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英雄の失権とマクロ・ヒストリー:2010年代私観

2010年代の想像力を特徴の一つとして私は「マクロ・ヒストリーの提示」を挙げる。
以下では古代まで遡り、それに至るまでの潮流を順を追って論じる。また、文化史において哲学者あるいは詩人を中心に語る事が慣例であるが、本稿では歴史家を中心として論じていく。

 

神話の時代から

アリストテレスは歴史家と詩人を以下のように分類する。
「歴史家と詩人は、韻文で語るか否かという点に差異があるのではなくて、歴史家はすでに起こったことを語り、詩人は起こる可能性のあることを語るという点に差異がある。」
この定義に沿って言えば、「イリアス」を著したホメロス(紀元前8世紀)や、アイスキュロス(前525-前459)、ソポクレス(前496-前406)、エウリピデス(前480-前406)らギリシア悲劇の作者たち、あるいは名の残っていない太古の神話の作者たちを歴史家と呼ぶことができる。

それに対し、キケロ(前106-前43)はヘロドトス(前484-前420)を「歴史の父」と評した。キケロの歴史観はこうである。
「歴史では真実を基準として判断されるが、詩ではたいていのことが楽しみを基準にして判断される。」
ヘロドトスはアイスキュロスらの同時代人であるが、ヘロドトスが著した世界最古の歴史書「ヒストリエ」は、ヘロドトス自身が見聞きし体験した、ペルシア戦争を描いた同時代史である。当時は書物にタイトルを付ける習慣はなく、「ヒストリエ」というタイトルも後世に付けられたものであるが、英語のhistoryの語源となったヒストリエという言葉は、世界最古の用例として本文中に登場する。
「これはハリカルナッソスの人ヘロドトスのヒストリエ(調査・研究)であって、人間の諸々の偉業が時とともに忘れ去られ、ギリシア人や異邦人が示した偉大で驚嘆すべき事柄の数々が、とくに彼らがいかなる原因から戦い合うことになったのかが、やがて世の人に語られなくなるのを恐れて、書き述べたものである。」
以上のように、ヘロドトスの用いたヒストリエの意味は「調査・研究」であった。

ヘロドトスに続く歴史家は、一世代ほど年下のトゥキディデス(前460-前395)である。
トゥキディデスは、ヘロドトスが言う「調査・研究」としての戦史記述を推し進め、近代以後に似た実証主義的な態度で「ペロポネソス戦争史」を著した。
トゥキディデスはこう語る。「自分の主観的判断でこれを記述することもせず、自分が目撃者であった場合も、他の人たちから情報を得た場合も、事柄の一つ一つについてできるだけ正確に検討を加えて記述することを重視した。」
トゥキディデスの同時代人である劇作家アリストパネス(前446-前385)は「雲」などのソフィスト批判でも知られるが、その本質は歴史への風刺による平和主義であった。
トゥキディデスのあとに戦史を著した者としてクセノフォンらが続くが、当時は現代に通じる意味での「歴史」という言葉はなく、彼らの自己認識はホメロスら叙事詩詩人の延長にあったと考えられる。
その後、冒頭に記したアリストテレスの分類がなされ、歴史家たちは歴史家たるアイデンディティを獲得していった。

続く時代には、国家や民族を対象とした通史が多く著された。
それを象徴する存在は、史上もっとも大きな権力を得た歴史家でもあるクラウディウス(前10-54)であろう。
51歳で4代ローマ皇帝となったクラウディウスは、それまでを歴史家として過ごし、「カルタゴ史」など諸国家の通史を著したことが知られている。
クラウディウスの演説を引用しておこう。
「われわれはユリウス一門が3代目の王に征服されたアルバからの移住者であることを知っている。ルキウス一門の出身地がエトルリアであることも周知の事実だ。このように優秀な人材であれば出身地や出身部族を問わず、イタリア全土から元老院に迎えられたのがわれわれの歴史なのである。」

このように、またのちにヘーゲル(1770-1831)が指摘したように、通史など通史に委ねられる歴史観は「教訓としての歴史」であった。
また、太古の叙事詩から続くもう一つの潮流に、英雄叙事詩がある。その命脈を受け継ぐ帝政ローマ初期の詩人にはヴェルギリウスらがいたが、同じ頃、コルネリウス・ネポス(前100-前25)やプルタルコス(46-127)は歴史を英雄の列伝として著した。また、現代においてローマ最大の歴史家として評されるタキトゥス(55-120)においても、共和政時代の気風の回復を訴える政治的態度で歴史を記したが、叔父である将軍アグリコラを主人公とする戦記を描くなど、英雄主義的な傾向を持っていた。

 

ルネサンス以後

続いて、ルネサンス以後を見ていこう。
ルネサンスあるいは新古典主義の特徴として英雄主義が挙げられる。
例えばルネサンス期最大の劇作家はシェイクスピア(1564-1616)であるが、その作品にはギリシア悲劇だけでなく、プルタルコスの影響が指摘されている。
それ以後の歴史学では、同時代の自由主義、資本主義、民主主義、反宗教などと対応しながら、百花繚乱とも言うべき様相を示した。
ギボン(1737-1794)は中世における教会支配に対し、反宗教の立場として教会の歴史化を試みた。
ヘーゲルは歴史哲学を規定し、精神の自由を獲得するための活動として歴史を現した。その進歩主義的な史観はマコーリー(1800-1859)らホイッグ史観論者に受け継がれていく。
レオポルト・フォン・ランケ(1795-1886)は近代歴史学の父と呼ばれる存在であり、文献批判による実証主義的歴史学を打ち立てた。ランケは啓蒙思想への反発として現れながらも、歴史の中に理想を見出したロマン主義的傾向を持っていた。
テオドール・モムゼン(1817-1903)は歴史を自由主義、民族主義の視点から、古代と現代の政治を比較し論ずる政治学を生み出した。
アンリ・ピレンヌ(1862-1935)は、歴史を動かす力は経済力であるとし、E・H・カー(1892-1982)は歴史とは現在と過去との対話であるとした。
あなたは、私がいま挙げたルネサンス以後の歴史家たちに対応する詩人や劇作家、画家などを思いつくことができるかもしれない。総じて、彼らが主題とするのは英雄であり、大衆であり、あるいはそれらによって表出される政治制度であった。

しかし18世紀半ばに至って、歴史学に全く新しい潮流が登場する。
その潮流は、チャールズ・ダーウィン(1809-1882)に端を発する。
それまで、歴史は人類の文明史として扱われてきた。ダーウィンらが主張した進化論は、歴史を地球全体の生物史として大きく拡張しうるものであった。

 

マクロ・ヒストリーの登場

ダーウィンやそれに続くダーウィニストたちは、それまで扱われてきた歴史のスパンを遥かに超えた、魅力的な生物史を数多く著わした。
スティーヴン・ジェイ・グールド(1941-2002)とリチャード・ドーキンス(1941-)はその代表的な論客であり、多くの読者を獲得した。
ジャレド・ダイアモンド(1937-)が「銃・病原菌・鉄」で現したのは、人類の中でユーラシア大陸の住人がいち早く文明を発達させた要因を大陸の形状に求める壮大な歴史観である。
そして2010年代後半である現在において、若手歴史家であるユヴァル・ノア・ハラリ(1976-)が著わした「サピエンス全史」がベストセラーとなったことも記憶に新しい。

ダイアモンドやハラリが示した現代の歴史観は、個々の英雄史だけでなく国家史、民族史、産業史などを遥かに超えた巨視的歴史観、マクロ・ヒストリーであった。

改めて宣言すると、2010年代の想像力を特徴の一つとして私は「マクロ・ヒストリーの提示」を挙げる。
その例としてクリストファー・ノーラン(1970-)の「インターステラー」(2014)が挙げられるが、ノーランが「メメント」(2000)から「バットマン」3部作(2005-2012)を経てインターステラーに至ったように、2000年頃から2010年代後半の現在に至るまで、漸近的に変調している。

日本のポップカルチャーに限って言えば、「仮面ライダー響鬼」(2005-2006)、「ハートキャッチプリキュア!」(2010-2011)、「機動戦士ガンダムAGE」(2011-2012)などが先駆的な仕事として挙げられるだろう。ここではそれらの内容について詳述しないが、私はそれらが示したマクロ・ヒストリーから、鬱屈した現代への批判ではなく、未来への希望として機能させようとする努力を感じ取ることができる。

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