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「灰」が彩る戦後の「日:本:文:化」論

 

1. 「黒い太陽」または「・」に代わるものとしての「灰」または「:」

20年前、椹木野衣は、「日本現代美術」というツルリとした言葉に楔を打ち込んだ。「日本・現代・美術」と、明確な意志をもって、言葉を切断した。

椹木は、「日本現代美術」が、歴史から切り離されたうすっぺらで奥行きのない現実すなわち「閉ざされた円環」の中で、まやかしの「正史」を得て安穏としていると批判した。「いかにも平和で穏健な相貌をもったこの円環それ自体が、ある種の暴力そのもの」であり、「暴力」的な「平和」が私たちの現実を構成しているということを先ず以って認識しなければならない。その上で、「『現実』を一枚岩の『平和』ではなく、多種多様な生存の様式の複合的な集積として再発見」することが必要なのだと主張した。「日本・現代・美術」という切断された言葉には、「日本現代美術」を一旦「日本」「現代」「美術」という三つの要素に還元した上で、そのように構成しなおそうという意志の表れが見て取れる。[1]

ところで、椹木の使用する「・」は、単に切断を意味するだけではないように思われる。それは、椹木や小田マサノリらが発起人となって2003年に行われた反戦運動「殺すな」という言葉に、椹木が「殺す・な」と「・」を与えていることからも読み取れる。「殺すな」という言葉はそもそも、ベトナム反戦運動の渦中にベ平連が『ワシントン・ポスト』(1967年)に載せた岡本太郎の言葉から採っているのだが、そこに「・」の一撃を加えることについて、椹木は次のように語る。

「殺すな」が「人間であることの根源的な条件」であると言う時、僕はそこに〈ナカグロ〉の一撃を加えずにいられません。つまり、僕にとって「殺すな」は「殺す・な」なのです。それは「殺さないで!」と哀願することを意味しません。そうではなく、それは「殺せ」と「殺すな」とのせめぎ合いから生ずる一種の精神の宙吊り状態なのです。そのことを明示するために、僕は「殺すな」をふたつの部分に切断しました。「殺す・な」は、「殺せ」という戦争の論理に対しての、平和の論理としての「殺すな」ではありません。そうではなく、戦争(=殺せ)か平和(=殺すな)かという二項対立そのものを成り立たなくさせてしまうのが「殺す・な」なのです。人間は生きるかぎり殺さざるをえない(食べることがすでに殺しです)。だが、同時に人間はやはり、他者を殺してはならない。このせめぎあいは矛盾していますが、リアルです。僕が「殺す・な」を人間であることの根源的条件と呼んだのは、このリアリズムに由来します。[2]

椹木の加える「・」には、単なる切断以上のもの、切断された二つの要素が二項対立と化すことを無効にする意志があることが分かる。これは、岡本太郎の「対極」主義の精神に通じている。自らの信念として「対極」主義を掲げた岡本は、「前衛」と「啓蒙」、「ロマンティシズム」と「合理主義」、「創造」と「消費」など、ありとあらゆるものの間で引き裂かれながら生きる道を選んだ人物だった。岡本は言う。

私自身の生命的実感として、いま、なまなましく引き裂かれながら生きている。「正」の内にまた相対立する「反」が共存しており、激しく相克する。「反」の内にまた「闘争」する「正」がゆるぎなくある。その矛盾した両極が互いに激烈に挑みあい、反撥する。人間存在はこの引き裂かれたままの運命を背負っている。ヘーゲルのように理論を前提としてのではなく、この永遠の矛盾に引き裂かれてあることの方がはるかに現実的な弁証法。弁証法は正・反・合の歴史的時間ではない。対極は、瞬間だ。/だから私は「合」を拒否する。現在の瞬間、瞬間に、血だらけになって対極のなかに引き裂かれてあることが絶対なのだ。[3]

引き裂かれて対極にある価値観が「合」するのではなく、矛盾の相克のうちに瞬間火花を散らすこと。これが岡本の有名な言葉「芸術は爆発だ!」の意味するところであろう。椹木は「・」によって、岡本の「対極」主義から生まれる瞬間の「爆発」を呼び込もうとする。それはまた、「黒い太陽」を呼び込むこととも言えよう。椹木は、岡本の「太陽の塔」の背後に描かれた「黒い太陽」に「対極」主義の表明を読み取る。

「黒い太陽」とはなにか。それは、この世のあらゆる価値を焼き尽くすほどに強い、絶望の光である。その光があまりに強く、容赦ないために、その陽にさらされたものは、漆黒の闇に包まれてしまう。/しかし、そのときである。あらゆる価値の逆転が起こるのは。世界の対極が火花を散らして、すべての価値を転倒するのだ。[4]

つまり、椹木が与える「・」の一撃とは、「対極」主義から生まれる瞬間の「爆発」であり、「黒い太陽」なのである。だとするならば、「日本・現代・美術」という試みは、そもそもの始まりから「歴史」として紡がれることを意図していなかったのではないか。なぜなら、「爆発」とは現在の瞬間に起こることであり、「正・反・合の歴史的時間ではない」からだ。爆発の瞬間の記録としての書は、決して「日本現代美術史」にはならない。確かに椹木は、『日本・現代・美術』の最後にこのように記している。

……そういえば思い出した。「日本・現代・美術」のふたつの「・」が、拾いもののジャンクから組み立て直された「日本現代美術」であることの、永遠に埋められないすき間のようなものであったことを……。そして、たとえ「日本」や「現代」や「美術」がこのすき間を通じて回復不可能なほど歪んでしまったとしても、この歪みを通じて、ありとあらゆる異質なもの同士が、そこで自由に出会うことができるように、あえてそれは放置されたのだということも……。[5]

ここでは、「日本現代美術」をひとつの「歴史」として、あるいは「論」として語ることの無意味さ(いや、それは無意味であるよりも強く暴力的であること)が暴かれてしまっている。それでもなお、何かしらの「論」を立てるとするならば、我々には一体どのような理路が残されているというのだろうか。しかもここでは「日本現代美術」よりもさらに射程を広げた「日本文化」を相手取るとして。

例えば「日本現代文化」に射程をおさめ、椹木をまねて「日本・現代・文化」という切断を行ったとしても、それは上手くゆかないだろう。爆発の痕跡を書き留め、結果「論」を立てることの無意味さ/暴力性を暴くという行為すら、ここでは不可能であるように思う。なぜなら、「日本文化」には、そもそも「爆発」など起こった試しがないだろうから。このことは、これまで多くの先人たちが日本文化を語ってきたが、それを否定的に語るか肯定的に語るかの別に関係なく、共通する認識であるように思う。例えば丸山真男は、日本では「一定の時間順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつ」ため、「歴史的な構造性」を失い、「思想が伝統として蓄積されない」と言う。これは日本人の半ば無意識の行為であり、「過去は自覚的に対象化されて現在のなかに『止揚』されないからこそ、それはいわば背後から現在のなかにすべりこ」み、つまり相矛盾する思想や価値観が平気な顔で併存している[6]。これは、岡本のいう「対極」に引き裂かれた状態とはまるで異なる。本来ならば引き裂かれるような対立する思想/価値観であっても、意識されずに併存しているということだ。丸山はこのことを否定的に捉えるが、例えば加藤周一は、それこそが日本の文化なのだと、その「雑種性」を評価する。より正確には、「雑種ということばによい意味もわるい意味もあたえない」ことによって、日本の雑種文化を生来の性質として認めるのである[7]。いずれにせよ、日本文化と「対極主義」「爆発」「黒い太陽」つまり「・」は、全くもって相性が悪いのだ。

では、どうするか。そのひとつの試みとして、「・」で切断する代わりに「:」で覆うというのはどうか。「・」が「黒い太陽」であるならば、「:」は太陽に焼かれたあとに残る「灰」である。その「灰」で「日本文化」(ここでは戦後の「日本文化」のみを対象とする)を覆う。「灰」で覆われた「日:本:文:化」論という試みである。

 

2. 灰まみれのシンデレラと、枯れ木に花を咲かせる花咲爺

「灰」というモチーフは、古今東西の物語にしばしば登場する。例えばヨーロッパに広まった「シンデレラ」[8]は、フランス語で「サンドリヨン」(「灰まみれ」の意)と呼ばれ、その名の通り、カマドのそばで汚い台所仕事ばかりさせられている「灰」まみれの少女である。中沢新一によれば、ここで「灰」というのは、社会的階級が低いことを表すと同時に、「それをかぶっている者の姿を見えなくさせ、死者の領域に近づけていく機能を持ってい」るという[9]。つまり、「灰」は現実世界において真の姿を隠すものとして機能している(シンデレラは本当は美しい少女であるのに、「灰」のせいで汚く醜いと周囲から思われているように)。

一方の日本には、「灰」が全く逆の機能をもって使われている物語がある。「花咲爺」である。柳田国男によれば、「花咲爺」についても、日本や中国、インドのみならず、いろいろの国で類似の物語が伝わっているという。心根の優しい貧しい老夫婦が、ある時家にやってきた犬のおかげでお金持ちになり、それを見た隣に住む貪欲な老夫婦は、強引にその犬を借りるも利を得られないので、怒って犬を殺しバチが当たるという大筋のストーリーは共通しているものの、「灰」をまく場面があるのは日本のみであるらしい。日本と一口に言っても地域によっていろいろな形があるので、正確には、日本の一部の地域のみということになる[10]。今では多くの日本人によく知られるように、花咲爺は、死んだ犬の「灰」をまくことで、枯れ木に桜の花を咲かせることができる。この「灰」は、「シンデレラ」において真の美しい姿を隠したのとは異なり、真逆の機能を果たしている。枯れた真の姿を隠したとも言えるかもしれないが、桜本来の美しい姿を蘇らせたという方が妥当だろう。あるいはそれは幻覚であるのかもしれないが、真の美しさを蘇らせるものとして「灰」が使われているのである。

さて、このように古来の民間伝承「花咲爺」でお馴染みの「灰」で「枯れ木に花を咲かせる」技を、日本人は実際に様々な時代/場面で実践してきたのではないか。生よりも死を表すかに思える燃えかすの「灰」に、積極的な意味を宿らせ、花を咲かせること。それは良しとされる場合もあれば、そうでない場合もあるだろうが、ここでは良し悪しは問わない。ただ、日本文化が「灰」によって彩られる様をまずは見てみよう、という試みだ。

 

3. 死者の灰の希望、灰色の夢、そして、グレーゾーンに咲く花

戦後から現在までの日本文化を「灰」の役割という観点から鳥瞰してみると、その時々で「灰」の意味と機能が器用に読み替えられてきたことが分かる。

戦後の焼け跡から復興しなければならない日本は、文字通りの「灰」に覆われていた。その時代、「灰」の意味するものは「死者の灰」であったろう。岡本太郎の「死の灰」(1956)という作品がある。これは岡本が広島の原爆を扱った作品で、次のような言葉を残している。

原爆の恐怖感はそれぞれの人の心の中に思い思いの象徴的、また具体的なイメージを結ぶ。--奇怪な呪われた悪魔。また被害者の残酷な亡霊の酸鼻をきわめた姿となって表れるだろう。だが私には、そういう悲惨なものが必ずしも悲劇の形では浮かんでは来ない。それが極端に残酷になるときには、かえって一種の喜劇的相貌をおびる。[11]

極端な残酷さが喜劇の様相を帯びる。それを生み出したのが他ならぬ人間であるゆえだろう。私たちはここに如何なる希望も見出せない。私たちはこの作品に相対して、私たちの姿を知る。それだけだ。この「死の灰」は、すぐに花を咲かせることはなかった。しかしこの作品は、おそらくは後の大阪万博の「太陽の塔」の原型となっており、そういう意味では、何かしらの萌芽がこの時すでに含まれていたのかもしれない。

それから数年経ち、オノ・ヨーコの『絵のためのインストラクション』「三楽章の絵」(1961年)には、また少し趣の異なる「灰」が表れる。これは1961年にニューヨークで行なわれた「オノ・ヨーコによる絵と素描」展で発表された作品である。以下に全文を引用する。

三楽章の絵
キャンバスに煙草で小さな穴をあけ、しめった綿を入れた袋に種を入れ、キャンバスの後につるし、毎日水をやる。

一楽章
キャンバスがつたにおほわれる迄

二楽章
つたが枯れるまで

三楽章
キャンバスが燃やされて灰になる迄

楽章の終りごとに写真をとっておく。[12]

この作品の「灰」は、決して暗くない。破滅や消失の色合いはなく、次なる生命の萌芽を宿した「灰」である。

このように、戦後復興期の日本は、「死者の灰」たる「灰」に少しずつ生命を宿しながら希望を見出していったのではないか。

そうして時代は移り、高度経済成長期になると、「灰」の意味合いはガラリと変わる。「灰」はもはや物質としての「灰」ではなく、「灰色」として時代を彩るようになる。この時代を象徴する「灰色」と言えば、「コンクリート」建築とサラリーマンの「スーツ」である。セメント産業は、戦後急速に規模を拡大し、高度経済成長期からバブル期にかけて、1990年に頭打ちとなるまでコンクリート建築のラッシュを迎える。一方のサラリーマンも、高度経済成長期を象徴する存在で、2005年にクールビズが導入されるまで、彼らは年中スーツに身を包んでいた。グレーはその定番カラーである。

日本には古来「利休鼠」と呼ばれる独特の「灰色」がある。黒川紀章はその著書『グレーの文化』の中で、「利休鼠」という色が日本建築の中で担っている演出効果について分析する。あるいは、日本のマンガ文化にも「灰色」の演出効果が見出せるかもしれない。基本的にカラーで描かれるアメコミやバンド・デシネと違い、日本のマンガはグレースケールで描かれる。マンガにおける「灰色」は、影を表す場合と、色を表す場合とがあり、ゆえに私たちは、「灰色」にそこには塗られていない色を見出す作業に慣れている。

そう考えると、「コンクリート」建築という無機質なものや、サラリーマンの「スーツ」という無彩色な人々に、経済成長そしてバブルという夢をあれだけ託すことができたのは、もしかしたら、その「灰色」に鮮やかな色彩までも見出していたのではないかと思えるのである。高度経済成長期において私たちは、「灰色」に色とりどりの夢を映し出し、バブルの花を咲かせたのではないか。

そしてバブルが崩壊すると、もはや「灰色」の夢を見ることはできなくなり、今度は「グレーゾーン」という場が賑わうのである。これは著作権の「グレーゾーン」であり、つまり、インターネットの普及とともに花開いたアニメやマンガの二次創作の文化である。

このように戦後から現在にかけて、「灰」の意味合いと機能は様々に変化しながらも、常に「日本文化」を彩ってきた。戦後復興期には、「死者の灰」に希望を見出し、高度経済成長期とバブル期には「灰色」のコンクリート建築とサラリーマンのスーツに夢を映し出し、そして今では、「グレーゾーン」という場所にアニメやマンガの二次創作文化を花開かせている。日本文化は、本来「枯れ木」と思われてもおかしくない事態やものや人々に、「灰」をまくことで「花」を咲かせてきた。それが本当の希望や夢や花であるのか、幻覚にすぎないのかは分からないが、「花咲爺」の技は間違いなく「日本文化」の賜物だと言えるのではないだろうか。

 

 


[1] 椹木野衣『日本・現代・美術』新潮社、1998年

[2] 椹木野衣『美術になにが起こったか1992-2006』国書刊行会、2006年、p.253

[3] 椹木野衣『黒い太陽と赤いカニ』中央公論新社、2003年、p.60

[4] 椹木野衣『黒い太陽と赤いカニ』中央公論新社、2003年、p.246-247

[5] 椹木野衣『日本・現代・美術』新潮社、1998年、p.349

[6] 丸山真男『日本の思想』岩波新書、1961年、p.11

[7] 加藤周一『雑種文化』講談社文庫、1974年、p.31

[8] シンデレラの物語は古くから民間伝承として語られてきたが、最初に文字に記録されたのは1630年のイタリアで『猫のシンデレラ』という小説においてである。その後1695年のフランスでシャルル・ペローが童話化したものが、ヨーロッパで最初に有名になったシンデレラ物語である。ヨーロッパ各地には、450以上もの異文が存在するが、中でも有名なのは、19世紀のはじめにグリム兄弟によって編まれた童話集におさめられる「灰かぶり少女」のお話である。ちなみに、ディズニーによってアニメ化され世界中に知られる「シンデレラ」の物語は、ペローの物語を原作としている。

[9] 中沢新一『人類最古の哲学』講談社選書メチエ、2002年、p.177

[10] 柳田国男『昔話と文学』角川ソフィア文庫、1971年

[11] 椹木野衣『美術になにが起こったか1992-2006』国書刊行会、2006年、p.254

[12] 椹木野衣/責任編集『日本美術全集19 戦後〜一九九五 拡張する戦後美術』小学館、2015年

文字数:7091

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