印刷

酸欠少女はなぜフードをかぶるのか?

 

1.

 2015年8月にメジャーデビューを果たし、アニメ「乱歩奇譚 Game of Laplace」のエンディングテーマ「ミカヅキ」や、アニメ「僕だけがいない街」のエンディングテーマ「それは小さな光のような」、RADWIMPSの野田洋次郎から楽曲提供を受けた「フラレガイガール」、アニメ/ドラマ「クズの本懐」のエンディングテーマ「平行線」、モード学園のCMソング「十億年」などの楽曲で知られる、2.5次元パラレルシンガーソングライター“酸欠少女”さユり。彼女の肩書きと名前は、一見して意味が分からない。とりあえずシンガーソングライターらしいということは分かるが、それ以外の部分は謎である。「2.5次元パラレル」とは何か、「酸欠少女」とは何か、「さユり」はなぜひらがなとカタカナの混合なのか。
 彼女の公式プロフィールによれば、「2.5次元パラレル」とは、彼女の活動領域が2次元と3次元の両方にまたがるということを意味する。彼女は、2次元と3次元の狭間=2.5次元を漂うアーティストという位置づけである。そして、彼女は2次元と3次元で名前を使い分けている。「さユり」は3次元のアーティスト名であり、2次元のキャラクターとしては3種類の名前が存在する。一つは、さユりの後悔の念が生んだ永遠の14歳「さゆり」。もう一つは、死神や天使としての「サユリ」。加えて、「さゆり」が意思を示した際それを成す者として現れる、さユりの本能キャラとしての「サゆり」が存在する。
 「酸欠少女」とは何か。プロフィールによれば、それは「人と違う感性・価値観に、優越感と同じくらいのコンプレックスを抱く“酸欠世代”の象徴」[1]という意味である。つまり、さユりは、この社会に馴染めず息苦しさを感じている若者たちの代弁者たるアーティストなのだ。
 そんな“酸欠少女”のトレードマークは「フード」だ。なぜ彼女はフードをかぶるのだろうか。

 フードウェアそのものは、別段新しいファッションアイテムではない。たとえば、1990年代のヒップホップ・ファッションでは、オーバーサイズのパーカーが定番アイテムの一つだった。当時のギャングスタ・ラッパーたちの、ベルトを着用せずに履く極太のパンツやダボっとしたトップスやアウターは、服役囚のスタイルを踏襲していたという説もあるように、それらは「悪さ」の象徴として機能していた。
 しかし、“酸欠少女”さユりの着用するフードウェアは、もちろん「悪さ」の象徴として機能しているわけではない。これは、極めて2010年代的なファッションだ。2010年代的なファッションとしての「フード」が何を意味するのか。それを明らかにするために、まずは2010年代に立ち上げられたいくつかのウェアレーベルを参照したい。
 2010年にデザイナーの長見佳祐によって立ち上げられた「HATRA」は、フードウェアを中心に展開するユニセックスウェアレーベルである。長見は「部屋の居心地を持ち歩きたい」[2]という理念のもと、「居心地の良い服」[3]の形を追求しつづけている。

 あるいは2011年に鈴木淳哉と佐久間麗子によって立ち上げられた「chloma」もまた、デザインにフードを多用するファッションレーベルである。ゲームやアニメの世界を活かしたデザインで、「モニターの中の世界とリアルの世界を境なく歩く現代人のための環境と衣服」[4]を提案する。コレクションでは、「test_subject」や「anti-virus」など「身を守る」ことをテーマに展開されたものが多い。

 このように見てみると、HATRAやchlomaに代表される2010年代ファッションにおける「フード」とは、「身を守る」ための「部屋」を象徴するアイテムとして機能していることが分かる。そうであるとして、では、彼女らは「フード」をかぶることによって、一体何から自身の何を守ろうとしているのだろうか。

 

2.

 ところで、現代は「複製の時代」であるとは、よく言われることだ。現代の社会は、「複製」の産物で覆われている。それは写真や映画、美術、音楽といった芸術の領域における「複製」のみならず、印刷技術や昨今では3Dプリンターの開発が進むテクノロジーの領域における「複製」、iPS細胞の研究が進む医学の領域における「複製」、あるいは大衆消費社会の膨大な商品群もまた「複製」の産物として捉えられる。これら「複製」と呼ばれる産物には、その語義からして、「オリジナル」と呼ばれる対象が存在する。40年以上前にベンヤミンは、「複製」には「いま、ここに在る」という一回性が欠けており、「複製技術時代」には「オリジナル」と呼ばれるものの「真正性」がわれわれに伝える「重み」すなわち「アウラ」が滅びてゆくということを述べた。[5] しかし、2010年代の今、そもそも「オリジナル」をもたない「複製」のみで成立する世界が展開している。その最たる例が「初音ミク」に代表されるボーカロイドを使った音楽作品群である。
 初音ミクのソフトウェア発売時に公開された初音ミクのプロフィールは、「年齢16歳、身長158cm、体重42kg、得意なジャンルはアイドルポップスとダンス系ポップス」という情報のみであった。初音ミクは「オリジナル」な存在としての「個性」をあえて排したことで、ユーザーたちの自由な想像力によってキャラクターが育てられた。初音ミクをはじめとするボーカロイドの開発元であるクリプトン・フューチャー・メディアの佐々木渉が、「きれいな偶像性」という言葉で初音ミクを形容したことを受けて、さやわかは、「初音ミクがどのような物語でも受容できる白紙の存在である」[6]ということを指摘している。初音ミクという白紙の像に、どのような物語を読み込ませるのかは、われわれの自由である。このような意味で、初音ミクは「オリジナル」の消失した大量の「複製」作品群のみで成立しているキャラクターだと言えるだろう。
 「オリジナル」としての「個性」の排除が、「複製」としての「物語」の生成を促す。この構造を意識して徹底的に利用しているのが、じん(自然の敵P)が2011年より発表している「カゲロウデイズ」という楽曲群である。彼は自身の楽曲にボーカロイドを使った理由を次のように説明する。

歌い手の感情を載せた歌にしたくないからボーカロイドを使っているわけで、だからボーカロイドを人間らしい感情を出すように使ったりもしない。(中略)「ああ、これは人間が言っているわけじゃない。ボーカロイドが言ってることなんだ」って思えると、すごくフィクションらしくなると思うんですよね。(さやわか『一〇年代文化論』星海社新書、2014年、p.74

 「個性」を排したボーカロイドを、さらに「個性」を排する方向へ徹底して利用することで、作曲者じんの「個性」をも隠蔽する。その分生成される「物語」の「フィクションらしさ」は強まる。楽曲「カゲロウデイズ」では、「オリジナル」としての「個性」の隠蔽が、初音ミクとじんの双方において、二重に行われている。のみならず、この「個性」の隠蔽構造は、「カゲロウデイズ」の「物語」の内部にも観察される。
 2012年よりじんは、楽曲「カゲロウデイズ」で描かれた物語を題材とした小説を発表している。それらは漫画化もされた。以下では漫画作品をもとに、「カゲロウデイズ」の「物語」内部に潜む「個性」の隠蔽構造について見ていきたい。
 漫画「カゲロウデイズ」の主人公は、目にまつわる特殊能力をもつ者たちだ。彼らは普通の人とは異なる能力をもつがゆえに、まわりから気味悪がられ、社会の中で生きづらさを感じている。しかし、その特殊な目の能力も「きっと誰かを助けるための力なんだ」とポジティブに捉え、彼らは「メカクシ団」という秘密組織を結成する。普段は正体がバレないように過ごしているが、いざという時には目の力を使って悪と戦うのだ。
 その「メカクシ団」の面々は、「フード」付きのパーカーを着ている。「フード」は、特殊能力という強烈な「個性」を隠蔽するためのものである。彼らは「フード」をかぶることで目を隠し、匿名的な一般人として振る舞う。しかし、たとえ「フード」をかぶって目を隠し、匿名的な存在として道を歩いていても、特殊能力をもった者たちは偶然にも出会い、次々と「メカクシ団」のもとへと結集する。
 ここで「フード」をかぶるという行為は、どのような意味をもつのだろうか。特殊能力をもった彼らは、いくら「フード」で隠しても隠しきれない特別な力でつながることができる。ならば、特殊能力という「個性」を隠蔽するつもりでかぶった「フード」は、むしろ隠すべき特別さをもっていることの証として機能してしまっているのではないか。「衣服というのは、言葉でいえば『私には秘密があります』というせりふにあたる」[7]というのは尤もである。「フード」で隠せば、そこに秘密があるということを暗に伝えているのだ。

 

3.

 「フード」をかぶるという行為が、「個性」を排した匿名的な個人であるようにみせかけて、その実特別さをもっていることのアピールにもなるのであれば、先述した「人と違う感性・価値観に、優越感と同じくらいのコンプレックスを抱く」“酸欠少女”が「フード」をかぶることにも納得がいく。彼女は社会の中で上手くやっていくために「人と違う感性・価値観」つまり「個性」を隠蔽しようと「フード」をかぶる。しかしそれは、彼女が隠さなければならないほど突出した「個性」をもっていることの証でもある。隠しても隠しきれない特別な「個性」によって、彼女はきっと誰かとつながることができる。彼女の歌には、そのような自信(この言葉が強すぎるのであれば、希望と言い換えてもよい)が見出せるのだ。
 2017年5月に発売されたさユりの1stアルバム『ミカヅキの航海』に収録され、スマホゲーム「消滅都市」のコラボソングにもなっている「アノニマス」という楽曲に、次のような歌詞がある。

アノニマス
本当の声で言葉で話がしたいの
アノニマス
誰か聞いているのなら、応答してよ
(中略)
アノニマス
ここに宣戦布告の光を灯すよ
アノニマス
今届いているのなら、応答してよ

 彼女が「匿名の」人々に呼びかけるのは、応答が得られるという自信もしくは希望があるからだ。そうでなければ、人は呼びかけなどしない。
 かつて、「匿名の」人々への呼びかけというのは、有名人もしくは権力者にのみ許される行為だった。しかしTwitterが普及した2010年代の今、誰もが「匿名の」人々へ呼びかけることができ、そこからの応答を期待することもできる。
 “酸欠少女”は、人と異なる「個性」を「フード」をかぶって隠蔽しながらアピールし、「匿名の」人々の中の誰かとつながれることを信じている、2010年代の象徴的存在であると言えよう。

 


[1] 酸欠少女さユりの公式ホームページ(http://www.sayuri-web.com/#!/profile)より。

[2] https://www.fashionsnap.com/news/2014-11-04/hatra-kotatsu/より。

[3] HATRAの公式ホームページ(http://hatroid.com)より。

[4] chlomaの公式ホームページ(http://www.chloma.com)より。

[5] ベンヤミン著、野村修訳『複製技術時代の芸術作品』(岩波現代文庫、2000年)より。

[6] さやわか『キャラの思考法』(青土社、2015年)より。

[7] 鷲田清一『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、1996年)より。

文字数:4757

課題提出者一覧