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tofubeatsとECD

先ず引用より始めよ。

 

野田努「じゃあ、日本のヒップホップのトラックメイカーで好きなのは?」

トーフビーツ(以下TB)「サンパブさんとか。あと、石田さん(ECD)はずっと好きですね。」

──「素晴らしいですよね。」

野田「でも、トーフビーツがECDっていうのは意外だなあ。どこが好きなの?」

TB「納得がいくんですよね、あの人の態度に。共感できない部分は多々ありますよ。でもあの人はあの人で言ってることに納得できるんですよね。他人の意見として。もちろん、石田さんも意見が変わってきてもいると思うですよ、結婚とかもして。でも、それをちゃんと解説するじゃないですか。だから納得が行くんです。僕、ラッパーで一番大事なのは、納得できるかどうかだと思うんで。上手い、下手じゃなくて。」

(ele-king Vol.11〈巻頭インタビュー〉トーフビーツ 竹内正太郎/野田努/小原泰広)

 

ECD(本名:石田義則)、2018年01月24日死去。57歳没。

カルチュラル・スタディーズの日本における中心的な紹介者の一人として知られる毛利嘉孝氏の代表的な著書「ストリートの思想 転換期としての1990年代」の「第四章 ストリートを取り戻せ! ゼロ年代の政治運動」に下記の記述がある。

 

二〇〇三年のイラク反戦運動において、中心的な役割を果たした知識人はいない。(中略)その代りに登場したのが、ミュージシャンやDJ、作家やアーティスト、あるいは匿名性の高い無数の運動を組織するオーガナイザーである。(中略)こうした新しいタイプのオーガナイザーを、「伝統的な知識人」に対して「ストリートの思想家」とでも呼んでおこう。「ストリートの思想家」は、アントニオ・グラムシが言うところの「有機的な知識人」の現代版である。(中略)けれども、「知識人」では伝統的な大学人と混同されるおそれもあるため、本書ではあえて、彼ら・彼女らを「思想家」と呼びたい。そして「ストリートの思想家」と名づけるのは、彼ら・彼女たちの匿名性とその高い移動性のためである。(中略)二〇〇三年の反イラク戦争でも以降の社会運動では、こうした複数の「ストリートの思想家」が重要な役割を果たしていく。

 

毛利は「ストリートの思想家」の定義をし、すぐさまその具体例を挙げる。

 

対抗的な「生権力」と聞くと、私の頭の中に流れるのは、ラッパーECDの「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」である。(中略)二〇〇〇年代中ごろのサウンドデモのアンセムとなった曲である。(中略)歌詞を見てみよう。

 

世界残酷 Ain’t No Joke

ショック連続 それをふりほどく

ひっぱりあげる 倒れた仲間

やっぱりポリス ファックだ 人殺し

実力行使 直行 鉄格子

わかっちゃいるけど 路上解放区

毎度の 態度悪い 暴れん坊

ファイトのライト 種類 ただ連呼

言うこと聞くよな奴らじゃないぞ

言うこと聞くよな奴らじゃないぞ

 

「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」と叫んでいるのは誰か。ECDは、はっきりとは書いていない。(中略)フランスの政治哲学者ルイ・アルチュセールは、有名な論考「イデオロギーと国家のイデオロギー緒装置」の中で、主体がいかに「呼びかけられるか」説明するにあたって、その注釈で警官の「おい、おまえ、そこのおまえだ!」という呼びかけを例として挙げている。(中略)「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」連中は、そうした呼びかけの臨界点として常に立ち現れるのだ。それは国家権力の呼びかけを逆手にとって、身体が対抗的な主体を作り出す具体的な例なのである。ストリートに置かれた身体のあり方は、このように両義的なのだ。

 

毛利はECDのラップ「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」に国家生権力へ対抗的な身体の主体化=「ストリートの思想」を見出すことにより、ECDを「ストリートの思想家」と形容するが、しかしECD自身の経歴にも「ストリートの思想」を見出すのが下記の記述だ。

 

「言うこと聞くよな奴らじゃないぞ」を作った経緯が書かれている『いるべき場所』は、六〇年生まれの、日本のラッパーとしてはベテラン的存在のECD自らの個人史を語った一種の自伝的書物である。(中略)彼が七〇年代から八〇年代にかけて、どのような音楽や文化の経験をしたのかというところである。それは本書が「ストリートの思想」として扱っている、七〇年代末の日本のパンクシーンから始まる文化的な体験にぴったりとあてはまる。七〇年代末、ヒップホップに出会う以前のECDは、まだ本名の石田義則を名乗っており、パンク〜ニューウェイヴ文化の影響を受けた演劇青年だった。(中略)ECDは、ヒップホップに見られるアフリカ系アメリカ人の人種的アイデンティティ・ポリティクスの文化以上に、七〇年代末のインディーズシーンが持っていた反資本主義敵でDiY的な政治性を受け継いでいる。それは時代とシーンを「横断」することで形成されたのである。(中略)ECDの軌跡は、今日の「ストリートの思想」がどのように形成されてきたかを示すひとつの例として読むことができる。

 

毛利はこのように『いるべき場所』を読むのだが、ECDのラップや著作にはもっと別の魅力的な側面がある。

 

ブロンクス 石田さんは〈さんピン〉を主催してたし、日本語ラップ・ブームの真ん中にはいたけど、雰囲気はどう考えてもアウトサイダーだよね。

上野 年上だし、音楽的バックグラウンドを見ても普通のB-BOYではないっていうのもあったからかな。

磯部 でもこのアルバムに関しては割とみんな買ってたんじゃないかなあ。『MASS対CORE』も入ってるし。ECDのアルバムっていうだけじゃなくて日本語ラップ・シーンのアルバムって意味合いもあったと思う。

(中略)

磯部 ニューウェイヴっぽい感じとかね。

ブロンクス 自分のルーツを隠さないし、隠せないという。

上野 石田さんはそもそもレゲエDJですもんね。

ブロンクス 〈アンダーグラウンドDJコンテスト〉に石田さんは「レゲエDJはDJだ」って出ちゃったのもすごいよね(笑)。それで優勝してるし。 (レゲエにおける〈DJ〉は、一般的にヒップホップにおける〈MC〉を指す)

磯部 当時はDJブームだったんだよね。とにかくDJが脚光を浴びてる時代で、ラップは添え物みたいな。

上野 DJブームの中で、TINY PUNXとかと石田さんってどういう関係だったんだろう?

磯部 石田さんは近田春夫のボーヤだったんだよ。その辺のことについては、最近出た石田さんの自伝『いるべき場所』に詳しいよ。

ブロンクス 〈いるべき場所〉っていうのは、『ホームシック』の頃にはエイベックスでヒットも夢見たけど、あれから色々あって、いまに至って。結局、俺がいる場所はあそこじゃなくてここだった……っていう意味でしょうね。

磯部 そうだろうね。でも、根本はあんまり変わってないんだけどね。参加している人もツボイさんとかクボタさんだし。

(中略)

磯部 『BIG YOUTH』のネタは全部和モノって聞いたけど。外国の曲も、日本人がカヴァーしてるものをサンプリングしてるって。『バイブレーション』は笠井紀美子ネタだけど、そういう和モノ使いも、このアルバムから本格的に始まったよね。

(中略)

磯部 俺は『AM I SEXY?』のラップが一番好きなんだよね。これはトラックを作ってるクボタさんについて延々ラップしてて、ディス・ソングのパロディになってる。子供心にもユーモアのレベル高いなあと思ってた。

ブロンクス そうなんだ!いや、いま謎が解けましたよ。「Fine」誌の〈MC教室〉でこの曲の説明を見て「これ誰のことディスってるんだろう?」ってずっと思ってて。

(中略)

磯部 なんと言っても、このアルバムが重要なのは、こんなすごいのに、石田さんはこのとき童貞だったっていう。

ブロンクス えっ!?マジで?

上野 やばいなー。先輩さすがだなー。

磯部 〈さんピン〉の時だってそうだったんだから。「J-RAPは俺が殺した」とか叫んでるとき童貞だったんだもん。それはすごい偉大なことだと思うよ。詳しくは小説の『失点イン・ザ・パーク』を読みましょう。童貞をこじらせてる人は勇気付けられるよ。

(サイプレス上野のLEGENDオブ日本語ラップ伝説 第5回 ─ ECD『ホームシック』~シーンきってのアウトサイダーが辿った道程 https://tower.jp/article/series/2008/04/03/100047337

 

ラッパーECDのアルバムはもちろんだが、『いるべき場所』の前に書かれたECDの処女小説『失点イン・ザ・パーク』や彼の他の著作は「ストリートの思想」という概念より、むしろ自身の一時の栄光(『MASS対CORE』、〈さんピンCAMP〉、「J-RAPは俺が殺した」)や現行のHipHopシーンから距離をとり、平穏とは程遠い現実を淡々と、時にはあけすけな事実(例:37まで童貞)を率直に語るような作風が多い。この点がtofubeatsの言及する「納得が行く」ということだろう。また政治的なトピックやアクティヴィズムに関する記述も俯瞰的な筆致となることが多い。シーンの主流から外れた音源(和モノ、ジャズ、サイケ、ラテン、ロックンロールetc.)のサンプリングなども含め、それゆえにシーンのアウトサイダーになる原理が垣間見られる。これもまた「納得が行く」点だろう。

 

実際にtofubeatsも自身がシーンのアウトサイダーだと述べたテクストがある。またそのテクストには自身の活動が時代とシーンを「横断」することに触れる部分がある。

 

一方のぼくは、そのころはHIPHOP音源をアップして交流するサイトに属しており、現在のSeihoなどとは、そこで既にハンドルネームを通しての面識があった。そこから徐々に地元・神戸のHIPHOPシーンと多少なりとも交流をもつようになるが、そこは、どちらかというと閉じた空間で、サンプリングにおけるルール(当時は特にJAZZY HIPHOPのブームなどがあった)の多さなどがあまりに自分にフィットしないと感じ始めていた。またネットで年齢も関係なく匿名でアップするすることに慣れていたからか、リアルな先輩後輩関係のようなものに全然馴染むことが出来ず、その界隈からフェイドアウトしていくこととなってしまった。

マルチネでの初リリースが決まったのもこの年だ。「WIRE08」に出演が決まったとはいえまだ四つ打ちをつくったことがなかった(!)ため、いくつかデモをつくることとなった。そのデモこそが『dj newtown – Flying between stars(*she is a girl)』(MARU-24)である。tofubeatsとは別名義になっているのは、なんとなくそうしただけのことなのだが、後にこの名前が自分の音楽の方向性まで決定するとは夢にも思っていなかった。その後dj newtownは、これまでに自分が借りてきたTSUTAYAのCD、ブックオフのCD、YouTubeの関連動画欄などを、踊れる音楽へと編集していく際に使用される名義となっていく。

神戸のニュータウンという、歴史のない町、神社のない町で自らのルーツを見つけていくは、現在のtofubeatsの活動の根幹をなす部分でもあり、このリリースが、そのことに気付くきっかけとなった。

さらに、自分が当時のHIPHOPに感じていた違和感、例えば日本人が、なぜアメリカ人の音楽であるジャズをサンプリングしなければならないのか?なぜレアグルーヴを集めなければならないのか?J-POPって格好悪いものなのか?といった疑問を解消するために、またそういう傾向のある種の反発もこめて、自分の手の届く音楽を自分の好きなように編集して作った作品でもあった。

(WIRED VOL.13 TOFUBEATS & THE RISE OF THE MUSIC GEEKS tofubeats特別寄稿 インターネットはいかにぼく(と音楽)を救ったか?)

 

しかし、2015年9月、所属していた事務所を離れ、自身のマネジメントをする会社を創業したtofubeatsはインターネットの救いから距離を取り、次なる「納得が行かない」問題意識を抱いた。

 

──「数字」ではない「コミット」というお話には、興味があります。規模もそうですが、神戸を拠点においていらっしゃることも、関係しているのでしょうか。

ぼくらが東京から離れて地方にいるのは、いまの流行りを追っかけたところで得することはあまりないという想いがあるからです。

東京にいるとまだ夢を見られて、クラブでDJをやっても500人を超えるお客さんが来てくれます。でも、地方にいたら、クラブミュージックをやって大金持ちになるイメージなんてなかなかできない。ここでは『Apple Music』に加入するために料金を払おうとしてもクレジットカードを持ってる人がそもそも少ないし、彼らが月980円を(店頭で購入した)iTunesカードで払うのはとても難しいと思うんです。絶対に、すぐに忘れちゃう。

──地方にいることで、現実と乖離した熱狂のようなものから距離を置ける、ということでしょうか。

距離を縮めていくと、そのレールに乗り続けるしかなくなるんです。神戸から東京に出て行ってしまうと、その先は例えばニューヨークにでも行かないといけない。会社の経営と同じで、拡大し続けるのか、あるいは「ミッション」と利益を両立させられるかという話でしょうね。

それに、自分のことを何も知らない人たちのなかで暮らしていたら、天狗にならないで済みます。10年、神戸で荒廃した海を眺めながら音楽活動を続けてきて、いまになってやっと「身の程」がわかってきた気がします。

同時に、音楽に関していえば、ものづくりに他人の意見が入ってくるのは危険だと思っているんです。例えば「好きなミュージシャンはどんな人ですか」って聞かれたとき、ぼくは決まって「自分のなかで的が定まっていて、そこにだけ投げてる人」だ、と答えています。だから、自分がやってきたこれまでの仕事についても、やらなければならないことや、これだけはやりたくないことを、バランスとりながらやってきていると思います。そういう感覚は端からするとうっすらと透けて見えてきます。ちょっといやらしい言い方ですが、それは「品」とも言えるかもしれません。

──品性を保つというのは、言い換えると「これはやらない」と決めることかもしれません。

例えば、ぼくは、曲を通して政治や思想に関しての極端な発言はしないようにしています。あるいは、人に対して暴力的なことを言わない。そういった「これはやらない」という点については、徹底していると思います。

(No.023音楽家はなぜ音楽をつくるのか。そして、産業のために何ができるのか──tofubeats http://wired.jp/series/wired-audi-innovation-award/23_tofubeats/)

 

さらにtofubeatsはメジャー3rdアルバム『FANTASY CLUB』を制作する際に、明確に〈ポスト・トゥルース〉という「納得が行かない」社会問題に向き合うことになる。

 

廣田:話は戻りますが、今回のアルバムのテーマである〈ポスト・トゥルース〉に行き着いたきっかけは何かあったんでしょうか?

トーフ:BBCのニュースを見ているときに、この言葉を知ったのがきっかけですね。

廣田:〈ポスト・トゥルース〉の問題って、主にジャーナリズムとかメディアの人たちがテーマとして語ってきたものだと思うんですが、なぜ、アーティストであるトーフさんが、これをテーマにしようと考えられたんでしょうか?何かインスパイアされるものがあったんですか?

トーフ:〈ポスト・トゥルース〉という概念自体が、インターネットから出てきたものですよね。インターネットというもののメリットを享受しながら育ってきた自分だからこそ、この問題にどう対応するか考えるべきだろうなと。自分だけではなく、聴いてくれる人も興味を持ってくれるのではないかと思いましたし。

廣田:アルバム2曲目に収録された『SHOPPINGMALL』のなかに、「とくに話す相手はいない」という歌詞がありますね。

トーフ:これは分かる人と分からない人がいる話かもしれないんですが、最近、インターネットの移り変わりを感じるというか、本当にネットがすべての人に行き渡りつつあることを感じるんです。それと同時に、自分たちが最初にインターネットに触れていたころと文化が変わってしまった気がするんですね。インターネットが広がりすぎてしまった。この感覚を言い表す言葉がなかったんですが、〈ポスト・トゥルース〉という言葉が出てきて、「これこれ」ってなったんです。

(ポスト・トゥルース時代のトーフビーツ(仮)」──tofubeats × 若林恵 トークイベントレポート【前編】 https://cotas.jp/entertainment/post-truth-tofubeats-1.html

 

しかし、tofubeatsは「納得が行く」新たな世代が現れたことにも気付く。

 

TB:そうなんですよ。もう真逆。ぼくらがインターネットをはじめたときは、地方にいても良いものを作ったらみんなに見つけてもらえる時代が来るぞと思っていた。でも、いまはむしろ逆で、言い方は悪いですけど下世話なものに流れていくようになった。それはもう自分が思っていたインターネットと違うんですよ。別物だけど自分はインターネット世代と言われるみたいな悲しさもあるし……とはいっても自分はツイッターもインスタグラムも使っているし。そんなことは言いながらも、使っているんですよね。こういうときにそういうこと(ネット文化)を揶揄するのは自分も使っているから難しいじゃないですか。ということを曲にできたらいいなと思って作ったのが『SHOPPINGMALL』なんです。

(中略)

■だから確実に新しい世代は出て来ているんだよね。日本でも『レトリカ』みたいなメディアも出てきているじゃない?

(中略)

TB:『レトリカ』の登場はぼくも久々にテンション上がったっすね。

(インターネットの憂鬱──トーフビーツ、インタヴュー 取材:野田努/写真:小原泰広http://www.ele-king.net/interviews/005724/index.php

 

 

思えば『朝が来るまで終わる事の無いダンスを』が風営法反対運動のアンセムとなった事実を忘れることはない。ダンスフロアの聴衆は、この曲に国家生権力へ対抗的な身体の主体化=「インターネットの思想」を見出したのだ。

「ストリートの思想家」の代表格たるECD亡き今の世、tofubeatsは新たな「インターネットの思想家」の一人に数えられるだろう。

もちろん〈ポスト・トゥルース〉のみならず、消費社会における衰退する地方都市の問題と向き合うには、また別の論理が必要になる。この論考がブラッシュアップされるときには、連帯と自由の二元論を超えるためにローティの思想における「アイロニー」が補助線となるだろう。

ただ今はただ力不足ゆえにこの段階に終わる他ない。

 

おそらくストリートもインターネットも「横断」するとダンスフロアに繋がるのだ。

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