印刷

平成における音楽批評の疎外について

 

作曲家にして批評家の近藤譲は自身の小論をまとめた著書『音を投げる』のあとがきで以下のように語っている。

 

この初出一覧から、読者は、本書の収載文章の内、雑誌のためのエッセイのほとんどが一九八〇年代の末頃までに書かれたものであることに気付かれるだろう。八〇年代までの時期は、音楽専門誌に限らず、多くの雑誌が音楽に関する論考を取り上げる傾向が見られたが、そのような音楽論に対する興味は、何故か、1990年代を境として、急速に失われていった(少なくとも、流行らなくなった)。

 

近藤が語る「音楽論に対する興味」が失われていった時期は80年代の終わり以降、つまり平成の始まりである。
 批評における平成は「ニューアカデミズム」の終わりから始まっている。であるならば、音楽論――本論ではそれらのうち括弧付きの「芸術音楽」を対象とするものを指す――が批評全体の中で退潮していった背景には、「ニューアカデミズム」の領域横断性が内包する非社会(学)的な軽やかさに対する批判的な態度が、90年代の論客たちに現れたことが原因ともいえる。
 しかし、より原理的な要因について思考するならば90年代の批評を受けて展開された東浩紀、そしてゼロ年代の批評の諸議論、というよりもその「時代精神」が、視覚を主題としたものであったということである。どういうことか?

東浩紀は「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」などの文章中で現代を「過視的」な時代と定義している。そこでは想像的なものと象徴的なものがすべて同一の視覚的平面に現れるという。
 たとえば「GUI」(Graphical User Interface)を採用して誰もが直感的に操作可能となったパーソナルコンピューターの所持は今や世代問わず普及し、そこでは様々な指示――フォルダを開いたりファイルをゴミ箱に捨てたり――は視覚的アイコンに働きかけることで行われる。つまり、GUI以前の文字入力で操作を行なっていた過去のCUI(Character User Interface)のOSと異なり、操作という「意味」に関わる象徴的な事柄が、画像のような純粋に視覚による想像的なものと同じように、「図像」として表面に現れているのである。
 東浩紀はこのような時代精神とその文化的展開についての考察を社会論やサブカルチャー論でも展開し、それらの試みはゼロ年代批評へとつながっていく。

しかし、このような視覚中心の平成の批評の裏には聴覚にフォーカスした平成の批評も少数ながら存在していたことも事実である。
 ゼロ年代の批評においては、アーキテクチャ派/コンテンツ派という区分が存在した。アーキテクチャ派とは、文化や作品を生み出す外在的な制度やシステムを論じる立場・方法のことであり、コンテンツ派とはアーキテクチャから生まれてくる作品を内在的に分析する立場・方法を意味する。
 興味深いのは、平成の音楽批評で起こった音楽批評の衰退の中心は、現代の「現代音楽」を記述するコンテンツ派の消滅を意味するということである。
 音楽批評が衰退したとはいえ、音楽の「制度=アーキテクチャ」を論じる批評は細々と平成にも現れていた。一例をあげれば、平成元年に記された渡辺裕の『聴衆の誕生』は演奏会という制度の誕生と聴取の変化の歴史を現代の文化状況と重ね合わせながら論じている。この著書は89年度のサントリー学芸賞を受賞している。
 あるいはコンテンツ派的な音楽論でいえば、80年代のなかばから英米の音楽研究者のあいだで展開された音楽研究に「ニューミュージコ ロジー」という分野がある。「ニューミュージコロジー」はジェンダー論やポストコロニアル批評などの手法をもちいて伝統的な音楽作品を「読む」――これは明確に伝統的な音楽作品研究の手法であるアナリーゼ=分析へのアンチテーゼである――ことを実践している。たとえば音楽学者のスーザン・マクラリーは、シューベルトのセクシャリティをめぐる諸言説を分析することで、音楽における時間構造と性表象の関わりについて論じている。
 より近年の例でいえば、「表象」の09号(2015)の特集が「音と聴取のアルケオロジー」だったことは記しておくべきだろう。

つまり、これらの批評の中で真に取り零れされているのは、「現代」の音楽についての「コンテンツ批評」である。

批評家の佐々木敦は人々にほとんど知られていなかった実験音楽・電子音楽の紹介と批評、あるいは出版を行ってきた。
 近年、音楽家にして批評家の菊地成孔は、バークリーメソッドを中心とする音楽理論に基づいた論述によってジャズ評論の基盤を再形成しているほか、音楽批評のあり方を拡大し、映画やファッションショーにおける音楽を音楽として批評する方法を模索している。
 あるいは2014年の音楽家の冨田恵一著書『ナイトフライ』のなかでは、ドナルド・フェイゲンの同名の音楽アルバムに対して録音芸術固有の仕方でもって鑑賞・批評が行われている。

「音楽芸術」の廃刊以来、長木誠司の立ち上げた「エクスムジカ」や武満徹監修による「MUSIC TODAY QUARTERLY」、アルテスパブリッシングによる「アルテス」などの音楽雑誌が誕生したものの、それらはすべて廃刊となっている。

 

ポスト平成の(現代)音楽批評に求められるのは、現代において取り残された現代の「現代音楽」を、聴覚型のアーキテクチャ論を参照しながら論じるコンテンツ派批評なのかもしれない。

 

文字数:2229

課題提出者一覧

  • 20821388kk
    20821388kk
  • 藤原 神護
    藤原 神護
  • 藤川真規
    藤川真規
  • 花屋 淳
    花屋 淳
  •  
     
  • 白石三太
    白石三太
  • 岸
  • 汐里
    汐里
  • 山岡 星児
    山岡 星児
  • みたぱん
    みたぱん
  • 文乃 つき
    文乃 つき
  • 鈴木 翔大
    鈴木 翔大
  • カート・コ・バーン
    カート・コ・バーン
  • 尾﨑マヤ
    尾﨑マヤ
  • スズキナルヒロ
    スズキナルヒロ
  • 小林 望
    小林 望
  • 西崎 紀章
    西崎 紀章
  • ponko1946
    ponko1946
  • saana
    saana
  • nishimura
    nishimura
  • 別所 晋
    別所 晋
  • sils
    sils
  • 岡 俊一郎
    岡 俊一郎
  • かずひ
    かずひ
  • 香野 わたる
    香野 わたる
  • 筧 大洋
    筧 大洋
  • たけっち
    たけっち
  • たまごまだあったかや
    たまごまだあったかや
  • tmtmtr
    tmtmtr
  • toppa99
    toppa99
  • 釣橋 渡
    釣橋 渡
  • 内海 凪
    内海 凪
  • 新芸術校生
    新芸術校生