印刷

批評は過去を向く 10年代の批評的問い

 

■一章 なぜその人がそのボタンを押したのか。

 

 私たちは、風化の時代を生きている。まずはその事実を確認しよう。

 日本は地理的な地震大国である。現代を生きる私たちの記憶に特に強く残るのは、95年の阪神淡路大震災と、11年の東日本大震災であることは間違いないだろう。共に多くの死傷者・行方不明者を出した悲惨な天災である。しかしこの二つの震災は、対照的な関係を持っている。95年の震災が地下鉄サリン事件と結び付けられて語られたのに対して、11年の震災は同時に発生した福島第一原発事故と結び付けられて語られる。ここには事件と事故の対比があり、それは90年代と10年代の大きな差異として横たわっている。90年代の事件は人々の記憶にトラウマとして痕跡を残した。例えば、97年に起きた神戸連続児童殺傷事件の犯人である少年Aが、17年に元少年Aとして著した告白書『絶歌』の初版が10万部だったように、10年代に入った現在においてもそのトラウマは一定の存在感を示している。

 対して10年代の事故は、人々の記憶から徐々に風化していくことが問題視されている。風化を辞書で引くと、「記憶や印象が月日とともに薄れていくこと」とある。風化に曝された出来事は、その存在感を漸近的に減少させつつ、しかし全くの忘却には至らない。11年の事故を私たちが完全に忘却することはないだろう。しかし問題の本質は、私たちが風化のまどろみのなかで、事故の存在感を限りなく薄っぺらにしてしまっていくことにある。10年代はそのような風化の時代と言える。

 私たちはその風化に抗わなくてはいけない。記憶の風化は、事故の記憶を継承していくことを著しく難しくしている。記憶の継承がなければ、人は容易く同じ過ちを犯してしまうだろう。

 風化への対抗は、一つには事故の記憶を語り継ぐことや、風評被害への対策によって果たされるだろう。それは例えば、ジャーナリズムによる事実の報道の継続などによって人々に事故の現実を啓蒙することでなされている。福島県産米について、14年度から17年度までの四年間、継続して一般食品の放射性セシウムの基準値未満を達成している事実などの報道がそれにあたるだろう。

 しかし批評とは、ジャーナリズムではない。だとすれば、批評は風化に抗う手段となりえないのだろうか。私はそうは思わない。批評にもできることがあるはずだ。

 議論を少しばかり先取りして言えば、本稿のキーワードは、「取り返しのつかさな」を伴う想起である。

 三木清は「いつの時においても哲学の、そしてまた文学の根本問題は、リアリティの問題である」(「シェストフ的不安について」)と書いている。これは批評にも援用可能な考えだろう。では、10年代という風化の時代における、「リアリティの問題」とは何だろうか?

 社会的出来事の風化の加速は、グローバル化した資本主義経済や、インターネット技術の発展による社会のソーシャルネットワーク化と無縁ではない。あらゆる資本がいまや流通し、交換可能となっており、それはまた人々の感情すらもそうだと言える。そこから発生するのは、あらゆる出来事がやり直せる=ループするという感覚である。

 フランスの思想家、ポール・ヴィリリオは『アクシデント 事故と文明』(06年)のなかで「やり直しや反復が可能となったものはすべて、おぼろげになり、黙り込む」と書いている。ヴィリリオはここで風化の話をしている。そして私たちのループの感覚は、風化を加速させている。あらゆるものがループするという感覚のなかで、私たちの記憶の風化は否応なく進んでしまう。そのような環境において、もはや社会的事件はトラウマ化される必要をもたなくなる。事件も事故も、瞬間的な流通とともに消化可能な社会に私たちは生きている。

 ループ=風化を止めるための想起を、現代を生きる私たちは見つけなくてはいけない。そしてそれは批評的試みとして実践されなくてはいけない。

 しかし、そもそも批評とは何だろうか。

 私は、批評とは時代時代に存在する重要な問いを問い続ける営為であると考える。それでは10年代という風化の時代に存在する重要な問いとはいったい何か。

 それを考えるために、ある人物の言葉を本稿に導入しよう。それは世界史的な事故として歴史に刻まれたチェルノブイリ原発事故にまつわる言葉である。原発事故から六年後となる92年にウクライナの首都キエフで開館した、チェルノブイリ博物館の副館長を務めるアンナ・コロレーヴスカは、インタビューのなかで事故について次のように語っている。

 

「だれがこのボタンを押したのかではなくて、なぜその人がそのボタンを押したのか。その原発作業員がテストで出力を上げて、ギリギリまでいってしまったその状況を招いたのはなぜなのかという理由を考えなければ意味がない」(『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』)

 

 86年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故の当時の状況を踏まえて、「事故の責任は誰にあると思われますか?」という問いに対する返答である。事故当時、チェルノブイリ原発4号炉はストレステストを実施しており、事故はそのテスト中に発生した。事故原因には複数の要素があるとされているが、その一つには、安全を考えるなら行ってはいけなかったオペレーションのミスがあった。ここで「そのボタン」として言われているのは、オペレーションのことを指している。

 彼女のこの言葉、事故のあった過去への問いは、本稿において非常に重要な意味を宿している。まずコロレーヴスカは、事故について考えることと、責任追及を行うことを決して混同してはいけないと述べている。そして同時に、一つの重要な問いかけを行っている。「なぜその人がそのボタンを押したのか」と。

 注目すべきは、「なぜその人がそのボタンを押したのか」という問いの中に「その」という言葉が二つあることだ。そこから問いを二つに分けよう。一つは、「なぜその人はボタンを押したのか」という人的要因への問いであり、もう一つは「なぜそのボタンが押されたのか」という状況的で環境的な問題、すなわち人為を超えた偶然的要因への問いである。

 本稿の目的は、この問いに答えることではない。そうではなく、この二つの問いを、チェルノブイリの事故のみならず、あらゆる普遍的な事故への重要な問いとして考え、その問いの意味への理解を深めることこそを目的としている。

 しかしそれは容易なことではない。二つの問いは、そのまま二つの困難を意味する。事故への問いは、人為性の困難と、偶然性の困難を宿している。

 事故を語ることの困難は、先に見たように、それが人為的であると同時に、偶然的であることが挙げられる。ゆえに事故の原因は容易には一つに絞ることができない。そのことが事故そのものを語ることを難しくしている。事故を語ることは、往々にしてその周辺的な事実を拾い上げることにならざるをえない(それは例えば、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』の姉妹編『福島第一原発観光地化計画』が、多種多様な事故にまつわる情報・記憶を選り集めることで一冊の本となっていることに象徴的と言えるだろう)。

 では、批評はどのように、二つの困難を伴う問いに対して答えていくべきだろうか。

 私たちは、これから時代もジャンルも異なる三つの作品から、風化/想起の相反する運動の軌跡を分析することで、私たちが問うべき問い「なぜその人がそのボタンを押したのか」への理解を深めていきたい。

 

■第二章 日常と事故の関係 『スーパー・プライベート』

 

 私たちの問いへの理解を深めるために、まずは日常と事故との関係を考えてみたい。ここで参照する作品は、17年の11月に、五反田カオス*ラウンジアトリエで開かれた「健康な街」というグループ展において展示されていた有地慈の『スーパー・プライベート』という現代アート作品である。

 事故と日常の関係性に着目し、それらが互いにどのような緊張関係を持っているかを描き出した有地の『スーパー・プライベート』を、私は素直に良い作品だと思った。一方で、有地の作品は私の個人史に強く訴えかける作品でもあった。というのも、私は幼少時から二十代前半までを、当の所沢市民として生活していたからである。

 だから、私がこれからここに書こうとする作品評は、非常に個人的な実感に基づいたものでもある。それはある意味では作品を超えた私語りになることを抑えられないが、しかし有地の作品が土地に根差した表現であり、また有地自身が所沢で生きる生活者であることから、このような作品評が成立する余地も十分にあると考える。

『スーパー・プライベート』は次のような作品だ。8の字を横に倒したような環状の線路を、自転車のイラストがはりつけられた列車が走っている。一見すると自転車がただぐるぐると線路を走り続けているだけである。しかし8の字の中央には石が置かれている。また、環状線路の装置の傍にはモニターが設置されており、そこでは(おそらく有地自身が)所沢の土地を散策する映像が映し出されており、環状線路の装置とともに、所沢という土地の上にある日常が表現されている。

 環状線路の中央に置かれた石は、かつて埼玉県所沢市で起きた、日本航空史上で最初の航空機事故の記念碑のメタファーである。自転車の運動(=日常)はループしているが、その中央には事故の記憶が横たわっている。有地の作品は、その石を外すことで、線路が寸断され、日常を象徴する自転車のループが破断するような仕掛けとなっている。

 有地の環状線路の装置は、記念碑のメタファーとしての石を動かすことによってループが破断する。日常のループは何かの忘却によって成立している。有地はそれによって日常の成立条件を問うているように思える。そして同時に次のような問いも有地は投げかけている。人々は事故という存在とどのように関係することが可能なのか。

 有地の作品はかつて所沢で起きた航空機事故をモチーフとしている。しかし有地がその歴史的事実を調査するなかでわかったことは、所沢市民の多くの人間が、その事故について何ら知識を持っていなかったということだ。事故現場には今でも記念碑が設置されているが、住民のほとんどはその事実を認識していない。記念碑は聖地霊園という墓地の片隅にひっそりとある。かつてそこでは悲惨な事故が発生した。しかし住民はその事故を忘却したまま日常のループを生きている。

 ここで話を私が有地の作品に触れた際の実感に寄せてみたい。というのも、有地のリサーチが示していたように、所沢市民だった私自身、その航空機事故の情報を全く知らずに二十年以上生活していたからだ。事故現場である聖地霊園は、私が中学時代に野球部の他校試合の際に部員の集合場所として利用していたこともあり、全く縁のない場所ではなかった。にも関わらず、私は事故のことも、記念碑がどこにあるのかも一切知らなかった。そして私は、有地の作品に触れることで事故の事実を知ったのだ。

 しかし、それは正確な記述ではないと言うべきだ。というより、有地の作品から私が受け取った実感はそれと異なっている。私は確かに有地の作品に触れることで事故を知った。しかしその事実がある一方で、私を「一人の所沢市民」として考えたとき、この作品は、一人の所沢市民がそれまで忘却していた事故の記憶を想起させたと言えるだろう。知ったのではなく、想起したのだ。

 私という存在は「私」と「所沢市民」に二重化され、その経験は、単純に事故の情報に触れる以上の何かを私の内に宿すこととなった。知識として触れたのではなく、事故の存在そのものに触れたような感覚があった。自分という人間と、事故という歴史的事実との間に、そのような関係が築かれる可能性があったことを、私は有地の作品に触れて初めて知った。

 有地の作品は、ループする日常と、それを支える石=忘却の象徴とで成り立っている。有地の作品における石とは、日常=ループを支えると同時に、そのループを破断させ、別様の現実を浮かび上がらせる存在である。つまりここでは、忘却に触れることが、事故を想起させることに繋がっている。

 ヴィリリオの言葉を思い出そう。「やり直しや反復が可能となったものはすべて、おぼろげになり、黙り込む」。ヴィリリオの言葉を「風化」として捉えるなら、『スーパー・プライベート』は日常の反復=風化のなかで、日常の反復をいかに破断させることができるか、という表現だったと言える。反復を破断させるためには、忘却していた何かを想起さえることが必要とされた。

 日常という風化に対抗しながら、事故について考えるには、私たちは有地の作品のように、忘却された対象を何度も想起しなくてはいけないだろう。ではそこで、想起されるべき対象とは何だろうか。私たちは何を忘却し、そして何を想起すべきだろうか。

 ここには、事故についての問いを深める可能性がある。そしてまた、批評が事故について語り得る可能性をも示唆している。

 

■第三章 偶然性の困難『MONSTER』

 

 私たちは前章で、日常の反復=風化に対抗する試みとして、忘却の想起という行いがあることを確認した。だから次に行うべきは、忘却の想起によって、私たちが問うべき問い「なぜその人がそのボタンを押したのか」のもつ困難に向き合うことだろう。

 そしてその困難は二つにわけられていた。一つは「人為性の困難」であり、もう一つは「偶然性の困難」である。この章では具体的作品の分析を通じて、「偶然性の困難」を伴う問いへの理解を深めていくことを目的とする。対象となる作品は、漫画『MONSTER』である。

 浦沢直樹『MONSTER』は94年から01年まで、『ビッグコミックオリジナル』に連載された漫画である。物語の骨子は、猟奇的殺人事件の犯人ヨハンと、彼を追う医者テンマを中心に据えながら、多くの登場人物たちの思惑や人生が入り組んだ群像劇に近い。『ハドソン川の奇蹟』とは異なり、事故ではなく事件を扱った物語であることから、本稿冒頭で挙げた事件/事故の対比で言えば、この作品は90年代的な状況を描いた物語のように感じられるだろう。実際、同作の連載期間はがほぼ90年代であることからも、普通に考えれば『MONSTER』が90年代的作品であることは疑いえないようにも思える。

 しかし私たちはこれから、この作品が事件を中心に据えた作品でありながら、最後の最後で、事故についての二つ目の問い「なぜそのボタンが押されたのか」という「偶然性の困難」を伴う問いに関する物語へと反転することを検討していきたい。そしてもちろん、そのときキーワードとなるのは忘却である。

 また、本稿では『MONSTER』という作品を、主人公テンマではなく、殺人者ヨハンの視点によった地点から読み解いていく。その読みはそれほどアクロバティックな試みではないだろう。そのことを示すポイントが二点ある。まずタイトルにある「MONSTER=怪物」とはヨハンのことであることから、彼を中心に物語が動いていることは明らかである。また、テンマという名前は、手塚治虫の作品『鉄腕アトム』に登場する、アトムの生みの親である天馬博士を連想させる(作中ではテンマは主にDr.テンマと呼ばれる)。天馬博士が、ロボットという人ならぬ存在のアトムを生み出したように、テンマは少年時代のヨハンの命を救うことで怪物を生み出すことに加担している。そして言うまでもなく、『鉄腕アトム』の主人公はアトムであり、名前と役割を重ねられた『MONSTER』においても、ヨハンを中心に物語を解釈する試みは可能といっていいだろう。

 それでは分析の前に、『MONSTER』のストーリーを見ていこう。物語は86年のドイツ・デュッセルドルフから始まる。外科医であるテンマは、ある偶然から、拳銃で頭部を撃たれた子供の手術を行い、その命を助ける。しかしその子供こそが、少年時代のヨハンであった。ヨハンはテンマに命を救ってもらった恩を感じ、テンマが憎しみを抱いていた病院の院長たちを殺害する。テンマがその事実を知るのは九年後の95年のことであり、自分の救った命が他人の命を奪ってしまう矛盾に苦しみながら、彼は病院を飛び出し青年となったヨハンを殺すためにヨーロッパ中を旅していく。

 ここまでが物語序盤のプロットである。得たいの知れない殺人者ヨハンの正体とその動機を探っていくことが、物語の推進剤として働いている。しかし、物語中盤から、少しずつそこに変化が生まれていく。彼を追うテンマと、ヨハンの双子の妹のニナの二人を中心とした物語が、徐々に追われる者ヨハンの物語にすりかわっていくのだ。

 ヨハンは自分のことを知る人間を次々に殺害していく(恩人であるテンマは例外的に殺されない)。その繰り返しはどこまでも止まらないことを彼は知っており、止まるとすれば自分が死ぬ時であると考えていたと思われる(ヨハンは、テンマとニナに自分を殺させる計画も立てていた)。ここでのヨハンの生は、終わりなき殺人のループを生きていたと言える。

 その筋書が変化する象徴的なシーンが二つある。まず一つは、ヨハンが図書館である絵本を発見する場面である。ヨハンが手に取った絵本は、チェコ語で描かれた「なまえのないかいぶつ」という作品だった。それまで笑み以外の感情表現を一切描かれてこなかったヨハンは、その絵本を手に取って開いたまま、激しく慟哭し、その場で昏倒する。

 その絵本には、彼がこれまで行ってきた殺人(自分のことを知る人間を次々に殺害していくこと)を示唆する内容が描かれていた。それは偶然の一致ではなく、過去に彼がその絵本を読んでいた記憶があったからだった。ここで絵本は、ヨハンに自分のルーツを忘却していることを想起させ、「自分を知る人間を殺し続けていく」ことのループはここで止められる。

 以降のヨハンの殺人はその目的を微妙に変えていく。彼は忘却されていた自分のルーツを探るために行動を始める(それに引っ張られる形で、テンマとニナの旅も、ヨハンを追うという目的から、ヨハンという怪物を生んだルーツを探す旅へと変化していく)。それはヨハンにとって、記憶の忘却(風化)に抗う旅でもあった。

 そしてヨハンは、自分たち双子が、チェコスロバキアでの軍事的実験(優秀な血統の子供を産み出すプログラム)によって作られた子供たちであることと、幼少時に非人道的な実験のプログラムの被験者となっていたことを想起する。そこから彼の殺人のターゲットは、自分を知る人間から、過去の実験に加担していた人物たちへと変化していく。

 しかし、もう一つの象徴的な場面において、その認識も逆転されてしまう。それは「赤いバラの屋敷」と呼ばれる施設において、ヨハンとニナが対峙するシーンである。そこでニナは本当の過去をヨハンに語る。

 実は、幼少時に非人道的な実験を受けていたのは、妹のニナの方であり、ヨハンは彼女からその実験についての話を何日もかけて聞いた結果、自分がその実験の被験者であったと錯覚してしまっていたことが判明する。

 ニナの話を聞いたヨハンは、「夢からさめた」と言い、「本当の終わりの風景」こそが自分の行くべきところだと確信する。

「終わりの風景」という言葉は、作中でヨハンが何度も口にする言葉である。それは、自分を知る人間が一人もいなくなった孤独な世界のことを指している(その世界は、少年時代のヨハンが瀕死に陥った際に見た荒野の風景として描かれる)。ヨハンは常に「終わりの風景」を見てきた人間だった。そもそも、ヨハンという名前すらも彼の本当の名前ではなかった。彼の本当の名前を知る人間は彼の世界にはいない。彼はまさに「なまえのないかいぶつ」だった。

 物語終盤で、テンマはヨハンを追い詰め、彼に銃口を向ける。その時ヨハンはテンマに「あなたには見える……。終わりの風景が……」と言う。そして彼ら二人の背後に、「終わりの風景」としての荒野が幻視される。詳しくは後述するが、ヨハンは話術や心理学的な技術によって、他人の心理をコントロールしたり、そこにない風景が見えるように錯覚させる術をもっている。しかし「終わりの風景」を見せた相手は、自分の命を救ってくれた恩人だけであったことから、ヨハンが恩人という特殊な関係性の相手に、自分の世界を共有してほしいという欲望がそこには感じられる。

 だが、「終わりの風景」と「本当の終わりの風景」は別であると考えるべきだろう。ヨハンは「本当の終わりの風景」という言葉を一度しか使っていない。前述した、テンマと共有した荒野の風景も、単に「終わりの風景」と呼んでいる。では、「本当の終わりの風景」とは何だろうか。

 それは最終話にて明らかとなる。ヨハンとテンマが対峙した際、ヨハンを銃撃したのはテンマではなかった(銃撃したのは、本稿の議論と関連性の薄い人物なので、あるサブキャラクターとだけ記述しておく)。そしてヨハンは少年時代の頃と同様に、テンマの手術によって一命をとりとめる。最終話で、病院のベッドで意識不明で眠るヨハンに、テンマが面会にくる。面会以前に、テンマはヨハンの母親に会い、彼女がヨハンに名付けるはずだった名前を聞き出していた。テンマは意識不明のヨハンに語り掛ける。

 

「君のお母さんと話をした……。君を愛していた……。君の本当の名前を聞いた……。君には名前があった……」

 

 それは、ヨハンが「なまえのないかいぶつ」ではないことの証左だった。少なくとも、テンマはそのつもりで話していた。ヨハンは母から名前を与えられ、愛されていた。テンマは、それがヨハンにとってのある種の救いになると信じてその言葉をつぶやいた。

 しかしヨハンの本当の絶望は、「なまえのないかいぶつ」であることではなかった。テンマの語りのあとに、ヨハンは唐突にベッドから上半身を起こし、テンマを見据えて思いつめた表情で「Dr.テンマ……。あなただけに聞いてほしいことがある」と言う。

 彼の話は、次のようなものだった。非人道的な実験の計画者たちに、幼少時の双子(ヨハンとニナ)が連れていかれそうになった時、双子の母親は最初は抵抗を示した。しかし、連れていくのが双子のどちらかだけであり、もう一人は連れて行かないという話を聞くと、母親は、逡巡の表情を見せた後に、ニナを相手に差しだした。

 その母親の選択は複雑に描かれている。何かを決心したような表情を浮かべた後、母親は「こっち……。いえ、こっち……」と言って、双子の片方(ニナ)を実験の計画者たちに差しだすのだ。しかしその時、双子はどちらも「女の子に見える恰好」をしていた。ヨハンとニナの区別は、少なくとも読者にはつかない程度に似通っていた(服も髪型も少女のような恰好だった)。

 ヨハンはその時のことをテンマに話した後、無表情に一つの問いをテンマに告げる。

 

「母さんは僕を助けようとしたの……? 僕と妹を間違えたの? どっち……? いらなかったのは、どっち……?」

 

 テンマはその問いに答えられない。彼が一瞬、その問いかけに茫然自失している間に、ヨハンはまた昏睡状態に戻っている。

 テンマがヨハンに伝えた「母親は君に名前をつけていたし、君のことを愛していた」というメッセージはこれによって裏切られる。少なくとも、ヨハンにとっては、その問い(いらなかったのは、どっち……?)に明確な答えが与えられない限り、母親からの愛を信じることはできなかった。これがヨハンの本当の絶望であり、忘却を想起した後の彼が口にした「本当の終わりの風景」だった。「終わりの風景」は、誰からも本当の名前で呼ばれない、孤独な絶望だった。しかし「本当の終わりの風景」は、本当の名前を持つことだけでは解決しないより深い絶望と言える。ヨハンは、二度の命の恩人であるテンマにだけ、自身のもっとも深い孤独を伝えたのだ。テンマが病室を去った後、ヨハンは病院から姿を消し、物語はそこで幕を閉じる。

 ヨハンの苦しみは、母親の選択が偶然だったかもしれない(本当は自分を犠牲にしようとしていたのかもしれない)という可能性から生まれている。そこには、私たちが考えるべき「なぜそのボタンが押されたのか」という問いが象徴する、偶然性の困難と通底するものがある。

 私たち読者もテンマと同様に、ヨハンの問いに答えることはできない。それは決定的に回答不能な問いだ。もしかしたら母親自身にも答えることができないかもしれない。また、本稿の目的はこの問いに答えることではない。そうではなく、これらの困難を伴う問いについて理解を深めることにある。

 では、ヨハンの問い(偶然性の困難)を、私たちはどのように理解すべきだろうか。

 まず考えるべきは、母親のとった選択が、偶然性と必然性の対照関係を潜在させている点だ。

 ヨハンは母の愛を信じてることができない。母親は偶然、ヨハンを守っただけかもしれない。母親の選択は偶然だったのではないか。その疑念をヨハンは解消できない。

 一方で、ヨハンにとって母親の選択は必然的でもある。自分は母親に「偶然に守られてしまった」という感覚は、彼にとっては絶対的な事実である。偶然の選択が、必然性を生んでしまうというメカニズムがここには働いている。

 ヨハンの苦しみは、自分の人生では絶対的に母の愛が信じられなくなってしまったことにある。それは必然的な出来事として刻まれてしまった。その必然性が消えないからこそ、ヨハンは殺人者としてその人生を歪めてしまった。

 偶然の選択が必然性を帯びてしまう。ヨハンにとって母親の選択は、もう二度と覆らない「取り返しのつかなさ」に満ちている。ヨハンの問い「いらなかったのは、どっち……?」は、その苦しみの現れである。

 ここで私たちは「偶然性の困難」を伴うあの問いを思い出そう。「なぜそのボタンは押されたのか」。チェルノブイリの事故では、オペレーションミスは様々な要因(事故時に行われていた実験の開始の遅延や、現場の人間の認識不足など)によって発生した。それは幾つかの偶然によって起こったのだった。なぜオペレーションミスが起こったのかに対して答えることは非常に難しい。しかし、それでもなお、「なぜそのボタンは押されたのか」と問うことには意味がある。その問いには、問いを考える私たちに「取り返しのつかなさ」を感覚させる力があるからだ。

 ヨハンは自身のルーツへの旅を通じて、自分が忘却していた事実を想起した。そして最後に「偶然性の困難」を伴う問いへと至った。彼の殺人者としての物語は、そこで幕を閉じたと言える。彼の殺人のループは問いによって破断した。

 ヨハンがその後どのように生きたかは読者の想像の外にしかない。しかしそこには、それ以前とは異なる生き方があった可能性がある。問うことによって過去の現実は変わらない(取り返しはつかない)。しかしその問いを発することは、彼の人生にとって大きな意味を持つものだった(だから、彼は他の誰でもなく、恩人であるテンマにだけ聞いてほしいと言った)。

 私たちは『スーパー・プライベート』という作品によって、日常と事故の関係を考えた。そこには風化/想起という運動があった。ヨハンは忘却(風化)された自身のルーツを想起することで、自分の人生を決定的に変えてしまった偶然(アクシデント)への問いにたどり着いた。そのとき彼は、「偶然性の困難」を伴う問いへの理解を深めるに至ったのだ。

 

■四章 人為性の困難 『ハドソン川の奇蹟』

 

 私たちが問うべき二つの問いのうち、「偶然性の困難」を伴う問いについて、前章までで理解を深めた。次に問うべきは「人為性の困難」を伴う問い、すなわち「なぜその人はボタンを押してしまったのか」についてである。この章では、「人為性の困難」の問いを深めるために、「シミュレーション=反実仮想」を中心に据えた作品の分析を行う。その作品とは、映画『ハドソン川の奇蹟』である。

『ハドソン川の奇蹟』はクリント・イーストウッド監督により制作され、16年に公開された。まずはその物語を追ってみよう。

 映画は、09年に実際に起きた航空機事故を題材にしたドキュメンタリータッチの作品である。09年1月15日、ニューヨーク市ラガーディア空港から飛び立ったUSエアウェイズ1549便は、離陸直後に発生したバードストライク(鳥類が飛行機のエンジンなどに衝突して発生する航空機事故)によって、両エンジンが故障し、空港への緊急着陸を余儀なくされた。しかし、1549便のサリー機長は、空港への着陸は無理と判断し(着陸までに市街地へ墜落する危険があった)、ハドソン川への不時着を決断する。結果として、不時着は成功し、機長は乗客員全員の命を救うことができた。

 しかし、この事故の調査を行う国家安全運輸委員会は、機長の判断はあえて成功確率の低い方法を選択し、かえって乗客員の生命を危険にさらしたのではないかと詰問する。映画は大きく分けて、ハドソン川への不時着をめぐる前半と、国家安全運輸委員会による事故当時のシミュレーションについての議論が描かれる後半部で構成されている。

 ちなみにこの映画自体が、事故当時の状況のかなり正確な再現性を備えている。ハドソン川不時着後の救助活動を行った実際の警察官や、ニュースキャスターなどの配役は現実と同様の人物が演じている。また、イーストウッドは事故に遭った同型の旅客機を購入し、スタジオ内に用意した湖に実際に旅客機を浮かべることで、現実の出来事に迫るほどのリアリティでこの映画を制作している。ただし、この章でこの映画を取り上げる理由は、『ハドソン川の奇蹟』が現実の事故に肉薄したドキュメンタリー性によるものではない。

 そうではなく、この映画が重要なのは、有地の作品と同様に、人と事故との関係の可能性を広げる内容を備えた作品であるからだ。そしてまた、この映画は「なぜその人はボタンを押したのか」への問い、つまりは「人為性の困難」を伴う問いについての映画でもある。

 映画前半部はハドソン川への不時着がメインと書いたが、並行して(時系列が前後しながら)国家安全運輸委員会によるサリー機長への諮問の場面が描かれる。映画前半部では二度ほどその諮問が行われるのだが、見逃してはならないのは、サリーが二度の諮問のどちらでも、委員会に事故当時のシミュレーションへの関与を求めていることだ。ここでシミュレーションとは、コンピュータ上で算出したシミュレーション結果を指している。

 それは次のような状況による。調査委員会は、サリーの判断(川への不時着)が本当に正しい選択だったのか追及を行う。サリーは当然、それは正しい判断だったと主張し、自分にシミュレーションへの関与を任せてくれればそれを証明できると言う。しかし委員会はその申し出を却下する。そしてコンピュータによるシミュレーションでは、1549便は近隣の空港の滑走路に無事に着陸できたという結果が導き出される。また同時に、バードストライクによって停止したと思われていた二つのエンジンのうち、一つはアイドリング状態であったという報告が委員会に入り、両エンジンが停止していたと事故当時に判断したサリー機長の立場は一層窮地に追い込まれる(しかし実際には、両エンジンはやはり停止していた、つまりサリーの判断が正しかったことが映画終盤で明らかとなるのだが)。

 劇中、委員会の人々のなかで、すでに事故の風化は始まっている。シミュレーションは現実の印象を薄れさせる。それに対してサリーは、私の記憶と違っていると感じる。しかし重要なのは記憶とシミュレーションの差異ではない。そもそもサリーの記憶だって、時間とともに風化していくに違いない。サリーと委員会の見解は水掛け論のように噛み合わない。お互いがお互いの知る事実を主張しているのみである。問題は事故についての問いをどのように進めるかであるにも関わらず。

 サリーは、自らの立場が危うくなるたびに、シミュレーションへの関与を求める。そしてコンピュータ上のシミュレーション結果に関与をあきらめる代わりに、今度はフライトシミュレーターによるシミュレーションで事故当時の状況を再現することを委員会に要求する。

 映画後半の山場は、このフライトシミュレーターによる事故当時の状況再現となる。しかしここには、物語的な意味以上の役割が宿っている。事故当時の状況は、シミュレーションによって幾度もループして再現されている。その再現が可能になるのは、事故当時の状況を記録したフライトレコーダーがあるからである。シミュレーションとフライトレコーダーの関係には、『スーパー・プライベート』で確認した、日常のループと、忘却の想起の関係を見出すことができる。サリーも委員会も事故の状況をループさせている点では同様である。

 サリーが要求したようにフライトシミュレーターによる状況再現は行われるが、結果はコンピュータ上のシミュレーションと同様に、1549便は近隣の空港にたどり着けるというものだった。しかしサリーはその結果に異議を唱える。

 

「真剣にやってください。(…)我々はいま、コンピュータによるシミュレーションの結果も聞きましたし、パイロットによるシミュレーションも確認しました。ですが、どちらにも、人為的要因がありませんでした(…)今のシミュレーションでのパイロットたちの動きは、初めての事故に遭遇した人間のものとは思えません」

 

 サリーはフライトレコーダーに刻まれた忘却を指摘する。事故の現場にいた人間は、離陸直後のバードストライクという稀有な航空機事故に直面した人間なのだということを、委員会は忘却している、と。サリーは、フライトシミュレーターを行うパイロットは、一体この状況を何回練習したのかと訊ねる。委員会の答えは「17回」。それに対して、現場にいた人間は練習の経験などあるわけもない。

 サリーの指摘を受けて、委員会はフライトシミュレーターのパイロットに、事故発生から「35秒」を置いてから空港への帰還行動をするように指示する。その結果、近隣の二つの空港への帰還は失敗し、シミュレーション上の1549便は市街地に墜落する。フライトシミュレーターに記録された状況から委員会が判断した「35秒」という時間によって、シミュレーションは終了される(ループは破断される)。

 サリーの判断が正しかったことがシミュレーションによって証明されるのと同時に、両エンジンがやはり完全に停止していた報告が行われる。この報告のタイミングには物語上の演出的なものを感じるが、一方で、象徴的な出来事にも感じられる。シミュレーションというループが破断した直後に、事故当時の正確な状況が報告されたという事実は、サリーと委員会が事故そのものについて語り得たことを示唆している。

 ここでは「なぜその人はボタンを押したのか」という人為性の困難を伴う問いを深めるヒントがある。人為性の困難は、対話によってだけでは深まらない(委員会とサリーの対話は平行線を超えることはない)。そこではシミュレーション=反実仮想が必要となる。

 批評再生塾一期優秀賞を獲得した横山宏介の論考「私たちはそこにいないから」では、反実仮想について次のように述べている。

 

 共通する「物差し」が消失した時、人は容易に自身が表象した歴史へと「閉じこもる」。(略)だからこそ、「反実仮想」が、自分の歴史とは異なる歴史を想像することが、「私がいない場所」へと思いを馳せることが、過去の歴史を参照することが、要請されるのだ。

 

 人為性の困難を超えて、事故を問うためには反実仮想を経由する必要があった。「共通する『物差し』」を持たないサリーと委員会は(彼らは両エンジンの停止の問題についての判断を共有していなかった)、互いに自身の考える事故状況に閉じこもっていたと言える。その状況を打ち崩し、事故への問いを進めるためにシミュレーション=反実仮想は使われている。横山は同論考で「そこからしか、未来に踏み込むことは出来ない」と書いている。

「私」がいない場所と時間へ思いを馳せること。自分の歴史とは異なる反実仮想を経由して事故について考えること。そのような試みからしか、「なぜその人はボタンを押したのか」という人為性の困難を超えて、事故への問いを進めることはできないだろう。

 

■終章 「取り返しのつかなさ」を想起するために

 

 事故を考えるための問いについて理解できたことを整理してみよう。

 まず事故について考えるための問いは、二つの困難を伴う問いに分解できる。一つは「なぜその人はボタンを押したのか」という人為性の困難をもつ問い。もう一つは「なぜそのボタンが押されたのか」という偶然性の困難をもつ問い。前者の問いには反実仮想の思考が必要とされた。後者の問いには、偶然性を必然性に読み替えることで、「取り返しのつかなさ」を感覚させる力があった。

 ここで二つの問いを、もとの一つの問いに戻してみよう。「なぜその人がそのボタンを押したのか」。私たちはこの問いを、「反実仮想によって取り返しのつかなさを感覚する」ものとして理解した。

 ここで一度、その問いを一つ前の形に戻してみよう。すなわち、「だれがこのボタンを押したのかではなくて、なぜその人がそのボタンを押したのか」という問いの形に。前者ではなくて、後者の問いが重要とされてきた。前者の問いには、事故の責任追及という力しかないのに対して、後者の問いには、日常=ループ=風化を破断させる想起の力があると言える。

 社会学者の宮台真司は、『ハドソン川の奇蹟』についての作品評で、私たちの問いと関係する鋭い分析を行っている。

 

『ハドソン川の奇蹟』も、巷で言われる秩序回復モチーフの英雄譚じゃなく、通過儀礼モチーフで「取り返しのつかなさ」を刻みます。人より計算機を信じる社会も、乗客を最後の一人まで救ったことを確認しなかった自分も、想定外。想定外の日常についての現実を知ったら最後、主人公は日常には戻れません。(略)さてサリーは地位回復できました。でも本当なら回復できなかったはずだというのが彼の感覚です。だから回復によって最後に安心するということはありません。(『正義から享楽へ』(17年))

 

 宮台は『ハドソン川の奇蹟』が「取り返しのつかなさ」を刻む映画であったと明確に語っている。宮台はそれゆえにこの作品を高く評価している。宮台は「鈍感な者が見れば秩序回復モチーフ」に見えると書いている。この言葉は、現代社会のリアリティの一端を的確に表している。だが宮台が言うように、「一見普通の娯楽作品」のようにも見える『ハドソン川の奇蹟』ですらも、実際には「世の不条理を心底思い知ったがゆえに元には戻れない」ことを描いているのだ。

 私たちが考え続けてきた「なぜその人がそのボタンを押したのか」という問いを語ったのはチェルノブイリ博物館の副館長コロレーヴスカだった。博物館とは、来館客に体験を与える施設である。問いは体験とともにある。宮台が示しているように、想定外の事故を体験することと、想定外の事故への問いを深めることは、ある種の「取り返しのつかなさ」を宿している。

 長かったこの文章ももうすぐ終わる。私は「批評とは時代時代に存在する重要な問いを問い続ける営為」だと先に書いた。その意味を改めて考えてみることで、本稿を閉じたいと思う。

 本稿冒頭で見たように、私たちは流動性が徹底化されてしまった社会に生きている。そしてのその社会では、日常がループし、風化を加速させている。その風化にどのように対抗すべきかというのが、本稿の問題意識だった。

 ここまできた私たちは、その問題に次のように答えられるだろう。

 全てが流れていく現代社会が忘却しているのは、「取り返しのつかなさ」である。社会はいま、すべての出来事が「取り返しのつく」ものであるかのように錯覚している。これは個々人の実感のレベルではなく、社会的なレベルでのリアリティだ。「取り返しのつかなさ」をいかに感覚すべきか。それはコロレーヴスカが語ったように、「なぜその人がそのボタンを押したのか」という問いによってなされるといえる。

 反実仮想によって「取り返しのつかなさ」を考えるということは、一見すると、「何かを行う際に、失敗したときのことを考えろ」という極々当たり前の、リスク管理の言葉のようにも思える。しかしそうではない。それは未来の出来事に向けた思考である。その思考に意味がないわけではないが、本稿で述べてきたのは、過去への反実仮想である。そして、もう取り戻しようのない場所と時間についての思考である。

 過去は変えられないし、日常とともに風化していく。それでもなお、それだからこそ、過去への反実仮想を私たちは止めてはいけない。

『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』のなかで、ジャーナリストの津田大輔は、機能停止したチェルノブイリ原発二号機制御室を前にした時を回想し、次のような発言をしている。

 

津田 実際に制御盤のボタンを押せましたものね。ボタンは意外に固かった。

 

 津田が押したボタンとは、チェルノブイリ原発の二号機制御室の操作ボタンであり、その制御室は事故の起きた四号機制御室とまったく同じデザインだった。「ボタンは意外に固かった」。しかし、その固いボタンは、その固さにも関わらず、誤って押されてしまった。

 ここで津田は、自身がその場にいたわけではない原発事故当時の状況に思いを馳せながら発言している。「私」がいない場所と時間へ思いを馳せること。自分の歴史とは異なる反実仮想を経由して事故について考えること。そのような試みからしか、事故への問いを進めることはできない。

 現実に、四号機のボタンは誤って押されてしまった。その過去は変わらない。変えることもできず、責任を追及することにも建設的な意味はない。私たちはそのボタンが押されてしまった過去の延長に生きている。そして、批評はその過去をこそ問う。

 私たちは、ボタンが押されなかった世界を生きることはできない、ということの「取り返しのつかなさ」の肌触りこそが、批評的問いがこの世界に与えることのできる価値である。

 批評は未来ではなく、過去を向いている。

 過去にあった、そのボタンの固さを、取り返しのつかない感触を、10年代を生きる私たちは想起し続けなくてはいけない。

文字数:17321

課題提出者一覧