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「誰が」の文学

 

1、『批評メディア論―戦前期日本の論壇と文壇―』─「誰が」VS「何を」─

 

「誰が」(=主体)が「関心」を集める。「理論」(=内容)ではない。

1934年の「論壇」と「文壇」を、大宅壮一はそう回顧した。戦前期の膨大な出版物を渉猟した大澤聡は、そこから1930年代に先鋭化した二つの事象を抽出し、大宅の思考を跡づける。ひとつは、人物の有名性に駆動された受容形態、「固有名消費」であり、いまひとつは、メディア・パフォーマンスとその記号化、「キャラ化」である。同時期に流行した「座談会」という形式もまた、その二つの事象に彩られた。座談会は、「《誰と誰が論じるのか》というアングルの前景化において商品価値をもった」。「何を」論じるかは、二義的なものに過ぎない。

そうした潮流に抗い、大宅は、「形式」よりも「内容」を重視すべきという。人々が論理を選ばないことを、よく知っていたからこその振る舞いである。しかし、かえってそれは「形式」を前景化させ、そしてみずからは、消費の対象である「固有名」に帰すこととなる。それは恰も、死刑に直面するソクラテスの如くである。ソクラテスもまた、人々が論理を選ばないことを、いかに論理が正しくとも、死刑判決を覆すことはできないことを知っていた。だからこそ、論理を貫き、反対弁論をまっとうし、刑に処された。

たほうで、ソクラテスの弟子プラトンは、師の思想を広めた著作の数々で、「対話篇」という「形式」を追求した。たとえば『饗宴』は、二重の間接説話(アポロドロスが宴の列席者の一人から聴いたところを、別の友人に物語る)を用いて、一堂に会した6人が順にエロス(愛)を賛美する演説をおこなうようすを伝える。最後の語り手であるソクラテスは、自身に愛の事を教えてくれた「ディオティマ」との対話を再現すると、語りの形式に言及したうえで、演説をはじめる。

プラトンの形式の追求は、形式に注がれるその内容、すなわち、師の理論の「真実らしさ」の形成に向けられる。形式を制することでプラトンは、ソクラテスの意思を継ぎ、その思想を世界に開いた。メディアの変遷、すなわち、形式の変遷を徹底して追及する大澤もまた、閉塞する「論壇」と「文壇」を開くことを展望する。そしてその活路を見出したものは、対話や対談という、やはり形式であった。

 

 

参考文献

大澤聡『批評メディア論―戦前期日本の論壇と文壇―』(岩波書店、2015)

プラトン著、久保勉訳『饗宴』(岩波書店、1952)

 

 

2、ゲンロンカフェ ─『饗宴』のリハビリテーション─

 

ソクラテスがエロス(愛)を説く、プラトン著『饗宴』。一堂に会した6人が、ワインの杯を重ねつつ、順にエロスを賛美する演説をおこなう。掉尾を飾るソクラテスは、こう始める。

 

僕がかつてディオティマというマンティネイヤの婦人からエロスについて聴いた話をすることにしよう。(中略)それをするのに一番容易な方法は、あの外国の婦人がかつて質問しながら僕に説明してくれたようにすることだろうと思う。

プラトン著、久保勉訳『饗宴』(岩波書店、1952)

 

ソクラテスは、その対話を直接話法で語り、エロスが肉体の美から精神の美、さらには美そのものへの渇望、すなわちフィロソフィア(知恵の愛)にまで高まるという理解にいたる、その過程を開示する。列席者の一人は、その演説により、心臓が激しく鼓動し、言葉に誘われて涙が迸り出すと賛美した。

 

2018年5月14日、ゲンロンカフェのトークイベントで、似た光景を見た。四人の論者がゲンロン代表の東浩紀とともに、飲み物を片手に、順にゲンロンの未来を語るプレゼンを行う。歯に衣着せぬ物言いでそれを評していた東が、中盤、現代日本の問題を、『ソクラテスの弁明』を引いて語った。「アンチは悪い、しかし、アンチを潰さなかった俺も悪い」。ソクラテスの失意を現代風にアレンジし、直接話法で、自身の状況をも重ねて語る東の姿に観客は、古代ギリシャの哲学者を透かし見た。5時間におよぶイベントで、もっとも観客が前のめとなり、もっとも会場が高揚した場面であった。

ソクラテスと東はともに、伝えたい内容を、その場を超越する存在に語らせる。つまり、「何を」以上に、「誰が」を重視する。ただし、「誰が」の重視は、一歩間違えれば、ポピュラリティの獲得の自己目的化を引き起こす。空洞化した自己が蔓延する現況を、大澤聡は指摘する。

ゲンロンカフェは、空洞化した自己の皮膚を剥ぎ、カラの内部をさらす。歓迎されるのは、それに耐えうるキャラである。同時にゲンロンは、カラの内部に種を蒔き、実を充実させる役目も、買ってでる。ゲンロンの営みは、恰も、『饗宴』のリハビリテーションである。

 

 

3、ボブ・ディラン─声の文学─

 

あらゆる芸術の範囲に属する作品は創作(ポイエーシス)で、またそういうものの制作に従事する者はすべて創作家(ポイエーター)なのです。(中略)人は創作の全領域からその一部を、すなわち音楽と韻律とに関するものだけを引離して、これに全体の呼称を与えています。実際これだけが創作(詩作)と呼ばれまたこの種類の創作に携わるものだけが創作家(詩人)と呼ばれているのです。

プラトン著、久保勉訳『饗宴』(岩波書店、1952)

 

全体とは、ある時点である人たちが与えた呼称に過ぎないと、プラトンは見抜く。

ボブ・ディランのノーベル文学賞授与は、これと似た議論を引き起こした。ディランの仕事は「文学」か。結局ディランは、古代ギリシャで特権的な地位にあった詩人に比される仕方で、賞を授与された。

それに対し、波戸岡景太は、こう指摘する。「確かに、ディランの言葉は文学的な力に満ちている。しかし、その力は、彼の音楽性と不可分であるばかりでなく、ディラン特有の声があってこそ最大の効果を期待できるのではないか」。

同時期にデビューしたビートルズの楽曲とは異なり、ディランの楽曲は、誰もが口ずさむものではない。菅野ヘッケルの言葉を借りれば、「だれもディランのように歌えない」からだ。どういうことか。ビートルズの曲には、メロディがある。それを歌う。たほうでディランは、歌うことで、メロディを紡いでいく。それは、浄瑠璃の太夫の語りに、三味線が沿うのに似ている。鼻にかかっただみ声で、語るように歌うその声は、ときに冷徹に、ときに情熱的に、ときに飄々と、ときに悲しく、響く。

ベッツィー・ボーデン『演じられる文学―ボブ・ディランの言葉と音楽―』(1982)は、カルチュラル・スタディーズの興隆に伴い、「文学とは何か」という問いが頭をもたげたなかで、ディランの声に導かれ、その外延を拡張した。

文学とは何か、音楽とは何か、詩とは、声とは。ボブ・ディランは、全体性に揺さぶりをかけ続ける。

 

 

参考文献

『ボブ・ディラン マイ・バック・ページズ』(河出書房新社、2016)

文字数:2788

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