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羊をめぐる天然 ——あなたに北海道を愛しているとは言わせない——

第1章 塔

主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、言われた。

  彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが 何を企てても、妨げることはできない。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。

 主は彼らをそこから散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

聖書『創世記』11章1-9節

 東京スカイツリーは、7年前の春、首都東京に誕生した。

半世紀にわたり首都の象徴を務めた東京タワーに代わるその姿と立地は、松浦寿輝に希望を与えた。「エッフェル塔のレプリカ」を脱し得なかった前任者とは異なる独自のフォルムは、ふわりとした格子の衣をまとい、軽みを帯びる。それが立つ墨田区押上という場所は、高度経済成長以降、西をめざして発展し続けた都市化トレンドに逆行するヴェクトルを生み、活気ある「21世紀の下町」を再生するのではないか、と。

東京の北東に聳えるその姿を、わたしは毎日のように両国の職場から眺めている。それは、はるか北東にあり、やはりかつて毎日のように職場から眺めていた別の塔のことを、思い起こさせる。

 

北海道百年記念塔は、49年前の夏、地方都市札幌に誕生した。

半世紀にわたり北海道開道百年の記念碑を務めたその姿と立地は、北海道の発展に希望を与えた。その、先端の一部が空に引っ張られるように伸びるフォルムは、焦茶の鉄板の衣をまとい、開拓の厳しさと進展を物語る。それが立つ札幌市の東端(厚別区)という場所は、開拓史設置以降、東をめざして発展し続けた北海道開拓の記憶を刻むものであった。

昨年末、この塔の解体が、決定した。

塔の倒壊。なかなかにロマンティックな響きである。塔を倒すのが、人間の驕りを戒める神、とはいかないまでも、建設に反対したアイヌ民族、なのだとすれば、さらにロマンティックだろう。

塔は、建設当初に反対運動が起こる程度には嫌われていた。開道百年を「記念」すること、つまりは「開拓」という名の「土地の収奪」を「記念」することへの、嫌悪である。「記念」という言葉自体には、肯定の意味も否定の意味もない。しかし、設置の経緯と塔の造形は、否応無くそこに、「顕彰」の意をまとわせた。

開拓を記念しようとする立場と、記念を許さない立場の対立、大雑把に言えば、開拓の功労者を同胞だと感覚する開拓民側の立場と、開拓者を侵略者と敵視する先住民族アイヌ側の立場との対立が、少なからずあった。50年前には、開拓者側が勝利し、塔が立った。50年を経てそれは倒れる。開拓から150年を経てついに、虐げられたアイヌ民族(側)が開拓者(側)に勝利し、その象徴たる塔を倒すのだ。

残念ながらもちろん、そんなロマンティックな話ではない。

ロマンティックのカケラもない、身も蓋もない損得勘定こそが、塔を倒す。

建設当初の当事者たちは、賛成者にしろ反対者にしろ、「開拓」の「痛み」を共有していた。塔を倒すのは、その「痛み」を、まるで外国のできごとかのように感覚し、牧歌的な北海道を愛する人、それが北海道らしいのだと、なんとなく、しかし疑いなく信じている人、すなわち今日の大多数の北海道の人々である。「痛み」なきそうした北海道人たちを、本稿では「ドウミン」と呼ぶことにする。

ドウミンは、今日好感度の高い、ピースフルでナチュラルな観光地である北海道をこそ、愛している。それは、裏を返せば、カネを生む経済資源としてカチがある、北海道である。今日のドウミンにとって、「開拓」の暗い歴史—アイヌ民族の土地と文化の収奪、士族/民間移住者、囚人労働者、タコ部屋労働者、炭鉱労働者たちの夥しい挫折と犠牲によって成し遂げられた北海道の形成—は、邪魔である。

そんな忌々しい「痛み」とともに、塔の維持にかかる莫大なコストもカットできるとなれば、一石二鳥というわけだ。

他方で、古来より権力の象徴たる塔の倒壊は、「上」の権威に、「下」の大衆が勝利したのだ、と思えば、もっと肯定的に見てもよさそうなものである。

この居心地の悪さはなんであろうか。恐らくこの違和感の原因は、欺瞞、それもこの北海道という土地に起因する、ドウミンの欺瞞体質にある。

塔の倒壊は、「痛み」の忘却であるである以上に、「痛み」の隠蔽なのだ。

ドウミンは、ピースフルでナチュラルな「自然豊かな北海道」を楯に、「開拓」を亡き者にしようとしているのではないか。

今日、世の中に浸透する、その北海道のイメージは、「開拓」以前の古きよき北海道、支配を受ける前にアイヌ民族たちが、「自由に」「自然と共に」生きていた「北の大地」のイメージと、親和性が高い。そこに欺瞞があるのだ。

塔は、「開拓」に土地と文化を収奪されたアイヌ民族の文化の再評価によってなされたのでは、決してない。ピースフルでナチュラルな観光地である北海道、すなわち、ドウミンが掲げる北海道イメージに打ち負かされる仕方で、塔は倒れる。

近年のアイヌ民族文化キャンペーン[1]も、そうした価値観のもとに展開しているように思われてならない。「自然と共生するアイヌ」、「自然豊かな北海道」という喧伝、その無批判な需要に、違和感があるのはそのためだ。

あなたが抱いている北海道のイメージ、その「ピースフルでナチュラルな」皮をめくると、そこにはドウミンの「損得勘定」があるばかりなのだ。

ここでわたしは資本主義やオリエンタリズムを批判したいわけではない。矛先はその「欺瞞」。すなわち、「隠蔽」のための「皮」をこそ「内実」だと信じ込んでしまう、ドウミン、そしてそれをもてはやす人々の心性をこそ批評したいのだ。その薄い透明な皮膜は、それを見るものはおろか、着ているものにさえ、その存在を忘却させる。

しかし、その薄い着ぐるみに気がつき、どうしようもない居心地の悪さを感じる人がいる。村上春樹はその一人だ。

北海道を舞台にした村上春樹の小説、『羊をめぐる冒険』(1982)は、その欺瞞への痛烈な批判と読める。詳しくはのちに述べるが例えば、この小説に登場する、羊の皮をすっぽりとかぶった「羊男」は、「ピースフルでナチュラルな」皮をかぶったドウミンに重なる。そして小説全体は、「自由意志」の皮をかぶった「プログラム」が支配する、欺瞞の世界を描いている。

その舞台に選ばれたのは、北海道であった。北海道でなければならなかった。なぜか。

北海道ほどに、欺瞞に溢れた大地は、他にないからである。

ハルキの晴眼はそれを見抜いた、にも関わらず、北海道は今日もなお、いかにも「ナチュラル」で「ピースフル」な顔をして、人々を欺き続けている。北海道を欺瞞の大地という人は、あまりいないし、『羊をめぐる冒険』をそのように読む人も、あまりいないからだ。

これからわたしが追いかけていくのは、北海道という呼称が与えられた、一つの場所、日本の一地方の、欺瞞と忘却の歴史だ。その地がかつて蝦夷ヶ島と呼ばれた時代にまで遡り、そこがいかに欺瞞の温床たる地へとつくりあげられていったかを明らかにする。

なぜそんなことをするのか。

あなたが北海道を好きだというとき、あなたは北海道のみならず、今日の日本の「欺瞞」と「忘却」を、推し進めているのだ。だからこそ、わたしは、あなたに北海道を愛していると、言わせるわけにはいかない。

以下、本稿は『羊をめぐる冒険』の「羊」を手がかりに、北海道/蝦夷ヶ島を紐解き、それが、近代日本の空虚さを写す鏡であり、異界と邂逅する伝統を有し、そこに、古代日本とヨーロッパの媒介者たるアイヌ民族が存在することを、明らかにしていく。羊からはじまり鬼門へ、そして「鯨のペニス」から天皇とアイヌの肉体へと話を連ねるうちに、この地が、幾重もの両義性を孕むことが明らかになっていく。今日の居心地の悪さは、そうした両義性が、「豊かな自然」という皮によって覆われているために、もたらされているのではないか。

とにかく羊から話をはじめよう。もこもこと、いかにもかわいらしいそのぶ厚い毛をむしりとり、その皮をめくっていく。

第2章 羊

『羊をめぐる冒険』(1982)は、村上春樹の三作目の長編であり、彼がジャズ喫茶「ピーター・キャット」をやめ、専業作家として初めて書いた小説でもある。物語は、妻と離婚し、〈美しい耳の彼女〉とともに東京に暮らす〈僕〉が突然、先生と呼ばれる〈右翼の大物〉の〈黒服の秘書〉に命じられ、星形の斑紋を背中に持つ特殊な「羊」を探すこととなり、友人〈鼠〉から送られた写真を手がかりに北海道に渡り、札幌で会った〈羊博士〉の導きで、道北の〈十二滝町〉へと向かううち、羊をめぐる陰謀に巻き込まれていく、というものだ。曲がりなりにも筋書きを一言で表せるのが、ハルキ入門編ならでは、といったところだろうか。

とはいえ、むろんそれだけの内容にはとどまらない。件の羊は、人の中に入り込み、その人間をのっとる。羊を宿して「べつの人間に生まれ変わった」〈羊博士〉と〈右翼の大物〉の背景となるのは、占領下の満州、戦中戦後の日本であり、〈僕〉が羊を目指してたどり着いた〈十二滝町〉の誕生・発展・転落の歴史は、北海道はもとより、近代日本の縮図となる。戦争と北海道開拓という陰鬱で寒々しい道具立てを生かしつつ、〈僕〉の生きる1978年の都市(東京)と地方(北海道)、羊の生態や畜産の歴史と方法、古今東西の文芸や音楽の知識がふんだんに鏤められているのはいかにもハルキらしい。なにより、羊を追う〈僕〉が、「足場の不確か」な「どこか別とのところ」に迷い込むという構造は、ハルキの十八番である。

〈僕〉は羊を追って、北海道に辿り着くわけだが、そもそもなぜ羊なのか。人に宿る羊とは、いったいなにか。

端的に言えば、羊はシステムによる支配/統一の象徴であり、〈僕〉や友人の〈鼠〉は、そこから逃れようともがく若者達だ。羊は、先の塔に似た存在である。このことをまずは、確認する。

 

第2章第1節 羊と近代日本

件の〈右翼の大物〉は、北海道の貧農の三男坊で、十二歳で朝鮮に渡り、帰国後右翼団体に入るが、1932年に要人暗殺計画に連座され投獄され、獄中で別人と化し、1936年に出獄してすぐ右翼のトップに躍り出る。次いで中国大陸に渡り、情報網と財産を築き上げ、戦後A級戦犯となったものの、中国大陸における情報網と交換に釈放され、大陸から持ち帰った財宝をもとに、戦後の政治・経済・情報の暗部を掌握した。ところが最近彼は倒れ、死に瀕している。〈黒服の秘書〉の確信を持った推測によれば、〈右翼の大物〉は、獄中で羊を宿し、その羊が抜け出たために、死に瀕しているのだ。羊探しの白羽の矢が〈僕〉に立ったのは、広告代理店を経営する僕が、PR誌に掲載した保険会社の広告に、羊の群れと草原が写った北海道の風景写真を用いたためだ。友人〈鼠〉から送られてきたその写真には、存在しないはずの羊、星形の斑紋を背中に持つ羊が、写りこんでいた。その姿は、〈右翼の大物〉が、繰り返し夢に見た羊の姿そのものであった。

この〈右翼の大物〉に先んじて、羊を宿していたのが、〈僕〉が札幌滞在に利用した、いるかホテルの二階に住む、〈羊博士〉である。大学を首席で卒業した彼は、スーパー・エリートとして農林省に入省。卒業論文のテーマは、本土と朝鮮と台湾を一体化した広域的な計画農業化に関するもので、「これは少々理想主義的に過ぎるきらいはあったが、当時はちょっとした話題になった」。農林省では、朝鮮半島に渡って稲作の研究をし、「朝鮮半島における稲作に関する試案」というレポートを提出し、採用された。1934年、東京に呼び戻された彼は、来たるべき中国大陸北部における軍の大規模な展開に向けて、羊毛の自給自足体制を確立するよう命じられ、本土と満州とモンゴルにおける緬羊増産計画の大綱をまとめた後、現地視察のために翌年の春満州に渡る。事件が起こるのは、1935年7月。彼は、一人で馬に乗ってぶらりと緬羊視察に出かけたまま行方不明になり、1週間たって、やつれ果てた姿で戻ってきた。その後、彼のまわりで、彼が羊とのあいだに「特殊な関係をもった」という奇妙な噂が流れ始める。彼は、洞窟で羊に出会い、羊と交霊したというのだ。羊のことを忘れろと上司に命じられた羊博士は、「忘れることは不可能である」、なぜなら「羊が私の中にいるからです」と答え、東亜の農政の中枢から追放される。東京に戻ると、羊は彼の中から去ってしまう。以降彼は、「1936年にいなくなった羊」を探し続ける。

君は思念のみが存在し、表現が根こそぎもぎとられた状態というものを想像できるか?

地獄だよ。思念のみが渦まく地獄だ。一筋の光もなくひとすくいの水もない地底の地獄だ。そしてそれがこの四十二年間の私の生活だったんだ

羊のせいだ。羊が私をそんな中におきざりにしたんだ。一九三六年の春のことだ

つまり羊は、1935年の夏、満蒙国境付近の洞窟で〈羊博士〉の中に入り、日本に渡って後、1936年に〈右翼の大物〉の中に入り、1978年の現在、〈右翼の大物〉から抜け出て、行方不明というわけだ。かつて、〈ジンギス汗〉の体内にも入っていたと言うその『星を負った白羊』には、「巨大な目的があった」と〈羊博士〉はいう。人間と人間の世界を一変させてしまうような巨大な計画。羊の宿主はそのビジョンだけを見せられるのだという。

「洞窟の中で眠っていた」羊を、「この私が起こしてしまったんだ」と〈羊博士〉は言う。羊はどうやら、宿主が秘める「統一」への欲望を嗅ぎ付けるようだ。〈ジンギス汗〉は、人類史上最大規模のモンゴル帝国を築き、〈羊博士〉は本土と外地(朝鮮、台湾、満州)の包括的な農業あるいは緬羊産業を目論み大日本帝国による大東亜共栄圏建設に貢献した。右翼組織を築いた〈右翼の大物〉の野望は、言わずもがなである。羊は、「統一」への欲望という餌を嗅ぎつけ、その餌、すなわち宿主の「意思」を食い破り、身体をのっとる。「思念のみが存在する世界」への「統一」を進展させていく。それは、「完全にアナーキーな観念の王国」で、「そこではあらゆる対立が一体化するんだ」ということが、小説の終わりに〈鼠〉の口から〈僕〉に明かされる。行方不明となった羊は、最後に友人〈鼠〉の中に入り込んだのだった。

人間をのっとり、世界をのっぺりさせていく羊は、近代化やグローバリズムといった、システムによる支配、統一の比喩となる。そこに、こと羊である必然性はないように思われる。が、しかし、羊こそ、日本の空虚な近代化を語るのにうってつけの存在であることが、作中〈黒服の秘書〉によって次のように語られる。

「歴史的に見て羊という動物が生活のレベルで日本人に関わったことは一度もなかった(中略)羊は国家レベルで米国から日本に輸入され、育成され、そして見捨てられた。それが羊だ。戦後オーストラリア及びニュージーランドとのあいだで羊毛と羊肉が自由化されたことで、日本における羊育成のメリットは殆どゼロになったんだ。可哀想な動物だと思わないか? まあいわば、日本の近代そのものだよ。」

その日本の近代の空虚さを凝集した場こそ、〈僕〉が羊を追ってたどり着く終着点となる、架空の町〈十二滝町〉である。〈鼠〉が送ってきた写真は、その町の山奥にある牧場の風景であると、〈羊博士〉は〈僕〉に告げる。そこはかつて〈羊博士〉が建てた牧場であり、後に〈鼠〉の父親が別荘として購入したのであった。

札幌から〈十二滝町〉へ向かう列車の中で、〈僕〉は十二滝町史をめくり、町の誕生と発展、転落の歴史をたどる。町を開いたのは、借金を苦に本土から流れ着いた開拓民たちであったが、十二滝町史が焦点を当てるのは、彼らを導いたアイヌの青年であった。アイヌ語で「月の満ち欠け」という意味の名前を持っていたアイヌ青年は、開拓民の求めで、札幌から北東へ十六日間進み、これ以上は前に進めないというところまで彼らを導き、過酷な悔恨に身を投じ、開拓民の娘と結婚し、三人の子供を作り、日本名を名乗るようになり、「月の満ち欠け」ではなくなった。六年目に戸籍調査が行われ、集落は役人により十二滝部落と名付けられた。故郷の町から家族を呼び、子供をつくり、住民は増え続け、十二滝部落は十二滝村と改められ、「不定期ではあるにせよ郵便配達夫も姿を見せるようになった」。他方で、しばしば訪れる役人は、税の徴収と徴兵を行うようになった。アイヌ青年にはその必要性がどうしても理解できなかった。

明治三十五年には村のすぐ近くにある台地が牧草地として適していることがわかり、そこに村営の緬羊牧場が作られた。道庁から役人がやってきて、柵の作り方や水の引き方、牧舎の建築などを指導した。次いで川沿いの道が囚人工夫によって整備され、やがて政府からただ同然の値段で払い下げられた羊の群れがその道を辿ってやってきた。農民たちはどうして政府がそのように自分たちに親切にしてくれるのか、さっぱりわけがわからなかった。(略)

もちろん政府は親切心から農民に羊を与えたわけではなく、日露戦争に備えた防寒用羊毛の自給という任務が、軍部から政府へ、政府から農商務省へ、農商務省から道庁へと押し付けられたのである。緬羊に興味を抱いたアイヌ青年は、飼育法を習い牧場の責任者となり、彼は羊と牧羊犬を愛した。日露戦争が始まり、村から徴兵された五人のうち二人が死んだ。そのうちの一人はアイヌ青年の長男だった。「彼らは羊毛の軍用外套を着て死んでいた」。妻をすでに失い、二人の娘も嫁いでいなくなり一人になったアイヌ青年は、牧場にこもって羊と寝起きをともにするようになり、数年後に牧舎の中で凍死した。

その後、多数の離農者を出した十二滝町は、林地となる。「曽祖父たちが血の汗を流して木を伐り倒して開墾した土地に、子孫たちはまた木を植えることになった。不思議なものだ」。〈僕〉を十二滝町へと運んだ路線は、「全国で三位の赤字線」(〈僕〉にとっては「これよりさびれた線が二つもあることの方が驚きだった」)であり、町役場の職員は、「町が死ぬ」ことを悟っている。

ハルキの小説は、終始言い知れぬ不安や不穏に覆われている。その要因は、次々訪れる不可解なできごとだけにあるのではない。ハルキが描く〈僕〉の居心地の悪さは、ちょうど十二滝町の物語に登場するアイヌ青年が感じていた違和感のようなものだろう。アイヌ青年の目には、そもそも人間の住む土地ではないところ、「月の満ち欠け」だけが支配する場所に、戸籍や徴税や徴兵や郵便のシステムがやってきた。同様に〈僕〉は、辺境の十二滝町でさえ、広告の網に絡め取られていることを目の当たりにする。

例えば、十二滝町に着く直前、列車の車窓から〈僕〉は、次から次へと表れるスマートで都会的な匂いのする広告板を眺めていた。

そこでは日焼けしたビキニの女の子がコカ・コーラを飲んでいたり、中年の性格俳優が額にしわをよせてスコッチのグラスを傾けていたり、ダイバーズ・ウォッチが派手に水をかぶっていたり、おそろしいほど金をかけたスマートな部屋の中でモデルが爪にマニキュアを塗っていたりしていた。広告産業という名の新しい開拓者たちは実に手際よくその大地を切り開いているようだった。

さらに死にかけの十二滝町は、やたらとテレビに関連付けられる。そこでは、「あきれるくらい高いテレビ・アンテナが」「町の背後にそびえたつ山なみに挑むように、その銀色の触手を空中にはりめぐらしていた」。現在の主要産業は林業と木材加工で、町の製材工場では「テレビジョンの木枠」をつくっているのだという。その「おそろしく退屈な町で」、「おおかたの町民は仕事から家に帰ると、一人平均四時間はテレビを観て眠る」。

死にかけの町に、都会と同じ作法で、広告とテレビという情報網が、隙間なく入り込んでいく。人の営みと、情報化社会のちぐはぐ共存。僕は悪夢を見る。

すべての人の営みが消え去ったのちにも、羊たちだけは残っていた。闇の中で彼らはきらりと瞳を光られ、じっと僕をみつめていた。

彼らは何も語らず、何も思わず、ただ僕をみつめていた。何万という数の羊だった。かたかたかたというあの平板な歯音が地表を覆っていた。 

人の営みと無関係に、ひたすらに押し広げられる、羊の思念、情報網。しかし、その悪夢にうなされる〈僕〉もまた、羊側、すなわち、それらシステムの側、支配者/統一者側に立っていたはずだ。彼は広告代理店の経営者なのだから。

だが彼はその職を辞して、羊を探す旅に出た。

旅の終着点である、十二滝町の山奥の牧場、〈鼠〉の写真のその場所は、羊への抵抗者たちが集う場所となる。

それは〈僕〉であり、牧場の山荘のもとに〈僕〉を訪ねる〈羊男〉であり、友人の〈鼠〉である。

羊の抵抗者が〈羊男〉だというのはややこしい。彼はとにかく、ひたすらに、ややこしい存在だ。

その奇妙な姿を、ハルキは文章のみならず、自筆のイラストでも読者に示している。

羊男『羊をめぐる冒険』より

羊男は頭からすっぽりと羊の皮をかぶっていた。彼のずんぐりとした体つきはその衣装にぴったりとあっていた。腕と脚の部分はつぎたされた作りものだった。頭部を覆うファサードもやはり作りものだったが、そのてっぺんについた二本のくるくると巻いた角は本物だった。フードの両側には針金で形をつけたらしい平べったいふたつの耳が水平につきだしていた。顔の上半分を覆った皮マスクと手袋と靴下はお揃いの黒だった。衣装の首から股にかけてジッパーがついていて簡単に着脱できるようになっていた。

 

突然登場する羊男について、ハルキはその奇矯なコスチュームを記述するばかりである。羊男は無遠慮にも山荘にあがりこみ、腕のジッパーのついたポケットから煙草とマッチを取り出し、酒を要求しては、〈僕〉に一緒に来た「彼女」が去ったことを告げ、矢継ぎ早に〈僕〉に質問を浴びせるのだった。対する、〈僕〉は、この山荘にほんのすこし前までいたに違いない〈鼠〉を探していることを〈羊男〉に告げる。あからさまに何かを知っているのに隠している〈羊男〉と、〈僕〉は、数日の間を空けて何度か交流するうち、彼が牧場のそばでひっそりと暮らしていることを知る。

戦争に行きたくないんだ。だから羊のままでいるんだよ。羊のままでここから動けないんだ。

後に〈僕〉は、山荘の夜闇の中で、ついに友人の〈鼠〉と再会する。姿の見えない〈鼠〉との会話の中で〈僕〉は、〈鼠〉が〈羊男〉の身体を借りて〈僕〉に会いにきていたこと、〈鼠〉がもう死んでいることを言い当てる。〈鼠〉は、この場所で、〈右翼の大物〉から抜け出た「星を負った白羊」に会い、それを宿す。自らを捧げれば、〈鼠〉は〈右翼の大物〉が築き上げた組織や財産を継承することができた。しかし、彼はそれを拒否し、羊を葬るために、自死したのだという。「キー・ポイントは弱さなんだ」と〈鼠〉はいう。「結局のところ、俺が羊の陰から逃げ切れなかったのもその弱さのせいなんだよ」。

俺は俺の弱さが好きなんだよ。苦しさや辛さも好きだ。夏の光や風の匂いや蝉の声や、そんなものが好きなんだ。どうしようもなく好きなんだ。君と飲むビールや……

その時点で〈僕〉は、〈僕〉が〈僕〉の「自由意志」でここを訪れたわけでは決してないことを知っていた。すべて、〈黒服の秘書〉と〈鼠〉によって、仕組まれていたのだ。しかし、〈黒服の秘書〉と〈鼠〉は、それぞれ違った手続きで、〈僕〉を導いていた。

〈鼠〉は言う。

俺はきちんとした俺自身として君に会いたかったんだ。俺自身の記憶と俺自身の弱さを持った俺自身としてね。君に暗号のような写真をおくったのもそのせいなんだ。もし偶然が君をこの土地に導いてくれるとしたら、俺は最後に救われるだろうってね

そして、〈鼠〉は「救われた」。

〈鼠〉と別れて山を降りる〈僕〉を、〈黒服の秘書〉が途上で待ち伏せていた。

〈黒服の秘書〉は言う。

まったく君はよくやってくれたよ。

 人は羊つきになると一時的な自失状態になるんだ。(略)そこから彼を引っぱり出すのが君の役目だったのさ。しかし彼に君を信用させるには君が白紙でなくてはならなかった、ということだよ。

プログラムを組むのが大変なんだ。コンピューターは人間の感情のぶれまでは計算してくれないからね、まあ手仕事だよ。しかし苦労して組んだプログラムが思いどおりに運んでくれれば、これに勝る喜びはない

そうして〈黒服の秘書〉は、〈鼠〉を手に入れるつもりで意気揚々と山荘へ向かい、〈僕〉はそれを見送り、山を降り、町を出た。

12時発の列車が出た途端、〈僕〉は爆発音を聞き、車窓から、山荘のあたりから立ち上る黒い煙を見た。〈僕〉は〈鼠〉の指示で時計の裏のコードをつなぎ、12時ちょうどに爆発するよう、仕掛けて山を降りたのだった。

羊に抗い、自らの命と引き換えに、偶然に賭けた〈鼠〉が、勝利したのだ。

さて、〈鼠〉とともに、〈僕〉と〈羊男〉もまた、羊側への抵抗と見た。しかし、三者の羊に対する態度は、それぞれ違っている。

羊をかぶる〈羊男〉は、羊/システム/支配/統一/プログラムのなかに身を隠す。しかし、つぎはぎだらけのぼろぼろの着ぐるみは、それを見る者はもちろん、着ぐるみをかぶる本人にとっても、明らかな着ぐるみ、つくりもの、まがいもの、である。〈羊男〉は、羊をうまく着こなせない。しかし、それを脱ぎすて、〈鼠〉のように自死する道へも踏み出せない。脱げない着ぐるみに固執し、無様に生きるのだ。

羊を宿す〈鼠〉にも、〈羊男〉のように生きる道があった。しかし、〈鼠〉は、そんな風に無様に羊を着ることには耐えられない。他方で、それに内側から食い破られようとするのに必死で抵抗し、死を選ぶ。羊を壊すのは、〈鼠〉が賭けた「偶然」であり、それは〈黒服の秘書〉が言うところの、「人間の感情のぶれ」でもある。

では〈僕〉は? 〈僕〉は、羊を、〈羊男〉とは違って、うまく着こなしているのである。だから〈鼠〉のように、内側からそれに食い破られることもない。羊は気分がいいものではないが、涼しい顔をして、やり過ごしていればいいのだ。死を選ぶほど、深刻にならなくてもよいではないか。

しかし、〈僕〉は、それをうまく着こなせない〈羊男〉を放ってはおけない。それどころか、着こなすことすら汚らわしいとして放棄する〈鼠〉の気高さに触れ、いたたまれなくなる。あたかも、三島の割腹自殺を目の当たりにするかのような思いに、〈僕〉は囚われたに違いない。

 

さて、唐突に思われるかもしれないが、ここまで述べてきた羊と、それに抵抗する三者をよりよく理解するために、郡司ペギオ幸雄のいう「天然知能」の概念を、参照したい。

なぜなら、『羊をめぐる冒険』は、〈僕〉が、郡司の言う「天然知能」を開花させていく物語だと、読み替え可能であるように思われるからである。

柴田勝二によれば、本作の〈僕〉の行為はひたすらに「受動的」である点で否定的に評価される傾向があったと言う。しかし、郡司が提示する「天然知能」という新しい概念においては、その「受動性」は積極的な意味を持ちうる。

郡司が提唱する「天然知能」は、従来知られている「人工知能」とも、その対義語となる「自然知能」とも異なる、新しい概念である。

まず、「人工知能」とは、自分にとって意味のあるものだけを自らの世界に取り込み、自らの世界や身体を拡張し続ける知性、知覚したデータの集まりとして世界を組み上げる、一人称的知性である。次に、「自然知能」とは、世界全体という大局的知識があって、そこから部分部分を理解し、位置を把握していく三人称的知性である。「人工知能」と「自然知能」は、ともに、知覚したものだけを自分の世界に取り込み、知覚できないものの存在を許容できない。すなわち、外部を取り込み、世界を刷新する能力がない。

他方で、「天然知能」とは、知覚できないが存在する「外部」を、ひたすらに受け容れる知性である。それは、「他に何かあるんじゃないか」という感覚であり、あらゆるものを固定しない、遊びの空間である。未知であることを自覚しながら既知の感覚を持つそれは、一・五人称的知性とでも呼びうるものである。

さて、『羊をめぐる冒険』で考えると、羊や〈黒服の秘書〉、すなわち、システム/支配/統一/プログラムは、人工知能、あるいは自然知能であり、外部を許容せず、世界を刷新する能力がない知能である。

他方で、羊への抵抗者である〈羊男〉と〈鼠〉、そして〈僕〉の三者は、郡司が、「天然知能」を構成するために措定した、三つの意識構造に、それぞれ当てはまっているように思われる。言うなれば、「天然知能」は、その三者が複合したところに、立ち上がるのである。

郡司は、天然知能の具体的モデルを構成するために、「自由意志定理」という概念を持ち出した。

わたしたちが前提にしている「自由意志」、すなわち、自分が選択したと言い得る状況は、さまざまな条件によって、必然的に導かれた帰結なのではないか。自分が選択したと言い得る状況を「自由意志」、他方で、厳密に条件を指定できるならその後何が起こるか決定できるとする「決定論」とすれば、両者は一見、共存不可能に見える。しかし、「決定論」と「自由意志」は、これに「局所性」を加えた三つからなるトリレンマ(三つのうち一つを捨てれば残り二つは両立する)であるという考え、すなわち、局所性という要素さえ放棄するなら、決定論と自由意志は両立するという概念が、「自由意志定理」である。

この自由意志定理を踏まえた、マイケル・ダメットによる思考実験(酋長のライオン狩り)を踏まえて、郡司は、「自由意志」、「決定論」、「局所性」という三つの要素を用いて、三つの異なる意識構造のモデルを立ち上げる。郡司の言う「自由意志」、「決定論」、「局所性」はそれぞれ次のようなものだと理解しておけばよい。

三つの要素のうち、「自由意志」は、意図的意識、すなわち、見せかけの能動、つまりは受動であり、わたしたちが「わたし」と考えるものである。「決定論」は、「わたし」にとっての無意識、すなわち脳内他者であり、身体に命令を下す真の能動、「わたし」を内に含む「自己」と呼ぶこととする。局所性のあるなしは、その「わたし」と「自己」の境界のありようを決定する。すると、次の三つのタイプが浮かび上がる。

タイプⅠ【自由意志(×)決定論(○)局所性(○)】は、内側の境界(「わたし」の境界)は指定されず、外側の境界(「自己」の境界)のみ存在し、意図的意識/「わたし」と無意識/脳内他者とが融合した状態。分離できない脳内他者が「わたし」の中に潜んでいる意識構造を指す。このとき、「自己」と現実の外界との境界は明示的であり、意識は明確に外部から分離される。他人は、わたしと分離された対象であると同時に、わたしに近しい者となる。つまりこの意識構造は、他人との距離がとれない、自閉症スペクトラムの人が示す、他人とのコミュニケーションの困難に似た状態を示すという。

『羊をめぐる冒険』の、〈羊男〉が、このタイプと重なるように思われる。〈羊男〉は意図的意識である「わたし」と、脳内他者である羊を、うまく分離できていない。「わたし」の境界が存在せず、「自己」の境界のみが存在する〈羊男〉は、他人に対して過敏にならざるを得ず、極度に怯えたり、横柄だったりと、極端な態度をとるのである。

タイプⅡ【決定論(×)自由意志(○)局所性(○)】は、外側の境界(「自己」の境界)は指定されず、内側の境界(「わたし」の境界)のみ存在する状態、すなわち、自己の内部に、脳内他者とわたしが明確な境界を以って分離される。これは、統合失調症の人が示す認知的振る舞いに似ているという。

言うまでもなく、これは、羊を宿した〈鼠〉の意識構造に近い。彼の中には、〈鼠〉という「わたし」と羊という脳内他者が、明確な境界を以って分離され、自己が引き裂かれている。しかし、同時にそこには、固定された自己の枠組みを壊し、変容する可能性がある。ただし、〈羊博士〉も〈右翼の大物〉も、外部としての羊を受け容れるのではなく、逆にそれに呑み込まれる結果となった。〈鼠〉もまた、自らの「弱さ」ではそれを受け容いれきれず、逆に呑み込まれてしまうことを察して、羊を葬るために、それを抱えて自死したのである。

タイプⅢ【局所性(×)決定論(○)自由意志(○)】は、内側の境界(「わたし」の境界)も外側の境界(「自己」の境界)も存在し、二つの境界がともに「もつれ」ているという意識構造である。「わたし」は脳内他者を知覚できないものの、その存在に対する感性を持っている。この意識構造こそ、多くのわたしたちにとって親しみがある、「社会的」意識である。もつれ境界で接する他者は、融通無碍に、見なかったり、無視したりすることができる。この意識構造のもとでは、外部に存在する現実の他人(他者/外部)とのつながりを持ち得るのである。これが、〈僕〉の意識構造である。

郡司は、これら三つのタイプを複合した構造こそ、「天然知能」の意識構造であるという。すなわち、タイプⅠの外部に対する直感、タイプⅡの引き裂かれた自己がもつ、変化を受け容れ続ける自己の可能性、そして、タイプⅢの外部への感性を複合したところに、「天然知能」は立ち上がる。

郡司ペギオ幸夫『天然知能』より

 

そうして、立ち上がる「天然知能」とは、原因と結果、意図と実現の不一致のギャップ、その隙間に「外部」を取り込み、文脈を逸脱し、既存の枠組みを壊すことで、自己を更新していく知能である。

さて、先にも述べた通り、小説全体を通して、〈僕〉は次第にその「天然知能」を開花していくように思われてならない。

例えば、小説には、〈僕〉が、羊や北海道と関連づけられる前から、北海道と関わりのある単語が、不必要に散りばめられていた。「誰とでも寝る女の子」の家を探すために広げた東京都の地図に記された通りは、「メロンのしわみたいに地表にしがみつ」き、彼女は、「とうもろこしでも齧るみたいに片っ端から」本を読んだ。「美しい耳の彼女」との最初の食事では、「ヘッド・ウェイターがにしんのような目つきで」食器の配置を点検し、彼女は「ハッカ煙草」を愛煙した。これは、〈僕〉が、いまだ知り得ない、将来の「羊をめぐる冒険」の訪れを予感していたことを思わせる。

〈僕〉には明確にはあらわれないその「外部」を察知する能力を、〈美しい耳の女の子〉の耳は持っている。〈僕〉はその耳の美しさと同時に、その未規定な力に惹かれていた。惹かれるという一見ひたすらに受動的なその態度によって、〈僕〉もまた、未規定のその力を手に入れたに違いない。彼女が十二滝町で姿を消したのは、そのためではないか。〈僕〉がその力を手にしたことにより、彼女は役目を終えたのだ。だからこそ、〈僕〉は、知覚し得ない〈鼠〉の幽霊との邂逅を果たすことができた。

〈僕〉は、未規定な外部に惹かれ、反対に、未規定な外部を許容しないもの、規定可能なものに留まる、一人称・三人称的知性から逃れようとする。

例えば、〈僕〉やそれを取り巻く人たちには「名前」がない。作中、〈僕〉たちは、「名前」をめぐる議論を展開し、名前のあるものは、「地上に固定された代償として名前を与えられた」という見解を得る。

たとえば僕が意識を完全に放棄してどこかにきちんと固定化されたとしたら、僕にも立派な名前がつくんだろうか?

名前の問題は、十二滝町の歴史を辿る場面でも浮上する。十二滝部落にまだ名前がなかった頃、道庁の役人がやってきて開拓民全員の戸籍を作り、部落に名前がないのは困るといったが、開拓民たちは共同小屋に集まり、「部落には名前をつけない」という決議まで出した、のだった。

名前は、世界に固定されること、世界のシステムに組み込まれることを意味し、〈僕〉や開拓民たちは、そのシステムの外、未規定性を希求する者たちだと言える。

加えて〈僕〉は、一人称・三人称的知性で人工的に構成された都市、札幌で、たいへんに疲弊する。

札幌の街は広く、うんざりするほど直線的だった。僕はそれまで直線だけで編成された街をあるきまわることがどれほど人を摩耗させていくか知らなかったのだ。僕は確実に磨耗していった。四日めには東西南北の感覚が消滅した。東の反対が南であるような気がし始めたので、僕は文房具屋で磁石を買った。磁石を手に歩きまわっていると、街はどんどん非現実的な存在へと化していった。建物は撮影所のかき割りのように見え始め、道を行く人々はボール紙をくりぬいたように平面的に見え始めた。太陽はのっぺりとした大地の片方から上り、砲丸のように天空に弧を描いて片方に沈んだ。

他方で、札幌で彼を導くものは、奇妙な「ドルフィン・ホテル」(〈僕〉と彼女は「いるかホテル」と呼ぶ)である。三本指の支配人によれば、名前の由来は、『白鯨』に出てくる「いるか」だという。

ハーマン・メルヴィルの『白鯨』で、白鯨を憎むエイハブは、鯨や「いるか」が、かつて「リヴァイアサン」と同一視された怪物であることを、恨みがましく述べる。それは、〈黒服の秘書〉が羊を、「竜や獏と同じ程度にイマジナティブな動物」で、「明治以前の日本人によって描かれた羊の絵は全て出鱈目な代物だった」、と言うのに似ている。

こうした「イマジナティブな動物」こそ、「天然知能」を開いてくれる存在と言える。

『天然知能』の第八章「ふったち猫」で郡司は、猫であるかないかを、いかにわたしたちが判断しているかを問う。わたしたちは、猫の定義を満たしているかどうかだけで、それを判断しているわけではない。わたしたちは、猫の定義をほとんど満たし「猫である」ことを認めながら、しかし同時に、定義を満たしていない部分(その縞はサバ猫の縞模様の定義を満たしていない)、その曖昧な縞模様に関しては無視を決め込み、そのうえで、猫であるという判断を下しているのだ。猫であるという肯定と猫でないという否定が同時に成立してはじめて、「猫である」ことは実現される。しかし、通常の猫の場合、その「猫である」と「猫でない」の共立は隠蔽される。ところが、妖怪・もののけの類であるところの「ふったち猫」の場合には、「猫である」と「猫でない」が前面かし、目の前の猫(問題)と定義の猫(解決)の軸が一致せずに破綻し、猫でない何かでもあり得るという「外部」を呼び込む隙間、ギャップが生じる。それこそが、「天然知能」の、出現である。

つまり、化物や怪物に通じる「イマジナティブな動物」という文脈で語られる「羊」や「いるか」は〈僕〉の「天然知能」を喚び起こすものであった。

以上、見てきたように、『羊をめぐる冒険』には、羊というシステムによる支配/統一と、そこから逃れようとする抵抗者〈僕〉と〈鼠〉と〈羊男〉という対立がある。

それは、「人工知能」(1人称的知性)・「自然知能」(3人称的知性)と、「天然知能」(1.5人称的知性)との対立でもあった。

その結末は、偶然という外部が招いた、「天然知能」の勝利であった。

「天然知能」が発動する場として、ハルキが選んだ場所は、北海道であった。その理由は、単にそこが本作のメインモチーフたる羊に所縁の場所であったためだけではない。次節では、その必然性を、この地が蝦夷ヶ島と呼ばれた時代に遡って検討する。

 

第2章第2節 羊と鬼門

蝦夷ヶ島は、江戸の悪所に似ている。悪所−—江戸の遊興空間、遊郭や盛り場、劇場街は、こう呼ばれた。

広末保によれば、悪所は町人の日常の暮らしとは全く異質な非日常な場でありながら、都市の辺界に日常的に位置するっものであった。歌舞伎の芝居者は、日常的此岸の辺界を浮遊する死霊や怨霊の世界を演じ、遊女は根源的には巫女性と結合する存在でもあった。江戸の町人は、都市の辺界に、階層秩序的論理や価値観を超越する、日常的意識から解放された広場を獲得したのである。

これを踏まえて陣内秀信は、悪所と聖地の結びつきを指摘する。そこは、「無縁」「無主」の原理が支配する「アジール」で、そうした「アジール」は、都市の周縁部に集められた寺社やその門前町にも見出されるという。

そうした「アジール」は、江戸の北東部、すなわち鬼門に、集中していた。

花の山 鬼の門とハ おもわれず (『柳多留』十一篇)

十八世紀に東叡山を詠んだこの川柳は、庶民に親しまれた桜の名所が「鬼門」に位置するという認知が、広く定着していたことを伝える。東叡山の名は、徳川家康を東照大権現という「神」に祀り上げた、大僧正天海(?―一六四三)によってつけられた。天界は、桓武天皇が平安城に都を定めたとき、皇城の東北にあたる比叡山を鬼門鎮護の地とし、同地に延暦寺を建てたとの伝承に倣い、江戸城の東北/鬼門にあたる忍岡、今日の上野の地を東叡山と名づけ、寛永寺を築いたのだった。

「鬼門」という「迷信」を、半ば疑い、半ば信じる。怪訝に思いつつもどこか惹かれる。江戸の人々の鬼門への態度はそのようなものだった。新井白石は懐疑的な立場で、この「鬼門」を、さまざまな文献を引いて考証し、『鬼門説』を著した。なかでも興味深いのは、二代将軍徳川秀忠による鬼門の見解である。

御殿の造営にあたり、ある者が秀忠に、鬼門忌の習いに従って東北の隅を欠くべきであると進言した。京都御所をはじめとする当時の敷地や建物は、鬼門を忌み、北東の隅に角を作らないよう「缺(か)け」(凹み)を設けていた。それに対して秀忠は、「天下はなを一家のごとし。我家の鬼門は蝦夷の地にやあるべき。其外の地、禁忌にかゝハるに及ぶべからず」、すなわち、自らが治める天下は、いよいよ一家のごとく統治されている。この家の鬼門は、「蝦夷の地」の他にはない、と答えたというのだ。

蝦夷地と鬼門を結びつける事例は枚挙にいとまがない。ここでは、その代表である義経のことを述べておこう。

阿部敏夫によれば、北海道には110以上の場所で源義経(1159-1189)にまつわる伝説が存在する。義経山や義経岩、義経神社に加え、北海道最初の機関車は「義経号」と名付けられた。源義経といえば、平安末期、機知に富んだ戦術で平氏を追討しながらも、兄頼朝との不和から都を追放され、逃亡した先の奥州平泉で自害し、31歳でこの世を去った人物である。その悲劇的な生涯は人々の同情を集め、彼を英雄視する数多くの伝説を生んだ。なかでも「義経蝦夷渡伝説」―義経は平泉で死なずに蝦夷地に渡り、その地で大王と仰がれ、神としてまつられた―という物語は、義経の死にまつわる伝説のうち、最も流布したものである。(義経の蝦夷征伐は、蝦夷地の支配/開発とともに、そして義経チンギスハン伝説は、満州の支配/開発とともに世に流布したという。義経もまた羊の宿主側ということになろう。)

義経はまた、御伽草紙『御曹子島渡』では、鬼退治の英雄である。義経所縁の鞍馬寺は、北方を司る毘沙門天を本尊とし、京都の北を守護する寺であったが、それは同時に異界の入口ともみなされていた。つまり、義経の蝦夷征伐は、北方/異界の鬼退治、鬼門守護と密接に結びつくものであった。だから、義経蝦夷渡伝説での義経は、その出発地の平泉からしてすでに北東/鬼門であり、それをさらに北東へとおし進めていったのであった。

秀忠によれば、江戸唯一の鬼門である「蝦夷の地」、日本の北東隅にある蝦夷ヶ島は、江戸のアジール/悪所と同様に、鬼門のオソレと遊興が融合する地であった。

蝦夷ヶ島の入口、現在の道南渡島半島に位置する三つの港、松前・江差・箱館から成る松前三湊は、「古今無類の繁花」として、江戸時代の人々の注目を集めていた[2]

三浦泰之は、そんな「繁花」の地に惹かれた家出少女、鉄代(20歳)を紹介する。出羽国酒田から親に黙って箱館に「他所奉公」に出かけた。親に黙って山形から出てすすきののキャバクラでバイトをしていた、というようなものだ。鉄代は親に連れ戻され、親の同意なく働いたという罪で取り調べを受けた。取り調べ記録によれば、鉄代はかねがね、「松前」は「繁花之場所」で「面白」い「御国」であることを聞いていたので、ぜひ行ってみたいと思ったという。

蝦夷ヶ島は、鬼門と繁花、オソレとエロ、異質なものが同居するアジールに引き寄せられたのは、鉄代だけではなかったはずだ。

先に述べたように、鬼門の守護のために、北東隅を「缺(か)く」(凹ませる)習いがあった。その習いがなければ、蝦夷ヶ島/北海道は日本になっていなかったかもしれない。というのも、その島の形は、ちょうど北東部を欠いた、菱形なのである。牛乳やバターや洋菓子のパッケージに頻出するそのかたちは、47都道府県のなかでもっとも表象され消費される境界線だと思われる。広く親しまれるそのかたちは、江戸時代から続く安心のかたちだったのだ。

ところで、鬼門を守護する方法は、北東隅を「缺(か)く」だけにはとどまらない。京都御所の北東隅の「缺(か)け」、すなわち築地塀が内側に凹む一角の塀の上には、猿の像が安置され、そこは「猿が辻」と称される。猿は、魔が「去る」に通じるうえ、猿/申が鬼門/東北、すなわち丑寅と反対の西南を指すことから、鬼門除けの標とされたという。のみならず、御所の北東に位置し、皇上鎮護の社とされる幸神社の祭神は猿田彦神であり、先に述べた鬼門鎮護の霊場、延暦寺の鎮守社である日吉大社は猿を日吉神の使いとする。京城には、猿/申による鬼門守護が幾重にも施されているのだ。

北海道と羊との結びつきに着目したハルキは、この猿による鬼門守護を知って、それをずらして利用していたのではないか。

鬼門/北東は、丑寅である。その反対の南西に位置するのは、猿/申だけではない。南西は、未申、羊と申なのだ。

柴田勝二が指摘するように、『羊をめぐる冒険』が十二支の論理をはらんでいることは、〈黒服の秘書〉が羊を「十二支の中にも入っている比較的ポピュラーな動物」と述べることや、小説内に登場する「十二」という数字の異常な多さからも明白である。

江戸時代の鬼門守護に登場するのは、もっぱら猿/申であり、〈僕〉は、1956年生まれの申年である。つまり、〈僕〉と羊は、ともに、鬼門に反する存在なのだ。

加えて、『羊をめぐる冒険』では、あらゆる数字がある意味を帯びるように思われるが、それらはこの羊と北東と結びついているように思われる。

例えばこの小説は、〈僕〉がかつて共に過ごした「誰とでも寝る女の子」の葬式に行くところからはじまる。

〈僕〉が思い起こす「誰とでも寝る女の子」との日々のなかで、とりわけ重要なのは、次の場面だ。

 一九七〇年十一月二十五日のあの奇妙な午後を、僕は今でもはっきりと覚えている。 

 我々は林を抜けてICUのキャンパスまで歩き、いつものようにラウンジに座ってホットドッグをかじった。午後の二時で、ラウンジのテレビには三島由紀の姿が何度も何度も繰り返し映し出されていた。ヴォリュームが故障していたせいで、音声は殆ど聞きとれなかったが、どちらにしてもそれは我々にとってはどうでもいいことだった。 

 「君が欲しいな」と僕は言った。「いいわよ」と彼女は言って微笑んだ。

 僕がふと目覚めた時、彼女は声を出さずに泣いていた。午前二時だった。

 「二十五まで生きるの」と彼女は言った。「そして死ぬの」

 一九七八年七月彼女は二十六で死んだ。

彼女が死んだ1978年7月、その2ヶ月後、〈僕〉は羊を探す旅をはじめる。1978年の干支は午、すなわち羊の前の年である。

そして奇妙な午後から、彼女が死ぬまでは八年弱、八は、羊が干支の八番目であることと無縁でないだろう。この小説では随所で、八に満たない数が登場し、八の手前、羊の手間で右往左往する〈僕〉が立ち現れるのである。

他方で、死んでしまった二人、三島は丑年、「誰とでも寝る女の子」は寅年。二者に惹かれる〈僕〉は、丑寅/北東に引かれていくのだ。

『ねじまき島クロニクル』にも登場する北海道は、小山鉄朗が指摘するように、ハルキにとって「死や霊的なものと結びつく所」である。おそらくハルキは、北海道が丑寅/北東であることを、強く意識していたに違いない。そこに、〈僕〉/猿と羊という、その土地と反対の性質をもつ異物を投入することで、ただでさえひずみを孕む異界の地に、さらなるひずみを生むことを企んだのであった。

鉄代をはじめとする江戸時代の「本土」の人々が蝦夷ヶ島に渡るためには、船に乗るしかない。

今日北海道に行くのに船を使うことは稀である。しかし、鉄道を使えば海底に潜り、飛行機を使えば上空を飛ぶという、非日常的な運動を伴わなければ、到達できないという点で、蝦夷ヶ島/北海道は、今尚、異界なのである。地続きでないという実感は、橋やトンネルで結びつけられた四国や九州よりも、ずっと大きいのだ。

〈僕〉は飛行機に乗ってはるか北東の北海道札幌を訪れ、列車でさらに北東の上川郡十二滝町を訪れる。そこは、札幌の近くの部落にいたアイヌ青年が、開拓民たちの求めで十六日間、北へ北へと、川へぶつかってからは東は東へと歩き、これ以上は前に進めないというところまで彼らを導いた場所であった。その町の山奥に、崖を見下ろす「不吉なカーブ」を経由して、ようやく到達することのできる牧場。幾度も越境のプロセスを経て、たどり着くその牧場は、北海道/北東/鬼門の極となる。

閉ざされた牧場の山荘で、〈僕〉は、あらゆる感覚を失っていく。

そのうちに雪が降りしきってくると、外は白くけぶり、山も林もなにも見えなくなってしまった。それは東京に時折降るようなこぢんまりとした雪ではなく、本物の北国の雪だった。何もかも覆いつくし、大地を芯まで凍らせてしまう雪だ。

じっと雪を見つめているとすぐに目が痛くなった。僕はカーテンを下ろし、石油ストーブのそばで本を読んだ。レコードが終り、オートチェンジャーの針が戻ってしまうと、あたりはおそろしいほどしんと静まりかえった。まるで生あるもの全てが死に絶えてしまったあとのような沈黙だった。

目が痛くなることは視覚の、沈黙は聴覚の麻痺をあらわす。

そして思い越せば、〈僕〉は、すでに札幌で、「東西南北の感覚」を失っていた。

北海道では、視覚、聴覚、方向感覚、時間感覚といった、感覚が失調する。加えるに、北海道の冷たい乾いた土地では、嗅覚さえもが失われる。電車の中で他人の匂いを感じたり、生ゴミの腐敗した匂いを感じたりすることを、北海道ではほとんど経験したことがない。

感覚の鈍麻する土地では、繊細な人間は育ちづらいだろう。よく言えばおおらかな、悪く言えば、鈍感で図太い人間が育ちやすいのが、北海道であると想像する。

ハルキの小説ではしかし、感覚の失調は肯定的な意味を持つ。

先の通りに感覚が鈍麻になった〈僕〉は、夜の闇という、さらなる視覚の遮断のなかで、通常では感覚できないもの、すなわち、〈鼠〉と邂逅するのであった。

〈羊博士〉が羊を宿したのもまた、満州国境付近の洞窟のなか、やはり感覚を失調させる場所であった。

鬼門というひずみの増幅する場所にあって、感覚を麻痺させたとき、外部との邂逅という、「天然知能」は、最大限に発揮されることとなる。

さて、蝦夷ヶ島は、鬼門と繁花、すなわち、オソレとエロ、異質なものが同居する場であることを述べた。

そうした両義性によって、人々を惹きつけたのは、その土地だけではない。

蝦夷ヶ島/北海道の住人の代表たる、アイヌ民族の肉体も、そうしたアンビヴァレントな魅力をはらんでいる。

 

第2章第3節 アイヌの肉体

〈僕〉が羊を思うとき、それはしばしば生殖の不安と結びついている。

例えば、本作で〈僕〉が生きている羊を初めて目にするのは、十二滝町の町営の緬羊飼育場である。

 僕が牧舎に入ると、二百頭の羊たちは一斉に僕の方を向いた。(略)彼らはまるで集団で思考しているように見えた。彼らの思考は僕が入口に立ち止まっていることで一時中断していた。何もかもが停止し、誰もが判断を保留していた。僕が動き始めると、彼らの思考作業も再開された。八つに分断された柵の中で羊たちは動き始めた。牝を集めた囲いの中では牝たちは種牡のまわりに集まり、牡羊だけの囲いの中では彼らはあとずさりしながらそれぞれに身構えた。 

その飼育場の管理人は、羊のことを次のように語る。 

 羊が好きだからね。羊は性格の良い動物だし、人の顔もちゃんと覚えるんだ。まあ、羊の世話をしてると一年なんてあっという間にすぎちまうし、ただそれがぐるぐるまわっていくだけの話よ。秋に交尾して、冬をやりすごして、春に子供を産んで、夏に放牧する。仔羊が大きくなって、その秋にはもう交尾する。そのくりかえしだよ。

そして、羊は群れの中の順位が一頭ずつすべて決まっていて、よく喧嘩をするという。

いちばんかわいそうなのは、なんといっても種牡だね。羊のハーレムのことは知ってるかい?

 羊を飼う場合、いちばん大事なのは交尾の管理なんだ。だから牝は牝、牡は牡で隔離して、牝の囲いの中に一頭だけ牡を放り込む。まあだいたいいちばん強いナンバー1の牡だよな。つまり立派な種をしこむわけさ。そして1カ月ばかりその仕事が終ると種牡はもとの牡だけの囲いに戻される。でもそのあいだに囲いの中には新しい順位ができあがってる。種牡は交尾のおかげで体重が半分も減っているから喧嘩しても勝てっこないんだ。なのに他の羊ぜんぶと総あたりで喧嘩をやらせるんだ。気の毒なものさ。

そもそも〈僕〉は、羊に巻き込まれることになったはじめから、「種つけがポイント」だと、〈黒服の秘書〉に教えられていた。

私は君に日本の近代の空虚性について語ろうとしているわけじゃない。私の言いたいのは、幕末以前には日本には羊はおそらく一頭も存在しなかったということと、それ以降輸入された羊は政府によって一頭一頭厳重にチェックされていたという二点にある。このふたつが意味するのは何だ?」

それは僕に対する質問だった。「日本に存在する羊の種が全て把握されているということですね」

「そのとおり。加えるに羊は競走馬と同じで種つけがポイントだから、日本にいる羊のほとんどは何代も以前にまで簡単にさかのぼることができる。つまり徹底して管理された動物なんだ。

 羊の生殖、それが徹底して管理されていることに、〈僕〉は気味の悪さを感じる。しかし、〈僕〉は、小説の中で、繰り返し繰り返し、性交する。

 性交ということばが僕はとても好きだ。それは何か限定された形の可能性を連想させてくれる。 

 限定された形の可能性とは、なんだろう。〈僕〉は別の場所ではこうも言っている。 

 女の子と寝るというのは非常に重大なことのようにも思えるし、逆にまるでたいしたことじゃないようにも思える。つまり自己療養行為としてのセックスがあり、暇つぶしとしてのセックスがある。 

 これらから鑑みるに、限定された形の可能性とは、妊娠が考慮されていない、ということではないだろうか。つまり〈僕〉のいう「性交」は、「生殖」とはまったく異なる。〈僕〉は作中、子供はいらないという主張を繰り返す。

 だって僕みたいな子供が産まれたら、きっとどうしていいかわかんないと思うよ

  つまりね、生命を生み出すのが本当に正しいことなのかどうか、それがよくわからないってことさ。子供たちが成長し、世代が交代する。それでどうなる? もっと山が切り崩されてもっと海が埋め立てられる。もっとスピードが出る車が発明されて、もっと多くの猫が轢き殺される。それだけのことじゃないか

 妊娠、生殖と切り離された「我々の性生活」は、「鯨の性生活とは根本的に異なっているのだ」と〈僕〉は言う。

 我々は鯨ではない−−−−これは僕の性生活にとって、ひとつの重大なテーゼである。

 子供の頃、家から自転車で三十分ばかりのところに水族館があった。

 水族館には鯨はいない。鯨はあまりにも大きすぎて、水族館をつぶしてまるまるひとつの水槽にしたところそれを飼うことはできないのだ。そのかわりに水族館には鯨のペニスが置いてあった。まあいわば代用品だ。 

そこには切り取られたペニス特有の何かしら説明しがたい哀しみが漂っていた。

 僕が最初に女の子と性交したあとで思い出したのも、その巨大な鯨のペニスだった。それがどのような運命を辿り、どのような経緯を経て水族館のがらんとした展示室に到達したのかを考えると、僕の胸は痛んだ。しかし僕はまだ十七歳で、すべてに絶望するには明らかに若すぎた。そこで僕はそれ以来こう考えるようになった。

 我々は鯨ではない、と。

 山﨑眞紀子は、この「鯨のペニス」を天皇と重ねる。すでに巨大な本体から切り離されて弱体化されたそれは、「ジークムント・フロイトやジャック・ラカンのいうファロス的機能を果たす象徴の意味合い」を持たない、本来の機能を失ったものとして作品に組み込まれていると言う。つまり、「権威と思われていたものがいまや中枢から切り離されている状態、先の三島由紀夫自決場面と重ね合わせて考えれば、神ではなくなった象徴天皇を表している」と。

ところで、〈僕〉の性生活と対比される鯨の性生活は、先の羊の哀れな性生活に比されるように思われる。

〈僕〉の性生活は、自己療養行為、あるいは暇つぶしであり、子孫を残すこととは隔てられている。

それに対して、鯨をはじめとする野生動物の性生活は、すなわち繁殖であり、子孫を残すという野生の目的に基づいて行われる。

そして、羊をはじめとする家畜の性生活は、すなわち種つけであり、子孫を残すとことを強制されている。

天皇はどうか。それは、もはや権威ではないのにかかわらず、ひたすらに、その世代を継承するという役目は負うのである。その「性生活」は、〈僕〉と鯨と羊の三択のなかではもっとも、羊に近いと言える。

 神ではなくなったと言え、天皇は相変わらず日本の象徴、中心にある存在である。

ハルキは、その中心たる天皇を、日本の辺境たる北海道と、接続しようとしているようだ。

ハルキは無意識に察知していたのではないだろうか。

北海道の先住民族アイヌの肉体が、天皇の前身たる神の肉体に利用されたことを。

「鯨のペニス」がそうであるように、天皇や、その系譜に連なる日本神話の神々は、長らく肉体を持たなかった。河田明久は言う。

明治の初め、日本は、国家には主体を表現する身体が必要だという西洋流の常識を痛感したことがあった。いわゆる御真影がこうして生まれたことは知られるとおりだが、完成作の体躯が西洋人の肉体にもとづいていた事実はあまり知られていない。首から下のモデルを務めたのは作者であるイタリア人画家のエドアルド・キョッソーネ自身なので、身もふたもない言い方をすれば国内外で公式に認められた明治天皇の体はイタリア人だったということになる。

同様の困難は、江戸時代末期から明治にかけて、日本神話の図像化が迫られた時にも生じた。そこで、神々の体に用いられたのは、イタリア人の体ではなく、アイヌの体だったのではないか。

  矢島新によれば、記紀神話の主神であるスサノオやアマテラスは、中世以前に絵画化された例が少なく、その姿が人々の目に触れる形で描かれるようになるのは近世に入ってからである。及川智早もまた、「江戸期より前に神々が描かれることはほとんどない」と指摘したうえで、その背景に、記紀がほとんどの神について身体的な特徴を一切述べていないという事情があると述べる。

日本神話の神々は、姿を、肉体を持たないものであった。 

 西洋に対峙した日本人が、彼の地の近代社会において、キリスト教信仰を背景に聖書等の物語群が図像化・絵画化されているのを目の当たりにしたとき、また、ギリシャ・ローマ神話をはじめとする豊かな神話伝説群を素養として持ち、それらが美術の主題として多く採られている西洋文明に触れたとき、日本人の根拠として新たに見いだされたものが『古事記』『日本書紀』に載録された神話や古代説話群であったといえる。ゆえに、明治以降、大正、昭和戦前期に至るまで、日本の神話・古代説話というものが、社会のいろいろな媒体(メディア)にじわじわと露出していくのである。そこでは、古代の神話や説話の文字テクストが社会に普及すると同時に、その図像化の試みも多くなされていくようになる。神話や古代説話の図像化は比較的新しく、近世以降のことだが、それらは往々にして『古事記』『日本書紀』の文脈をしたものであった。(略)八世紀に作成された『古事記』『日本書紀』は、中国からもたらされた漢字という「文字」のみで記された書冊であるから、挿絵のような画像は附されていない。よって、我が国古代の神話・説話の人物の図像を作成しようとする者は、後代の様々な資料を蒐集して参考にしたり、おのれの想像力を駆使したりしなければならなかったはずだ。

及川はその著『日本神話はいかに描かれてきたか──近代国家が求めたイメージ 』で、明治以降の絵葉書や、引札、刊本の挿絵などの多様なヴィジュアルイメージから、神々の図像の変容を解き明かす。

しかし、幕末から明治初期に、神々を描きはじめた先駆的な絵師達が、いかにしてその造形を立ち上げたかについては、ほとんど言及していない。それは国文学を専門とする及川の手には余る課題であろう。しかし、本来その課題を担うべき美術史学もまた、その課題を解明できていない。その要因は、矢島が初期の作例に、絵馬を挙げていることに明白である。日本神話の神々達はまず、絵馬や、本の挿絵といった、日本美術史の分野が等閑視してきたメディアで図像化されていったのだった。幾人かの美術史家たちが、それらを研究対象に見据えるようになったのは、つい最近のことだ。

今わたしに、この課題に十分に答える用意はない。しかし、一つの可能性を、すなわち、アイヌの肉体がそこで用いられた可能性を、提示したい。

日本神話を描いた初期の作例として真っ先に浮かぶものに、小林永濯(1843-1890)による《天之瓊矛を以て滄海を探るの図》(ボストン美術館所蔵、1880年代)がある。

小林永濯天之瓊矛を以て滄海を探るの図(ボストン美術館所蔵、1880年代)

永濯はそこまで著名な画家ではないが、2015年に東京藝術大学で開催された「ダブル・インパクト 明治ニッポンの美」で、その独特な画が、にわかに注目を集めた絵師である。狩野派に学んでのち、洋画、写真や浮世絵などを通じて写実的な描法を習得したという。イザナミとイザナギの2柱の神が天浮橋に立ち、矛を用いて混沌とした大地をかき混ぜたところ、その矛からしたたり落ちた雫から島が誕生したという、日本の国創り神話を描いている。

注目したいのは、矛をもつ男神、イザナギの姿である。束ねずに長く垂らした量感のある髪、口元や顎を覆う髭。こうした容貌が、永濯が描いたアイヌ民族の姿と重なるのである。例えば、やはりボストン美術館が所蔵する錦絵アイヌ風俗図と見比べると、その量感溢れる髪型や髭は、イザナギでは若干抑えられているものの、通じるものがある。

小林永濯アイヌ風俗図(ボストン美術館所蔵)

アイヌ民族を描く絵は、宝暦年間(1751-1764)頃も松前の絵師によって描かれはじめ「夷画」と呼ばれ、定型化した表現が継承されていく。永濯の《アイヌ風俗図》にも確認でき、男性のアイヌはおしなべて、束ねずに伸ばした豊かな髪と髭、つながった眉に濃い体毛で描かれる。加えて、衿の合わせを、通常の右衿(右の衿を内側にする)ではなく、左衿(左の衿を内側にする)着方で描くのも、アイヌ民族の「夷狄」をあらわすための、お馴染みの手法であった。さて、永濯もまた、その衿がアイヌと同じ左衿であり、その衣服は、アイヌを描く際にはお馴染みの、アイヌ文様のついた樹皮衣(アットゥシ)の地色と同様なのである。

永濯と交流のあった河鍋暁斎(1831-1889)もまた、アイヌ民族を描いている。暁斎は北海道の名付け親である松浦武四郎(1818-1888)とも親交があった。やはり、武四郎と親交のあった富岡鉄斎(1837-1924)もまた、アイヌ民族を描いた絵を複数手がけており、鉄斎は蝦夷地を神仙世界とを重ね合わせて絵画化しているのである。

アイヌ民族を古代日本と結びつけようとする傾向は、19世紀の蝦夷地の調査記録にも見出せる。例えば、《蝦夷島奇観》では、古代日本の「盟神探湯」(対象となる者に、釜で沸かした熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うという呪術的な裁判法)と同様の風習がアイヌのあいだにあることや、アイヌ語と「万葉時代」の言葉との共通点を報告している。

アイヌ民族は、一方ではそうした日本の古代と結びつけられ、他方では、ヨーロッパと結びついてもいた。幕末から明治にかけて、アイヌ民族の祖先はヨーロッパ人と同じであるという説が信じられ、19世紀末から20世紀初めにかけて、ヨーロッパから訪れた学者たちが、アイヌに関する資料を盛んに収集し、自国に持ち帰った。

つまり、アイヌの肉体は、天皇の肖像画にふさわしいと認められたヨーロッパ人に比される理想的なものでありながら、それが古代日本とも結びつくという、なんとも好都合なものだったのである。

 

第四章 再び塔

『羊をめぐる冒険』が、なぜ、北海道/蝦夷ヶ島を舞台にしたのか、いまや明らかである。北海道は、人々の営みと、日本の近代化や情報化といったシステムとが、ちぐはぐに同居する場所として、描き出されていた。羊に象徴されるそうした統一のシステムの対抗軸となるのは、〈僕〉と〈鼠〉と〈羊男〉の三者からなる「天然知能」であった。そして、その「天然知能」が存分に発揮される場所こそ、北東/鬼門というひずみに位置する北海道であったのだ。鬼門においてはオソレとエロ、聖なるものと俗なるものという、異質なものが結びつくが、そこに暮らすアイヌ民族もまた、その肉体によって、古代日本とヨーロッパという異質なものを媒介するアンビヴァレンスを有していた。

そして、冒頭にわたしが述べた、居心地の悪さとはなんだったのか。

ドウミンは、ピースフルでナチュラルな観光地、「自然豊かな北海道」の皮をかぶって、そのことを忘却している。それは、〈僕〉が恐れた、広告が支配する世界そのものである。そのキャッチフレーズのもとで、ドウミンは、近代化や開拓のちぐはぐさや、鬼門のまがまがしさや、アイヌの肉体のなまなましさを、隠蔽してしまっているのである。

倒れゆく塔、空に向かってまっすぐに伸びる塔は、その一元化の象徴であった。その赤く錆びた鉄板は、「外部」を受け入れる余地をもたない、頑ななものであった。

ここで浮かび上がるのは、百年記念塔とは異なり、「外部」をひたすら受け入れることを想定してつくられた、「四つの風」(札幌芸術の森美術館所蔵、1986年)という作品である。

高さ5.4メートル、4本の赤エゾ松の柱を立てたその作品は、塔に見えなくもない。

作者の砂澤ビッキ(1931-1989)は、「風雪という名の鑿」が作品を刻み続けるだろうといい、柱が倒れ、朽ち果てるまでを作品にすると宣言した。

哀れにも取り壊され、撤去されていく「百年記念塔」と、朽ち果てゆくまでを見守られる「四つの風」。

『羊をめぐる冒険』の羊とその抵抗者たちと同様に、ここでも「天然知能」的なあり方が、生き残ることとなっている。

 

◆註

[1]平成19年(2007)に、「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択されて以来、アイヌ政策は新たな段階に入りつつあります。現在、「アイヌ政策推進会議」(座長:内閣官房長官)において、 ■「民族共生の象徴となる空間」の整備(北海道白老町ポロト湖畔に整備予定)■国民理解の促進■アイヌ施策の全国的展開 など新たな取組に向けて、積極的に検討を進めています。(内閣官房アイヌ総合政策室ウェブサイトよりhttps://www.kantei.go.jp/jp/singi/ainusuishin/policy.html

[2]三浦泰之によれば、当時の松前三湊の旅行案内書『千島講宿帳』(1850-51頃)は、山ノ上と呼ばれる江差の繁華街を、茶屋や遊女屋、芝居小屋が立ち並び、年中芝居が行われる「古今無類の繁花」と紹介する。

◆参考文献

村上春樹『羊をめぐる冒険』上・下(講談社、2004)

 

及川智早『日本神話はいかに描かれてきたか──近代国家が求めたイメージ 』(新潮社、2018)

加藤典洋『村上春樹は、むずかしい』(岩波書店、2015)

河田明久「日本人の肉体と「正しい身体」」『現代思想』30巻9号(青土社、2002)

郡司ペギオ幸夫『天然知能』 (講談社、2018)

小山鉄郎『村上春樹を読みつくす』(講談社、2010)

柴田勝二「受動的な冒険 : 『羊をめぐる冒険』と〈漱石〉の影」『東京外国語大学論集』74号(東京外国語大学、2007)

陣内秀信『東京の空間人類学』(筑摩書房、1992)

春木晶子「「《夷酋列像》と日月屏風−−多重化する肖像とその意義−−」『美術史』186冊(美術史学会、2019)

春木晶子「アイヌを描いた絵」『北海道史事典』(北海道史研究協議会編、北海道出版企画センター、2016)

春木晶子「蝦夷地に渡った義経の物語―北海道の絵馬から―」『北の学芸員とっておきの《お宝ばなし》~北海道で残したいモノ、伝えたいコト』(北海道博物館協会学芸職員部会編、寿郎社、2016)

松浦寿輝「大樹の出現を待望する」『ザ・タワー 都市と塔のものがたり』(江戸東京博物館・読売新聞社・NHKプロモーション、2012)

山﨑眞紀子「<戦争の記憶>アイヌ青年の死・村上春樹『羊をめぐる冒険』論 : 村上春樹と北海道II」『札幌大学総合論叢』35号(札幌大学、2013)

矢島新『近世宗教美術の世界 内なる仏と浮世の神』(国書刊行会、2008)

文字数:28783

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