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OK Google, 僕たちの住む「世界」はどんなだい?

2018年のIT分野の話題を席巻しているのが「スマートスピーカー」である。音声入力に対応してさまざまな家電をネットワーク経由で動かしてくれる端末で、Amazonの「Amazon Echo」、Googleの「Google Home」を筆頭に各社が参入してきている。「AIスピーカー」とも言われるこれらはその名の通りAI(人工知能)技術がその肝になっており、自然言語処理と利用履歴を組み合わせた機械学習によってユーザーの好みや行動パターンを把握し、より生活習慣に溶け込む働きをしてくれるというのが売りになっている。

ここで問題にしたいのは、これらスマートスピーカーが「起動ワード」と呼ばれる「呼びかけ」を行わなければ動かすことができないという点である。 Amazon Echoなら「Alexa」、Google Homeなら「OK, Google」と呼びかけたあとで「雨の日に合う音楽をかけて」などと命令しなければならない(ちなみに、Amazon Echoに搭載されているAIが「Alexa」、Google Homeに搭載されているAIが「Google Assistant」である。つまりプロダクトとしてのスマートスピーカーではなく、その“中にいる”AIに呼びかけているという構図になる)。KDDIの調査によれば、日本人の7割が音声検索をすることを「恥ずかしい」と感じているという*1。かく言う筆者もそのひとりだ――ではなぜこの「恥ずかしい」という感覚は生じるのだろうか? ここには言語と思想の関係、そして「心」というものをめぐる哲学的な問題への入口が開けている。

「言葉とは存在の家である」とはドイツの哲学者、ハイデガーの言葉である。彼は「存在」という概念を哲学における第一義的なものとして定義し、また自らが「存在」しているという事実に唯一自覚的であるという点で、人間を動物やモノから区別した。その未完の主著、『存在と時間』においてかような人間の存在のありようを「世界‐内‐存在」としたことは夙に知られているが、ハイデガーはこのようにも言っている。曰く、「動物の世界は貧しい」「石(モノ)は世界を持たない」と。つまり、人間と、動物と、そしてモノは同じ「世界」には生きてはいない。「家」とは単なる映像的な比喩ではない、とハイデガーが述べていることを承知で思考を広げれば、かように同じ「世界」には生きていない人間と、人工物(モノ)でしかないスマートスピーカーが、ひとつの「家」の中であたかも同じ「世界」に生きているかのように「呼びかけ」なければならない――その事態こそを、我々は「恥ずかしい」と思ってしまうのではないか。

しかし、事実として「呼びかけ」の起動ワードは搭載されているのであり、我々はどのようにしてこの「恥ずかしさ」を乗り越えればいいのかという課題は残される。その解決のための方策は、「心の哲学」と呼ばれる分野に求められるだろう。これは英米圏における哲学の主流、分析哲学から派生した分野で、主要な立場には「現象主義」「行動主義」「機能主義」「解釈主義」などが挙げられる。その中でも今回は「解釈主義」という立場に注目してみたい。「解釈主義」とは、コミュニケーションの当の場で会話が成立していた場合、その「(自分の言葉が対象に)解釈されている」という事実を帰属させることで、対象に「心」が存在していることを認めるという立場である。これに従い、AIの存在のありようが我々人間と同じようなものか、ひいては同じ「世界」に生きているかどうか――ということは、いったん棚上げにする。そして、こちらの音声を認識して適切な答えを返す、つまりコミュニケーションが成立しているというその事実をもってAIを「心」を持つものと認め、(通常「心」を持つと信じている)隣人に接するのと同じようにして話しかける――このような理路を辿れば、「恥ずかしさ」を回避することができるのではないか。

AIに呼びかけることに対して「恥ずかしさ」を感じてしまうこと自体が、ハイデガーの「存在」や「世界」に対する考察――人間のそれとモノのそれは根本的に異なる――ということを、ある種証立てているともいえる。一方で、AIと共に暮らす「社会」のレベルにおいては、そのような存在論的カテゴリは無視され、コミュニケーションの成立可能性のみが問われるようになる。本格的なAI時代を前に、ひとつの転回点を迫られている思想と言語の関係。この引き裂かれの状況を、統合的に捉える方法はないのだろうか? そのヒントもやはりハイデガーのテクストの中に隠されている。

植物や動物は、なるほど、それぞれなりにそのつど、みずからの環境のなかにしっかりと繋ぎとめられてはいるが、しかしけっして、存在の開けた明るみのなかに、そしてその存在の開けた明るみのみが「世界」なのだが、そうしたもののなかに、自由をそなえて置き入れられてはいないのであり、まさにそれなるがゆえに、植物や動物には、言葉が欠けているのである。しかし、植物や動物には、あくまで言葉が拒まれているということが理由となって、それゆえに、植物や動物は、無世界的にみずからの環境のなかに固定されてただぶらぶらと動いているだけというわけではない。それにしても、「環境」というこの語のうちには、生きものの‐本質のあらゆる謎めいたものが、凝縮しているのである。

――『「ヒューマニズム」について』より

この後、ハイデガーはまたすぐに人間に特権的なものとしての「言葉」についての考察に戻っていってしまうのだが、直感的には「環境」という次元を導入することで、動物や植物(モノ)も「存在の開けた明るみ」へと至れる(至れてしまう)ことに気づいていたと思われる。ここで思い出されるのは知覚心理学者ジェームズ・ギブソンの提唱する「アフォーダンス」という概念である。「与える・提供する」という意味の動詞affordを名詞化した造語であるこの概念は、環境そのものが有する性質であり、たとえば人間の「地面に立つ」という行為を可能にするのは、地面の「立つのに十分な硬さがある」というアフォーダンスを知覚しているからだとされる。またギブソンによればこうしたアフォーダンスは「直接的に」知覚されるものとされ、言葉による認識・理解や心的表象などの中間物を必要としない。つまり環境‐アフォーダンスの次元に立てば人間も動物も、そして植物やモノさえも同じように「存在」しているのであり、その違いとは、環境をどのように知覚するか――どのようなアフォーダンスを読み込むかのバリエーションによって生じるものということになる(人間にとっては「立つ」ことをaffordする地面も、地中に埋まった種には「突き破る」ことをaffordするものであろう)。しかしスマートスピーカーに搭載されたAIが行う「行為」――音楽をかける、暖房器具の温度を上げる、テレビを点ける、など――は、環境に埋め込まれたアフォーダンスを知覚して行うような類のものではない。唯一備えているセンサーが音声認識用のマイクであるがゆえに、その「行為」は言語理解の問題にすり替えられ、先述したような引き裂かれの状況を招いてしまうのだ。環境‐アフォーダンスの一元論をとることによって、人と、動物と、モノが共に暮らす「世界」は可能になるわけだが、ここに第四のカテゴリたるAIを加えるためには、環境‐アフォーダンスをAIが知覚するためのセンサー、広い意味での「身体」が必要ということになるだろう。

そうした未来のビジョンは、たとえばアニメ作品の中に描かれている。2018年1月現在放送されているTVアニメ『BEATLESS』(原作は長谷敏司による2012年の小説)では、hIE(humanoid Interface Elements)と呼ばれる人間型アンドロイドがそこかしこで労働に従事している社会が描かれている。彼らは「人間の行動を適切に“まねる”だけで、感情は持っていない」とされるが、「人間の認識力には限界があるため、人々は、充分な精度をもったそれを「人間と同じ」だと認識してしまう」という*2。hIEによって人間の意識に引き起こされるこうした現象のことを作中では「アナログハック」と総称するのだが、この現象を主人公の少年がある少女型hIEに抱く(恋愛?)感情に適用し、「「ヒト」と「モノ」とのボーイ・ミーツ・ガール」*3を描くのが今作なのである。

アニメでは本稿執筆中に放送済の第4話時点ですでに、人間社会からhIEを駆逐しようとするテロリストの存在が前面化しているが、現実に「人とAIが共に暮らす世界」が到来したとしても、様々な倫理的課題が突き付けられることは想像に難くない。ここで思い出されるのが、ハイデガーが人間の言語を用いた営みのうち、「詩作」と「思索」を共に重要なものとして見ていたという事実である。「詩作」、すなわち創造性を発揮し、人の情感に訴えるということである。未来の倫理は常に創造と共にある。統計学的シミュレーションから導き出された箇条書きの項目よりも、「ボーイ・ミーツ・ガール」のような普遍的な物語形式をとることによってぐっと「自分ごと」として理解しやすくなるのだ。シンギュラリティ(技術的特異点)を超え、新たな存在論的カテゴリーが要請されるようになったとしても(ポスト・ヒューマン?)、他人に未来を「想像させ」、共に未来を「創造する」力は、最も「人間」らしい営為であり続けることだろう。逆を言えば、我々を感動させ、確かな未来のビジョンを描かせてくれるような創作物をAIが生み出したなら、その時こそ「シンギュラリティを超えた」と言えるのかもしれない。

 


 

*1: ITmedia NEWSの記事「日本人の7割が「人前で音声検索、恥ずかしい」」より。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1710/05/news128.html

*2: 『BEATLESS』の設定に関する記述は、原作者である長谷敏司が管理するWiki「アナログハック・オープンリソース」を参照した。
https://www63.atwiki.jp/analoghack/

*3: TVアニメ『BEATLESS』公式サイト「INTRODUCTION」より。
http://beatless-anime.jp/introduction/

 

【参考文献】

・マルティン・ハイデッガー著/渡邊二郎訳『「ヒューマニズム」について――パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡』(ちくま学芸文庫)

・信原幸弘編『ワードマップ 心の哲学――新時代の心の科学をめぐる哲学の問い』(新曜社)

 

文字数:4445

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