SFとおたくのプログラム
これは最近のライトノベルが酷いと叩きたいときによくネタにされる小説の一節だ。以下にその複数例を挙げる。
・最近のラノベってこんなに酷いのな……(ソニック速報)
・【画像】 最近のラノベ が ヒ ド イ wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww(神速報)
だがしかし、これは自らをSFの善き読者を自認する身ならば、知らぬものはいない不朽の名作、アルフレッド・ベスター「虎よ、虎よ!」の一節だ。
ベスターの小説はその銀河的なスケールのストーリーテリング(彼の作風をブライアン・オールディスは「ワイドスクリーン・バロック」というジャンルと命名した。ほぼ彼だけのために名指したのだ)だけにとどまらず、その掟破りのタイポグラフィーも彼の作品の特筆すべき価値の一側面になった。
ちなみに以下が原文のタイポグラフィーだ。
この比較は翻訳の困難さを端的に示したように思える。上記の画像を見比べれば、翻訳者の巧みな技巧や血の滲むような苦心が感じられよう。
だがしかし、冒頭に挙げた複数の2chまとめに掲載された記事は1956年に発表された当時はCool=「クール」だった表現が、現代にはライトノベルがよく使いそうな「陳腐化」した「タイポグラフィ芸」と受け止められ、ほとんどの読者がこれを素人の「芸」だと感じ、ほぼ完全に嘲笑される対象となった。
これと同じ現象は他にもまだある。
1984年に発表されたサイバーパンクの始祖が一人、ウィリアム・ギブスンが著した「ニューロマンサー」の翻訳者・黒丸尚が多用した外語ルビ表現である。
後にこのサイバーパンクと称されるムーブメントは、往々に日本(というより香港のような)の無秩序な公共空間の存在、という極東のオリエンタリズムをブレンドしたエッセンスを作品世界に内包することとなった。その由来を単なる野次馬根性を除けば、多分にギブスンの妻が日本語の教師だった以上の要素はないように思える。だがしかし、この漢字に外語のルビを振るという行為は、このムーブメントの世界観を翻訳するという作業における唯一無二の金字塔になった。
黒丸が生み出した外語ルビの筆頭に挙げられるのは「電脳空間」という造語だろう。既にサイバーパンクの先行作品にジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「接続された女」などがあったが、この「電脳空間」の概念なしには、洋の東西を問わず、もちろん日本における熱狂的なサイバーパンク・ムーブメントは成立し得なかっただろう。
だが黒丸が生み出した数々の外語ルビ表現もまた「陳腐化」の道筋を辿ることとなる。
現代のライトノベルはタイトルに外語ルビを冠した作品が多い。以下抜粋。
1. とある魔術の禁書目録
2. 星刻の竜騎士
3. 精霊使いの剣舞
4. 魔弾の王と戦姫
5. 聖剣使いの禁呪詠唱
6. 落第騎士の英雄譚
7. そして不滅の神域封剣
8. 俺と彼女の青春論争
9. 聖剣の姫と神盟騎士団
10. ラストマギカの魔工契約
(以下省略)
以上のリストを眺めると、MIT発のハッカーカルチャー(なおサイバーパンクの先駆的存在のギブスンは計算機械に詳しくない)が極東のオリエンタリズムと「幸福な結婚」をした結果、生まれたのが黒丸的外語ルビだとすれば、ここにはもはやその血統の正統性はなく、むしろ中世欧州を模した世界観の作品タイトルに外語ルビを振るという本末転倒な事態がある。
この二例の現象はおそらくは二個の共通点がある。どちらも出自がSFだということ。その表現が行き着いた先がライトノベルだということ。
ここから言及したいのはSFからライトノベルへの文化遺産の継承は当然の理だということだ。
日本におけるオタクの命脈というのは戦前から幾つかあろうが(鉄道オタクなど)、戦後間もなく確固たる地位を築いたのはSFファンダムだった。1957年に柴野拓美の主宰する「科学創作クラブ」が日本初のSF同人誌「宇宙塵」を発行し、1959年から創刊したS-Fマガジンに多数の才能を送り出した。1962年の第1回日本SF大会は宇宙塵創刊5周年及び「SFマガジン同好会」発足を記念として開催された。SF大会を模し、開催された「日本漫画大会」は1972年から70年代を通じ、開催された。
1960年代に入り漫画、SFや映画などに積極的に興味を示す人々が出現、同時に表現の場の同人誌が制作されるようになった。このような流行の端境期に直面した旧来の「日本漫画大会」的な漫画や漫画への反発という観点から、時代の潮流が大型の同人誌即売会の開催を求めた。そこに出現したのがコミックマーケットだ。
赤井孝美監督・庵野秀明監督・ダイコンフィルム制作の「愛國戦隊大日本」は1983年に開催された日本SF大会「DAICON4」の宣伝のためのプロモーション用に制作され、その前年にSF大会「TOKON8」に上映された。このフィルムは82年から84年にかけ、「愛國戰隊大日本」論争をも巻き起こした。
その一方、ガイナックスの全身のゼネラルプロダクツにより1984年12月に開催されたプレイベントに始まる、プロ・アマチュアを問わない原型製作者の手によるガレージキット、模型、造形物の展示・販売を主目的とするフリーマーケット、コスプレイヤーによるコスプレ等も行われる、ワンダーフェスティバルも出現した。
ゼネラルプロダクツはSFファンダムの第三世代に相当する岡田斗司夫が起業し、彼はDAICONを運営した一人だ。
ガイナックスが制作した「おたくのビデオ」というOVAがある。その岡田斗司夫がモデルと思しき主人公が青春の栄光と挫折を繰り返すアニメだが、この作品はアニメ本編とは別にあらゆるジャンルのおたくにインタビューをする「おたくの肖像」という実写パートがある。そこには多種多様とはまた別の魑魅魍魎のようなオタクの生態が暴かれるのだが(ちなみにこの一連のインタビューはモキュメンタリーだとされる)、まさにこのインタビューパートに非常に興味深い発言が提示される。
最初の「おたくの肖像」に出演するおたくは玉谷純一(仮名/1962年生まれ/工作機械販売所/おたく歴13年)という人物だが、彼はインタビュー中に「(学生時代は)SF研にいた。同人誌を作ったりとか、みんなアニメを見たりとか。実写企画の計画も幾つか練りました」と答えた。この証言によると、80年代にSF研に入るこということはSFを読む/書くことと、コミケにオフセット印刷した特撮の同人誌やコピー紙を売ること、アニメの鑑賞会をすること、実写映画を撮ることが完全に等価になったということが示唆される。さらにその後のインタビュー中には「SF研があり、そのサークル内サークルにアニ研、漫研、ロリータ研、セーラー服研などがあった」とも発言した。インタビューパート後に示される、おたくが所属するサークルを調べた円グラフに示された数値はSF研がもっとも多数派だった。SFはおたくを育み、おたくはSFを包摂したのだ。
おそらく日本にSFが根付いたある日ある時からおたく文化と融解を始め、遂には分離不可能になった。YA=ヤングアダルトは役目を終え、ライトノベルはそのSF翻訳の輝かしい遺産をあらゆる文化と等しく扱い、おたくの時代が始まったのだ。
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