは、明治以降百年以上にわたって歌舞伎役者がさまざまな形で求めつづけてきたものであった。

 

Ⅴ 内面を埋めつづけた歌舞伎役者たち

明治十九年に政治家や学者たちによる演劇改良運動が起こり、それまで演じられてきた歌舞伎の荒唐無稽さをあらためようという機運が高まる。歌舞伎界の中心的存在になりつつあった九代目市川團十郎も、その流れのなかで時代考証を重視した歌舞伎改革にとりくんだ。九代目團十郎がこのときつくりあげたいくつかの新作歌舞伎、のちに「活歴もの」とよばれる写実的な演目のほとんどは当時の観客には理解されなかったが、眼に見えるもので表現されていたものを肚(ハラ)ひとつで見せるという演技法は、後世まで大きな影響を残した。

肚。役の性根とも云いかえることのできるそれは、西洋的なリアリズム演劇における心理とおなじではない。舞台の上においてその役にたしかな実在感をあたえるもの。俗に「肚がすわる」などと云うことがあるが、言葉や身振りなどを極力抑えたところで「見えてくる」その人物の根本とも云えるものである。柄谷行人は演劇改良運動についての伊藤整の文章をひきながら、この「見えてくる」ものがなんであるかについて述べている。

團十郎の演技は「写実的」であり、すなわち「言文一致」的であった。もともと歌舞伎は人形浄瑠璃にもとづいており、人形の代わりに人間を使ったものである。「古風な誇張的な科白」や「身体を徒に大きく動かす派手な演技」は、舞台で人間が非人間化し「人形化」するために不可欠だったのである。歌舞伎役者の、厚化粧で隈取られた顔は「仮面」にほかならない。市川團十郎がもたらし、のちの新劇によっていっそう明確に見出されたのは、いわば「素顔」だといえる。(柄谷行人『日本近代文学の起源』より)

仮面の下には素顔がある。眼に見えているもののむこう側には、眼に見えないほんとうのなにかがある。派手な身振りや誇張されたセリフを抑制し、記号的なお約束に満ちあふれた饒舌な歌舞伎役者の身体を脱ぎ捨てることで、シンプルになった顔の此岸にありもしない内面が生まれる。この眼に見えているものではなく、そのかなたにある見えていないものこそ、いまやわたしたちが見るべきものとして「見出された」のである。

伊藤整は、市川團十郎が「精神的な印象を客に伝へる表現を創りだすのに苦心した」というのだが、じっさいは、ありふれた(写実的な)素顔が何かを意味するものとしてあらわれていたのであり、「内面」こそその何かなのだ。「内面」ははじめからあったのではない。それは記号論的な布置の転倒のなかでようやくあらわれたものにすぎない。だが、いったん「内面」が存立するやいなや、素顔はそれを「表現」するものとなるだろう。演技の意味はここで逆転する。(中略)それまでの観客は、役者の「人形」的な身ぶりのなかに、「仮面」的な顔に、いいかえれば形象としての顔に、活きた意味を感じとっていた。ところが、いまやありふれた身振りや顔の“背後”に意味されるものを探らなければならなくなったのである。(柄谷行人『日本近代文学の起源』より)

はじめから見られるべきものとして内面があったわけではなく、九代目團十郎のそぎ落とされた肚芸によってそれは見出された。しかしいったんそのようにして見出された内面は、役者にとっても観客にとっても、あたりまえに前提とされるものになる。すると、こんどはその内面を見える演技としていかに表現するかというテーマが歌舞伎役者に課せられた。そのなかでも後世に圧倒的な影響をあたえたのが、大正から昭和初期にかけて活躍した名優・六代目尾上菊五郎である。

後世まで「役者の神様」としてその業績が伝えられ、いまでも歌舞伎の世界においては「六代目」と云えばそれは六代目菊五郎のことをさす。六代目菊五郎はなによりも「人間」をえがく役者であったと云われている。しかも「その『人間』もきわめて内面的かつ心理主義的であり、自己意識のつよい近代的な『人間』把握によっている」(渡辺保)ものであった。共演した役者から「実にうまいが、西洋の役者と共演したような気がした」と云われた菊五郎の芝居は、おそらく歌舞伎史上はじめて「演技」という言葉で名指されるものだったのだろう。

まず表現されるべき役の内面というものがあり、それを踊りで鍛えあげられた身体をとおして、技術で可視化する。菊五郎はそのために従来から伝わる伝統的な「型」や大道具を変えることも厭わなかった。それまではタブーとされてきた感情をそのまま表情にあらわすことも、ときには本物の涙を流すこともためらわなかった。九代目團十郎によってはぎとられたはずの眼に見える役者の演技は、その内面を可視化するための手段として倒錯的に形をかえて復権したのである。

それから半世紀以上へてなお、現代の歌舞伎役者たちもまた、この六代目菊五郎が光をあてた内面というものにこだわりつづけているようにみえる。

感情をリアルに表現するという面における系譜でもっとも成功したのは、六代目菊五郎の孫にあたる十八代目中村勘三郎だろう。志半ばにして惜しまれつつこの世を去った不世出の役者は、そのたぐいまれなる演劇的センスによって、現代劇と見紛うほどリアルな表現を追求した。笑い、泣き、怒りといった役の内面をむき出しにすることを厭わないその舞台が、それでも品格をギリギリのところで失わなかったのは、六代目菊五郎とおなじく、徹底的に踊りをたたきこまれた歌舞伎役者としての身体があったからかもしれない。勘三郎の舞台を観るのに、理屈も予備知識もいらなかった。これでもかというほど、その舞台にはすべてのものが可視化されていた。それまで歌舞伎を観たこともなかった客層を開拓して歌舞伎座に呼び込めたのは、勘三郎の徹底したリアルな感情表現によって、だれもが役の内面に容易に触れることができるようになったからだろう。

勘三郎とはまた違った方法で歌舞伎を人間のドラマとして現代によみがえらせようとしているのが、十五代目片岡仁左衛門である。仁左衛門も勘三郎とおなじようにその役の内面を重視するが、それを直接表に出すのではなく、「型」を現代の感覚にあわせて更新することで表現しようとする。歌舞伎の演技はさまざまな「型」とよばれるものの集合体であり、それがあるときは見た目の美しさやバランス、あるときはその人物のこころの動き、またあるときはその人物も自覚をしていないレヴェルの物語上の重要な転換点をあらわす。それらはきわめて抽象的ではあるが、役者の身体と密接に結びつきながら、舞台にさまざまな意味を付加していく。しかし観客も演じる役者自身も、時代とともにその感覚が変化していくことは避けられない。そのため、昔は違和感なくドラマを形成していたはずの「型」が、なんのことだかわからなくなり、ときには違和感さえ生むことも少なくない。仁左衛門が更新しようとするものは、そういった現代人の感覚と乖離している「型」なのである。そういう意味で仁左衛門は、いくつもの「型」の改変によってドラマをわかりやすいものした六代目菊五郎の系譜に連なる役者であると云える。

仁左衛門のように「型」を工夫することで現代の観客の要求にこたえる役者もいれば、従来からの「型」のなかに、あふれんばかりの現代人のパッションをこめて感動的な舞台をつくりあげる二代目中村吉右衛門のような役者もいる。七代目尾上菊五郎などはいっけん古典的な「型」をていねいになぞっているだけのように見えるが、それが「型」でありながら「型」と意識されないほどに自然な流れをつくり、それが役のリアリティを生むという至芸を見せる。(現代を代表する歌舞伎役者のうち、坂東玉三郎だけはいささか違った立ち位置にいる)

役の内面をどのようにして可視化するか。その意味を現代の観客にいかにわからせるか。それぞれ方法論はことなりながらも、六代目菊五郎からつらなる芸の系譜が、現代の歌舞伎役者をつらぬく大きなテーマとなっているのは間違いないだろう。目に見えるかたちで有意味なものが示されなければ、もはや観客も、また役者自身も安心できないのだ。

しかし市川海老蔵の歌舞伎は、そのような六代目菊五郎からつらなる流れにはまったく相容れないところにあるように見える。しばしば「役の気持ちが見えない」などといわれ、海老蔵は不器用だというレッテルをはられてしまいがちだ。だがその批判は「役の気持ち」なるものが見えることをよしとする価値観にもとづくものでしかないのはあきらかだ。むしろそういった内面が可視化されないところにこそ海老蔵の特異性があり、新しい(というより本来の)歌舞伎表現の可能性があるように思えるのである。

そこで、六代目菊五郎以降の内面を眼に見えるものにしようとする現代の歌舞伎と、この海老蔵の芸のもつ特質がいかにことなるものかということを、歌舞伎を代表する有名な場面の「型」を比較することを通して考えてみたい。

 

Ⅵ 『寺子屋』の松王丸

『義経千本桜』、『仮名手本忠臣蔵』とならんで三大丸本歌舞伎といわれる『菅原伝授手習鑑』は、藤原時平に追い落とされた菅原道真とそのまわりの人々をえがいた重厚な作品である。なかでも四段目のキリにあたる『寺子屋』の段は数多くある歌舞伎のレパートリーのなかでも特に上演回数の多い場面だ。

京のはずれで寺子屋をいとなむ武部源蔵・戸浪夫婦にはひとりの子供がおり、村の寺子たちにまじって読み書きを学んでいた。だがこの幼子、実は源蔵が以前仕えていた大恩ある菅原道真の子息・菅秀才であり、いまは官位剥奪のうえ流罪となっている道真に敵対する藤原時平からひそかにかくまっている。それに気がついた時平が、家来の春藤玄蕃と松王丸のふたりを源蔵のもとへ派遣する、というのが『寺子屋』の段である。源蔵は菅秀才を助けるため、寺子のうちのだれかを身代わりにしようと考え、たまたまその日に寺入り(入学)してきた菅秀才とどこか似た幼子を選び、その首を刎ねる。この場の主役である松王丸が、その首桶に入れて差し出された幼子の首が本物かどうかを検分するいわゆる「首実験」こそ、歌舞伎のなかでも屈指のドラマティックな場面である。

舞台中央には検分役の松王丸。その前には蓋に覆われた首桶が置かれている。上手には春藤玄蕃が目を光らせて立っている。下手には嘘が露見したら刀を抜いて抵抗するつもりで源蔵が控えている。首桶のなかにはニセ首が入っているのだが、実はこの身代わりになった幼子は驚くべきことに松王丸の実子である。旧主・菅原道真に恩がありながらいまはやむを得ず藤原時平の家来になっている松王丸が、身代わりにするべくひそかに我が子を送り込んだのだ。しかし同役の玄蕃も、首を討った源蔵も、そしてもちろん観客も、その事情はこの段階では知らされていない。菅秀才の顔を見知ったものは、時平側では松王丸しかいない。我が子の死に顔を見て、それを菅秀才の首に間違いないと平然と云わなければならない、そのグロテスクなまでの悲劇。それを現代人に納得させることができるかどうか、そこに役者の工夫がある。

ここで首実験を行う松王丸の「型」にはいくつかのヴァリエーションがあるが、こんにちほとんどの役者がおなじように演じる。その一般的な「型」は以下のようなものである。

首桶を前に松王丸が静かに座る。目を閉じたまま両手で首桶の蓋を取って手前に置く。義太夫の「矯めつ眇めつ」で両手をその蓋にのせ、天を仰いで目を開く。そのまま目線をゆっくりと落としていき、首をじっと見つめてひとつ息を吐く。低く抑えた声で「若君、菅秀才の首に」と云い、意を決して源蔵に向かい「相違ない」、玄蕃にむかい「相違ござらぬ」のセリフ。おもむろに首桶に蓋をかぶせ、右手を高々と挙げて「でかした、源蔵よく討った」と大音声で宣言する。シンプルなまでに削ぎ落とされた、しかしたいへん緊張感のある素晴らしい「型」だ。

シンプルであるがゆえに、松王丸を演じるそれぞれの役者がどこまで肚をわる(本心を見せる)か、工夫の余地がある。まったく肚をわることなく古怪な力強さで見せることもできるし、我が子を身代わりにしたということをあからさまにすることもできるのだが、内面の可視化の欲望に抗えない現代の役者は、どうしても肚をわりがちになる。後者の場合、首に目をとめ息を吐くときに泣き顔を見せる役者もいれば、源蔵に云うはずの「でかした」を「息子よ、よくぞお役にたった」という意味をこめて首に向かってつぶやく役者も多い。

しかし市川家にだけは、七代目團十郎以降まったく違った「型」が伝わっている。首桶を前にして、松王丸はなかなか蓋を取ろうとしない。首が本物かどうかを判断できるのは自分だけとはいえ、どこでボロが出るとも限らない。慎重になるのは当然のことである。松王丸は大きく咳き込んで時間を稼ぐ。しかししびれを切らした玄蕃が上手側から首桶の蓋を勢いよく取る。その玄蕃の行動を見た松王丸は、さてはたくらみが露見したかと、思わずそばにあった刀を勢いよく抜く。だが玄蕃が首を手に取り自分の方へさしつけ、それがただの催促であったとみずからの誤解を知ると、行き場のなくなった右手の刀を下手の源蔵に突きつけごまかす。思わぬ牽制を受けた源蔵がぐっとその身のけぞらせ、首を持った玄蕃、刀を突きつけた松王丸とともに三人が緊張感を持ってきまる。ややあって松王丸が首をあらためて見て「菅秀才の御首に、相違ない」、玄蕃に「相違ござらぬ」と云う。そして刀を左手に持ち替えたのちに右手を高々と挙げての「でかした源蔵、よく討った」というセリフは一般的な「型」と同様である。

松王丸ひとりで完結する通常の演じ方とくらべると、團十郎型は松王丸、源蔵、玄蕃の三人の動きが密接に連動しており、また手数が多く細かい。動きがあるぶん派手で面白そうに思えるが、それぞれの動きの意味がわかりすぎてしまうとただの説明過多になってしまうし、反対に意味がわからなければなにが起きているのか見ているものにはさっぱりだ。昔から批評家に「悪型」と云われることもあるように、ひじょうに難しい演じ方と云える。

そして市川家に生まれた海老蔵もとうぜんこの「團十郎型」で松王丸を演じているが、残念ながらそれが成功しているとは云いがたい。

 

七代目市川團十郎の松王丸

 

Ⅶ 「意味」のはがれおちた身体

このことは、よく云われるように海老蔵が不器用だというようなこととは関係がない。だいいち、あれだけ自分の身体をコントロールすることに長けている役者が、一般的な意味で不器用なわけがない。また、海老蔵が型の意味をただしく理解していないというわけでもない。このちぐはぐさはひとえに、心理と登場人物の関係をかなり直接的に説明する「團十郎型」の松王丸の表現方法が海老蔵の芸の特質とはまったく正反対のものだということに起因する。

表現されるべき内面がまず役者のなかにあり、演技や「型」はそれを眼に見えるかたちに表象しているものだという考え方が近代以降加速したものであるとするならば、化政から天保期に活躍した七代目團十郎によって考案された「團十郎型」の松王丸の演出は、ある意味では時代を先取りしていたとも云えるだろう。もちろん、荒事と呼ばれる豪快な芸を持ち味にしていた七代目のこと、そのダイナミックな動きで江戸の街の見巧者たちを魅了したであろうことは想像に難くない。だが、こんにちではやや説明過多にも見えるその「型」を海老蔵が演じても、リアルな内面を求める現代の観客の前では、その鍛えられた肉体はちぐはぐに空を切るばかりだ。

海老蔵の芸は内面を表象しない。その身体からは、ありとあらゆる「意味」がはがれおちている。

目に見えないもの、ありもしないものをそこに現前するかのように見せるのが演劇だが、近代的なリアリズム演劇が舞台のうえでそれを現前させるのにたいし、日本の古典芸能の多くは見るものの意識のなかでそれを結実させることを求める。可能な限り具体的なものをそぎ落とすことによってその抽象性を高めようとした世阿弥の夢幻能において、シテである幽霊たちがあらわれるのはけっして舞台のうえではなく、観客が無意識のうちにそこに重ね合わせている「ワキの見る夢」の世界のなかにほかならない。歌舞伎もまた舞台のうえにおけるその無意味的空虚さによって成り立っていた部分は少なくなかったはずだ。だが、近代以降その空間は「意味」で埋めつくされてしまう。目に見えるものしか信じることのできない観客と、それにこたえて内面を可視化することにとりつかれた役者たちによって。

さきに述べたように、海老蔵の「にらみ」がそれだけで芸として舞台を成立させるのは、そこに特定の「意味」をともなわないからだ。そしてそれは海老蔵の類まれなる大きな眼だけにとどまることなく、その四肢五体すべてにおいて、傑出した無意味さを成立させているのである。「意味」にあふれかえった歌舞伎の舞台のうえを、海老蔵という「意味」のはがれおちた身体がそれらをのみこみながら浮遊する。それは能のシテとおなじ意味においての究極の「幽霊的身体」である。だとするならば海老蔵はその自覚のもとに、あらたな「團十郎型」の松王丸を更新しなければならない。

それは、たとえば次のようなものである。

首桶を前に松王丸が目を閉じて静かに(わざとらしく咳き込むことなどはせずに)座る。ゆっくりと上手にいる玄番がそっと首桶の蓋をとり、松王丸の顔をじっと見ながら裏向きになる。義太夫の「矯めつ眇めつ」で松王丸はゆっくりと目を開け首桶に目線を落とす。まさか蓋がとられているとは思いもしない松王丸はそのことに驚き刀を一気に抜き右手で立てて持つ。刀を抜くというその動作は反射的になされ、また思わず抜いた刀をどうごまかそうかと思い悩むような間や表情もつくらない。そして上手で驚く玄番は表を向き我が子の首を指さすようにきまり、下手の源蔵も目の前に刀を抜かれたことでみずからもかたなの柄に手を添え裏向きにきまる。ここで玄番も源蔵も、たがいに松王丸のエネルギーを舞台外側へ「ひっぱる」ことが重要である。その二人のあいだにあって松王丸ははじめは玄番と、つぎは源蔵と目を合わせ、刀の向きと左手のかたちを現・團十郎型のようにきめて正面を向き、そこでバッタリとツケを打って見得をする。海老蔵の見得が具体的な内面の表象ではなく、むしろ意味をはく奪しそのことでかえって無限の意味を生むことはすでに述べた。このツケをともなう見得ひとつで、このシーンは一瞬にして各人のさまざまな関係の可能性すべてを含有した「絵面」になる。そのうえで、松王丸は首桶にあらためて目を落とし、「菅秀才の御首に、相違ない」、玄蕃に「相違ござらぬ」と云い、刀を左手に持ち替えたのちに右手を高々と挙げ「でかした源蔵、よく討った」と云いきるというものである。

もちろんあくまでひとつのアイディアだが、海老蔵の特質を生かしながら、この場の異様な緊張感のなかで松王丸がその内面で何を考えているか、さまざまな可能性を残しつつそれを宙吊りにしたままで見せることができるあたらしい「型」になるはずだ。そしてなによりも、このシーンでまだ明らかにされていない「犠牲になった首は菅秀才ではなく松王丸の実子のものである」という情報を明示することも(また同時に否定することも)ない。それはこの場面では肚を割らずに、のちに再登場したときにすべての事情を明かすという作劇の結構にもかなったものになる。もちろん、このような表現がすべての役者に通用するというわけではない。鍛え上げられた身体と、すべてを呑みこむようなあの海老蔵特有の目玉がつくりだす、意味をともなわない見得があってこそ可能な「型」なのだ。

 

Ⅷ 重なりあうまなざし

意味のはがれおちた身体。内面がそこにあるようでじつはなにもない眼。それがありもしないそのむこう側を見せてしまうというフィクション。リアリズムとはほど遠い荒唐無稽な海老蔵の荒事を前にしてわたしたちが興奮し感動するとき、そこには「ありもしないものを、あたかもあるかのように信じさせる」という、演劇のもっとも本質的なありようがシンプルに成り立っていた。

このことはたんに歌舞伎の舞台が「意味」という森に埋没する以前の、つまり九代目團十郎によって退けられるより以前の前近代的な歌舞伎へ回帰するということにとどまらない。

内面をともなわない身体がそれを可能にするということで云えば、たとえば文楽人形や能楽師のつける面などが容易に思いだされるだろう。それらの無機質なはずのものが人間の技(わざ)と組み合わさったときに、さまざまな表情を見せることをわたしたちは知っている。能面はそのものだけで見るものの想像力をかきたて、なにか表情があるかのようにみえることも少なくないが、やはり能楽師の顔にかけられたときに本来のちからを発揮する。能楽師が面をかけるとき、面の横や下部に演者のいくばくかの素顔がはみ出るが、その面と連続した素顔の一部が息をしたり謡を謡ったりするたびわずかに動き、面に不思議な表情をあたえる。文楽人形もまた人形遣いの手によって操られたとき、けっしてリアルにはなりきらない、制限された不器用にも見えるその動きが、なぜか現実の人間の俳優よりもリアリティを生むことがある。風に揺れる柳のなかに幽霊を見てしまうように、本来無機質であるはずのものに人間の手によって「ゆらぎ」をあたえるやいなや、そこにありもしない内面を見出してしまう。

しかしそれでもなお、文楽人形や能面とくらべたときに、市川海老蔵の歌舞伎を特異な存在にし、それらとはまた違った可能性を感じさせるのは、やはりそのにらむ眼のまなざしである。

あたりまえのことだが、文楽人形や能面はそれを見るわたしたちのことを見ていない。たくさんの観客がつめかける劇場でそれらと眼があったというのは、それこそ偶然かまれなる幸運と云うべきだろう。しかし海老蔵が見得をするとき、ひとりの生身の役者の眼がたしかにこちら側を「見ている」のだ。海老蔵の大きな目玉が可能にする「にらみ」の技法が、客席のどこに座っている観客にも「自分のことを見ている」と思わせる視線をつくりだすということはすでに述べた。劇場中の観客が、あたかもカメラ目線でうつされたポートレートに見入るように見得というスクリーンショットを眼にする。静止画は能動的に関わることをわたしたちに強要する。わたしたちは無意識のうちに、自分のことをにらんでいる海老蔵の眼のなかに、彼が演じている役の内面をもとめてしまうのである。しかもスタティックな本来の静止画ではなく、生身の人間によって偽装されているため「ゆらぎ」つつあるスクリーンショットのなかに。

まなざしとはなにか。サルトルによれば、主観である「わたし」が見ている対象であるところの他人は、同時に「わたし」を見ている主観でもあり、そのとき「わたし」は相手にとっての見る対象になる。この関係をつくりだすのはまなざしである。メルロー=ポンティは『見えるものと見えないもの』のなかで「ひとはなにかを見るとき、自分が見ているもののうちにとらえられており、そこに自分自身をも見ている」と分析した。わたしたちがなにかを見るとき、わたしたち自身がそのまなざしの対象となると云うのである。

『2001年宇宙の旅』のHAL9000を思いだしてみよう。スクリーンをとおしてHAL9000の眼であるカメラを見ているわたしたちは、同時にHAL9000に見られている。じっさいにスクリーンのなかのカメラがこちらを見ているということはないにもかかわらず、わたしたちは自分がのぞきこまれているように感じる。HAL9000の視線を前にしてわたしたちが見ていたのは、ありもしないHAL9000の内面ではなく、HAL9000がわたしたちをみているその視線そのものであり、そこにみずからの視線を重ねあわせているのである。もの云わぬ監視カメラを前にしておぼえる、いまだ口にしていない内に秘めたなにかを読み取られてしまうのではないかという不安。そのときわたしたちがたじろぐのは、カメラのむこう側に措定してしまった読み取られた自分自身にほかならない。

わたしたちが海老蔵の眼を見ているとき、海老蔵はわたしたちを見ている。つまり、わたしたちはわたしたち自身を見ている海老蔵のまなざしを見ている。わたしたちは自身のまなざしを、こちらを見ているまなざしに重ねあわせているということだ。このとき、海老蔵の眼のむこう側に役者の内面を垣間見るように思ってしまうが、じっさいはそこにはなにも内面などありはしない。とすればわたしたちは、海老蔵の射貫くようなその眼によって読み取られたものを、いわば鏡を見るようにして見ているとしか考えられない。わたしたちを見ている海老蔵のまなざしをとおして、わたしたちはわたしたち自身の内面を見ているのである。

 

Ⅸ にらむその眼はなにを見ているのか

渡辺保は歌舞伎の見得のような「きまり」を見るとき、観客は役者の内面にふれるのだと云う。

「きまり」の本当の意味は、この直接役者の身体の内奥に観客がふれるというところにある。視姦という言葉があるが、もしそれが視線によって異性の身体の内部に入るということであるならば、この瞬間にはそれに似た現象がおこっているということだろう。(渡辺保『歌舞伎~過剰なる記号の森』より)

しかし海老蔵の「にらみ」を見たわたしたちがその内面にふれたかと思えたとき、じつはそこに見ていたのは、みずからの内面であった。だとすれば、わたしたちが見ているわたしたち自身の内面とは、そもそもなんなのだろうか。

「にらみ」のもとになった不動明王の天地眼。こころ頑なで仏法に帰依しないものであっても、不動明王が力づくであまねく救ってくれるという不動信仰。不動明王は、衆生のことをあの大きな目玉で見つめつづけている。衆生が不動明王にまなざしをむけたとき、不動明王と視線が重なりあう。信じてすがるものがそのとき救われたと思うのは、その眼のむこう側に不動明王の本相を見て、それに直接ふれるように感じるからだろう。

不動明王の尊容にかくされた本相。それは、「教令輪身」たる不動明王の本来の姿(「自性輪身」)である大日如来そのものにほかならない。真言密教において大日如来は「無相の法身と無二無別なり」と云われるように、この宇宙を成立させている不滅の真理そのものであり、また宇宙を構成させている万物そのものであるとされる。つまり世界そのものの象徴である。大日如来と見つめあうものは、その眼をとおして世界の全体性にふれているのだと云えるだろう。しかし、そこにあらわれた世界の全体性とは、見ているわたしたち自身と別にあるようななにかではない。不動明王じつは大日如来の無量無限なその眼のなかに見えている世界というのは、すなわち見ている(見られている)わたしたちの内側にある世界にほかならない。

わたしたちの認識はみずからの内側に、無意識のうちに潜在的なありとあらゆる可能性をとりこんだ、このわたしにとっての世界をつくりあげている。わたしたちが不動明王のまなざしをとおしてふれるのは、みずからの内側に意味もなくひろがっているこの世界なのである。それとおなじように、わたしたちが海老蔵の「にらみ」を見るときもまた、その眼をとおしてたしかに世界そのものにふれているのだ。見ているはずのわたしたち自身の眼が、その見られるべき世界への入り口となり、またまなざしの対象としての世界の一部となることを可能にする。それこそが市川海老蔵の歌舞伎のダイナミズムの正体なのである。

海老蔵は二〇二〇年の五月に、十三代目として市川團十郎の大名跡を襲名する。すくなくとも写真などの記録にのこされたかぎりでは、歴代のだれよりもその呪術的な存在にふさわしい眼を持っている役者。そのたぐいまれなる眼こそが、現代の歌舞伎が失ってしまったかもしれないものを、また違った形でよみがえらせるだろう。次なる時代の歌舞伎の中心には十三代目市川團十郎がいる。そこでは歌舞伎本来の姿が、いやいまだだれも眼にしたことのない、内面の表象から解放されたあたらしい可能性がひろがっていくのかもしれない。

にらむその眼は、あなたを見ている。あなたが見ているのは、あなた自身の内面をのぞきこんでいるそのまなざしであり、そのまなざしのさきにひろがっている世界そのものなのである。

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