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生命的リアリティの外部へ―尾形亀之助について


1 尾形亀之助は究極のニート詩人と言えるのではないか?

本当にそんなニートがいるのかわからないが、ニートであるとは「働いたら負け」という条件つきでニートであるらしい。アレントによれば、「食わねば死ぬ」という生命のリアリティに条件付けられて私たちは労働する人間のようである。確かにいまのところ私たちは食わなければ死ぬ。だから働かねばならない。これは動かすことの出来ない普遍的な真理であらざるをえないだろう。生命的リアリティの外へと脱出することはほとんど不可能なようにも思える。しかし、真のニートであれば、たとえ親のすねをかじること叶わなくなったとしても働かないのではないか? 食おうが食うまいが「ぼくは存在している」などと宣って、餓死の間際に「働いたら負けだ」と言って死んでしまう。常識からは理解不能な謎こそ真のニートなのではないか?

いや、ぼくは特にニートという形象について何か言いたいわけではない。しかし、こういう究極のニート的な生き方を実践した詩人が20世紀のはじめにいたのだ。尾形亀之助である。

似た境遇を持つ宮沢賢治と同世代でありながら後世の人びとにほとんど知られることなく、餓死自殺した亀之助。『働かなければ食へないなどとそんなことばかり言ってゐる石頭があつたら、その男の前で「それはこのことか」と餓死をしてしまつてみせることもよいではないか』(「無形国へ」『誌神』1930年5月)と亀之助は言った。宣言通り、死んだ。

亀之助にはカネがなかったわけではない。江戸時代からの酒造業で莫大な財を築き、宮城でも有数の資産家となった尾形家の嫡男として1900(明治33)年、亀之助は生まれた。究極のニートの名に恥じることなく親のスネをかじり続け、マヴォの創立者の一人として、未来派の美術運動にも携わる。未来派の画家から詩人へと転身し、『亜』の短詩運動の潮流をくぐり抜け散文詩へと着地するまでのあいだ彼はまったく働かなかった。それどころか、晩年には働き始めたのにもかかわらず食わなかった。

私たちは食わなければ朽ち果てて死ぬ。しかしそうした生命のリアリティに亀之助は疑問符を突きつける。亀之助の詩からは、同時代のプロレタリア詩人が痛切に叫んでみせる切迫した生命のリアリティが全然感じられない。その代わりに、生命のリアリティとは別種の、存在することのリアリティとでも言いうる何かが感じられるのである。

ぼくはここで、生活不能者の生を生き切った亀之助の詩には、生命の制度の内部では不可避的に見えなくなってしまう「存在の詩学」が開けていることを示してみよう。それは同時に近代文学を創出した言文一致の「一人称」空間の限界と、その外部を指し示すはずだ。

2 蒸発する「いつ」

彼は次のような詩を書いた。『障子のある家』に収められた「へんな季節」と題された一篇の冒頭。

次の日は雨。 その次の日は雪。 その次の日右の眼ぶたにものもらひが出来た。
午後、部屋の中で銭が紛失した、そして、雨まじりの雪になつて二月の晦日が暮れた。
少しでも払らはふと思つてゐた肉屋と酒屋はへんに黙つて帰つて行つた。
私は坐つてゐれないのでしばらく立つてゐた。 ないものはないのであつた。 盗つたことも失くなつたことも、つまりは時間的なことでしかないやうだ。
天井に雨漏りがしかけてきて、雨がやんだ。

人物・亀之助が語られるときには大抵「虚無の意識」「憂鬱」「生活不能者」「無能」「無為無策」「消亡」といった語が充てられるのが習わし(?)となっている。実際、1930年には『障子のある家』を友人・家族に70部配って、亀之助は上諏訪に自殺行へと出かけた(といってもここでは死なず実家に戻る。その後はほとんど詩を書かずに市役所勤めの日々をおくり、1942年にあらためて餓死自殺する)。

「へんな季節」の一連を取ってみても、書かれている内容は、雨が降って、雪が降って、ものもらいが出来て・・・といった些末な出来事の羅列と、払う金がなくて肉屋と酒屋が帰っていった後に「私」が立ち尽くしているというエピソードから成っており、まさに無能と言わざるをえない。

だが、もう少し詳細に叙述を追っていくと、この詩の描写している時点が「いつ」であるのかが全く判然としないことに気づくだろう。「雨」は気づけば「雪」であり、その次に天気とは全く無関係な「ものもらいが出来た日」に視点は移り、二行目の「二月の晦日が暮れた」で少なくとも数ヶ月の時間が過ぎている。そして「いつ」の時点が同定できないまま、三行目で肉屋と酒屋の催促に移るのだが、二行目でわざわざ「午後」に「銭が紛失した」と断っているにも関わらず、「いつ」が不明であるために「肉屋と酒屋へ支払いの出来ないこと」との因果関係が不明化している。極めつけに「紛失」の原因が「盗まれた」ことにあるのか、それとも使ってしまって「失くなった」ことにあるのかが、どちらも「時間的なこと」だと断定され、「盗った/失くなった」を分節する差異が消失している。そして連の締めくくりは「雨漏り」と「雨がやむ」の矛盾する事実がまるで自然な因果関係であるかのように「しかけてきて―やんだ」と無理やり接続させられる。

端的に言って、あらゆる語を等価な断片へと変貌させる詩法に亀之助の特異性がある。どんな事物が眼の前にあっても、太陽を直視すれば全て真っ白な光の”瞬間”に消失していくように、亀之助詩に現れる語は瞬間を介して時間的な「いつ」を失っていく。文と文を接続するはずの自然な因果は瓦解し、語は瞬間のパースペクティブのもとで謎めいた「語の影」あるいは「痕跡」となる。読者は燃え尽きた幻の大陸で、何を意味していたのかわからない暗号化された断片を拾って歩くような体験を強いられる。吉田美和子が『読者は我慢くらべを強いられる。この亀之助の「時間」に耐えることができるか』(『単独者のあくび 尾形亀之助』p222)と言い方で言及する「耐えられない時間」とは、語が現在を意味づけるような適切な配列―コンテクスト―を消失してしまう「いつ」の蒸発にあると言っていい。

そして、「いつ」を蒸発させる詩法を可能にしたのが、柄谷行人が言うところの「ある一点から過去を回顧するような遠近法を可能にする」(『定本 日本近代文学の起源』p66)語尾「た」の多重化であるように思われる。

※以下、柄谷行人『定本 日本近代文学の起源』(2008年,岩波現代文庫)からの引用はすべてページ数のみを記す。

3 三人称化された一人称

柄谷行人は『日本近代文学の起源』のなかで、二葉亭四迷の『浮雲』と森鴎外の『舞姫』を比較し、『浮雲』が口語であるのに写実的ではなく、『舞姫』が雅文であるにもかかわらず写実的であることを指摘して、後者は「物語の進行をある一点から回顧するような遠近法的な時間性」(p85)を持つがゆえに、語り手の中性化を実践できたという。そして、それが語られていないかのように語られる三人称客観猫写の萌芽となった。

森鴎外の『舞姫』が一人称で書かれたことは不可避であったといえる。そこでは語り手が主人公である。いいかえれば、語り手が消去(中性化)されている。もちろん、それは「三人称客観描写」ではないが、そこに至るために通過せねばならない道であった。(p65)

「すべての人物が透視できる」ような中性化された語り手の出現が、三人称客観猫写を可能にする。『日本近代文学の起源』を貫く認識は『周囲の外的なものに無関心であるような「内的人間」 inner manにおいて、はじめて風景が見出される』(p28)という逆説である。そもそものはじめに主体の内的な現実と、世界の外的な現実が対置されてあったのではなく、内面にリアリティを与える一人称の話法によって、外的な現実そのものが生じたのである。客観的な現実の猫写を可能にしたのは、内面の声がそのまま文であるような新たな文語=言文一致によってもたらされる。

こうした認識はもはや日本の近代文学についての古典的な見解と言える。しかし、少し立ち止まり素朴に考えると、どうして三人称客観描写へ至るために「一人称」が経由されねばならないのか? もちろん、柄谷が言うように、現実と読者が直接出会うことを阻む「語り手」が顔を出してしまうからなのだが、中性化された語り手である「一人称の私」が見出すのは「風景としての人間」である。この「のっぺりとした風景」の内部に、語り手の「私」と同格の別の「私」が見いだされることはありえないことではないか?

だから、むしろ「一人称の私」が見出す風景はのっぺりとした風景ではなく、穴ぼこのあいた風景であり、三人称客観猫写の成立とは「作中人物」と「語り手」と「読者」が、風景に穿たれた同一の穴ぼこであると措定されて、初めて可能になると言うべきではないか。思い切って言ってしまえば、一人称を経由して三人称客観描写が可能になったと言うべきではなく、すでに一人称は”三人称化された一人称”だったからこそ、三人称客観描写の萌芽と成り得た、と言うべきではないか。

語り手=作中人物=読者

こうした等号が可能となるためには、一人称の成立と同時に、はじめから一人称が三人称化されていなければならない。「私」がすでに「彼=私」でなければ、自由に出入りできる内面(読者の側からすれば自由に感情移入できる内面)といった不可解な形象が成立することはありえないだろう。そのために必要とされた装置が(柄谷の言う)時間の遠近法的な配置である。「ある一点から過去を回顧するような遠近法」(p66)の消失点という客観的に同定できる意味上の主観に「私」が還元操作されることで、「私」は中性化あるいは抽象化される。複数の並び立つ内面という矛盾を解決することが、時間遠近法による語り手の中性化を要請するのだ。

この語り手の中性化は技術的には語尾の問題に帰着すると見出したのは柄谷の慧眼である。

『文末詞の「た」は、物語の進行をある一点から回顧するような遠近法的な時間性を可能にする。中性的な語り手と主人公の黙契はこのような「た」において実現される』(p85)。語尾「た」は過去に遠近法的な配置(実在する時間)を与える主体の統覚として働き、誰にでも当てはまる中性化された一人称の私を実現する。しかし、誰にでも当てはまる「私」はすでに三人称化された一人称でしかなく、それどころか真の一人称の次元を隠蔽するように作用してきたのではないだろうか?

もちろん、ここでぼくは、亀之助の詩法が隠蔽された一人称の次元を露出させているのだ、と言いたいのだ。柄谷が洞察した日本近代文学の内面=風景は、いまだラディカルに徹底された内面=風景ではない。「風景の球体」は、ここでいまだ発見されてはいない。

4 「スクリン」に映写された時間

「へんな季節」に再度、目を向けてほしい。一瞥して明らかなように、語尾にはほとんど「た」が用いられている。だから、亀之助は時間遠近法の話法そのものを拒否しているわけではない。それよりは、韻を踏むように(しかし決してラップのごときリズムを構成しない)「た」を重ねることで、時間を意味的に構成する主体といった誰にでも当てはまる抽象的な一人称を拒否している。どういうことか。

――考へてもみるがよい。 時間といふものを「日」一つの単位にして考へてみれば、次のやうなことも言ひ得やうではないか。 それは、「日」といふものには少しも経過がない――と。 例へば、二三日前まで咲いてゐなかつた庭の椿が今日咲いた――といふことは、「時間」が映画に於けるフヰルムの如くに「日」であるところのスクリンに映写されてゐるのだといふことなのだ。(後記)

亀之助は自身の詩法を明確に言葉にすることはなかったが、子どもたちへの遺書代わりに書かれた(と思われる)『障子のある家』の後記で示された時間論は大きな示唆に富んでいる。ここで亀之助は「日」を「スクリン」の比喩で語る。時間は「日に映写されたフヰルム」だ、というのである。

例えばこの文章を書いている2017年6月13日が「現在」であり、2007年6月13日は「過去」である。2007年から2017年までの10年間は確かに実在しており、筆者の「現在」は例えば告白のような制度を通じて過去の様々なエピソードを遠近法的に構成することで、初めて真実の「意味」を獲得するだろう。同時に、10年前の「私」と現在の「私」が記憶の靭帯に結ばれた同一の「私」であることが証明されることになるだろう。

ところが、そうした因果的な時間の系列は、一人称話法によって構成された風景に過ぎない。「今年と去年との間が丁度一ヶ年あつたなどいふことも、私にはどうでもよいことがらなのだから少しも不思議とは思はない」(詩人の骨)。カレンダーの時間に従って流れる時間に意味があるように見えるのは、単に錯覚なのではないか? 亀之助が言う「スクリン」の比喩はそのような問いとして受け取ることができる。いまの私の内面に映る風景は、因果的な時間の系に沿って継起するとは限らない。そもそもそれは、私の内面において本当に継起するものなのか?

こんな風に考えてみよう。2007年6月13日が、いつの間にか2015年3月10日になり、それから2018年10月21日にいきなりなることがありうる、と。少なくとも、亀之助的な時間はこうした時間の見方によって支えられている。例えば、「日」が「スクリン」の比喩で語られるのも、実際にスクリン上に(面白くはないかもしれないが)上記のような非連続的時間をモンタージュしうることは容易に考えられるからだろう。

では「へんな季節」で「た」が多用されているのはなぜなのか? 先に、ぼくは亀之助詩の特異性は語を等価な断片とする「いつ」の蒸発にある、と述べた。それは、文末詩を「た」に限定することで、過去の一点一点を因果系列上の時間に配列しないための方法であることはもはや明白だろう。「雨」も「雪」も「ものもらい」も「盗んだ」も「無くなった」も「た」を重ねることで全く等価な過去として偏在させ、と同時に、ただ一つだけ存在する現在の瞬間に重ね描きする。「スクリン」の比喩をもう一度用いれば、観客が見ている現在の「スクリン」に全ての過去を同時に映し出すのである。それはもしかしたらもう「何が」映されているのか不明な真っ黒な画面になるかもしれない。意味はわからないかもしれない。だが、存在はしている。

いままさに存在する「スクリン=現在」以外の実在を認めない絶対的な私の内面=風景こそ、時間を一つのパースペクティブから統一的に把握する三人称化された一人称の内面によっては隠蔽され続ける「無意味に存在する風景」のリアリティである。

5 太古の詩人

林檎だとか手だとか骨だとかを眼でないところとかでみつめることのためや、月や花の中に恋しい人などを見出し得るといふ手腕でや、飯が思ふやうに口に入らぬといふ条件つきなどで今日「詩人」といふものがあることよりも、いつそのこと太古に「詩人」といふものがゐたなどと伝説めいたことになつてゐる方がどんなにいゝではないかと、俺は思ふのだ。(年越酒)

時間遠近法に条件付けられる三人称化された一人称の拒絶は、したがって、亀之助から人生を奪った。自殺したから、というのではない。現在の自分の生が遠近法的な時間の布置において過去から意味づけられることなしに、私たちは「人生」というまとまりを持てないからだ。例えば三年前に演劇学校を卒業したこととと、現在の生とのつながりを認識できなければ、「私」は自分の生を「人生」の単位で理解し明日へとつなげることは出来ない。「ああしたことも無駄ではなかった」と私たちは言いたい。「青春の過ち」も「過ち」として意味を持たなければ、「人生」の内部にそれを位置づけることができなくなるだろう(だから過ちを犯した人間は後悔するという形式で過ちを人生の内部に位置づける)。

この意味で、三人称化された一人称の成立は「人生」の成立であり、「人生」は結局のところ働いて・食って・持続させる「生命」のリアリティに突き動かされる。遺書が人生において重要なように思われるのは、生命の終わりが「人生」を完成するからである。生命のリアリティに人生は支えられている。

そうした生命の外部へと脱出するためには、今まで見てきたように、時間を瞬間に重ね描きしていく亀之助の詩法が役に立つだろう。しかしそれは何の役に立つのか? 時間遠近法の外部に立ち、絶対的な現在のリアリティを獲得してみても、待っているのは人生の無意味であるほかない。現に存在する〈いま〉だけがリアリティを持つラディカルな内面=風景と、しかしそのリアリティとは無関係に生命は朽ち果てるという両立不能なリアリティのジレンマが、ここに示されているように思われる。〈現在〉であることに人間は耐えられないのだ。人間の身体はどうやっても朽ちていくのだから。

しかし、亀之助は「太古の詩人」という形象に、朽ち果てるしかない生命を超えた「詩」の希望を見出しているようにも思える。「太古の詩人」という形象は、時間遠近法の外部に位置する「瞬間の生」の別名ではないだろうか? 当然のことながら「太古の詩人」は生命空間の内部には位置を持たない。しかし、それは瞬間瞬間で発見されることでリアリティをもつ「伝説」として、確かにあるのだ。

6 生命というフィクション

1942年、亀之助は餓死自殺した。いや、餓死自殺であるかどうかは実際のところわからない。何か首を吊ったり入水したりして、能動的に命を断ったわけではない。結果的に見ればそれは衰弱して死んだに過ぎない。なぜ彼はそんなにも緩慢な死を選んだのか? 存在のリアリティの側から見ると生命が一個の虚構と化すからではないか、とぼくには思える。能動的に自殺する行為に意味があるように思えるのは、生命がかけがえのないリアリティを持った「価値」としてあるからだ。しかし、自殺と自然死の境界線が無効化する「餓死自殺」には、「餓死」のインパクトに反してむしろ生命のリアリティを感じられない。生命をほっぽらかしたようである。

だから亀之助はただ「食わなければ死ぬ」を価値抜きの事実として実践したとはいえないだろうか。自殺でも自然死でもない、生命のままに朽ち果てる死のあり方は「太古の詩人」にふさわしい死に様だ。それは、デュシャンが、美術の不可視な制度あるところに中立的な”美的”物体を制度から遡行的に見出される美として事実置いてみせたように、生命の不可視な制度あるところに、中立的な”生命的”物体を制度から遡行的に見出される”生命”として事実置いてみせた、とも言えるだろう。亀之助は、もはや制度であるとは考えることも出来ないような”生命”それ自体を一つの虚構とみなすほどには、リアリストだった。

文字数:7675

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