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平田オリザ論

0  天使的コミュニケーション

天使は互いに直接に認識しあう。ある思考が生起したなら、その瞬間に、何の遅延もなしに、他の天使は、それを知る。・・・・・・ある意味ではこれこそが純粋なコミュニケーション、コミュニケーションの理想ともいえる。天使的コミュニケーションは、人間にとっての、とりわけ、今日の私たちにとっての理想なのである。
田崎英明「Essentia-名と叫び」,1996(『無能な者たちの共同体』,2007)

僕たちは天使的存在にますます近づいている。西欧における「個」を前提としたポスト・ヒューマンは、超人を夢見る。そして、日本における「情緒」を前提としたポスト・ヒューマンは天使を夢見ている。

1 現代口語演劇のリアル

平田オリザが1995年に『東京ノート』で岸田國士戯曲賞を受賞してから20年以上の月日が流れた。今から振り返ってみれば、彼が提唱した「現代口語演劇」理論は日本の小劇場演劇に一つの新しい基礎を与えた。それは俳優の内面を括弧にいれて外面的な「それらしさ」のみでリアルを組み立てる方法論であり、平田がロボット工学者石黒浩と組んで2008年にリリースした「ロボット演劇」のプロジェクトへと結実している。しかし、彼の言う「リアル」とは結局のところ何だったのだろうか?
「現代口語演劇」が00年代以後を彩る小劇場演劇の旗手たちの母体となったことは疑い得ない。実際、五反田団(1997-)・地点(2001-)・東京デスロック(2001-)・ハイバイ(2003-)・チェルフィッチュ(2005-)・サンプル(2007-)・マームとジプシー(2007-)・ままごと(2009)etc・・・・・・といった後続世代に平田オリザは間接・直接的な影響を与え、多種多様な「演劇の生態系」が生まれていった。そんないまになって、すでにクリシェになった感がある現代口語演劇の「リアル」を再検討しようなんて、アナクロニズムと言われても仕方がない。反面、ロボット演劇にまで直結する「現代口語演劇」に対して、不思議なほど情報メディア論的なアプローチが欠如しているように思える。言い方を変えれば、平田が「だから言うなれば相対性理論が実験で証明されたようなものですね」(『エクス・ポ テン/ゼロ』,2009,HEADZ)とも言うロボット演劇が登場したいまだからこそ、演劇に「情報メディア」としての一貫した視座を与える時期にきている。
例えば、藤原ちからは現代口語演劇を次のように位置づけている。

2000年代に入ってからの現代演劇のメインストリームも、この「静かな演劇」(あるいは「現代口語演劇」)路線を継承してきた。・・・・・・それまでの嘘くさい大仰な演技方法から離れて、実際の若者たちが使っている語り口・語彙・リアクションなどを、それぞれのやり方で「リアル」に舞台に乗せようとしたのだ。
(藤原ちから「ヴァネラブルな俳優たち」p137(『演劇最強論―反復とパッチワークの漂流者たち』,徳永京子・藤原ちから,2013)

大雑把な記述とはいえ、ここで藤原が前提としている図式は「嘘=大仰な演技」と「嘘ではない=リアルな演技」の二項対立で示されており、現代口語演劇の「リアル」を「実際の若者が使う自然さ」を感得させるところに見出している。これを問いの形式に起き直せば、「虚構である演劇がどうして「リアル」に見えるのか?」とまとめることができる。
しかし一方で、『現代口語演劇のために』では「リアル」とは客観的なリアルではなく「記述」飲みによって成立する記述的な「リアル」だ、とも言うのである。これを実在をカッコに入れる現象学的なリアルだと早々に結論づけてみせることは容易であるが、そうした視点では、やはりなぜ「現代口語演劇」が『演劇最強論』が視座とする「反復とパッチワーク」が導き出されるのかが以前、謎である。さらに言えば、そうした動向とは一線を画す劇団「地点」の細分化された発語の形式と平田オリザのコンテクストがまるで無関係なものになってしまう。

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