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円環から抜け出そうとする身体

・オープンソースが開く視覚伝達技術

『The Eyewriter』というオープンソースソフトウェアがある。オープンソースとは、誰でも改変や利用が可能なプログラムのことである。例えば誰もが使うワープロ機能をもったマイクロソフト社の『Word』は、マイクロソフト社から製品を購入しないと使用できない。しかし、ワープロ機能のオープンソースを使ったソフトウェア『Open Office』や『LibreOffice』は無償でだれでも使用できる。プログラムの技術があれば、自分なりにカスタマイズできる。一方で善意や無償の働きの上で成り立っているシステムは、アップデートや開発が簡単に止まりがちでもある。事実、2000年に始まったOpen Officeのプロジェクトは2011年にプロジェクトは解散した。

2010年から始まった『The Eyewriter』は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)により身体の麻痺したグラフィティライターTempt1(テンプト・ワン)のため、視覚の軌跡で文字や絵が描ける視線入力技術の共同プロジェクトでありTempt1もそのプロジェクトメンバーだ。『The Eyewriter』は、オープンソースである。そして開発機器も秋葉原やインターネット上で安価に調達でき、初期技術を自由に応用させれば、誰でも開発が可能だ。

http://www.eyewriter.org/
http://www.eyewriter.org/

実際、2011年に千房けん輔と赤岩やえによるアートユニット『エキソニモ』や、クリエーター集団『Semitransparent Design』から生まれたアートユニット『セミトラ』は、このプログラムを使って自分たちのアートワークを制作した。それは特に肢体の不自由な人々に向けられたものではなく、彼らの展覧会を見に来た人々が体験できる作品として開発された。オープンソースとは誰がどのような目的で使用してもよいのである。彼らは観客を今までの視覚の作用を別の作用(視覚のみで描く / 視覚のみで見える環境が変わる)へと誘った。

http://www.eyewriter.org/
https://www.flickr.com//photos/urban_data/sets/72157622649547469/show/

・他者を介してしか発言できなかった20世紀

ジャン=ドミニック ボービーの『潜水服は蝶の夢を見る(原題:Le scaphandre et le papillon、潜水鐘と蝶 英題:The Diving Bell and the Butterfly)』という小説がある。著者はファッション雑記『ELLE』の編集長であったが、閉じ込め症候群(ロックトインシンドローム)により1995年12月8日に突然、肉体の自由を奪われた。彼が唯一自由にできる左目の瞬きだけで、自伝的な小説の執筆を始め、その本が出版された2日後の1997年3月9日に突如死去する。その後、小説のタイトルと同名で映画化された。

主人公ボービーが言葉を紡ぐためには、言語療法士や編集者を介さねばならない。アルファベットを最初から読み上げ、自分のほしい字が来た時に瞬きのサインを出す。それは途方もない作業だ。20万回瞬きをしたという労働力がこの映画や小説の売り言葉になっているが、その身体的な負担もさることながら、なにより執筆という個人的な制作の作業を、今まで信頼関係を築いたこともない人を介して行わなければならないのは精神的に負担だろう。

もし1990年代に『The Eyewriter』があれば、ボービーはより個人的に、より簡単に小説が書け、もしかしたら二冊や三冊目の執筆も可能だったかもしれない。しかし他者を介することで出来上がった言葉だからこそ、感動を生むものになったのかもしれない。それは誰にもわからないし、1990年代の彼の肉体は、他者とともにあるしかない。そして他者とともにある彼は表現を通して個人の生を生きることができる。

・特権的な人しか持てなかった技術

ボービーの閉じ込め症候群や、グラフィティライターTempt1が発症した筋萎縮性側索硬化症(ALS)は、今までもたくさんの人たちを苦しめた。誰もが知る人では、スティーヴン・ホーキングもALSにより肢体の自由を奪われた一人だ。スティーヴン・ホーキングの半生を描いた自伝的映画『博士と彼女のセオリー(the theory of everything)』がある。私がこの映画を見たのは、移動中の飛行機の中で、日本語のタイトルがなく、英語のタイトルを直訳すると「全ての理論」となる。

どんな物理学の秘密をこの映画は紐解いてくれるのかと期待に胸を膨らませて鑑賞したが、かの有名人の半生を、ラブストーリーを中心にどのように描くかということに特化した映画で、彼の重要な仕事に関しては描かれていなかった。私は『ポロック 2人だけのアトリエ(原題:Pollock)』のように、日常を描きながらもその主人公の仕事にかかわることも描かれているのかと期待していたので、大変がっかりした。逆にポロックの映画は宣伝文に「NY、グリニッチのアトリエで彼女は何も言わずブラウスのボタンを外した…。」と書かれていたので、そんなゴシップ記事のような下品なコピーにこの映画に対する興味を持てず、TSUTAYAで見かけても無視し続けていたが、期せずして制作に関する深い洞察がなされた良い映画だった。

話を戻そう。ホーキングは学生だった1960年代にALSを発症する。彼は意思の疎通のために看護師と「スペリングボード」を使うようになるが、これはボービーと言語療法士の関係と基本的に同じだ。その後は喉に埋め込む音声合成器や、現在のようなPCやタブレットと連動したシステムになっていく。現在はインテルとの共同開発によって作られたシステムを使っている。それは成功者だからこそ、それを手に入れられる財力があるものだけが自由になれるシステムである。

いちグラフィティライターや、市井の人々はその意思疎通システムがあることを知っていても手に入れることが難しい、または経済的な負担を要する。しかし2015年になって、インテルはその意思疎通のシステムをオープンソースとなった。

“Stephen Hawking NASA 50th” by NASA HQ PHOTO (CC:BY-NC)
“Stephen Hawking NASA 50th” by NASA HQ PHOTO (CC:BY-NC)

https://01.org/acat
https://wired.jp/2015/08/20/stephen-hawking-software/

・匿名ではなく複数による襲名の時代

21世紀の視覚は、身体が閉じ込められても、意識を外に放つ可能性に満ちている。それは特化した才能や財力を持たなくても、持つことが許される可能性だ。肢体の不自由な人だけの話ではない。私たちの身体は経済や思い込みに閉じ込められている。個人では抜け出せない意識をもった日常から、どのように抜け出していくのかの話だ。

20世紀は飛び抜けた才能を持つものが書けた小説や、経済力により手に入れることができた意思疎通装置でかけた論文により、一人の人間を自由にしたが、21世紀は、飛び抜けた才能も財力もなく、意思の疎通を世界に発信できる可能性に満ちている。

それは匿名の個人が集まって作るオープンソースの世界が可能にしているとも言えるが、匿名ではなく複数人が集まった襲名といった方が適切だと私は思う。オープンソースの開発者は一人ではない、誰かがやめても他のだれかがそのオープンソースの名を引き継ぐ。それを使い開発するエキソニモもセミトラも個人ではない。一人の意識ではなく、複数の、匿名ではなく、襲名の意識がこの抜け出せない円環の外を描こうとする。

匿名は、自身と同じ意見の世界に自身を相対化せずに置くことができるので、エコーチェンバーを生みやすい。それは抜け出せない円環の輪をより強くしていく。SNSはその最たる例だ。エコーチェンバーで増幅された感情が意識とすり変わらないためにも、意識には目指すべき方向が必要だと私は考える。方向は目的ではない。

現在、様々な呼び方で複数人による襲名制は行われている。コレクティブ、プロジェクト、チーム、ユニット……等々。それはかつて行われてきたグループ活動と同じところもあるが、異なる。一つの見え方を模索するのではなく、さまざまな目があつまる複眼の役割をもった集合体だからだ。私たちが抜け出そうとする円環は、本来なら大人になるにつれ、諦めてつきあっていかなければいけない「人生」にすり替わる場合がほとんどだ。そして円環を抜けだした先に何があるのかさえ、わからない。そもそも円環の中にいるということさえ、錯覚かもしれない(その中にいるので外側を確かめようがない)。

しかし私たちは、複数の目をもった集合体としての個人で、その円環のそとへ向かおうとしている。

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