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照らすから闇ができるのかな

1.

Yishay GarbaszとSongによるパフォーマンスの映像作品『Throw the poison in the well(井戸に毒を流す)』は、2016年1月2日から3月5日の2ヶ月に及ぶ共同生活の中から制作が行われ、その年の4月に開催されたKYOTOGRAPHIE京都国際写真祭のサテライト『KG+2016』展にて発表された。YishayとSongに共通した属性は、大量虐殺を生き抜いた親を持つこと。彼女たちは、親の記憶/民族の記憶を受け継がざるをえず、それらと自身の記憶に折り合いのつけかたを思案する。彼女たちが持つ「自身の記憶」とは、歴史の物語らなさ。

タイトルが意味する「井戸に毒を流す」とは直接的には1923年9月1日に発生した関東大地震時の東大震災朝鮮人虐殺事件のことを暗喩しているが、映像作品が指し示めしているのは、関東大震災だけでなく、朝鮮人だけでなく、世界各地でおこりうる分岐点を作る「合言葉」のような言葉である。噂、つまり現実には存在しなかった映像をみたように感じた人々がこれから見るべき風景を描くように、急速に現実を変える行動をとりはじめる催眠術の合図のような言葉だ。

映像作品『Throw the poison in the well』を読み解く前にYishayとSongの制作背景を見ていこう。Yishayは「歴史の物語らなさ」を「トラウマ」と名付け、両親の記憶から民族の記憶を積極的に読み込み、自身の記憶として引き受ける。自身の記憶と両親の記憶を重ねトラウマを引き受けることで、トラウマの連鎖を断ち切るとYishayは言う。

2.

Yishayは映像作品『The Number Project』(2011)の中で、自身の腕に焼印を押す。烙印されたのはドイツのベルリンで生まれ、戦争によってナチスドイツ軍に捕らえられ各地の収容所で過ごした母の腕に、かつて存在していた収容者番号。母は刺青として入れられたその番号を、戦後にドイツからイギリスに亡命した時、ホロコースト経験者の多くがそうしたように他者の目から自分たちを守るため、Yishayの母も皮膚ごと番号を剥がす。つまりYishayが生まれた時、母の腕にはその番号は存在していない。Yishayはその番号を見たことがない。番号の存在を隠そうとした母とは裏腹にYishayはその番号を、より痛みが多く触覚的な焼印として今度は自身に取り込む。

焼印や刺青はユダヤ人の象徴ではない。収容者番号は語らない歴史の言葉(記号)だ。対話しない/対話できないことを選んだ母と、対話を試みようとするYishay。彼女は2016年2月27日でのBaexong Artsの滞在制作の成果発表会の場で「この番号は、いろいろな人たちに受け継いで欲しい。家族や親戚でなくても、意志のある人がこの番号を自分の腕に残し、過去と対話を続けていけばいい」といった内容の発言をしている。Yishayはトラウマの連鎖を断ち切るために、物語を民族や母から、自分の物語へと書き換える。

Yishay のデビュー作の写真集『In My Mother’s Footsteps』(2009)はナチスに囚われた母の足跡を、大判カメラで捕らえた作品だ。彼女の母はガス室に送られることこそなかったが、チェコやポーランドな強制収容所を転々とする。Yishayは2004年にNYのBard Collegeを卒業後、Thomas J. Watson の助成を受け、2004年から2005年に渡り母の手記を元に、母の足跡を大判カメラでたどるプロジェクトを行った。母の手記で記載されていた地名は、戦争中につけられたドイツ語からオランダ語の新しい地名へと変換され戦争の足跡を消し、森の中の強制収容所は、若者たちはそれが何かもわからずに秘密裏に遊ぶグラフィティが描かれた場所へ変化している。Yishayは二年間調査と撮影を続け、最後に母がイギリス軍に救出された場所にまで行き着く。母は死の床につくまでYishayに、自分の過去を語らなかった。Yishayは撮影を通じて語らぬ母がかつて生きていた風景と対話を始めた。

3.

一方、共同制作をしたSongは「歴史の物語らなさ」を「どこにでも起こること/しかしここでは起こっていないこと」の矛盾として、身の回りの環境と相対化し、記憶を他者に預ける。Songはレイシスト集団と共に歩いた記録をインスタレーション作品にした『What makes me uneasy or eases me(私を不安にさせたり、安心させるものたち)』(2013)を金沢美術工芸大学で発表する。Songは「呪術に呪術で立ち向かう」ためのインスタレーションを構成する一作品、涙を集める小瓶『私の涙を瓶に溜めて、記憶に留めておくように』について、「今は近代以前の理性を手放した状態に戻っているようです。近代以前は、涙には瀕死の人を蘇らせる治癒力や、お守り、記憶の証などがあると言われていました。“穢れた人(Song自身)”の目から落ちる涙は、清めの効果があるのでしょうか」とオープニングトークで発言している。YishayとSongの制作方法は、過去の民族の記憶を自分の記憶とすり替える点において似ている。彼女たちは、すり替えるのではなく区別がつかない時があるという。自分と過去の人々との区別のつかなさを、どのように理解していけばいいのか、歴史の語らなさをどのように言葉という家にかえしていけばいいのかを模索する。

Songは続く中京大学Cスクエアでの『It Can’t Happen Here.』(2013)展で、父が体験した韓国軍などによる済州島民虐殺事件の語りから固有名を抜き、さらに自身のヘイトスピーチの体験の語りを織り交ぜた父の視点を模した架空の物語りを拠り所にしたインスタレーション作品を発表した。


何を、誰を、待ってるのか。忘れちゃうかもしれない。〈待ってる〉の方が僕より長生きしちゃうかもしれない。そんな事を考えると不安になる。知らない夕方の道みたいに不安になる。僕はクロゼットの隙間から、殺される人々を見ていた。人間だけじゃない、犬も鳥も殺された。緑色の飛行機が、空から赤い紙をたくさん降らせた。空も壁も地面も赤くなった。全てが終わった後、僕は静かに何かを待っていた。

世界はこんな風に終わっていくんだと知った。だけど世界は終わらずに、大人になった僕は月のない闇の中でも手探りで銃が使いこなせるような技術を教えるようになり、友だちとの船釣りで酔って、恋をして、子どもを持った。


それから沢山の時間が経ち、僕の子どもは見ず知らずの集団から脅されてた。彼らは僕の子に死ねと叫んでいた。彼女は無言で彼らを見つめた。彼女は家に帰って、死ねと言いながら猫のまわりを歩いていた。猫はお腹をみせて彼女に甘えていた。猫は、彼女を信頼するしか方法を知らなかった。

僕たちは不安だった。僕は彼女のために、不安から逃れる方法を探した。だけど出口はどこにもなかった。僕は考えた。どこに行っても逃れることはできないなら、持つべきものは思想だ。僕は彼女に言い続けた。「誇りを持て」。幼い彼女は、思想のことも、僕のことも、受け止められなかった。

彼女は僕から逃げてしまった。彼女は僕と思想を憎んだ。「誇りを持てと言い続けるのは、私にではなく自分自身のため。逃げ場のない思想を強く私に埋め込みたかったのは、自分の闇を、闇ではないと思い込むため。その中でしか生きられない私たちのため」。僕たちは不安から逃れられないのか。


違う。違うぞ。不安じゃない。この感じは不安じゃない。僕は心を静かにしてみた。これは不安じゃなくて、〈痛み〉だ。ハガネよりも固く閉じていれば傷つかずにすむ。そんなウソを真に受けて僕は生きてきたのに、僕は痛みを持っていた。

いつだって、歴史は重くのしかかる。偏見が僕たちをあけすけに見透かす。だからこんな堅い重い冷たい鎧を着ているのに。気が付かないうちに、鎧は偏見ではなく制度を守っていた。鎧の外にあるはずの、時間によって培われた思考のない思想。その思想が僕たちを浸食していた。

だから、僕の中でどこかが痛んでいた。でもどこが痛むのか分からない。僕はぎゅっと目を閉じた。体の隅々を探してみた。〈痛み〉はどこにあるのか。僕は〈痛み〉の言葉を探していた。だってキミは、いつか言ってたから。「誰とでも何とでも話ができる」って。

「辛抱強く声を探せば、言葉は連なって糸のように出てくるよ」。辛抱強く探すんだ。途中で切れたとしても、また探すんだ。簡単じゃなくたっていいんだ。僕は何を探しているのか。何を、誰を待っているのか。いつも冷静に僕たちを読むキミは誰なのかな。

4.

観客は作品を見る。Yishayと母の区別のつかなさ、Songと父の区別のつかなさ、歴史の語らなさ。それらを見る視点はどこから向けられているのか。その視点から理解できるものは何か。彼女たちは、区別がつかない一方、現在の観客としての視点も持つ。

Yishayは関東大震災時の朝鮮人の虐殺について「韓国人のあなたは、自分たちがされ事だというけれどそれは私の物語だ。常にユダヤ人はお前たちのせいだと言われ続けている、その物語は私の話だ」と、かつて朝鮮人がされた虐殺もユダヤ人の歴史に組み込み、そして自分の記憶として取り込んだ。Songはそれはユダヤ人でもあるし、フツ族とツチ族でもあるかもしれないし、日本人でもあるかもしれないし、誰のことでもないのかも知れないから、語ることができない「毒」を現実の世界に流そうと応え、2人のプロジェクト『Throw the poison in the well』は始まった。

artscapeレビューで高嶋慈は「このパフォーマンスで二人は、社会的に排除され憎しみの対象となる「魔女狩り」の「魔女」役を押し付けられたことを糾弾するのではなく、むしろその役割を引き受けてフィクションとして演じてみせることで、「被害者の歴史」を訴えるという政治的正しさに陥ることを回避し、シンプルな行為がもたらす想像の回路を開いていた」と記しているように、『Throw the poison in the well』は、区別のつかなさ、歴史の物語らなさをそのままに、観客が立っているであろう、遠くの視点からパオーマンスを始める。彼女たちはゲリラ的に街に出かけ「井戸に毒を流す」。

液体か気体か、固体か。粘度はあるのか。匂いはあるのか。何色なのか。彩度はあるのか。どのくらいの量で、人々は死ぬのか。どのように死んでいくのか。毒が取り出されるのはジェラルミンケースからか、注射針か、扱いには青い医療用ゴム手袋は必要か。一体どのような表象が毒に足りうるのか。当たり前とも言えそうだが実際の映像作品の図像は大変コミカルである。毒を毒らしく扱うのは、想像界につながる演劇や映画の世界である。いくらメタ視点から毒を投げ入れても、観客は想像界の外へ行くことはできない。

5.

いつかYishayとSongが死んでもなおユダヤ人や朝鮮人と呼ばれる人々は生き続け、生まれ続ける。そして彼女たちに代わる何かが何度死んでも、想像上でガス室はガスで満たされ、虐殺は繰り返されつづける。歴史は対話をしない。では、歴史と決別して超個人主義になれば過去の記憶から解放され、意識は自分だけのものになり人は生を全うできるのか。

現にヘイトスピーチを数時間浴び続けたSongが無意識に、猫の周りを歩きながら死ねと言い続けていた時、死ねと言われた猫はSongにお腹を見せて信頼を示した。猫は歴史を受け取らず、個の生を全うした。ルソーのいうところの憐れみさえも拒否し、信頼だけを示している。

なぜ意識は歴史を引き継ぎ、個人を過去の膨大な記憶の中へ閉じ込めるのか。個人がつむぐ言葉はその個人が知れる一寸先を照らす。そうやって知を貯めて行っても、照らされなかった場所や、届かない場所ばかりが残り続ける。YishayやSongやその他多くの芸術家たちは、語られなかったことを、語られないままにどこまで明るみに出すことが可能なのか。それを知るためには、井戸には何が流されるのかを見続けなければいけない。

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