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非実在青少ネコ保護育成に関する文書

 『猫に時間の流れる』(2003年、保坂和志による小説)は、「ぼく」こと石川が見つめる一匹の猫の物語だ。クロシロと呼ばれるその猫は、石川の隣人の飼い猫と喧嘩をするという暴力性と共に登場する。どうやらクロシロは近所のボス猫らしく、喧嘩が強い。そして石川や隣人たちは、彼らが暮らすマンションの共用部分につけられたクロシロのマーキング跡を、毎日モップ掃除するようになる。いつしかクロシロに親しみをおぼえる彼らだが、ある時クロシロの姿が見えなくなり、石川はクロシロが背中を血に染めて力なく歩いている姿を目撃する。のち、すっかり弱ったクロシロは石川の足元で他の猫に混じって餌を食べるようになったのだ。
 一見すると、このストーリーは奇妙な存在感を放つ野良猫クロシロと、彼にまつわる人間の人情劇のようであるが、しかし実はそうではない。それは同時に、石川はクロシロが気がかりなのに、弱ったクロシロを見つけても決して、彼を動物病院に連れて行くといった風な猫への介入を行わなかったのはなぜかという問いの答えとも結びつく。また、その回答は石川がいつでも猫を飼える状態にありながら、ついにそれをしなかった理由でもある。果たして、この物語の真の筋書きは何かというと、それはクロシロが実在しないということだ。クロシロは石川が生み出した空想の産物で、彼が抱える内面の感情を投影させる媒体となっているのであると仮定すれば、謎は納得を持って姿を消し、またクロシロが大怪我をした理由すら明らかになるのである。

 石川は人材派遣会社に勤めつつ、隣人の美里さんの飼い猫チイチイ、同じく隣人の西井の飼い猫パキをはじめとする様々な猫と触れ合いながら生活している。特にチイチイとの付き合いは親密で、半ば彼がチイチイの飼い主であるかのように世話をしているほどだ。そんな猫成分の多い暮らしの中で猫中毒になった石川の、猫不足を補うためにクロシロは作られたのである。まず、きっかけはチイチイが猫ジステンバーにかかり、その看病を彼が手伝ったことだ。弱ったチイチイが苦悶の表情になったり、極端に痩せてしまったりし、それを間近で観察した経験は石川に強烈な印象を与えた。それでもチイチイの飼い主は依然として美里さんであり、石川は心の中に侵入してきた強烈な猫のイメージと、飼い主と同じくらいに世話をし、心配しても、猫が自分の手元には存在しない不安を同時に抱えることになる。かくして彼はクロシロという架空の猫を作り出し、それは病気にかかった時のチイチイの裏返しで、力強いボス猫という姿に相成ったのである。
 身近に猫を感じたい、しかし飼う決心はできない。そんな石川にとって非常に都合の良い存在として、クロシロは存在をアピールするようになる。クロシロはいかにも野良猫らしく、直接的に姿を見かける機会は時々であるのだが、ほとんど毎日、石川の住む大西ハイツの共用部分にマーキングのオシッコをかけて行くのだ。こうしてクロシロの姿を直に目撃することはなくても、間違いなく近くにいるという感覚を、石川はほぼ毎日得ることができるようになった。それは、飼っていない猫だが存在感だけは欲しいという石川の欲求にぴったり呼応するもので、しばしばマーキングの痕跡を石川自身が掃除するのも、猫の周囲を世話している実感を得るのに一役買っている。こうして石川は、直接的に猫を飼うことなしに、猫を感じ、その世話ができるようになったのである。

 石川にとって都合の良い存在である架空の猫クロシロは、出現してから五年の間、毎日マーキングの跡を残す野良猫として、石川のすぐそばに存在し続けた。その状態が崩れる始まりが、チョロと名付けられた子猫の出現である。チョロは大西ハイツの前の路地に現れた子猫で、人に馴れている野良だった。その愛嬌から、石川は4ヶ月ほどチョロへキャットフードを与えるようになり、すっかり情がうつっているのに飼う決心がつかないでいる間に、他の人にもらわれていってしまう。石川はチョロのもらい手が見つかったことを残念がるが、こうして、この出来事は石川にとっての猫不足を改めて決定づけることとなった。この時以来、彼は自らの手で猫にキャットフードを与える快感を覚えてしまったのであるから。だがこの頃、時を同じくして石川の隣人たちがサスケとピルルという猫を拾って新たに飼い始めたので、いったん石川の猫不足は緩和されてゆく。大西ハイツで飼われる合計四匹の猫と、架空の猫クロシロはうまく棲み分けながら、奇妙な共同生活をさらに続けるのだ。そして、たまにクロシロと遭遇すると、石川は次のように感じる。

 

 それでおこって「こらッ」と、鼻先でパンと叩くとやっとクロシロは降りていくのだが、クロシロは鼻先で叩かれたパンッに驚いたというより、パンッが降りていくための芝居でいう“きっかけ”みたいな働きなんじゃないかと思ったりした。(★1)

 

 石川が勘付いているように、クロシロの行動は芝居だ。クロシロが、彼の都合に合わせて程よくわがままを行う空想の猫である以上、その行動は全て石川のイメージする結果であり、同時に全て石川の期待に答えているのであるから。隣人たちの飼い猫を可愛がるだけでなく、時には叱ってしつけることも、猫を身近に感じるために石川に必要であった。そこで、空想のクロシロのイメージは大西ハイツの住人から叱られることとなるのだが、クロシロを叱らねばならないハプニングはどれも石川が作り出した設定であるので、その様子を再生して眺めても、石川には予定調和的に感じられてしまう。他にも、石川はクロシロについて、その行動を「プログラミングである」と述懐しているが、それもクロシロの虚構性を暴くヒントだ。こうした作り物めいた描写が、クロシロが作り物であることを裏付ける。

 石川とクロシロの共同生活はこのように続き、石川に「(こんな猫は)はじめてだ」とこぼさせるが、その均衡がいよいよ崩れるのが出現から五年経ったある時である。それは西暦でいえばちょうど1991年の暮れだった。この時、水面下で何が起こっていたかと問えば、それはソビエト連邦の崩壊に他ならない。この時期の日本を生きる石川にとって、メディアから流れるそういったニュースは自身のイメージに大きな影響を与えるものであり、石川もイメージの中の何かを崩壊させるのが自然の流れであった。だからクロシロのイメージはソ連崩壊に伴って崩れたのだ。威厳を失い、そのぶん「禍々しい存在感」を放つようになったクロシロは、ソビエト連邦がロシア共和国になったように、崩れてもなお石川のイメージに留まり続けた。つまり彼はボス猫の座を失って石川の足元でエサを食べるようになったのだ。ソ連崩壊という世界史の変化は同時代を生きる人々に変化をもたらしたが、それは日本で暮らす石川の心理にもこうして影響していたのだ。
 これが、猫中毒を起こした石川の心象風景の変化を敏感に反映して様子を変える架空の猫クロシロについての解説である。

★1:『猫に時間の流れる』p,78(中公文庫)

文字数:2888

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