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1988年、高橋源一郎様

前略。

あなたの文章を講談社文芸文庫で読んで、胸をときめかせてから何年になるでしょう。

あの『ジョン・レノン対火星人』(1988)の衝撃をわたしは現在(いま)もよく憶(おぼ)えております。

あの時のあなたののこぎり歯のような言葉、絶妙な固有名詞の配列、気高い文章(センテンス)、そしてとりわけ卑猥で残虐で執拗に繰り返される性交と死(躰)。

もちろんこう書いたところでわたしは世にいう「全共闘文学ファン」ではありません(と思います)。

村上春樹の『ノルウェイの森』、小池真理子の『無伴奏』、川本三郎の『マイ・バック・ページ』を読んでも胸がきゅんとなるわけではないからです(そうだ、これらの三作品はすべて映画化されていますね)。

源一郎様、あの時のあなたはとても素敵でした。しかし、と残念ながら言わなければなりません。何故(なぜ)なら卑猥で残虐なのこぎり歯でできた気高いあなたの文章(センテンス)は、『さようなら、ギャングたち』以降姿を消してしまったからです。

わたしは現在(いま)『さようなら、ギャングたち』を手にしても、あの喉にこみ上げてくる、疾走する性と暴力を期待せずにはいられないのです。もちろん、『さようなら、ギャングたち』が悪いわけではあるません。冒頭で繰り返される「ギャングども(・・・・・・)」は、タイトルの「優しさ」を照射すると同時に、言葉の細部の差異に繊細であるべきことを1ページ目から読者に知らしめますし、川の表面をびっしりと埋め、石をぶつけられ、罵られ、おしっこをひっかけられながら海へ向かって流れゆく「古い名前たち」は、コピーブームに象徴される80年代という消費社会の絶頂期の固有名詞の氾濫と明滅の類稀なる暗喩(メタファー)ですし、「キャラウェイ、まだちっこいからわかんないよう!!」と自身の幼さに自己言及する無邪気な少女は、70年代の全共闘運動の喪失を埋めるように80年代に興隆をみた「ロリコンブーム」を揶揄しているようです。すなわち、『さようなら、ギャングたち』は「現実」への上品で甘美な言葉の棘です。

しかしながら源一郎様はかの傑作『ジョン・レノン対火星人』では、「現実」に言葉の肉塊を叩きつけます。そこに「むき出しの憎しみや怒りが詰まっている」とあなたはおっしゃいます。しかしそれは、「現実」を愛するが故の、希望を諦めないからこその憎しみや怒りであり、そのためにそこに、哀しみが横溢しています。

あなたは、『さようなら、ギャングたち』の序章の前に、「東京拘置所における流行について話そう。」と題する文章を載せています。それは、次の一節ではじまります。

 

一九七〇年。東京拘置所で流行(はや)っていたのは手淫(マスターベーション)だった。流行った、流行った、わたしもやった。

 一九七一年。東京拘置所で流行っていたのは小説を書くことだった。流行った、流行った、誰(だれ)もが小説を書くことに熱中していた。もちろん、わたしも。

 そして一九七二年。

 独房にいたわたしたちの間に熱病のように野球(ベースボール)が流行りはじめた。

 

そして「わたし」は「運動檻(おり)の中の幻のマウンドの上に立ち」、「奇妙な三塁(サード)コーチャー」のことを語ります。「幻の三塁(サード)コーチャーズ・ボックスの左はじに立ってぐるぐると腕をまわし、三塁(サード)ベースをかけぬけてゆく走者(ランナー)たちを次々と本塁(ホーム)ベース上で憤死させていた」「奇妙な三塁(サード)コーチャー」は、「わたしたち」が保釈され、「たった一人だけ残され」たあとも、「かれだけに理解できるサインを送りつづけ」、一九七三年に独房から精神科の病棟へうつされ、左の睾丸を二度、右の睾丸を一度握りしめる「ジョン・レノン対火星人」というサインを創り出し、独房で首を縊ったといいます。

ここまでであなたは、この小説が、一九七〇年前後のあなたの経験とかかわりがあることを明かします。その頃あなたは、学生運動に加わり、演説やデモに参加しては逮捕留置を繰り返し、ついに起訴されて、一九七〇年の二月から八月まで、東京拘置所に拘置されます。作中の「わたし」とあなたが、自ずと重ねられます。そして、自軍の選手を「次々と」「憤死させ」「首を縊った」「奇妙な三塁(サード)コーチャー」は、連合赤軍の実質的指導者で、同志殺害を指揮し、七二年に逮捕され、七三年に東京拘置所で首吊り自殺した、森恒夫に重ねられます。

序章以降、あなたは次のような話をつむぎます。いつか書く予定の「偉大なポルノグラフィー」のための断片をノートにしたため続ける「わたし」と、「わたし」の同居人で性交相手の青年「パパゲーノ」のもとに、次々と送られる手紙。その内容は、バリエイションに富んだ死躰の執拗な記述で、送り主は「すばらしい日本の戦争」、送り主の住所は、「わたし」がかつて過ごした東京拘置所でした。「すばらしい日本の戦争」は、「花キャベツカントリイ殺人事件」で逮捕された「花キャベツカントリイ」党のリーダーで、「死躰」に取り憑かれ、死躰のことしか考えられない状態に陥っています。「わたし」は、かつて「マザー・グース大戦争」をともに戦いともに逮捕された、片足の運動機能が損なわれ、「突発性小林秀雄地獄」を患う「ヘーゲルの大論理学」と、拘置所内の懲罰や拘置除外のリンチに屈しなかった同志「テータム・オニール」、彼女の経営するトルコ「ハリウッド」に勤める「石野真子」ちゃんとともに、「すばらしい日本の戦争」を引き取り、彼を苦しみから救おうと奮闘します。「テータム・オニール」による「愛のレッスン」、すなわち性交への取り組みによって、「すばらしい日本の戦争」は「死躰」に取り憑かれない瞬間を得るようになります。それは回復の兆しかと思いきや、その瞬間を得ることによってかえって、死躰のことしか考えられない状態が苦しみと感じられ、「すばらしい日本の戦争」は破滅へと向かっていきます。ついに「わたし」は、「すばらしい日本の戦争」に、「あなたは気が狂ったふりをしているだけです」と伝えることで、「レッスン」を終わらせます。「すばらしい日本の戦争」が「もう死躰はどこにもない。自分のことを考えられるということがこんなにすばらしいとは思わなかった。幸福だ。ぼくは治った。」と言うのを聞いて、「わたし」は「完全に失敗してしまった」と言います。行方不明となり遺体で見つかった「すばらしい日本の戦争」の火葬場で、五人は、故人との「関係」を問われて、肩をすくめます。最後は、死躰に取り憑かれた「わたし」の死躰の描写で物語は終わります。

ポルノグラフィー作家、身体障害者、同性愛者、風俗嬢は、いずれも、「異常」とみなされがちな属性の人たちが、精神に「異常」をきたした人を、「異常」な仕方で救済しようとします。救済者の筆頭である、「テータム・オニール」にまつわる描写は、特に卑猥で残虐です。彼女は拘置所で、鎮静衣と称する拘束具をつけて、排泄の自由もない懲罰房で、千二百六十三日間の拘置期間中の半分を過ごしたのち、釈放直後に九州大学教養部田島量へ連れ去られ、両手の爪をハンマーでなぐられ、爪と肉の間を千枚通していつまでもつつかれ、ついに陰核(クリトリス)を切除され、釈放されます。ところで、「テータム・オニール」は、10歳で『ペーパー・ムーン』(1973)に出演し、当時最年少でアカデミー助演女優賞を受賞したアメリカの俳優の名と同一です。「本物のテータム・オニールのように可愛い少女」と記される「テータム・オニール」が、残虐に扱われ、そしてトルコ風呂の人気ナンバーワンなのです。

源一郎様。あなたが固有名詞を羅列することによって、あなたの小説は閉じていると言う人がいるようですが、それは大いなる間違いです。なぜなら、「テータム・オニール」にその名をつけることによって、わたしは、「テータム・オニール」が、『ペーパー・ムーン』や『がんばれ!ベアーズ』(1976)でそうであったように、年の差や性別の差にとらわれずに、毅然とした態度で、フェアに振る舞う金髪の可愛い少女であることを、了解できるのですから。固有名詞は、それがまとう、あらゆるイメージを、テキストに引き込みます。あなたの固有名詞の羅列は、小説の奥行きを深め、小説を世界に開きます。

そして、タイトルの「ジョン・レノン」。おなじく全共闘運動とかかわる川本三郎の小説『マイ・バック・ページ ある60年代の物語』(1988)が、ボブ・ディランの楽曲のタイトルであるのと、対照をなします。タイトルが「ジョン・レノン」が、ジョン・レノンの官能的な身体を喚起するのと同様に、あなたの小説もまた、身体全身で言葉を発しています。わたしは吐き気をもよおしながら、身もだえしながら、その言葉を受け止めました。あなたの、あの時の、「ボルテージの高い」言葉が、感性の鈍った、不感症の現代には、もっともっと必要なのです。

草々

文字数:3659

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