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震災関連幽霊の実在と快楽に関する一考察

一、

 喘息が人を死に至らしめる病気である、ということは、現代日本を生きる我々にとっては実感しがたいことですが、しかし、ほんとうにそうなのです。

近年臨床の場で喘息死に遭遇することは極めて稀になったが、戦後の一時期は年間10000人を超え、当時増えていた交通事故死と並ぶ死亡数であった。喘息死は突然に訪れ、比較的慢性に進行する癌死とは異なった衝撃を周囲や社会に与える。(中略)近年では喘息コントロールが改善し、1995年を起点とした死亡率の変化は感染症、心疾患、脳血管疾患など他疾患に比べ、著しい低下を示している。[i]

 2017年6月に東京で上演されたチェルフィッチュの『部屋に流れる時間の旅』は、喘息で死んだ妻の幽霊が漂いつづける部屋で暮らす男と、その新しい恋人をうつした演劇作品でした。

 妻が亡くなったのは、2011年3月11日、あの東日本大震災が起こった日から、たった4日後のことでした。妻は夜中に発作を起こし、朝にはもう亡くなっていたのだ、と男は振り返ります。

 喘息で亡くなる方は、今の日本では交通事故や自殺よりもずっと少ないくらいで、2011年の喘息死はたったの2060人でした[ii]。別の統計をみてみると、呼吸器疾患で亡くなる20~30代女性は年間100人いるかどうか、というところです[iii]。ご存知の通りこの年代の若者の死因としてもっとも多いものは自殺であり、そのあとに不慮の事故とか悪性新生物、心疾患が続きます。彼女の喘息死はまさに男にとっても周囲にとっても「衝撃」だったはずで、それを4日前に起こったもうひとつの衝撃、震災と結び付けずにはいられなかったはずで、きっと彼女の死は統計には載らないけれどもなにか震災関連死のようなものとして記憶されたことでしょう。

 しかしそれよりも奇妙なのは、喘息というのは一種の気道閉塞ですから、喘息死とはつまり窒息死のことでして、彼女はそれなりの時間を悶え苦しんだはずなのですが、彼女はその苦しい死を誰にも気づかれずに遂げたばかりか、そんな彼女が幽霊になったあとの身体運用はとても安らかで、観客にも一目で幽霊とわかるくらい、実に軽やかなのでした。

 べつに揚げ足をとるのではなくて、彼女が自殺でも不慮の事故でも不整脈でもなく、喘息で死ななければならなかった、ということが何か重大なものを孕んでいるように思われます。岡田利規の想像力が生み出したこの震災関連幽霊と、すこし真剣に向き合ってみることにしましょう。

 

二、

 幽霊となった妻が元夫に語りかけ続けるのは、震災後の4日間に起こったあらゆる出来事のなかで誰もが感じていた、まるで日本が一つになったような団結感、これから日本はふたたび素晴らしい国になっていくのだという希望のことで、「おぼえてる?」「おぼえてるでしょう?」「わすれられないでしょう?」と柔らかく、しかし執拗に問いかけを繰り返す彼女の言葉に後ろめたさを禁じ得ないのは、元夫だけではなく観客も同じでしょう。

 さて問題は、彼女がなぜ苦しかったはずの喘息死の記憶を持たず、その直前の幸せな記憶のみを保持しているのか、ということなのです。

 今しがた、思いがけず「震災関連幽霊」なぞという言葉を使いましたが、これは思いのほかよくあることのようで、これまでにもAFP通信とかNHKといった保守的なメディアが、被災地に現れる幽霊について報道してきた経緯があります[iv][v]。現れる幽霊は、津波から逃げるために大挙して丘の上に逃げていく、といった空恐ろしいものから、普段通りの生活を営むものまでいろいろあるようですが、要するに彼らに共通するのは、津波であまりにも突然死んでしまったがゆえに死んだことにすら気がついていないということだそうで、遺族はむしろ幽霊を目の前にして、故人が在りし日の姿でそこにいるような温かみを覚えるのらしく、その点では喘息死した妻も同様、ということができるかもしれません。

 震災関連死とは震災からある程度の時間が経ってから、震災のせいで亡くなったことを指すわけで、つまり直接死と対比される分類なのですが、関連死する方々は持病の悪化とか、震災のストレスがたたって自殺とか、そういう風に亡くなっていくので、つまり震災に対しては恨みたらたらです。『部屋に流れる時間の旅』における妻の死は、だから、どちらかと言えば苦しみを味わう前にわけもわからぬまま死んでしまったという点で直接死に近い。くわえていえば喘息死、つまり窒息死という死因も関連死ではなく直接死のほうを思わせます。東日本大震災の死因は、地域にもよりますが実に90%程度が溺死、残りも原因のわかるものでは焼死とか圧死とか、そういう苦しい死…[vi]

 要するに、ほなみは震災に巻き込まれて死んだと考えたほうがよいと思うのです。

 震災で直接亡くなった人々の幽霊と共振するかのように、4日間の時間差のあとで息を詰まらせ、自分が死んだこともよくわからないまま死んでいったのです。そんな幽霊が、あの震災のあと、わたしたち幸せだったよね、などと、にこにこしているのです。

 

三、

 震災以降、あるいは『現在地』(初演2012)以降、岡田利規が問題にしつづけてきたのは、ドキュメンタリーではなく、フィクションとして演劇をやることの機能でした。

 若者が実際に話すときの言いよどみ、繰り返し、そしてそれらと共に表出してしまう体癖を、そのまま役者の身体へ写生したのが『三月の5日間』(初演2004)で、それ以来岡田の作品は常にドキュメンタリー的でありました。しかしながら震災以降を生きる我々は、そこに現前するなにかに向き合うために、ドキュメンタリーではなくフィクションの力を必要とした、フィクションと我々の間に緊張した関係を生じせしめる必要があった、と、岡田は繰り返しインタビューで語ってきました。

 震災後、我々が向き合っているのはいったいなにか? 端的に言えばそれは「ありえないこと」かもしれません。より正確に言えばそれは「ありえないけれどありえること」かもしれないし、さらに踏み込んで言えば「ありえないとされているけれどもほんとうはありえること」かもしれません。

 そう、まさに震災がそうでした。あるいは若年女性の喘息死がそうでした。

 あるいは『現在地』で湖から出てくる宇宙船がそうでした…と言っては言い過ぎの感がありますが、共同体が崩壊するかもしれない、という可能性の浮上は、まさしく「今までありえないとされていたこと」が「ほんとうはありえること」へとその姿を変えた瞬間だったでしょう。震災は東京に住む我々に直接起こったことではないけれども、だからこそ震災が「ほんとうはありえること」として強く認識された瞬間だったでしょう。

 周りをお約束事で氷のように固められた、ありえないと思っていること、が、溶けた氷の中から現れて、それと対峙すること…。これはまさに、現代音楽家カールハインツ・シュトックハウゼンが9.11同時多発テロを「アートの最大の作品」と呼んだのと同じ意味において、アートに特有の仕事なのかもしれません。だとすると、我々が震災を克服するためには、震災を上回るアートの仕事を打ち立てなければならない…岡田はそう言っているように見えてきます。

 

四、

 したがって問題は、震災のあともなお、我々が「ありえないこと」と思っているものはなんだろうか、という点に移っていくわけですが、ここまでお読みいただいた皆様におかれましては、その「ありえないこと」がなにを指すかはもうお分かりかもしれません。

 つまり、震災関連幽霊の実在です。

 震災関連幽霊は、いつも我々の周りにいて、震災以降を生きる我々のその生き方を見張っている、ということです。そして演繹的には、あらゆる死者は一見関係なさそうに見えることに関連して、〇〇関連幽霊となっているのかもしれない。まさに、医学的には喘息と診断された妻が、本当は震災に関連して亡くなっていたように、6年前に亡くなった私の祖母は、その少し前に私が別の人に働いた不義理に関連して亡くなって、不義理関連幽霊としてどこかで私を見ているのかもしれない。それが比喩ではなく、ほんとうにいるかもしれない、というその可能性までを示すのが、フィクションの仕事です。わたしと約束したこと、あのとき自分で言ってたこと、おぼえてるでしょう? そう幽霊に問われた経験は、私だけでなく皆様にもあるでしょう。幽霊の言葉が夫の向こう側にいる我々観客に向けて発せられるとき、我々は思い出すことすら忘れていた昔の約束を、それを決して忘れていないであろう誰かの幽霊の存在を、思い出すことになるのです。

 

 このようなフィクションを可能にする媒体が、映画でも小説でもなく、劇場空間に役者と観客の身体が常に共存する演劇をおいてほかにないことはいうまでもありません。演劇というメディアの特性は、自分事、なのかもしれません。初期の岡田がドキュメンタリーにこだわったのは、まさに舞台の上で起こることが自分の身体と地続きだったからでしょう。しかし、それは裏を返せば、フィクションであっても自分事にさせてしまう強引さを持つ、ということでもあります。

 岡田はこのフィクションの目的について、次のように言語化しました。

震災と原発事故が起こった直後の数日間に、私に押しよせてきた感情のなかには、悲しみ・不安・恐怖だけでなく、希望も混じっていた。(中略)未来への希望を抱えた状態で死を迎えた幽霊と、生者との関係を書こうと思った。死者の生はすでに円環を閉じ、安定している。生き続けているわたしたちはそれを羨望する。わたしたちは苦しめられ、そこから逃げたくなって、忘却をこころがける。[vii]

 しかし、ほんとうにそうでしょうか?

 『部屋に流れる時間の旅』は、妻の幽霊が漂いつづける部屋で暮らす男と、その新しい恋人をうつした演劇作品でした。生者は変わっていきます。数年たてば新しい恋人も作ります。別に、それでいいはずなのです。しかし一方で、男は震災から6年間ものあいだ、幽霊が住みつき、タイムカプセルのように空気の淀みを保存したその部屋から引っ越すことなく、そこに住み続け、幽霊が抱く未来への希望を反芻していたわけなのです。思い出すことすら忘れていたこと、を思い出すことは、まるで痛みつづける傷のようでもあるけれども、同時に傷口をいじくるように心地よくもあるから、男は引っ越さない。

 我々はみなそうやって、〇〇関連幽霊と共存しているのです。そして時には、自分の経験した幽霊話を、その白昼夢のような、にわかには信じてもらえない記憶を、身体で演じなおして共有するのです。『部屋に流れる時間の旅』は、忘れようとする男の話ではなく反芻する男の話であり、忘れるための演劇ではなくて、思い出し、反芻するための演劇に他ならない。

 それにしても、忘れようとして思い出す、とは、なんて退廃的な快楽でありましょうか。岡田が結果として描き出してしまったのは、その退廃に溺れる我々の欲望そのものであったかもしれません。あるいは岡田もまた、どこかでそれを欲望していたのではなかったか。優れたアートは常に、作者の意図するところを越えて、思いもよらぬなにかを暴き出すものであります。

 

[i] 山内公平「喘息死」『アレルギー 65(10), 1248-1256, 2016』

[ii] 一般社団法人日本アレルギー学会喘息ガイドライン専門部会慣習『喘息予防・管理ガイドライン2015』

[iii] 人口動態調査|厚生労働省 http://www.mhlw.go.jp/toukei/list/81-1.html

[iv] 東日本大震災から1年、石巻で語られる「幽霊」の噂|AFP BB NEWS http://www.afpbb.com/articles/-/2862313?pid=8585392

[v] シリーズ東日本大震災 亡き人との”再会” ~被災地 三度目の夏に~ http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20130823

[vi] 警察庁「東日本大震災による死者の死因等について」

[vii] 『部屋に流れる時間の旅』|チェルフィッチュhttps://chelfitsch.net/activity/2017/03/times-journey-through-a-room-theatre-tram-tokyo.html

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