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あたしがやり残したこと 〜K三郎独占手記〜

 

あたしが死んじゃってから何年になるのかねえ。もう6年か。あの年のちょうど今頃、食道癌がめっかってね。いやぁ、あたしはなんとか治してもういちど舞台に立つつもりでいたんだけどね。

悔しかったねぇ。そりゃ悔しいですよ。やりたいこと、まだたくさんあったもん。念願だった親父の名跡を襲名して、さあこれからってときよ。名前継いで何年も経ってるのに、あら勘九郎さん頑張って、なんて声かけられてさ、そりゃ倅の名前だよもう、なんて云ってもなかなかわかってくんないのよ。

そんなあたしだけどね、悔しいことが一つだけあるのよ。今日はさ、そのことを聞いてもらいたいの。

今じゃ歌舞伎座も一年を通してずっと歌舞伎やってるけど、ちょっと前まではそんなことはなかった。演歌の大御所の先生方や商業演劇の芝居なんかもやってた。歌舞伎だけじゃ、お客様は入んなかったのよ。ほんの数十年前なのにね。なんとなく歌舞伎ってのが敷居が高いもんだって思われてて、一部の「ご趣味のよい」奥様方か、お付き合いで切符を買って来てくださる後援会の方、そうでなけりゃ昔からの歌舞伎好きなおじさんとかね、そういうお客様しかいなかったの。

それじゃ嫌だってんではじめたのが、いまも続いている「八月納涼歌舞伎」だったわけ。歌舞伎の公演は長いのよ。いろんな演目を入れ込んで、昼の部なんて11時にはじまって終わるのが16時だよ。夜の部は16時半からだから、仕事してる人なんて土日じゃなきゃ観に来られるわけないんだよね。だから夏は昼夜二部制じゃなく三部制にしてさ、演目も古典ばっかりじゃなくて、気楽に観られる新作や、短くてわかりやすい踊りとかを選んでね。これが好評ですよ。

他にも歌舞伎をやんないようなところでどんどんひと月興行をやった。シアターコクーンの「コクーン歌舞伎」もあたしが死んでもまだ続いてるんだって。串田和美なんかにまったく新しく演出してもらって、歌舞伎じゃない役者さんなんかも入れて。でもやるのは歌舞伎なのよ。これまた、歌舞伎座には来ないような演劇畑のお客さんとかね、そういう人もたくさん観に来てくれた。それから極め付きはあれよ、浅草で「平成中村座」ってのをはじめた。芝居小屋そのものを作っちゃおうってんで、浅草の隅田公園にさ、江戸時代にあったまんまの中村座を作った。まあ、仮設だけどね。小難しい古典芸能を観ましょうっていうことから離れて、誰もが気軽に観られるような、そんな芝居をやりたかったんだよ。それから浅草でも、他の都市でも何度もやらせてもらいましたよ。

どれも楽しかったねえ。若い役者なんか夢中でやってたよ。わかったようなしたり顔をしてる奥さんとか、はじまって数分後には居眠り始めちゃうおじさんとか、そんなんじゃないんだから客席が。役者がなんか面白いこと云ったらどっと笑いが来てね。目の前でお客様が示してくれるナマの反応が面白いのよ。そりゃあたりまえのことと思うでしょうけど、それがそうじゃなかったの、それまでの歌舞伎は。

よく「歌舞伎を鑑賞しました」なんて云う人がいるんだけど、歌舞伎は鑑賞するもんじゃないと思うのよ、博物館じゃないんだからさ。結局そんなふうに云っちゃう人ってのは、なんか歌舞伎のことを知識を持った人がながめる文化財みたいに思ってんだろうね。そういう面もあるよ。あるんだけどさ、歌舞伎は文化財である前にまずエンターテインメントでなきゃだめなんだよ。一般庶民がさ、理屈なく誰でも気軽に楽しめるお芝居。歌舞伎ってもともとそういうもんなんだからさ。

頭の固い先輩役者なんかはイイ顔しなかった。神谷町(注・故人の義父である故七代目中村芝翫)なんかは若い頃は六代目(注・六代目尾上菊五郎)のとこにいた人だから、新しいことはどんどんやんなさいって応援してくれるんだけどね、播磨屋のにいさん(注・二代目中村吉右衛門)あたりは顔合わすたんびに嫌味云ってたね。なんだろうねあの人は。死ぬまで話は合わなかったよ。

でもね、これだけは自信を持って云うよ。あたしほど真剣に歌舞伎の未来を考えた奴はいなかった。本気で、歌舞伎を未来に残すためにいろんなことやってきたんだよ。それだけは絶対に負けないつもりだ。

そんなあるとき、久々に歌舞伎座に出たんだよ。なんの演目だったかな、やっててすごく気になることがあったのよ。どうもご見物(注・観客のこと)がなんだかおかしいんだ。権太が自分の息子の首を身代わりに差し出すじゃない(注・『義経千本桜』の「鮨屋」)。そこで、ご見物が笑うんだよ、首を見てね。『四谷怪談』なんかでもさ、お岩がこうやって伊右衛門にしがみついて引きずられて行くじゃない。そこでもね、笑いが起きるんだよ。そんなのばっかりだよ。もちろん、人が死んだりかわいそうな身代わりになったり、そういう悲劇と笑いは紙一重だからさ、緊迫したシーンであればあるほど笑いが起きることはあるよ。作者だってわざとそういう場面に笑いを入れることもある。だとしてもちょっとおかしいんだよ、お客様の反応がさ。そりゃ役者のやり方が悪い面も確かにあるけどね。型が型どおりだけになっちゃってその意味が見る人に伝わってないところもある。現代のお芝居にくらべりゃリアルじゃないから、様式的なやり方に思わず笑っちゃうのもわかる。でもね、根本的に違うんだ。

なんかそのときは、たまたまそうなのかなって思ったんだけどね、よく考えてみたら、ずいぶん前からそんなことはあったかもしれない。お客様と一緒になってわあって面白いことやってて、あたしが気がつかなかったんだね。どうもね、歌舞伎座に観に来てるお客様のほとんどは、芝居の中身なんて見ちゃいないんだ。テレビなんかで見たことのあるスター役者が、目の前で派手でアクロバティックな立ち回り(注・殺陣)をしたり、気の利いた時事ネタなんかで笑わしてくれたり、そんなことを求めて来てるんだよ。で、たまに泣ける科白をわあって歌い上げてるの聞いてさ、それに拍手したいの。要するにさ、拍手して笑うために来てるのよ、少なくないお客様がね。

なんでこんなことになってんだと思ったね。いつからこんなお客様ばっかりになっちゃったんだってね。いや、こっちもお客様あっての商売だからね、悪口を云ってるわけじゃないんだよ。そうじゃなくてさ、なにがこの状況を生んだのかって必死になって考えたの。そしたらわかったんだよ。

あたしだ。あたしが歌舞伎座の客席をこんなふうにしちまった張本人だ。

自分で云ってりゃ世話ないけどさ、「平成の歌舞伎」というものがあったとしたら、そこにすごく影響を与えた一人だと思うよ、あたしは。いいでしょうよ、もう死んだんだからそれくらいの大口叩いても。あたしが歌舞伎の未来のためにと思ってやっていたことは、間違っちゃいなかったといまでも思う。でもちょっと工夫がね、足りなかったかもしれないって思うのよ。

あたしがずっと考えてたのは、歌舞伎を観たことないような人も劇場へ足を運ばせることだった。高い敷居はどんどん下げた。わかりやすく見せ方を工夫もした。楽しんでもらえるならどんどんアドリブも云ったよ。そうやって歌舞伎ってもんが、400年前に生まれた頃にそうだったように、大衆がだれでも楽しめる、なんって云ったっけそういうの、え、そうそう、ポップカルチャーってんだ。それになればいいと思っていた。理屈なんかいらない。感覚的に楽しめる演劇になればってね。

でも、あたしは気がついていなかったのかもしれないね。ポップカルチャーってのは、その時代に当たり前にある「空気」みたいなものの中から生まれてくるんだってことをさ。そういうポップカルチャーってさ、楽しむのに知識とか勉強とかいらないじゃない。なんでかって云うと、その時代の「空気」って土壌があるからなんだよ。歌舞伎はある時代にあってはたしかにポップカルチャーだったんだけど、それはその時代の「空気」があったからこそ誰もが理屈なく楽しめたんだ。その「空気」がないところでいくら表面上楽しい工夫をしたって、そりゃ本当の意味ではわからないよね。だから、舞台の上でやってることは見えていても、そこで行われていることを本当に見ているご見物は少ない。だから子供が死んでも笑うし、血で滑ってもコントだと思われちゃう。目で見えてるものしかそこにはないんだもんね。考えてみりゃ当たり前のことだったんだ。

それがはっきりとわかったとき、なんかあたしの中でぽかんと穴が空いたような気がしてね。でも、やめるわけにはいかなかったんだ。あたしがやってきた道を、若い役者も、お客様も面白がってついてきてくれてる。なんか違うなっていうご見物の反応を感じながら、あたしはやり続けた。どっかで軌道修正しなきゃなんないなって思ってたけどね。でも、それをやり遂げる時間を、役者の神様はあたしに残してくれなかった。

でもあたしは、もう歌舞伎は高尚な「芸術」として生き残っていくしか未来はない、なんて云ってんじゃないんだよ。いまの時代にしかない「空気」、そこからあたらしい歌舞伎が生まれるべきだってことなの。それにはあたしがやったのとは別なやりかたが必要なんだよね。それが、あたしがやり残したことなんだ。

なんかね、誰かがやってくれるような気がしてんのよ。玉三郎のにいさんなんかはほとんどあきらめて自分の世界に行っちゃってるけど、このあいだ襲名したばかりの高麗屋の若大将(注・十代目松本幸四郎)あたりはすごく考えてる気がするしね。孝俊(注・十一代目市川海老蔵)なんかも期待してるし。あたしのやり残したことを継いでくれるのが倅だったらもちろん嬉しいけどね。ま、皆さん歌舞伎を末永くご贔屓に。舞台よりもずっとずっと高いところからではございますが、ひとえにお願い申し上げます……なんてね。

あばよ。

 

文字数:3998

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