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第一章 【恋ダンス】恥ずかしげな過去形で複製された身体運用のリスト、あるいはアイデンティティ【踊ってみた】

一、

 身体運用は、言語にとてもよく似ている。

創造というのは自分が入力した覚えのない情報が出力されてくる経験のことである。それは言語的には自分が何を言っているのかわからないときに自分が語る言葉を聴くというしかたで経験される。自分が何を言っているのかわからないにもかかわらず『次の単語』が唇に浮かび、統辞的に正しいセンテンスが綴られるのは論理的で美しい母国語が骨肉化している場合だけである。

内田樹『こんな日本でよかったね』

 内田樹はこう書きながら、実は言語ではなくて彼の得意な合気道について考えていたかもしれない。私はといえば、これを読みながらダンスについて考えていた。

 一つの言葉が発せられたとき、そこから引きずり出されるようにして次の言葉がつづく。その制御しがたい運動の連続はやがて、話者の「言いたいこと」をはるかに超えて意味を紡ぎ出す。構造主義以来、すでに当たり前となった言語観である。しかし、この流れるような発話を可能にするためには、一つの言葉のあとにいかなる言葉を接続しうるか、という言語感覚を身体化することが必要不可欠である。

 一つの言葉が発せられれば、それを読点で閉じるまで意味は終われない。突き出した拳は引かなければならないし、振り上げた腕はなんらかのやりかたで下さなければならない。頭の上にかかげた腕を、どの筋肉を使って、どこを通ってどんな速さで下すのか、あるいは下さずに次の動きにつなぐのか、という次の動作の選択肢は、とりもなおさず身体運用のボキャブラリーということである。

 身体化されたボキャブラリーのストックは、やがて適切な場面で「口をついて出る」ようにして身体運用として表出する。この連続が格闘技の場合の実戦であり、ダンスの場合のフリースタイルである。

 

 さて2010年代、一見太古の昔から変わることのないようにみえるこの身体運用という分野において、奇妙な変化が起こり始めている。【踊ってみた】である。

 2007年、ニコニコ動画で【踊ってみた】タグが誕生してから早10年、はじめは極めてオタク的だったはずのこの営みは、気がつけば地上波テレビドラマという極めて非オタク的な空間で行われるようになっていた。【踊ってみた】は、2006年に涼宮ハルヒと平野綾が踊り、オタクがオタ芸的に複製した「ハレ晴れユカイ」から出発し、2016年には星野源と新垣結衣が踊り、非オタクも得意顔で複製する「恋ダンス」へと流れつき、いつのまにか完全に市民権を得たものとなっていた。

 90年代、宮台真司は社会に相容れない小さな物語が乱立した様を「島宇宙」と呼んだ[i]。00年代、宇野常寛はその小さな物語同士が衝突を繰り返す様を評して「バトルロワイアル」と表現した[ii]。しかし、どうしたことか10年代にあっては、オタクと非オタクという、決定的に相容れなかったはずの二つの島の民が、同じ行動様式で同じ対象を複製し続けている。

 宇野はまた、若者のアイデンティティの獲得様式が過去20年でどう変わったかを鮮やかに描き出して見せた。80年代:「する/した」;大きな物語にコミットし、社会的自己実現を夢見ること。90年代:「である/でない」;島宇宙化によりもはや機能しなくなった大きな物語を捨て、引きこもること。00年代:「(あえて)する/した」;乱立した小さな物語を決断主義的に選択し、その正当性の主張のため戦うこと。さて10年代:「てみた」というやや恥ずかしげな過去形の決断があふれかえっているこの時代を、我々はどのように理解すればよいか。

 

二、

 記録をさかのぼれば、現存する最古の【踊ってみた】は『ロックマン 2ワイリー ステージ  おっくせんまん!女声(正式)』(2007)というもので、ロックマンのBGMで踊るその人の身体運用はコピーダンスではなくフリースタイルであった。もちろん、「踊ってみた」などと恥ずかしげな自己紹介も行われない。

 再生回数10万回を超えた【踊ってみた】につけられる「踊ってみた殿堂入り」タグをたどってみると、はじめのうち伸びているのはこういう動画だった。とりわけよく伸びたのは『凄い勢いで踊るドアラ』(2007)という当時のユーザーなら誰もが知る動画で、チアリーディングの振付に混ざって好き勝手に暴れるドアラの身体運用もいうまでもなくフリースタイルの類である。【踊ってみた】に限らず、この段階の「てみた」は文字通りに「どうなるかわからないけど、とりあえずやってみた」という不確定記述的なニュアンスを含んでいた。

 これが現在のコピーダンスの形になったのは、ニコニコ動画立ち上げと時を同じくして放映され、オープニングアニメーションで登場人物によるダンスを採用していた二作品によるところが大きい。『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006)の「ハレ晴れユカイ」と、『らき☆すた』(2007)の「もってけ! セーラー服」である。【踊ってみた】で『ドアラ』の次に100万再生を達成したのは『【汚部屋☆47】ハレ晴レユカイを踊れるから踊ってみた』(2007)であったが、この頃を境に【踊ってみた】のフォーマットはコピーダンス・定点カメラ・ワンカットという形式に画一化されていく。ニコニコ動画サービス開始から、わずか1年足らずのことである。

 

 ここで起こった画一化は、ニコニコ動画が黎明期のカオスを経て整理されていく過程とパラレルである……と素直に解釈してもよいが、平面で展示される【踊ってみた】が同じく平面であるアニメダンスの模倣に収束したのは必然であった、と理解したほうが面白い。

 生身のダンスを観た時の興奮は、動画では再現しえない、だからクラブに行け、イベントに行け、という風潮が、Youtube以降のストリートダンス界には一定の濃度で存在する(残念ながらストリートダンサーはあまりまともな文章を書かないので、ここで文献らしい文献を示すことはできない)。ヴァルター・ベンヤミンの言葉を借りれば、ここで問題視されているのはアウラ[iii]の消失ということになるのだが、もう少し単純に考えると、これは立体空間で見たときに面白い身体運用と、平面で見てもなお面白い身体運用の間にはズレがある、というだけの話でもある。

 奥行きを失ったダンスは、その奥行きの分の熱量を失う。映像として複製されたとき、その喪失を免れることができるのは、はじめから奥行きを失うことを想定した振付だけである。アニメのために作られたダンスとは、まさにそういう振付のはずである。アニメにダンスが登場し、それをユーザーが【踊ってみた】という様式は、その後も『ハルヒ』の「最強パレパレード」、『マクロスF』(2008)の「星間飛行」のように繰り返され、『妖怪ウォッチ』(2014)の「妖怪体操第一」まで連綿と続いていくこととなる。

 

三、

 オタク的コミュニティ=アンダーグラウンドで起こるこの複製連鎖に対して、同じアンダーグラウンドで化学反応を起こしたのが『初音ミク』(2007)に始まるVocaloidの楽曲だったことは言うまでもない。

 2009年、舞踏家Yumikoは「ローティーン向け」に振り付けした『-教えて!!魔法のLyric-踊ってみた』(2009)でVocaloid楽曲の振付として初の殿堂入りを果たす。4か月後にはセガから『初音ミク -Project DIVA-』という、まさに初音ミクが【歌ってみた】【踊ってみた】という趣のゲームが発売される。その直後、1ユーザーである愛川こずえのオリジナル振付『【こずえ】ルカルカ★ナイトフィーバーを踊ってみた【らめらめよ!】』(2009)が爆発的に伸びたのを最後に、【踊ってみた】はトップユーザーの作った楽曲と振付を複製するための場へと変わっていく。

 一方で、これにいち早く反応していたアッパーグラウンドのプレイヤーが、アイドルだった。

 従来、振付が入るタイプのミュージックヴィデオは、振付そのものにフォーカスしてこなかった。そこでは身体運用があらゆる角度から眺められ、解体され、踊っていないカットとコラージュされ、新たな意味の流れ=アイドルとしての物語が紡がれる。身体運用は本来、アイドルにおいて物語を構成するための素材の一つに過ぎず、したがって物語に従属するものでしかありえなかった。

 ところが00年代後半以降のアイドルは、往々にして”Dance shot ver”なる定点カメラ映像を提供するようになる。余計な要素を入れずにダンスだけを楽しんでもらうためのバージョンといえばもっともらしいが、要するにお手本動画である。ニコニコ動画以前からこれをやっていた久住小春の『恋☆カナ』(2006)、『バラライカ』(2006)以降、ハロープロジェクト楽曲は長らく【踊ってみた】の定番となってきたし、あまつさえ℃-uteのメンバーが自身の楽曲を定点カメラで踊った『 Danceでバコーン!を踊ってみた【岡井千聖(本人)】』は、「模範解答」のタグがついて【踊ってみた】のお手本となった。AKB48グループもしばらくの間これに続き、のちに『恋するフォーチュンクッキー』(2014)が全国規模で複製されることになる。Perfumeについては既にさわやかが『10年代文化論』(2014)で詳述しているためここでは割愛するが、彼女たちがDance shotを作らない一方、2011年に始めた「Perfumeダンスコンテスト」のお手本動画として定点カメラのダンスを展示したことについては指摘しておきたい。

 

 アニメ的平面に押し込められた身体運用は、ユーザーが自らの身体でそれを複製することを容易にする。複製は定点カメラによってふたたび平面に納められ、それを見た別のユーザーが複製を繰り返す…。ベンヤミンの言う通り、「複製される芸術作品はしだいに、あらかじめ複製されることを狙いとした作品の、複製となる度合いを高めてゆく」[iv]。ニコニコ動画とyoutubeの登場により、身体運用はダンサーにとっても平面で展示するものとなり、芸術作品が複製によって儀式的意味を失ったのと同様、振付は背景の物語的意味を必要とはしなくなった。

 かくして、当初は身体運用の実験者であった【踊ってみた】のユーザーは、10年代に入るころにはほぼ完全に「Vocaloid楽曲に対する一部の振付者と多数の複製者」および「アイドルダンスの複製者」へと収束し、意味を失った粗悪な複製の複製の複製ばかりが氾濫する、奇妙な集合へと変容を遂げていた[v]

 

四、

 10年代は、日本の身体運用にとって革新的な出来事ともに幕を開けた。

 すでにSNS的な相互承認のシステムを備えたYoutubeが2011年から一般ユーザー向けに開放した広告プログラムと、これに伴うyoutuberの誕生。2008年に告示され、2011年を皮切りに小学校から実装された義務教育における「ダンス必修化」。そして【踊ってみた】について言えば、ドラマ『マルモのおきて』(2011)のテレビ放送。これらすべてが10年代日本のダンスの行き先を決定づけた、といえば、説明としては十分かもしれない。アイドルの次に動いたアッパーグラウンドのプレイヤーは、実は文科省とテレビ局であった。

 ドラマのエンディングで出演者がダンスをする形式の先駆けとなった『マルモのおきて』の主題歌「マル・マル・モリ・モリ!」は、平面化された身体運用のありかたが日本の地上波に露出した、決定的なエポックであったといってよい。奇しくも時を同じくして、教育指導要領の更新によりダンスを身近なものとせざるを得なくなった子供たちにとって、あるいはなにか適当で簡単なネタが欲しかっただけのyoutuberにとって、お遊戯会のごときその振付はまさに適切なレベル感でもあったかもしれない。

 その後もPerfumeを長澤まさみが踊る『都市伝説の女』(2013)、子供向けアニメ『妖怪ウォッチ』(2015)がそれぞれ話題を呼び、ついに【踊ってみた】が『逃げるは恥だが役に立つ』(2016)に結実するや、コピーダンスは恒常的に存在する「忘年会の余興どうするか問題」とも合致して国民的なムーブメントになっていく。2006年、「てみた」前夜にフリースタイルとしてのポッキーダンスでブレイクしたガッキーが、2017年に「てみた」で再び世間を沸かすさまに時代の宿命を感じずにはいられないがそれはともかく、【踊ってみた】常連のユーザーはもちろんのこと、これまで踊ったことなどなかった人気youtuberも、youtuberになりたい小学生女子も、余興でなにかやらなければならなかったおじさんも、町おこしを目指す自治体の役場のおばさんも挙ってこの「恋ダンス」を踊った。『逃げ恥』以降も『グ・ラ・メ!〜総理の料理番〜』(2016)、『スーパーサラリーマン左江内氏』(2017)、『ボク、運命の人です』(2017)、『警視庁いきもの係』(2017)と雨後の竹の子のように続出する【踊ってみた】ドラマを、10年代社会の象徴と呼ばずして何と呼ぶか。

 

 とはいえこのコピーダンスという文化自体は、なにも00年代後半に始まったことではない。アニメでは1980年代までさかのぼることができるし、アイドルダンスのコピーなら初期のモーニング娘はもちろんのこと、おニャン子クラブやピンクレディーでも同じ現象は確認できる。

 ただし、『逃げ恥』を知らずとも恋ダンスを踊ることができる、というのが、10年代のコピーダンスの本質であるように思われる。80年代にピンクレディーを知らずに「UFO」を踊ることは、原理的に困難だった。00年代に非オタクが「ハレ晴れユカイ」を踊ることも、原理的に不可能だった。

 

五、

 東浩紀はかつて、小さな物語が乱立する島宇宙にあっても島同士が手を伸ばしあうための解決策として2次創作を提案した。一方で宇野常寛は、2次創作とは出自の物語に従属するものでしかありえないとしてこれを否定した。さて、2次創作としての複製版「恋ダンス」はたしかに『逃げ恥』に従属するが、それを複製する者が背景の物語そのものを参照する必要はない。小学生女子や余興おじさんが参照するのは、ガッキーですらなくてよい。親切なユーザーたちが「反転スロー動画」という、これまた複製を想定した大変便利な映像を公開しているからである。実はここに、大元の物語から自由になったN次創作がひっそりと存在する。

 平面化され意味と物語を剥奪されたむき出しの身体運用の複製の複製の複製は、『逃げ恥』本編とはもはやまったく無関係に、オタクにも非オタクにも、小学生女子にも余興おじさんにもひとしく届けられ、気づかぬうちにあらゆる島に侵食する。しかしながら、そうして「恋ダンス」を「踊ってみた」エンドユーザの一部はそれをきっかけとして『逃げ恥』を知り、そのさらに一部が『逃げ恥』本編を視聴し、そこで描かれる自己/他者承認のための新たな物語=契約結婚という突飛なアイデアと思いがけず対峙することになるだろう。これをシェア型のプロモーションと言ってしまえばそれまでだが、実際にたどりついた結果はマーケティング的な意図をはるかに超えている。それは新たな物語が島と島を越えて水平に広がっていくための、実に巧妙な仕掛けである。そしてその巧妙さは、身体運用から意味を抜き取ったことのほかにもう一つ、10年代のアイデンティティのあり方を掌握している点からきているように思われる。

 

 ニコニコ動画初期に乱立した「やってみた」系動画における「てみた」のニュアンスは本来、それが誰もやったことのない馬鹿馬鹿しい試みであり、うまくいくかどうかわからない実験のプロセスを意味するものとして使用されていたはずである。しかし、すでに【踊ってみた】についてみてきたように、「やってみた」は試行錯誤の結果徐々にうまくいくテンプレを見出し、その実験性を失っていった。あとに残った「てみた」の機能は、「(あえて)する/した」よりもずっと弱いが確かにある、決断主義的選択の痕跡である。

 過酷な「バトルロワイアル」における態度決定が、「てみた」などと恥ずかしげな助詞を噛ませて行われようはずもない。優れたダンサーが自身の作品を「踊ってみた」などと紹介することはあり得ない。自らがダンスに没頭し、心血を注いだことの表明は、常に「踊る」「踊った」という力強い断定で行われる。「て」という助詞、「みる」という助動詞は、「それをやったことは取るに足らない選択に過ぎないかもしれない」いう気恥ずかしさの表れに他ならない。「てみた」的若者は、自信をもって選び取った小さな物語ではなく、自信なさげに選んだごくごく小さな物語の累積によって自己像を形成し、提示しようとしている。

 やっていることはブックリストや映画観ましたリストに近い。あるいは、より直接的にはツイッターで手ごろな言説をリツイートし自分のタイムラインにリストする手つきに近い。自らのチャンネルに次々と「てみた」をリストしていくことで、あるいは読んだ(読んでない)、観た(見てない)、リツイートした(してない)を重ねていくことで、そしてその一つ一つを「いいね!」と褒めてもらうことで、その総体として自らのアイデンティティを編み上げていく…。こう書いてしまうとなんだかポストモダン的だが、編み上げていく、という表現がおそらく正確ではなくて、まさにリストのように積み上げていく、という方が実態を捉えている。

 このリスト型のアイデンティティに食い込む物語は、だから、下手に大きな物語であってはならない。下手に奥行きを、熱量を持った、高度な身体運用であってはならない。強い物語を選択することは、高度な身体運用を模倣することは、とても勇気がいることだからである。平面化された粗悪な複製でなくては、彼等のリストに紛れ込むことはできない。『逃げ恥』と「恋ダンス」はそこを巧妙についてトロイの木馬のように感染を広げた、いわば10年代の処方箋なのである。

 

六、

 「恋ダンス」が示した10年代の処方箋には、残念ながら限界もある。創造を「入力した覚えのない情報が出力されてくる経験」とする内田の比喩になぞらえるならば、「恋ダンス」の振付を入力された身体が予想外の身体運用を出力することはあり得ない、ということである。この限界はそのまま、それが依拠する10年代のアイデンティティが克服すべき課題でもある。

 自己像とは外部からの視線によって編み上げられるのであるからして、表明されない物語の選択はほとんど意味をなさない。さて、動画サイトとSNS以前の「する/した」は、自らが言語化しない限り可視化されることはなかった。一方で10年代の「てみた」のリストは、複製をリストのように積み上げるだけで可視化され、その表明に自分の言葉を必要としない。動画サイトとツイッターは、決断主義においてかろうじて必須のものであった自分の言葉の介在を、必須のものではなくしてしまった。

 拙くとも自分の言葉で語りなおされた物語は、その入力プロセスに創造の余地を孕む。一方、拙いうえに複製に過ぎない「てみた」には、創造性の生ずる余地がない。コピーダンスも、コピー&ペーストも、リツイートも、いくら重ねたところでそれ自体が創造的にはなりえない、という至極当然の事実を、10年代の「てみた」的/リスト型アイデンティティの脆弱性として指摘せねばならない。

 一方で、言葉はコピー&ペーストできるが、ダンスは自らの身体で踊りなおさねばならないのも確かである。だから優れた振付は、複製した者になにがしかの爪痕を残す力を持つ。その爪痕の積み重ねは、いつの日か創造のための土壌となる。

 実際、はじめから好きなように踊れというのも無理な話である。

ダンスは、「創作ダンス」、「フォークダンス」、「現代的なリズムのダンス」で構成され、イメージをとらえた表現や踊りを通した交流を通して仲間とのコミュニケーションを豊かにすることを重視する運動で、仲間とともに感じを込めて踊ったり、イメージをとらえて自己を表現したりすることに楽しさや喜びを味わうことのできる運動です。

武道・ダンス必修化|文部科学省

 ここで「自己を表現したりする」ためのダンスがもし盆踊りや阿波踊りを含まぬ概念なら、多くの日本人はダンスの幼児教育から受けなおす必要があった。幼児教育とは、まず文字を覚えさせるとか、覚えたたての言葉で話す幼児を「いいね!」と褒めてあげるとか、そういうことである。ダンス必修化とともに「マル・マル・モリ・モリ!」のコピーがyoutubeで流行った、というのは、3つの社会背景が極めて適切適時に噛み合い、日本の若者の身体が初めての言葉を口にした瞬間だった。

 それから5年、ようやく自らの身体で語り始めた日本の子供たちに、ダンスは新たな教科書を与える必要があった。ただしそれは、ただ音読されて終わるようなものではなく、読む者にボキャブラリーを与え、演繹的に言語そのものを理解せしめるだけの教科書でなくてはならない。優れた振付とは、自分で何度も書き写したくなるような名文のごときものである。そして、「恋ダンス」とはそういう振付だった。基本的な4拍子のリズムのとり方と、それを上半身と下半身で別々にとる応用編。重心の移動と保持に関するレッスン。振付の中で自然に経験される体幹のウェーブと肩甲骨・骨盤のアイソレーション…。これら「現代的なリズムのダンス」の実践的なレッスンを、そうと気づかせぬまま国民レベルで共有せしめたことに「恋ダンス」の本当の意義がある。

 「恋ダンス」は、創造の前段階のレッスンまでを全うし、その10年代における役割を終えた。したがって、『恋』の発売元であるVecterが最終的に「恋ダンス」動画の音源削除に動いた、というニュースも別段批判されるべきものではないのである。小学校の教科書の拙い書き写しを、後生大事にとっておく必要などどこにあろう? 20年代に向けて持たなければならないのは、中学校で使うための教科書なのである。そこにはきっと、これまでに身体化したボキャブラリーを使ってリストを編みなおす方法について、踊るたびに新たな自己像を編み上げるような創造と自己表現の方法について、なにかが書いてあるに違いない。それを紐解いたとき、若者ははじめて自らの意思決定を【踊った】という断定で語れるようになる。

 

[i] 宮台真司『制服少女たちの選択』(1994)

[ii] 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』(2007)

[iii] ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』(1936)

[iv] 同上

[v] しかしこの変化は逆説的に、ダンスがアウラを発揮する機会を増やすことにもなった。自らも踊ってみる層が増えるにつれ、はじめは室内でこもって踊っていた層が公共空間で踊ってみようとするようになり、踊ってみた者を見に行く層が増していく。閉店した六本木の巨大ダンスクラブ「ヴェルファーレ」が、ドワンゴが運営する「ニコファーレ」としてよみがえったのは2009年のことである。

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