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鋭いこのアムビギュイティ

・はじめに

「『日本文化論』は可能か」はきわめて厄介な設問である。なぜなら、何かを可能であると論じることができた時、それはすでに書き記すことのできるもの、つまり終わったものとして立ち上がるからだ。それゆえ、論じることの不可能性も同時に論じることができる。連綿と続く、絵画は死んだか、生き返ったか、また死ぬのかの論争と同じ構造。では、正面切ってその可能性を論じることがその不可能性を論じることになるなら、どのように日本文化論を論じれば良いのか。

まず前提として、日本には語るべき文化があり、それを明文化しておく必要があると私は考える。それは国家や国体というナショナリズムを誘発する装置としての文化ではない。語るべき日本の文化論は、ナショナリズムに回収されない、世界の一つの方言として、ことばとして紡いていかなければいけない。周知の通り、日本は明治期に近代化した。近代化とはそれぞれの土地が、国家としての富や戦力や思想を持つこと、個人が国の所有物となること、ゆえに個人が尊重されること。

日本の文化をなぜ論じる必要があるのかといえば、近代の終わりを描くため。その次の時代を描くため。近代は終わったという意見もあるが、見ないふりや見えづらくなっているだけで、まったくもって終わっていない。もちろん、国家より個人情報や影響力を持つ多国籍企業の勃興、思想が形骸化し表象だけが残るテロのあり方、ビットコインに象徴されるような経済の動きは近代の終わりを告げているように見える。日本という一つ地方を論じることの意味の無さを表しているようだ。しかし多国籍企業やテロのあり方は、ゴダールを引用せずとも近代を超えるのではなく、中世のそれとなんら代わり映えはしていない。

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われわれは今、まさに未開社会のなかで生きている…コカ・コーラとかジェネラル・モーターズといったトーテムとか、呪術的な言葉、儀式、タブーといったものに囲まれて生きている…形態はかわっていないわけだ(アラン・ベルガラ編『ゴダール全評論・全発言〈1〉1950‐1967』奥村昭夫訳、筑摩書房、1998年)

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そして一方でナショナリズムの風向きも強くなっている。それはオリンピックや教育といった「文化」を纏って、肥大化を謀る。私たちが日本の文化を書き記さねばならぬのは、ナショナリズムや呪術から距離をとるため。

・近代とは、言語にナショナリズムを持ち込む時代。

日本語を普段、国語とはいうが、日本国語とは言わない。イタリア語、フランス語、タイ語、もしかりだ。しかし例外的に、韓国語と中国語には、「国」と言う語が入る。

他の国の呼び方に習えば、朝鮮半島で話される言語は、朝鮮語と言うべきであり、韓国語というのは朝鮮半島全域に及ぶはずの言語を南に位置する国家の言語であるかのような限定した呼び方だ。田中克彦は『言葉と国家』の中でこう書き記している。

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朝鮮半島全域に及ぶはずの言語を一つの国家だけに限定し、ことによると国境外にも話されている同一の言語を排除することになる点でふさわしくない。それはまた、みずからすすんで二つの言語の存在を主張する可能性を含んでおり、したがって二つの民族の存在を主張することにもなりかねない。

中「国」語の場合はこれとは逆のケースになる。中国内には漢民族以外に、50以上もの異なる言語を持つ民族が居住している。じっさいに存在するのは、それら個々の民族名を帯びたそれぞれの言語であって、中国という国家に対応する単一の言語は存在しない。そたがって、日本で言う中国語はふつう漢民族の言語のことをさすから、漢語と呼んだほうが、より言語に則して正確である。

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韓「国」語や、中「国」語と呼ぶのは、日本特有の現象であり、自然や科学的な分類ではなく、日本国内の政治的な分類であり、他国はチャイニーズやコレアンと政治に依存しない名称である。

話を日本に移そう。日本の国語は、いつ成立したのか。柳田国男は昭和11年に「国語といふ言葉は、それ自身新しい漢語である。是に当たる語は、古い日本語にはないやうに思ふ」と述べている。また、明治期からそれまで広く使われていた「邦語」に変わって、「日本語」が使われるようになり、明治20年代末には完全に「日本語」だけが使われるようになる。「国語」や「日本語」の誕生は、近代日本の誕生と重なる。それは国家や国体を強めるために広く使われていくこととなる。

・名詞化しにくい「ある」が、名詞の「存在」と呼応する近代の日本の思考

このエッセイでも頻繁に使っている「である」は、翻訳語である。哲学用語である「存在」という表現は、<人間の主体的な、時間的かつ場所的なあり方を表すのに適している、と和辻哲郎は述べている(柳父章『翻訳語成立事情』)>。蘭学者が訳語として使った、日常の日本で使われることのなかった「アル」は、明治期から日常でも使われるようになる。

柳父章は『翻訳語成立事情』において以下のように述べている

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漢字の「存」も、「在」も、そして和辻哲郎の言う「有」も、「あ(る)」と訓読される。そして「存在する」という成語も、辞書で見れば、第一に「ある」の意味である、とされている。つまり、簡単に図式化すれば、

suis→存在する→ある

という、いわば二段階の翻訳の過程をたどっているのである。この矢印の方向は、一方通行であって、逆の方向の思考の働きはない。

「ある」という一見やさしい、日常語風のことば使いは、実は日常語の文脈ルールに従って使われているのではなく、西欧語から翻訳用日本語へ、されにその翻訳用日本語からの翻訳という経路で天降ってきたのである。

(中略)

たとえば日本の哲学は、私たちの日常に生きている意味を置き去りにし、捨ててきた。日常ふつうに生きている意味から、哲学などの学問を組み立ててこなかった、ということである。

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柳父章は、和辻哲郎の言語感覚に敬意を示す一方、やまとことばで考え、書き記すことのなかった事を批判している。

私がここで言いたいのは、今一度明治期に戻り、やまとことばを取り戻そうというのではない。私たちが書き記すべき日本は権力の誇示ではなく、世界の方言としての日本である。昭和が未だ終わっていないとの意見も聞くが、文化芸術についていえば、明治を終わらせることができていない。私たちは日本のことばの構造に留意してすることで、明治を終わらせ、日本文化論が書ける。

いつか日本文化論の可能性ではなく、内容を書くことがあったなら、日本の絵本の原点とされる室町時代後期から制作された「奈良絵本」と呼ばれる日本で始めての冊子形式の絵物語りと現代の日本の自費制作の冊子「ZINE」の比較をしてみたい。

文字数:2759

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