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ファンタジック☆リアルの起点としての物語~「ラブ1からラブ3」古川日出夫著を読んで

 この物語は古川日出夫の短編集「gift」の一発目に掲載されている。文庫本「gift」の中には20編の物語が入っているが、どの物語にも「gift」という題はない。だからこれら20編全てが作家から読者へのgiftであると考えて差し支えないと思う。「ラブ1からラブ3」はそのうちの一つであると同時に、包み紙を開けたら最初に登場する贈り物でもある。よって、まずはこれを読むことで残り19編の味を想像させる食前酒的作品と言ってよいだろう。

 ざっくりとあらすじを書く。

 主人公は恋人から「妖精は足跡を残す」と教えられその足跡の捕まえ方を教授されるのだが、その恋人は「波動が噛み合わない」という理由で主人公のもとを去る。その後、主人公は彼女から教えられた「妖精の足跡の捕獲法」を駆使して「妖精の存在証明」を捕獲することにした。それが主人公にとって「うしなわれた愛」の証であるという。最初のプラン実行後三日目に妖精の足跡は発見され(ラブ1)、次のプランにてその足跡の持ち主を撮影しようとカメラを仕掛けたところ、足跡の主は三毛猫だとわかる(ラブ2)。そうなったら実物の三毛猫を肉眼で見たいと考えた主人公は現場に張り付いて猫の到来を待った。確かにその猫は現れたのだが…(ラブ3)。この…の部分を書くことはやめておこう。まだ読んだことのない方は、この批評を読み終えた後、ぜひ実際に「gift」を手に取って主人公の見たものを確かめていただきたいと思う。

 この物語全体には冒頭からファンタジーらしい透明感溢れるありえなさが漂っており、主人公がラブ3で妖精の足跡ではなくある物を発見して現実を知ることとなっても、その非現実性は壊されることなく継投され、そこに儚さを加えたシャンパンのような味わいが心地よい余韻となり後続の短編へと誘ってくれるだろう。二番目以降はどの作品から読んでもいい。つまみ食い的にところどころ読んで、これはやめとくかというものがあってもよいが(実際そんなことは読者の自由ではないか)、いの一番に読むのはぜひともこの「ラブ1からラブ3」であって欲しい。シャンパンはやはり食前にこそ合う。

 さて、ここまで便宜上「短編」と書いてきたが、ショートや掌の小説と言ってもよいのかもしれない。恐らくどう言おうと作者からは叱られないだろうし、その通りですとも言われないだろう。そういうことを気にしていない作風だと言ってもよいのではないか。そこで私なりの思いを述べてみると、この作品は小説であると同時に詩のようである。たとえば。

 

それから彼女は、妖精の足跡の捕獲法をぼくに教授した。夏の海岸で砂遊びをするように、地面にさらさらの砂で小さな山を作り、その表面に上がり段をこしらえる。すると、妖精がその階段を昇り、足跡を残す。

 

 この句読点の打ち方に従って音読すると、語り手の息継ぎが読み取れる。この息継ぎは詩のようだ。あえて詩のようと言う。残念ながら詩の専門家ではないので遠慮がちにそのように言うのだが、たとえば第一文目は「それから、彼女は妖精の足跡の捕獲法をぼくに教授した。」となるのが詩感を意識しない正統な読点の打ち方ではなかろうかと思う。敢えて「それから彼女は」で読点を打つのは、このリズムであることを意図的に強調しているはずだ。それは詩ではないか。この息継ぎのリズムは、先日行った佐野元春のスポークンワーズ・ライブ「In Motion 2017 ―変容」で聞いた詩の朗読の呼吸にも似ている。だから詩と言ってもロック調の音楽に乗るラップのような詩。たとえばドラムスのある一拍で「それから彼女は」と指し示し、次の一拍で「妖精の足跡の捕獲法をぼくに教授した」と歌う音楽詩である。読点から読点までが一小節で、早口で言ったりゆっくりと言ったりする。音調も「すると」で軽く上向きになり、「妖精がその階段を昇り」でさらに高く向かい、「足跡を残す」で意味深に下がって着地する。

 この抑揚の心地よさ。ひょっとすると国語の厳密さから言うと小説文中におけるこういった読点の打ち方はイレギュラーなものかもしれないが、当作品が作者の息遣いをダイレクトに伝えるものでもあると考えると、国語の厳密さに負けている場合ではなかろう。読者は古川日出夫の体内には佐野元春のスポークンワーズ・ライブで体験したような音楽が流れているのだろうかと想像し、そこに委ねて作品世界に入っていける。なので、この作品は読点を見落とさずにリズミカルに読むのがよい。物語の意味だけではなく、そこにある音感が大事なのだ。そこにgiftとしての存在感もある。

 古川は柴田元幸責任編集のMONKEYに宮澤賢治リミックスを連載している。私は西麻布にあるRainy Day Cafeで定期的に執り行われる柴田元幸の朗読会には何度も足を運んだことがあり、この場所で惜しげもなく音声によって文学を与えられた経験から思うのだが、やはり当作品の作風はあの物語のある家、不思議なお話や異国文学の紹介が手品のように次から次へと溢れてくるカフェの色合いを抗いようなく含んでいるだろう。朗読とは書籍という物理的な形としての贈り物とは一味違う、読み手のリズムをもダイレクトに伝えることで文の味をより深く楽しむ提案でもあり、そこでは音感がひときわ大切に扱われていた。当作品は贈り物として詩的に物語を編む人々の住むあの精神領域的街の香りを十分に放っているのである。そんな空気のことも併せて想像しながら読むと、「ラブ1からラブ3」の風景はより身近なものとして感じられるに違いない。この作品はまさにその名の通り読者への朗読的な贈り物だ。音声とリズムがある。

 ここで、もう少しだけ本書の筋に触れてみたい。

 主人公の彼女は「波動が噛み合わない」という理由で主人公のもとを去った。さらりと書かれたこの一行によってもこの物語の意味は読み解ける。もちろん意味なんて考えなくてもいいが、考えてみるのも楽しいので試しに考えてみよう。「波動が噛み合わない」とはどういうことか。

 彼女は「妖精は足跡を残す」と言い、「妖精の足跡の捕獲法」を主人公に教授した。しかし主人公が行ったことは「妖精の存在証明」を捕獲することだった。

 これでもうわかるだろう。彼女は妖精の存在を証明しようとはしていない。あくまでも「足跡の捕獲法」までしか言わなかった。それを主人公は「存在証明」にまで突き詰めようとしている。トントンと書かれているようだが、ここに「波動の噛み合わなさ」がすでに表現されている。

 冒頭辺りで「妖精の足跡」と言い始めているので、当然ファンタジーだと踏んでと読み進めることができるのだが、そこに託された人間同士のすれ違いの姿は非常に現実的なものである。これは日本語でリアリティと言われる本当らしさのことではなく、純粋に現実という意味においての現実のこと。心的現実はファンタジーによってこそ無慈悲なまでに暴露されるのだ。暗喩ほどあからさまなものはないだろう。

 日本語で言うところのリアリティという切り口で考えてみた場合においても、「ラブ1からラブ3」はファンタジーでありながらそれを十分に備えている。たとえば以下のような部分でそれは成功している。

 

真剣に期待して、新入社のうら若い異性の後輩たちの晩餐的誘惑もパスして、会社から自宅に直行する。午後 七時十五分。計算どおりだが、すでにテープは停まっている。そして庭には? 砂の小山には? きっちり、キュートにしてリアルな足形はあった。今回は二十三個である。またもや左足の数が右足より一つ、多い。

 

 リアリティの一側面ではあるが、午後七時十五分や、今回は二十三個で(中略)右足より一つ多いというある程度意味のない数字情報が細かく入っていると風景が立体的に立ち上がってくる。一見意味のないものがところどころに入っていることが本当らしさを創り上げる。なんとなく数字を羅列しているようでいて緻密な企みがある。作品の中の言葉を借りてしまえば、そもそも噛み合わないファンタジックな世界と現実の波動を卓越した技で嚙み合わせている。その辺りにはマニアックな読者を流石と言わしめる心憎さがある。

 但し、リアリティの別の側面としての「こういう人間がこういう行動をとり得るか」といったものに関しては当作品において気がかりな点はある。主人公は彼女のことを真剣に愛していたと言っており、うしなわれた愛の証として妖精の存在証明を捕獲することにした件があるが、真剣に愛していた恋人に去られた人がそのようなあどけない試みをするだろうかという疑問は残るのだ。とは言えこの小説は一人称の告白体なので、主人公本人としては真剣に愛していたつもりなのだと解釈すれば、むしろこの辺りに「波動の噛み合わなさ」を起因することもできるだろう。

 いずれにしても、主人公はラブ1から3という工程を経て「波動の噛み合わなさ」を徐々に露呈し、結末において読者はそれを明確に客観視することになるが、最初に考察した通り、この作品は短編集「gift」の中の食前酒的な位置づけであるのだとすると、メインはこの後にこそ始まると言えよう。ラブ、つまりメインの愛は波動の噛み合わなさの現実を確認した後に始まるのである。本番はアフター3とでも言っておく。

 ここまで草稿を書いて、批評を完成するにあたり何か参考となる文献はないだろうかと思い、下北沢のクラリスブックスにふらりと立ち寄り、古川さんの本はないかと尋ねたところ、書棚から「LOVE」を探し出してくれた。サイン入り。開けると「live古川日出夫」と書いてある。眩暈がした。頁を繰ると「LOVE」の中には五反田の風景も多く書き込まれていた。何の計らいかはわからないが実に鮮やかなファンタジック☆リアルではないか! 私がこの批評を書く前に何者かに感謝を述べるべきであったことは言うまでもない。(了)

文字数:4040

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