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キャラクター社会論事始

キャラクター社会論事始

第一部

第一章 キャラクター議論の見取り図

第二章 TRPGと雛壇芸人

幕間 福田雄一の世界

第二部

第三章 「盛る」とはなにか

第四章 プリクラからSNOWへ


第一章 キャラクター議論の見取り図

 

 神ならぬ自身とそのコミュニケーションによる救済のあらんことを!

二〇〇八年七月某日

 

10年前に書かれた、このはつらつとした文章を、今でも覚えている人がいるかもしれない。宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(2008年)の「後記」における最後の文である。この本、というより宇野の見通しは、コミュニケーションが僕たちの実存を肯定することを期待していた。

しかし、時代は宇野の見通し通りには進まなかった。宇野のコミュニケーションに対する期待は楽観的過ぎたのである。どういうことか。このことを確認するために少し回り道をしよう。

宇野が『ゼロ年代の想像力』において繰り広げたのは、90年代的な感性をゼロ年代的な感性をもってして乗り越えることであった。宇野は90年代を、社会的自己実現から遠ざかり、自分の内面に退行していった時代と診断する。内面への退行は、引きこもりを生み出す。これと並行して、内面を記述する心理学がもてはやされ、社会の心理学化が進む。要するに、90年代的な感性とは引きこもり・心理主義的な感性である。そこでは自己像=キャラクターへの承認を渇望し、「ほんとうの自分」に思い悩むことになる。

宇野はこのような90年代的な感性を「古い想像力」だと糾合する。むしろ、ゼロ年代においては、社会における行為がアイデンティティの核となり、自らのアイデンティティは行為によっていくらでも書き換えられると唱える。ここで宇野が重視するのが、コミュニケーションである。自分のキャラクターはコミュニケーションによってどんどん書き換えられていく。90年代的な感性がキャラクター的人間観とその承認に実存の基盤を置いていたとするのならば、ゼロ年代的な感性は脱キャラクター的人間観とコミュニケーションによる書き換えが実存を開いていくとした。

しかし、ここで注意しなければならない。というのも、脱キャラクターと言っても、それはキャラクターであることから脱することができるという意味ではない。宇野は次のように書いている。

あなたはコミュニケーション次第で、あなたの所属する小さな物語での位置を書き換えることができる。あなたが自身に抱く自己像は決して「ほんとうの自分」ではなく、願望にすぎない。そしてあなたがその共同体の中で与えられた位置は、その共同性=小さな物語の中でしか通用しない。(物語に隷属する)キャラクターにすぎない。あなたに与えられたキャラクターは、あなた自身のコミュニケーションによって書き換え可能なのだ。

ここで宇野が言っているのは、キャラクター的な実存から抜け出すということではなく、むしろキャラクター化が徹底されることによって、単一のキャラクター観に思い悩むことから抜け出せるということである。すなわち、脱キャラクター的人間観とは、「ほんとうの自分」という単一のキャラクターへの葛藤から抜け出した人間観のことである。そして、この葛藤から解放するのが、コミュニケーションであると。

しかし、宇野のこのような見立ては、キャラクターとコミュニケーションの関係性を見落としている。これについてはあとで説明するとして、ひとまず、同時期にキャラクターとコミュニケーションの関係性について考えていた東浩紀の議論を参照しよう。

東は『ゲーム的リアリズムの誕生』(2007年)において、キャラクターとコミュニケーションの関係性について考察している。東はまず、キャラクターをメタ物語性を持つものと定義する。キャラクターは登場人物とは違う。登場人物は1つの物語のみにしか登場しないが、キャラクターは複数の物語に登場する。キャラクターの典型的な例は二次創作であり、そこでは原作に属するキャラクターが、原作とは異なる物語に登場する。キャラクターは、物語の枠を超えるメタ物語性を持つ。

東が慧眼だったのは、キャラクターを流通させる環境に目を向けたことである。東によれば、キャラクターが物語を横断できるのは、キャラクターが諸性質の組み合わせとして構成されているからである。キャラクターを消費する環境には、キャラクターの諸性質の集まりであるキャラクターのデータベースが存在する。このデータベースが消費者の間で共有されているからこそ、キャラクターを複数の物語に登場させることができる。なぜなら、キャラクターは物語ではなく、データベースを参照しているからだ。

要するに、キャラクターのデータベースを起点にして製作者と消費者間のコミュニケーションが成立しているというわけである。作家がキャラクターのデータベースを参照してキャラクターを描くのは、キャラクターのデータベースが今や多くの消費者の間で共有されているからだ。つまり、キャラクターを描くとコミュニケーションの効率がいいということなのだ。

この指摘はすこぶる重要である。キャラクターがコミュニケーションの効率性の問題であるということ。宇野が見落としていたのはここだ。この点を考慮すると、先ほどの宇野の議論は少しの無理が生じてくる。

宇野はコミュニケーションによってキャラクターを書き換えることに可能性を見出していた。しかし、コミュニケーション効率を最大化するためにキャラクターを演じているのだとすれば、キャラクターを書き換えることは宇野が言うほど簡単ではない。キャラクターはコミュニケーションによっていとも簡単に書き換えられるものではなく、むしろ、コミュニケーションから生まれてくるものだからだ。

あるいは、斎藤環の議論を参照してもよいだろう。斎藤は現実の人物が自身のキャラクター化を進めていることに注目する。そして、東と同じように、キャラクター化の原因をコミュニケーションの円滑化に求めている。ただし、斎藤はキャラクターとコミュニケーションの関係性をだいぶネガティブに捉えている。曰く、キャラクターは「自発的に「演ずる」というより」コミュニケーション空間の中で「「自認させられ」、「演じさせられる」ものなのである」。キャラクターがコミュニケーションを通じて押し付けられるものであるのならば、コミュニケーションによって書き換えるのは相当困難なはずである。

僕が冒頭において、宇野の見通しが楽観的過ぎたと批判した理由もここにある。宇野はコミュニケーションに救済を見たが、現実はそうはいかなかった。むしろ、コミュニケーションは人々をキャラクターに縛る役割を果たしてしまった。

では、東のキャラクター観こそが僕たちの現実に近しいものなのだろうか。この点についてもすべて肯定することはできないだろう。たしかに、東の描いたキャラクター観、すなわちメタ物語性に支えられたキャラクター観は僕たちの実存を切り取ってはいる。僕たちは、複数の共同体の物語を一身に背負い、数々のキャラクターを演じ分ける。複数の共同体=物語に属するという点で、キャラクター化した僕たちはメタ物語的な存在だといえる。

しかし、ここで注意しなければならないのは、東が展開したキャラクター論は虚構内のキャラクターについてのみの考察だということだ。それもそのはずである。『ゲーム的リアリズムの誕生』は小説論であり、その論の主軸はキャラクターを応用した新しい現実観(ゲーム的リアリズム)にあったのだから。東も本書の冒頭で書いている通り、「ポストモダンの生と実存の問題にはほとんど踏み込むことができていない」。

これは時代的な制約もあるかもしれない。本書は2007年に出版された。この時点では、現実におけるキャラクター化についてはさほど問題にされていなかったのだろう。「キャラ 演じ疲れた」というタイトルの記事が朝日新聞に掲載されたのは、2010年のことである。現実におけるキャラクター化の問題が社会で注目を集めるようになったのは、テン年代に入ってからの出来事だったのだ。思えば、2008年に出版された『ゼロ年代の想像力』でもキャラクター化の徹底が唱えられていたように、ゼロ年代後半はキャラクター化に対して楽観的な見通しを立てていたように思う。

東が『ゲーム的リアリズムの誕生』を刊行した時点では、現実におけるキャラクター化は論ずべき対象ではなかった。しかし、テン年代も終盤に差し掛かった今、現実におけるキャラクター化は非常に身近な問題である。

たとえば、現実におけるキャラクター化として最も言及されやすいのがアイドル文化だ。2008年以降急速に人気を高め、今では国民的アイドルとなったAKB48を嚆矢としてアイドルのキャラクター化が進んだ。楽曲そのものよりも、キャラクターとそこに付随する物語を消費することに価値を見出すほど、アイドルはキャラクター化が激しい分野である。しかし、本稿ではアイドルについて論じることはしない。アイドルを分析したとしても、そこで得られるのは現実においてキャラクター化がますます進んでいるという事実だけである。これでは実存の問題に切り込むことはできない。

他方で、現実におけるキャラクター化に対して反動的な論陣を張ることもしない。例えば、複数共同体にキャラクターとして属しているがゆえに、「ほんとうの自分」とキャラクターとの間で実存的な分裂が引き起こされている。したがって、この分裂を乗り越えるために、強い主体性を獲得すべきだ云々、といった類のものである。このような論調は「ほんとうの自分」に重点を置いている時点で時代的な詐術にかかってしまっている。宇野が指摘したように、「ほんとうの自分」は90年代の社会の心理学化が呼び起こした、極めてあいまいなものである。さらに言えば、このような葛藤は近代文学における「私」の問題系に近く、優れた先行研究が既に存在する。したがって、本稿がわざわざ論じる意味はさほどない。

本稿で試みたいのは、以上の二つの論じ方よりも深い射程を持った議論である。それは、東が『ゲーム的リアリズムの誕生』で積み残した問題、すなわちポストモダンにおける実存の問題である。ポストモダンという言葉が既にマジックワードになってきているように、時代がポストモダンに入ってからすでに久しい。とするならば、そろそろ僕たちの方が時代に順応してきていてもおかしくないのではないか。本稿はこの素朴な直観からスタートしている。この直観を信じたうえで、今まであまり論じられてこなかった現実の中に、ポストモダンに順応した実存が眠っているのではないか。これはその可能性を掘り起こす試論である。

 

第二章 TRPGと雛壇芸人

 

本稿が試みるのは、ポストモダンとキャラクター文化の見直しである。キャラクターに注目しながら社会、ひいては社会に生きる人について語るキャラクター社会論を試みる。したがって、本稿ではキャラクター議論の軸足を現実に置きたいと考えている。

さて、これまで他の多くの論者によって、現実においてキャラクター化が起きていることが指摘されてきた。このことはポストモダン社会と関連付けて語られることが多く、特にアイドル論の文脈で盛んである。1980年代からアイドルのキャラクター化が進行し、AKB48以後にいたる云々。

しかし、この論稿はポストモダンのキャラクター社会に生きる人々の実存を考えることを目的とする。このことを考慮すると既存のアイドル論では不十分である。なぜなら、アイドルのキャラクター化は市場原理によるところが多く、実存の問題から少し離れているからだ。したがって、この章ではアイドル論とは別の文脈で1980年代に現実におけるキャラクター化が進んだことを再発見したい。そこでまず注目するのが、TRPG(テーブルトーク・ロールプレイングゲーム)である。

TRPGとは、1970年代にアメリカで考案された対話型のRPGである。RPGはロールプレインゲームの略語であり、その名からわかる通り、役割を演じるゲームである。プレイヤーは特定のキャラクターの役割をシステムから与えられる。周知のとおり、コンピュータゲームではRPGの形式は人気が高い。例えば、人気シリーズ『ドラゴンクエスト』であれば、僕たちはそこで勇者の役割を果たすことになる。

日本でRPGというと、このようなコンピュータゲームを想像する人が多い。しかし、RPGの起源はTRPGにある。RPGはもともと、現実で役割を演じて対話しながら、ゲームを進行していくものだ。

TRPGで演じるキャラクターを「プレイヤー・キャラクター」というように、RPGの想像力の本質は視点の二重化にある。遊び手はプレイヤーでもあり、キャラクターでもあるのだ。この構造はライトノベルやアニメを中心として、様々な表現に刺激を与えている。例えば、ゲームのシステムを利用して書かれた小説に『ロードス島戦記』がある。日本におけるTRPGの受容が1980年代ということを考えると、1988年に刊行されたこの小説は最も早い時期にゲームの影響を受けた表現だろう。

ここで思い出したいのが、TRPGが“対話型”RPGだということだ。それは現実におけるトークを主軸にした遊びである。だとするならば、トークという場でRPG的な想像力の浸食が起きていたのではないか。そして実際に、『ロードス島戦記』と同時期に、トークの現場に新システムが導入される。それがひな壇である。

トークの現場におけるひな壇とは、バラエティ番組におけるひな壇のことである。バラエティ番組では司会者をはじめとするメインキャストを囲むようにして、サブキャストがひな壇のように左右、上段に配置される形式をとることが多い。番組を盛り上げるために、それぞれのキャストが役割を演じる。

例えば、お笑い芸人の品川祐はひな壇に座る芸人を雛壇芸人と呼び、彼らを類型化する。品川によれば、雛壇芸人は裏回し型、天然・自由型、ガヤ芸人とタイプ分けされ、それぞれの役割を持つ。つまり、雛壇芸人は自らをキャラクター化することで番組内での役割を果たす。それぞれのキャラクターが果たすべき役割をトークで実践していく。

今ではすっかり当たり前になっているこの形式を初めて採用した『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の放送開が始まったのは、1985年であった。それはアイドル論との文脈に関連付ければ、様々なキャラクターを抱えるおニャン子クラブが誕生した年でもあった。また、翌年の1986年は『ロードス島戦記』のもとになった連載が始まった年である。アイドルや小説だけでなく、トークという性質を受けてバラエティ番組にもTRPGの想像力が影響を与えた。すなわち、時期を同じくして、様々な分野で現実世界におけるキャラクター化が進行していた。

このように言うと、ひな壇以前にもコント番組や演劇はずっと前から現実の人間をキャラクター化してきたじゃないか、と思う人がいるかもしれない。しかし、このような反論はキャラクター概念を捉え損ねている。前章で確認した通り、キャラクターとは具体的なコミュニケーションから生成されるものである。そこにコントや演劇の台本のようにはっきりとした形で人物の行動を規定する物語はない。

この違いを示すのが、セリフとトークの違いである。コントや演劇の場合、決められたセリフがあることが多い。しかし、雛壇芸人にセリフはない。雛壇芸人の言葉は、具体的なコミュニケーションから生まれてくる。キャラクター化した雛壇芸人は、笑いを取るのに最も効率の良い振る舞いをするのだ。

だが、さらにこう反論する人がいるかもしれない。芸人でさえ吉本興業や人力舎など、事務所という大きな枠組みに規定されたコミュニケーションを行うではないかと。そこにある種の物語が存在しているではないかと。しかし、繰り返すが、キャラクターの本質はコミュニケーションにある。もし、芸人同士の特定のやり取りが芸人の特徴を示しているのだとしたら、それはコミュニケーションから芸人の特性を判断しているということになり、芸人をキャラクター的に捉えていることの証左となる。また、雛壇芸人の行動を事務所という情報から判断しているという点で、やはり雛壇芸人はキャラクター的に消費されていると言えよう。

もっとも、雛壇芸人という呼称が初めて現れたのが2006年であるように、ひな壇を導入した番組作りはなかなか定着しなかった。ただ、それは現実におけるキャラクター化が進まなかったことを意味しない。先にも触れた通り、アイドルや小説、ゲームの分野で現実におけるキャラクター化は進んでいたのだから。

バラエティ番組のひな壇化は、1980年代から始まる、現実におけるキャラクター化の一現象として捉えることができる。そして、ひな壇の可能性が開花したのはゼロ年代だ。この頃からひな壇でのフリートークをメインにしたバラエティ番組が増加する。品川祐が雛壇芸人という呼称を世に広めた番組『アメトーーク』も2003年に始まっている。ゼロ年代は芸人のキャラクター化が進んだ時期であった。

興味深いのは、ゼロ年代はコミュニケーションの地位が著しく高まった時代だということだ。斎藤環によれば、ゼロ年代はコミュニケーション偏重主義が支配的になった時代である。いわゆるコミュ力というものにその人の資質が求められ、コミュ力に応じてキャラクター化が進んでいったという。しかし、ここで疑問なのは、コミュ力がどのように養われたのかということだ。学校のカリキュラムにコミュニケーション学というものはない。コミュニケーションは教え込まれるものではないのだ。では、どのようにして?

僕は、ここで雛壇芸人の活躍するバラエティ番組が参照されたのではないかと考える。雛壇芸人はトークという対面コミュニケーションをもとに、キャラクターを生成するプロだ。臨床心理士の信田さよ子は「笑い」が人間関係構築の核となっていることを指摘しながら、芸人たちが日本人のコミュニケーションモデルとなっている可能性を示唆している。「若い人たちの痛々しいほどの「笑い」の充満やお笑い番組の隆盛は、このようなコミュニケーションの過剰さに対する反応」であり、「芸人は子どもたちにサバイバルスキルを与えているのかもしれない」。

ここまでの話を一旦まとめよう。この章の結論は、ポストモダン社会では現実におけるキャラクター化が著しく進んでいるということである。繰り返すが、このことはアイドル論を中心に既に多く論じられている。それでも、僕が一章を割いてこのことを示したかったのは、TRPGとひな壇バラエティ番組への指摘がアイドル論に比べて少ないと考えるからである。

僕がひな壇バラエティに注目するのは、キャラクターを規定するコミュニケーション原理が示されているからだ。キャラクターとコミュニケーションの関係性が顕著に表れているのである。キャラクターは複数人との相互交渉の中から生まれる。このことは、たった一人の能動的コミュニケーションによってキャラクターを書き換えるのは困難だ、ということを意味している。

キャラクター化の影響は現実のコミュニケーションにまで浸透している。僕たちはキャラクター化とそれを基準とするコミュニケーションの呪縛から逃げることができない。斎藤環や信田さよ子は症例をあげながら、このことを否定的に語る。僕たちはキャラクターとコミュニケーション過剰によって実存的な不安にさらされていると。しかし、それは本当だろうか。次章ではキャラクター社会の次の段階を考えてみよう。

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