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最終課題「タイトル未定」の草稿

はじめにの前に

私はこれを美大に通っていないアーティストと、芸術に興味はあるが、興味があるのが実際は芸術なのかそれが作る世界なのかわからない人々に向けて書く。私は現代美術の作品を制作し、展覧会の企画をして生活をしているが、芸術家やキュレーターになろうと職業の選択肢から選んだり、美術の業界に入るための準備や勉強をしなかった。成功するどころか、そもそも「デビュー」もせず、そしてたぶん「ゴール」をすることもなく自分の人生を終わらせる。自分の足元の世界の少し先の見そうでよく見えない部分を追いかけていたら、この文章を書くような事態になっていた。これはデビューやゴールに関係のない、現代美術についての論考である。

はじめに

「現代美術」とは20世紀初頭、すでに100年も経過しているのに未だ「現代」としか言いようの無いこの時代の中で起こったアートの運動や作品群たちを指す言葉だ。その正体はわからない。現代美術をわかりやすく解説するという意図や野望をもった書籍やウェブサイト、美術館の解説文は世の中に溢れている。しかし「現代美術」の枕詞には、人々が挑んだにも関わらず依然として「よくわからない」が華々しく君臨し続けている。この論考は先駆者に倣ってこの強靭な王冠を剥奪する冒険をしようというものではない。ではこの論考では何をするのか。この論考ではアートやそのわからなさについては問わず、アートが見せるもの、私たちが見ているものが何であるのかを考えたい。

(*「アートが見せるもの」「私たちがみているもの」をこの論考で顕にすることが筆者にとってどんな意図があり、どんな問題意識を持ってこのテーマに選んだのかをここに書く。私たちが見ているものは正しさや規範ではない。)

現代美術はどこにいるのか

通常は目的物(この場合はアート)が見せる対象たちの属性を集めれば、その最大公約数で目的物であるアートの輪郭が描けるというロジックが立てられる。それを手掛かりにすれば、「よくわからない現代美術」の「よくわからない」の王冠は揺らぎ、裸になった王様は市民に馴染みのあるものとして理解の範囲におさまる。一方で現代美術の場合、そのやり方は妥当でないことも過去の人々が証明し続けている。アートは規定されることから逃げる。つまり定義が変わり続ける性質を持っているからだ。それは相対速度が変わらない光の性質と似ている。まだ知らない言葉を紡ぐという意味において、アートについては問わないとは言え簡単な共通認識は持っておきたい。これからいくつかの現代美術について理解されていることを述べていく。

20世紀は、科学や産業が飛躍的に発達した100年でもある。それまで世界の一部の人間だけが占めていた富は市民の手に届くようになり、人々は寿命を伸ばし、宇宙へ飛び立ち、海中深く潜り、言葉や図像や音を楽しみ、また新しい病を次々にうんだ。それまで世界の一部の人間だけが占めていた文化も市民の手に届くようになり、人々は芸術に手を伸ばし、裸婦像を愛で、先端技術を芸術に取り入れ、自国の芸術を誇示しあい、表象から逸脱し、わからなさの隅々にまで光を当て続け、また新しい表現を次々にうんだ。20世紀の芸術は市民の芸術だ。もちろん市民の中に依然として貧富の差があり、ハイ・アートは富裕層のものだという自明の事実を隠すつもりはないが、国家と王族のものだけではなくなったことは確認しておきたい。

20世紀は、戦争の100年でもある。第一次、第二次世界大戦はこの時代に起こった。20世紀だけでなく人類の歴史は戦争の歴史とも言われるが、現代の戦争がそれ以前と違うのは発達した科学や産業が物理的/心理的に与えるダメージの大きさを飛躍的に変えたことだろう。国家の欲望は、巨大な芸術と戦争を生んだ。それは破壊と創造という陳腐な言葉で置き換えても良いが、簡単に言ってしまえば欲望が目指すところの権力と富の別の現れとして戦争と芸術があるとも理解できる。戦争と芸術は一卵性の双生児だ。そしてアートの所有欲は欲望という言葉の内側に収められているが、アートそれ自身は欲望の果てにあり欲望の中にはない。だから欲望の対象になり、一方で彼岸にあるとされるスピリチュアルや自己啓発の対象にもなりうる。

(*スピリチュアルについて:戦争からモンテ・ヴェリタやエラノス会議の話、「神話と科学―ヨーロッパ知識社会 世紀末~20世紀」を引用して解析する)

現代美術の作られている状況

市民のものになったアートは、その制作や保存の資金を市民に頼ることが多くなった。アートを作るのは、(そのあり方も危ぶまれているが)かろうじて現在はアーティストということになっている。アーティストは出来上がった作品を売る、市民が収める税金を管理するところの国家に制作前に資金を頼る、家族やパートナーの資金に頼る、または自分自身のアートの活動以外の労働から得た賃金に頼る等々の方法で制作資金を得ている。

(*ハンスアビングの「アートと金」/アルビントフラーの「文化の消費者」から引用して解析した話を書く)

資金を得る一般的な方法として助成金の申請がある。絵画や彫刻などの物理的要素が多いアート作品と違い、インスタレーション、コンセプシャルアート、アートプロジェクト、リレーショナルアート、ソーシャルエンゲージドアートと呼ばれる類の芸術は作品売買が困難な場合も多く、企業や国など様々なレベルの助成金から制作を営む例は珍しくない。一般的な助成金の申請用紙には記載すべき項目がいくつかあり、その最初の方に書くべき内容は「制作の目的」や「得られる効果」だ。項目名は申請用紙によってまちまちだが書くべき内容はほぼ同じである。そして「制作の目的」は「アーティストが作りたいもの」ではなく、「アーティストが作るべきもの」を書かなければならない。申請用紙はアート団体の職員が書く場合もあるが、アーティスト自身が書く場合も多い。そしてキャリアが浅い時期のアーティストがしがちな失敗の一つとして、「自分が作りたいものが社会と合致していますように」と願いを込めながら「作るべきもの」ではなく「作りたいもの」を記載してしまうという例が挙げられる。その願いが託された書類は、採択者からすると意味がわからないけれど熱量があるという意味で、ポエムとして読まれてしまうことがある。ポエムは美しく響いても採択される可能性は低い。なぜなら読む対象が個人ならまだしも、資本や税金を納めている市民という総体が持つ耳であるがゆえに、その耳が理解できる文法や単語は限られているからだ。

(*具体例:「ポエム」と「採択されやすい文章」を比較して何が違うのかを書く*「筆者がアートライターなのかアーティストなのか立場をはっきりした方がよい」と指摘をうけた箇所。アーティスト/アートライターの立場で書いていない、なおかつHow toの話ではないので、比較の方法の意図がアーティストやライターが示す「うまい文章の作り方」ではなく「(失敗と成功と思いがちだけど)実は二つの文章は内容が一緒だよ」ということを暴き、「じゃあ内容が一緒なのになんで一方はダメなの?」とその後の論に誘導するためにあることを注意して書く。ミスリードしないように気をつける。)

「正しさ」が隠す優劣の問題

このポエムは「アーティストあるある」や、「恥ずかしい失敗談」の話で終わらせられない二つの問題と、そこから見えてくる重要な議論を含んでいる。一つ目は「アーティストが作りたいもの」と「アーティストが作るべきもの」という言葉が隠してしまう、ある方向性を持った優劣の問題。二つ目は、「アーティストが作りたいもの」と「アーティストが作るべきもの」が果たして別のものなのかという基本的な疑問。二つ目の問題の発展として「文章の構造」の問題もあげられる。そしてこの二、三のささやかな問題から導き出される「社会性のあるアート」という価値づけの正しさが引き起こす歪み。より具体的に書いてしまえば、正しさにアートの価値づけを担保させてしまっても良いのか(もちろん良くない、しかしそれに抗う方法はどこまで確立されていてどこまで有効なのか)という議論にまで発展させたい。

(*以下を分析していく)

  • 問題1:「アーティストが作りたいもの」と「アーティストが作るべきもの」という言葉が含んでいる優劣の問題。
  • 問題2:「アーティストが作りたいもの」と「アーティストが作るべきもの」が果たして別のものなのか。(なぜ別物が良いとされるのか。社会性が高い方が良いとされるのか。)
  • 問題2-2:問題2の発展として文章の構造が別物に見せている問題を扱う。
    <規則に従っていると信じていることは規則に従っていることではない。そしてそれゆえに、人は規則に「私的に」従うことができない。さもないと、規則に従っていると信じていることと規則に従っていることとが同じになってしまうからである(ヴィトゲンシュタイン『哲学研究 第二〇二節』)>
  • 問題1-2までの総論

それに付け加えるべき提言:そしてその二つから導き出される「社会性のあるアート」という価値づけの正しさが引き起こす歪み。
(*「正しさ」や「社会性」とアートが相容れないことについて、作品例を出して書く)

最後に

(*私が書き留めるべきこととは何か)
(*「正しい」ことでも、「正しくない」ことでもなく、「その境界線」でもない。否定神学じゃない書き方で書く。)

私は建築家や芸術家が、バベルの塔の完成図を描くように、人間の行く先を変えたり、理想の未来を指示したりはできないと思います。けれど自分自身を認識することにより、足元のベクトルをほんの少し見つめることにより、その先の世界は大きく変わるのではないか、それが芸術や建築にできる小さな仕事なのではないかと信じています。
(*自分の才能を信じる(のも大切だけど)じゃなくて、表現の力を信じた方がいいよって書いておく)

文字数:4055

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