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保坂和志は目を閉じた ―魔法の世紀の「小説」論―

一、

 20世紀と21世紀をまたいで書かれた保坂和志と小島信夫の共著『小説修業』は、2人の間でやり取りされた「往復書簡」をそのまま本にしたというもので、そのあまりに爽快な読後感はそれ自体が「小説的」とも言える不思議な読み物なのだが、それはさておき、保坂は議論の序盤でゴーギャンの晩年の大作に題された「われらはどこから来たのか? 何者なのか? どこへ行くのか?」という命題を持ち出し、文学が20世紀を通じてこの命題に拘泥しつづけてきたことを指摘している。

十九世紀後半を生きた人間がどうしてこういうことを考えたのかということと、それ以上に、文学が百年たってもこの問いから先に一歩も進んでいないように見えるのは何故なのかということを私は考えているのです。もっと言ってしまえば、「この問いから先に進むにはどうしたらいいのか? 何が可能なのか?」ということです。(『小説修業』2001  p66)

 保坂は小説家でありながら、小説そのものをメタレベルで論じ続け、自身の小説の中でもこの問いに向き合い続けてきた。この小説家について論じることは、おそらくこの問いの答えを探すこと、あるいは小説の未来について考えることとほとんど同義である。

 田中小実昌が亡くなったとき、その追悼文のような小説のなかで、保坂はこんな風に書いている。

作家の価値というのはどういうことになるのかというと、いままでなかったタイプのビョーキを持ち込むということだ。もっともらしく言えば、「新しい書き方を持ち込む」とか、「新しい視点を持ち込む」とか「新しい世界観を持ち込む」ということだけれど、それは「ビョーキ」ということなのだ。(『生きる歓び』2003 p118)

 偉大な「ビョーキ」は数十年、数百年たってもその力を失うことはなく、作家が生きた時代の世界観を後世に伝え続け、新たな時代の作家に感染する。小島信夫が持ち込み、田中小実昌に感染し、さらにその双方から保坂和志へと感染した「ビョーキ」は、保坂の体内で明らかに新たな変異を獲得し、感染性を拡大したようにみえる。さて、この保坂和志という「ビョーキ」がこれからどのように変異し、どのように感染していくのかを想像するために、我々はすこしばかり未来へと時間旅行し、今猛威を振るっているこの「ビョーキ」を過去のものとして眺めてみなければならない。

 例えば、2045年、というのはどうか。

 2029年、地球には人間と同等の知性を持つ人工知能が現れる。2045年には生命のあり方そのものがテクノロジーの中に組み込まれるようにして変容し、人類の知性は次のフェーズを迎える。レイ・カーツワイルによる技術的特異点:シンギュラリティに関する予言である。

 もう少し我々の実感に即して、科学の進歩による認知やコミュニケーションの変容を予言したのは落合陽一の『魔法の世紀』だ。2045年、あるいは魔法の世紀の生活空間では、アナログとデジタルの境界はよりあいまいになる。テクノロジーはその発展により、やがてテクノロジーとして意識されないまま身体感覚の延長のごとく自然に使われるようになる。意識されないテクノロジー(落合はこれを「非メディアコンシャス」なテクノロジーと呼んだ)によって物理空間が変容していくさまは一見すると魔法のようなもので、20世紀は映像の世紀と呼ばれたが、21世紀は魔法の世紀とでも呼ぶべき時代になる、という話である。

 21世紀が始まって17年が過ぎた今、すでに魔法を使った表現は拡張現実(AR; Augmented reality)やプロジェクションマッピングといった形で我々の生活空間に実装されつつあり、我々は本来そこにないはずの情報が物理空間に出現するさまを頻繁に目にするようになっている。それはメディアによる物理空間そのものへの記述が自然に行われる世界であり、したがって従来はインターネット空間で共有されていた情報が、物理空間や個人の意識へと自然に滲出することのできる世界である。今後こうした魔法的表現が発展していくことは、もはや議論を待たない。

 さて、かくも変性した魔法の世紀の空間を、まるで保坂自身が身をやつしたような登場人物たちが「われらはどこへ行くのか?」などととりとめもないことを考えながら歩くとき、その行為の軌跡はどのような小説になるか、あるいは物理空間がすっかり変容した魔法の世紀において、21世紀初頭の物理空間における行為の軌跡を描く小説がいったいどのように読まれうるか、という、小説家にとっても批評家にとってもいずれ不可避となる問題がここにある。2045年から保坂和志を振り返るという試みは、来るべき魔法の世紀における小説の可能性を問うことでもある。

 

二、

 保坂自身がよく用いる表現に「小説はそれを読んでいる時間の中にしか存在しない」というのがあって、もしそうだとすれば小説は作者にとっての思考装置であると同時に、読み手にとってはインスタレーションのごときものであるということになるが、少なくとも『プレーンソング』が2045年において、1989年の物理空間における行為と思索を追体験する巧妙なインスタレーションとして読まれうることは間違いない。

 保坂の初期小説は常に行為・知覚・思索・記憶を編むようにして展開されてきた。行為のフィードバックとして生じた知覚が、さらに別の感覚系統を刺激し、その感覚がまったく別の記憶への連想の呼び水となり、記憶を土壌とした思索を生じせしめる、しかし思索がとりとめもなく展開される間にも行為は継続するので、感覚や思索が次の行為につながることもあれば、思索が断絶してまた別の感覚が闖入することもある。

それからよう子は台所の椅子に腰をおろしかけたがやめて、そのまま窓のほうに行って外を眺めはじめた。アキラが部屋に上がり込んでくるときの遠慮のなさとも違っていて、よう子が窓のところまで歩いてそこでじっと立っている様子はこの部屋がもともとよう子のだったと見えてしまうような自然さがある。
感心するというのも変だけれどそんなことを思い出しながらはじめに見た笑い顔なんかと考えあわせてぼんやりしているあいだに、アキラはほんの三日前に代々木公園で声をかけたんだというようなことを耳打ちしてきて、それを聞きながらぼくは勝手に、よう子も無一文で仕事もなくて大学みたいなところにも行ってないのだろうと考え、(後略)(『プレーンソング』1990 p58)

 こういう営みは、しかし、本来人間の行動と意思決定のプロセスの中であたりまえに行われているもので、つまり保坂の小説というのは、行為・感覚・思索・記憶で編み上げられたものとしての人間の営みを、丁寧にほぐして並べなおすことによって、人間のシステムそのものを表現するかのような、換言すれば「脳の中の現実の放り出し」[i]のような小説だということである。

 かつて言語芸術が独占していた領域を、視覚的表現に一部明け渡したのが映像の世紀であったように、魔法の方がよりうまく表現できる内容は、小説に書かれても力を持たなくなっていく。つまり我々は、2045年という視座に立ったとき、言語芸術に表現できて魔法に表現できないことはなにかという問題を取り上げないわけにはいかないのだが、行為・知覚・記憶はさておき、言語によってなされた思索をそのまま表現するためにはおそらく2045年にあっても言語を用いるしかなくて、それゆえに言語芸術というのは意外と長きにわたって特有の地位を占め続けるように思われる。人間の脳の中で起こる行為・感覚・思索・記憶の相互作用を外部から直接操作・修飾する方法がないかぎり―あるいは、そのような方法を人類が許容しない限り―この「脳の中」を追体験するような保坂の小説は、たぶん、魔法の世紀においても力を保持できるだけの強度をもっている。

 一方で、小説家はテクノロジーの進歩から受ける影響を避けられない、ということを指摘しているのも保坂その人である。『小説修業』で小島の『私の作家遍歴』を引用しながら繰り返し指摘するのは、19世紀後半を生きた芸術家たちが科学技術の進歩を前にして、その世界観と人間観を更新せざるをえなかったという事実である。ゴーギャンの「われらはどこから来たのか? 何者なのか? どこへ行くのか?」という命題や、チェーホフが繰り返し使用した「遠く離れた二人が同じときに同じことを思っているかどうか」「百年後に生きる人間がいまの私たちの努力を分かってくれるかどうか」[ii]というようなモチーフがジョイスの『死者たち』、ウルフの『燈台へ』、ムージルの『特性のない男』へと脈々と引き継がれていく様を、保坂は20世紀末からこんな風に振り返る。

十九世紀末に科学や技術が急速に発達して、無線の通信とか写真とかが発明された時代にチェーホフがこういう問いを立てたと考えてみると、これらの言葉は一気に唯物論的になるというか、唯物論と信仰の境界にある言葉になります。無線は空間を越える手段であり、写真は時間を越える手段であり、そのような世界に人間が生きはじめることになったということです。(『小説修業』p67)

 無線によって聴覚・言語覚は物理的に延長され、写真によって視覚は時間的に延長された。これらの、いわば人間の感覚器が知覚できる範囲を拡張するかのようなテクノロジーを前に、小説家たちは物理的な距離を越えた相手と自分の関係を、遠い未来における自分の存在を、これまでになく強く意識するようになった。これが、映像の世紀に打ち立てられた新たな世界観である。しかし、「ここでパタッと文学の思考が止まってしまう」。ここからの100年以降、文学は同じような問いに拘泥し、このモチーフから「一歩も前に進んでいない」と保坂は指摘する。

 他方、科学がもたらしたのは感覚の拡張だけではない。人間観や世界観は、科学によって分断される。それゆえチェーホフ以降の作家は、トルストイの時代において可能であったような物事の「全体」を書く、という小説をもう書けなくなってしまった。

「個々の中に全体がある」「部分は全体を写す」という考えを、トルストイ以降の作家はもう持つことができないのです。(中略)その認識を作家にもたらしたものが、広い意味での科学ということです。(同 pp91-92)

科学というものは哲学や文学と違って、当面研究する対象が与えられがちな分野なので、(中略)研究が進むにつれて、最初の疑問がどんどん細分化されると同時に矮小化されて行ってしまうのです。そこから描き出される人間像は、部分としてはとても鮮明であるけれど、全体としては人間に似ていないようなものです。文学は――私の場合は「小説は」ですが――、科学によって拡散してしまった人間をもう一度取り戻さなければなりません。(同 p144)

 こうした小説史認識と強い信念に立脚した保坂は20世紀末、自身の小説世界において、逆にテクノロジーを使って世界の「全体」をとらえる方法を考えていたように見える。『プレーンソング』には、8mmビデオカメラを常に持ち歩き撮影を続けるゴンタという青年が登場する。

はじめて歩くゴンタの方は三人の様子を撮ったり、この中村橋あたりのマンションがまだ点在の状態で全体として畑の面積に負けていて、何軒か藁葺き屋根の農家の名残りがあったり、塀に囲まれた中に大きな木を何本も茂らせている旧家があったりする風景を撮ったり、定期的に空にカメラを向けて夕方から夜になっていく様子を撮ったりしていたが、ゴンタが撮ろうとしていたのはそういう一つ一のことではなくて、あのときにぼくたちがああいうことをしていたということの全体なのだろう。(『プレーンソング』p169)

 ゴンタのほかにもう1人、アキラというカメラを手放さずに始終いろんなものを写真に収めている青年も登場し、主人公は彼らを見ながら「アキラの感情とかまわりへの感覚がカメラと一つになっているようで、そう思うとカメラで世界とつながっているのはゴンタだけではないようだった」(同 p168)という風にも考える。カメラはともかく、ソニーが個人向け8ミリビデオカメラ「ハンディカム」の一号機「CCD-V8」を発売したのが1985年、『プレーンソング』が書かれたのが1989年だから、保坂は普及し始めた新たなテクノロジーによって人間がどのように世界を認識しうるか、という問題にここで挑んでいることになる。

 電話のむこうでしか登場しないゆみ子という女性と、物理的な距離を越えてお互いの世界認識を共有し続ける描写も同じ文脈で理解することができて、要するにかつて無線というテクノロジーによって登場した「遠く離れた二人が同じときに同じことを思っているかどうか」というモチーフは、逆に家庭電話の普及というさらなるテクノロジーの進歩によってほとんど解決された過去のモチーフとなった、と言っているようにみえる。この時代において、保坂が世界をとらえる感度は極めて鋭敏であった。

 

三、

 ところが2010年代に出版された小説群では、初期小説で絡み合うようにして展開された行為・知覚・思索・記憶のバランスが、明らかに思索と記憶の方に偏重しつつある。

田んぼのまんなかの堤防まで行く道は遠いと感じたりそうでもないと感じたりした、こうしてあの頃を思い出す私がそう感じているのかあの頃の私の感じとして感じているのかよくわからない、清人兄と用水路のザリガニを撮った時はあの道は長かった、堤防の方から住宅の方に水は流れる、用水路に裸足になって入って最初はザルで川底をさらう、用水路の幅は子供が両端に左右の足を置いて跨げる、深さは長ズボンでも膝までまくるくらいで大丈夫だった。(『地鳴き、小鳥みたいな』2016 pp60-61)

 保坂と思しきこの人物は、不倫相手とともに母の実家がある山梨を訪れ、幼少のころ訪れた場所を歩きながら、たびたび記憶の中に潜行し、一文のなかで現在形と過去形を往復し、いま物理的身体が現在と過去どちらの空間にいるのかわからないような語りをする。保坂はこの時、物理空間そのものではなく、保坂自身の中に記憶された情報空間を歩いている。誤解を恐れずに極論すれば、それは目を閉じて歩いているということである。

一月三十日か三十一日に山梨まで行ったのは母の実家の周辺の土地を確認したかったからだ、当然母の実家の中には入らなかった、その構造は私はしっかり記憶している、ほぼ狂いはない、むしろ今の状態をみてしまうことで記憶がぼやける、(後略)(同 pp30-31)

 目を閉じることによって個人の記憶の鮮度は保たれる。しかし当たり前のことだが、目を閉じてしまえば、その時物理的身体が歩いている時代・世界の世界観を捉えることはできない。

 2012年の『カフカ的練習帳』でも、家自体がもつ記憶についての描写があり、その記憶に潜行するような語りが何度か登場する。しかしこの家の記憶というモチーフは、保坂自身がウルフの『燈台へ』の中に指摘しているのとまったく同じもので、つまり映像の世紀の世界観そのものである。[iii]

 2013年の『未明の闘争』は、死んだ篠島という男の鮮明な夢を追想することから始まる。その数日後の朝5時、主人公の自宅では呼び鈴が鳴らされるのだが、彼はそれに応答することができない。彼はあとからその出来事を振り返って、あれは篠島が押したに違いない、と考える。そこで参照するのは、「過去は次から次へと流れ出す事件のまぎれもない連鎖によって現在と結ばれている」という、ほかならぬチェーホフの『学生』からの引用である。この時間の連続性を強く意識してしまう世界観も、チェーホフのころから変わっていない。

 要するに保坂はまだ、チェーホフやウルフが生きていたのと地続きの、映像の世紀を生きている。魔法の世紀から保坂を論じるとき、我々は保坂の感覚器=外界認識が8ミリビデオカメラの時代で止まっている可能性を指摘せねばならない。小説が来るべき魔法の世紀においても強度を保ち続けるためには、魔法の世紀に可能となったテクノロジーがどのように世界観と人間観を更新するかを考えなければならない、つまりその登場人物は、ゴンタやアキラがカメラを通して世界観を構築しようともがいていたように、常に最新のテクノロジーによって世界を認識しようとしていなければならない。

 

 2017年現在、もっとも高度に拡張された人間の感覚器とは何か。いうまでもなく、スマートフォンである。

 携帯電話は1985年にショルダーホンとして登場した時点では、拡張された聴覚・言語覚を身体化したものに過ぎなかったが、テキストメール機能によって言語記憶の外部化にも貢献するようになり、さらにカメラ機能が視覚的情報の保存を可能にした。ただし、この一見急速に見えるテクノロジーの拡張は、実はチェーホフの時代のテクノロジーから地続きである。世界認識の方法がこの段階にとどまっているかぎり、文学はチェーホフを乗り越えられない。

 2007年、スマートフォンの登場によって起こっているのは、これらとは次元を異にする感覚拡張で、それはいうなればインターネットの身体化である。インターネットと常時接続されたこの感覚器兼記憶装置は、人間が情報空間の事物を五感を使うかのごとく自然に知覚すること、さらには情報空間にその行為・思索・記憶の足跡を残すことすらも可能にしつつある。そして2045年―あるいはもっと近い将来―スマートフォンでやっていたことが非メディアコンシャスなテクノロジーに置換され、情報空間=デジタルと、物理空間=アナログの境界が完全に溶解したとき、すなわち、デジタルな情報空間のなかを歩くことができるようになった時、人間が行為・感覚・思索・記憶を行き来するプロセスは、1989年に『プレーンソング』が写し取ったプロセスとは完全に違ったものになっていくはずである。ここにはおそらく、チェーホフから一歩進んだ世界観と人間観がある。

 したがって保坂和志が次に書く小説には、もうそろそろスマートフォンで世界をとらえる若者の小説が登場しなければならない。そういう小説でなければ、2017年の世界観と人間観を2045年に伝えることはもうできない。

 『プレーンソング』には若者同士のコミュニケーションがあまりにリアルに描かれているが、そのリアリティは1989年の描写としてリアルなのであって、2017年の若者を同じやり方で描写してもリアルにはならない。

それで、さあどこに行こうかという話になるとアキラは、
「え? どこって? だって海行くんでしょ」
と言ってるくらいでアキラには海ならどこでもよかった。
だからぼくが「湘南?」と言えば、「うん、そこがいい」で、「南紀白浜か?」と言えばそれにも「うん、そこ」という具合で、よくあることだが一番行きたがっている人間が一番相談相手にならない。まあ、沖縄や南紀白浜は遠くて論外としても、伊豆か湘南か三浦半島か千葉の勝浦か九十九里かそこら辺で、どうにかしようという問題になり、ぼくたちはそこの場所をいちいちアキラに説明して、ついでに伊豆はこんな感じで砂浜が白くてどうのこうのだの、九十九里は外界に面しているから波が荒いだの生半可な知識を並べたりしていた。(『プレーンソング』pp174-175)

 この今一つ噛み合わないコミュニケーションの連続は、1989年の描写としては驚くほどリアルでユーモラスだが、2017年の若者を同じように描写することはできない。2017年現在、集合知を直接知覚できるスマートフォン世代の若者の会話が、「近くの海水浴場」という単語を検索せずに残したまま進行することはあり得ない。「海」が検索ワードとして提示されるのとほぼ同時に、可能な行き先の選択肢がリストアップされ、それぞれの海水浴場の地理的情報から視覚的イメージ、はてはそこで泳いだ誰かの記憶までが、全員の間で既知のものとなる。大胆に言えば、このプロセスこそが魔法の世紀における「見る」ということに他ならない。もちろん、ここから生じるミスコミュニケーションもあるのだが、それは1989年のミスコミュニケーションと同じではない。映像の世紀に生まれ育った作家が魔法の世紀へと越境できるかどうかは、この世界観の差異を鮮明に描写できるかどうか、という点にかかっているように思われる。

 

結、

 保坂がスマートフォンの普及以降に書いた小説は4つある[iv]。そのうちの1つである『カフカ式練習帳』は、それ自体が一部iPhoneを使って書かれたことがあとがきで明かされているが、本文中にも一か所だけ、iPadを使う男性に関する描写がある。

隣にすわってた人がiPadで見ていたのは、電車の運転手の視線の映像だった。それもどうやら、今乗っているこの電車らしい。駅への到着、出発が一致しているだけでなく、日が傾きはじめたこの時間帯もピッタリ一致している。
インターネットでは数秒のズレは避けられないはずなのに、それは完全に同期していた。(『カフカ的練習帳』p295)

 ここで描写されているのは、魔法の世紀初頭に起こりはじめている、インターネット空間を経由した視覚の拡張に他ならない。この鋭敏な作家が、魔法についてなにかを肌で感じ始めていることは間違いない。しかし、iPadの話はここで終わっていて、同書でもほかの小説でも再び登場することはない。実に惜しい。ほんとうはここからもう数行進めば、その先に魔法の世紀の世界観と人間観があったのだ。

 保坂和志が再び目を開き、スマートフォンを使って世界の全体を見渡し、スマートフォンを使って世界の全体について考えはじめたとき、文学は再び大きな一歩を踏み出すことができるはずである。チェーホフで止まった文学の歩みを再開するその一歩は、映像の世紀と魔法の世紀の境目をまたぐ一歩である。それは放っておけば、保坂の影響を受けたデジタルネイティブの後進作家がいずれ踏み出す一歩かもしれない。しかし僕は、その第一歩をほかならぬ保坂和志にこそ踏み出して欲しい。

 

 

[i] 『小説修業』で用いられたこの表現は、原文では保坂が小島信夫の小説を評するために用いたものであるが、保坂自身の小説についても十分妥当な形容である。なお保坂はこの点から、小島の小説を「小説の終わり」「小説が終わって、次のものが始まる」とも書いた。

[ii] 保坂はここで、『中二階のある家』から「孤独にさいなまれ淋しくてたまらぬとき、ぼんやりと思い出に浸っていると、なぜかしら相手もやはり私のことを思い出し、私を待ちつづけ、やがて私たちは再会するのではないかという思いが少しずつ募ってくる」という一節を、『ワーニャ伯父さん』から「百年、二百年あとから、この世に生れてくる人たちは、今こうして、せっせと開拓者の仕事をしているわれわれのことを、ありがたいと思ってくれるだろうか」という一節をそれぞれ引用している。

[iii] 「彼等夫婦が訳あって住むことになった彼の母親の生家は、夫婦二人で住むには当然広すぎて使わない部屋が三つある。(中略)したがってそのような無人の部屋にも一日の周期はあり、部屋はかつてそこにあった家族の営みを反復あるいは反芻する。

子どもたちの騒ぐ声が何重にも入り混じって、低い響きをたてる鈴が遠くでなっているように聞こえてくる母親の生家は彼が幼児期に育った家でもあり、遠い鈴には彼自身の声も入っているかもしれないが、おそらくは彼の母と兄弟たちの声だろう。」(『カフカ式練習帳』p109)

[iv] 『カフカ式練習帳』『未明の闘争』『朝露通信』『地鳴き、小鳥みたいな』を参照した。蛇足だが、2015年の『遠い触覚』ではスマートフォンをモチーフにしたゴダールの3D映画『さらば愛の言葉よ』についての言及があるが、ここでは新しい感覚器の本質について迫る記述はなされていない。

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