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世代論で見る映画史

■はじめに

 

2018年、日本映画を盛り上げた三つの映画がある。

是枝裕和監督(1962-)による社会派ドラマ『万引き家族』。

想田和弘監督(1970-)によるドキュメンタリー『港町』。

上田慎一郎監督(1984-)の娯楽ドラマ『カメラを止めるな!』。

 

2018年に話題となったという以外には、共通点がないように思える三つの映画は、いずれも異なる「共同体」のあり方を映し出す。少々乱暴ではあるが、それは、三人の監督の属する生まれ年、60年代、70年代、80年代という各ディケイドに起因する価値観のあらわれではないか。

 

■『万引き家族』是枝裕和監督(1962-)

東京に暮らす、犯罪によって結びつく(偽)家族を描く。是枝監督がこれまでとりあげてきた、「家族」をテーマにした作品の集大成と言えるもので、「家族」をつなぐものは何か(「血」か「心」か)という長年の問いを基盤に、「年金の不正受給」事件から着想を得て制作したものという。第71回カンヌ国際映画祭の最高賞「パルム・ドール」を受賞した。の問題(血縁か時間か)の集大成と評される。

是枝は、東京都に生まれ育ち、87年に早稲田大学を卒業後、テレビ番組制作会社に入社。バラエティ番組のADを三年間経験し、90年には念願だったドラマ演出を手掛けるが、過酷な時間制約のなかでのドラマ制作に直面し、少人数のスタッフで自由が利くドキュメンタリーに転向。ドキュメンタリー1作目となった『しかし… 福祉切り捨ての時代に』で、ギャラクシー賞優秀作品賞を受賞した。以後、多くのドキュメンタリーを撮り、95年にはついに『幻の光』で映画監督デビューを果たし、以降、企画、脚本、監督、編集、すべて自らで行い制作を行ってきた。

2000年代は、「ファミリードラマにこだわり、政治や社会的状況を後ろの方に下げて、家のなかの問題、自分が父親になって感じる切実な問題を、狭く深く掘ってみようと意識的に続けた。」と言い、『万引き家族』は、その集大成とも言える。

 

■『港町』想田和弘監督(1970-)

過疎化のすすむ岡山県瀬戸内市牛窓を訪れ、漁を営む老父、撮影者である想田夫妻に世話をやく老婆を中心に、そこで出会った人々をひたすらに映し出す。想田が2005年より手がける、「観察映画」の一種で、予断と先入観を極力排除して対象をよく観察し、音楽やナレーションを一切用いず、長回しによる映像を主とするドキュメンタリー。

栃木県に生まれ育った想田は、東京大学卒業後、1993年にニューヨークに渡り、スクール・オブ・ビジュアル・アーツ映画学科へ入学。在学中に制作した短編『花と女』(1995)がカナダ国際映画祭で特別賞を受賞。長編『フリージング・サンライト』(1996)、『ザ・フリッカー』(1997)も、国際映画祭でノミネートされる。しかし、劇映画のオファーは来ず、テレビの仕事でドキュメンタリー映像の魅力に目覚め、日米を往復しながらドキュメンタリー映像を取り続け、NHKではドキュメンタリー番組を40本以上演出し、養子縁組み問題を扱った『母のいない風景』(2001)はテリー賞を受賞する。しかし、「あらかじめ台本が存在しており、そのとおりの映像を撮っていく」テレビ・ドキュメンタリーのあり方に疑問を感じ、フレデリック・ワイズマンのような「台本のない」ドキュメンタリー映画を自主制作で作ることを考えるようになる。2005年以来「観察映画」を撮り続ける。

 

■『カメラを止めるな!』上田慎一郎監督(1984-)

とある自主映画の撮影隊が山奥の廃墟でゾンビ映画を撮影していた。本物を求める監督は中々OKを出さずテイクは42テイクに達する。そんな中、撮影隊に 本物のゾンビが襲いかかり、大喜びで撮影を続ける監督、次々とゾンビ化していく撮影隊の面々・・・という「37分ワンシーン・ワンカットで描くノンストップ・ゾンビサバイブムービー」が展開。エンドロールが流れ暗転したのち、その製作にいたる経緯のドラマが展開され、冒頭の37分の映像の製作場面へと至る。冒頭の37分に散りばめられた不可解なシーンの背景に、度重なる撮影トラブルとスタッフの奮闘があったことが紐解かれてゆく。会場が笑いと涙につつまれる娯楽映画。2017年に製作、先行公開され、上映館数2館からのスタートが評判をよび、累計上映決定館数は340館、動員数202万人(10月22日時点)を数え、国内外で数々の賞を受賞するなど、「映画界のシンデレラストーリー」と称されるほどの快進撃をみせた。

上田は滋賀県出身で、中学時代からハンディカムで自主映画を撮りはじめる。高校卒業後、ヒッチハイクやSF小説の自費出版、ホームレス生活などを経て、2009年に自主映画団体に入り、映画を学ぶ。その後約3ヶ月後に映画製作団体PANPOKOPINAを立ち上げ、短編映画を数々手掛け、国内外の映画祭で多くの賞を獲得する。『カメラを止めるな!』(以下、カメ止め)は初の劇場用長編映画となる。

■三作品が映す共同体

三作品はいずれも、ある種の「共同体」を描く。

『万引き家族』では、血縁関係のない、誰一人血縁関係を持たない(偽)家族という共同体を映し出す。老婦人の初枝、日雇い労働者の治とクリーニング店で働く妻信代、JKリフレ店で働く信代の亜紀、夫婦に拾われた幼い祥太とりん(元の名はじゅり)が、老婆の年金と、夫婦の安月給、そして治と祥太による「万引き」をはじめとする窃盗によって、生計を共にする。夫婦は、祥太とりんの父母になることを望み、家庭内暴力を受けていたりんは次第に(偽)家族に心を開いていく。血縁よりも強い「心の絆」で結ばれ、貧しいながらも幸せを得たと思われた(偽)家族であったが、初枝の死を契機に事態は変化していく。初枝の死体を埋め、初枝をいなかったことにしろという発言や、窃盗に倫理的疑問を感じはじめた祥太は、万引きをしてわざと警察に捕まる。その結果、捜索の手が回ると察した(偽)家族は、荷物をまとめて家を去ろうとするが、警察に捕まり、死体遺棄と誘拐容疑の責任をとって、信代は服役する。映画の最後には、施設で暮らすこととなった祥太が、一人暮らしをする治を訪れる。祥太は、治を誘い、二人は雪だるまをつくり、それから、おなじ布団に入る。祥太は、自分を置いて逃げようとしたのかと治に問い、治はそれを認めて謝り、「父ちゃん」をやめて、「おじさん」に戻ると、祥太に告げる。翌日、映し出される溶けかけの雪だるまは、祥太と治が、諦めきれなかった仮初めの共同体が、いよいよ崩壊したことを告げる。バス停での別れのラストシーンで、祥太は、自分がわざと警察につかまったことを告げ、バスに乗り込む。その間、治の顔を一切見ようとしない祥太に対し、治は、祥太ぁ祥太ぁと泣き叫び、よろめきながらバスを追う。治が見えなくなった頃、祥太はようやく振り向き、映画は終わる。

『万引き家族』は、(偽)家族という共同体の形成と、その束の間の成功、その継続の困難と、結果訪れる崩壊を描く。そして共同体の父である治は、ラストシーンで、祥太という(偽)息子の方がずっと大人の振る舞いを見せていたように、弱い父、あるいは、父になり損ねた父として、描かれる。

映画の途中では、警察の取り調べによって、祥太の名は、治の本名であることが明かされる。自身の名を、(偽)息子につけたのは、自身が憧れ手にできなかった「理想の家庭」を(偽)息子に与えたいという願望のあらわれであり、最後に泣き叫び自身の名を繰り返すのは、結局祥太の幸せではなく、自身の幸せをしか願っていなかった、治の無自覚の罪、醜さと、すべてを悟りながらも治を憎みきれない祥太の悲哀を映し出す。

『万引き家族』は、血縁ではない絆に可能性を見ながらも、結局はその破綻を描く。そして、悪人ではないが、強い絆を夢見て実現できない、できそこないの「父」の悪を、痛烈に批判する。

『港町』で映像の中心を占めるのは、86歳の漁師・ワイちゃんと、浜にたむろするおしゃべりなクミさんである。ワイちゃんも、クミさんも、それぞれ妻と夫を亡くし、こどもたちとは離れて、一人で生活をする。無口なワイちゃんは淡々と、毎日同じルーティーンで漁を営み、おしゃべりなクミさんは、浜を時折行き交う人々すべてに声をかけ、一人でも楽しく過ごせると、撮影者に語りかける。ワイちゃんが魚をおろす市や、その魚を仕入れて町中にトラックで小売する魚屋、魚を買って猫に分ける若い夫婦なども画面には映し出されるが、中心となるのは、ワイちゃんとクミさん。

想田が描くのはすなわち、血縁による家族という共同体が「崩壊」、あるいは、自然に消滅した後に、弱い絆で結びつく、老人達が、この映画の中心である。

『カメラを止めるな!』で中心となるのは、働き盛りの時期を超え、そこそこの質を売りにする、うだつの上がらない映像監督。これから一人暮らしをはじめようとする娘に、最後に「かっこいい姿」を見せようとして奮起して、もちかけられた難題、ノーカットの長回しによるゾンビドラマの生中継にチャレンジする。意気込んだものん、わがままな役者に、依頼者の都合に、振り回され、監督でありながらも、自分の意見を折り続ける監督。本番もトラブルが続出し、機転を利かせて乗り切るものの、最後の決め手であるクレーンによる撮影も、機械が故障し、「作品より番組」という依頼者の都合で押し切られ、最後の最後にやっぱり折れる監督。そこで、奮起するのがたまたま現場に訪れていた娘で、父親以上に機転を利かせ難題を乗り越え、そのクレーン撮影をも、あっと驚く方法で、クリアーする。さまざまな困難を乗り越える中で、ばばらであった役者やスタッフ達も一丸となり、無事放送を終える。だめ親父だけど、娘に助けられてばかりだけれど、だめながらにかっこいい親父像が、泥臭い撮影現場の内実とともに、感動をもって映し出される。

上田が描くのは、理想とは違うかもしれないが、ありのままで十分、かっこ悪いけどかっこいいという、価値観であった。

60年代の是枝は、理想を求める父(おそらくは50年代より上の世代)を痛烈に批判し、

70年代の想田は、批判や否定すらせずに、崩壊を前提に、来るべき未来を見据え、

80年代の上田は、批判すべき父を救済し、現状肯定をする。

この姿勢の違いは、彼らの青春時代(10代〜20代)の文化状況に起因する。そしていずれも、フィクションとドキュメンタリーのあわいにある。

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