印刷

歌笑の死と大阪レジスタンス

1950年5月30日の夕刻。爆笑王と評され絶大な人気を誇る噺家・四代目三遊亭歌笑が進駐軍のジープに轢かれ、34歳で死んだ。原因は都電の影からののジープの飛び出しによるものだったが、歌笑の不注意とされた。
歌笑の死はアメリカ占領下の日本の落語界を象徴するのみならず、その後続く、お笑い界全体の日本文化とアメリカ文化の対立を象徴するものと言えよう。

 

歌笑が属した三遊亭一門は、江戸落語中興の祖・烏亭焉馬の弟子であった三遊亭圓生によって築かれた。その名跡は受け継がれ、人情噺の祖となった三遊亭円朝を経て明治には三遊派・柳派の二派両立へと繋がっていく。大正時代になると、関東大震災で大きな打撃を受けた落語家たちは東京落語協会を中心に結束するが、古典落語を奉じる会長の五代目三升屋小勝と対立し、新たな落語協会を立ち上げたのが柳屋三語楼である。三語楼が立ち上げた落語芸術協会は創作落語家を中心としていた。
戦後になると四代目三遊亭歌笑を中心とする若手三羽烏が人気を誇ったが、歌笑の轢死後に落語界の中心となったのが五代目三遊亭圓楽、七代目立川談志、三代目古今亭志ん朝、八代目橘家圓蔵の若手四天王である。彼らはラジオやテレビ放送を通じて人気を博し、映画やワイドショーなど多彩な場で活躍したが、古典落語を専らとしていた。
1978年には、師の六代目圓生に従って落語協会と袂を分けた圓楽が圓楽一門を起こし、同じく談志が1983年に独立して立川流を起こしたことで、現在まで続く落語協会、落語芸術協会、圓楽一門、立川流の四派連立体制となった。
以上が三遊亭一門の歴史であり、近世以降の江戸の落語史である。

四派連立の江戸落語に対し、関西を拠点とするのが上方落語協会である。
その会長は、桂三枝(現・六代桂文枝)である。
三枝は「新婚さんいらっしゃい」などテレビ番組の司会としても知られるが、江戸の若手四天王と並んで戦後の落語界を牽引した上方四天王の一人・五代目桂文枝の惣領弟子であった。
1983年に江戸落語が四派連立体制となった時点で、三語楼の落語芸術協会もすでに古典落語を中心としており、創作落語は風前の灯火となっていた。そんななか、1986年に三代目三遊亭円丈と三枝らによって立ち上げられたのが全日本創作落語連盟である。その旗揚げ公演のために三枝によって創作され演じられたのが、「大阪レジスタンス」である。

 

「大阪レジスタンス」のあらすじはこうだ。舞台は近未来。日本中が東京化していくなかで大阪だけが順応できず、業を煮やした政府は大阪弁を禁じてしまう。取り締まりが厳しくなるなか、ふとん屋の亭主・淀川は大阪に大阪らしさを取り戻すためレジスタンスに参加。淀川自身は命を落とすものの、その意志を継いだ若者たちによって大阪は日本から独立して大阪らしさを取り戻す、というものだ。

「大阪レジスタンス」は東京化する大阪に大阪らしさを取り戻す物語であり、アメリカ化する日本に日本らしさを取り戻す物語である。そしてそれは同時に、戦後のお笑い史の縮図なのである。
戦後上方落語は吉本による漫才優先の方針により壊滅寸前の憂き目に遭うが、それを復活させたのが前述の上方落語四天王である。しかし依然として漫才優勢であり、それ以上に顕著であったのが、漫才のアメリカ化である。
漫才は平安時代から続く「萬歳」にルーツを持つ。それがスーツ姿で軽妙な会話を行う現在の形になったのは、大正時代に吉本興業の横山エンタツ・花菱アチャコからである。横山エンタツ・花菱アチャコはアメリカの話芸ダブルアクトに影響を受けており、これが日本のお笑い界における日本流とアメリカ流の対立の最初の例と言える。

また大正時代には、チャールズ・チャップリンらハリウッドの三大喜劇王による映画が輸入され始めている。その後チャップリンに影響を受けた小倉繁が人気を博すなど、ドタバタ演劇が浸透が始まっていた。

戦後になると民放ラジオとテレビが登場し、高度経済成長のなかで「お茶の間の人気者」たちが現れる。
その代表的なグループが、ザ・ドリフターズである。江戸落語の若手四天王と同世代の彼らは、進駐軍を客としたウエスタン・カントリーバンドを出自としていた。いかりや長介の加入後にコミックバンドへと舵を切り、バラエティ番組「8時だョ!全員集合」でコントグループとして一世を風靡した。そのなかで、加藤茶と志村けんの定番のギャグであったのが「ヒゲダンス」である。ヒゲダンスはアメリカのコメディグループ・マルクスブラザーズの芸を翻案したものであり、ザ・ドリフターズはアメリカ化された日本のお笑いの頂点の一つと言えよう。

 

戦後にアメリカ化していく日本文化を、三枝は「大阪レジスタンス」の中で鋭く指摘する。
ナショナリズムは往々にして古典へと向かうが、三枝は創作落語のなかでナショナリズムを謳うのである。
四代目三遊亭歌笑も「純情詩集」などの創作落語で戦後間もない窮状の中に笑いをもたらした。
ところで、歌笑には爆笑王のほかにもう一つの二つ名がある。

「笑いの水爆」。

どこまでも拭い去れないアメリカの影響の下で、創作落語は日本を背負い続けている。

文字数:2105

課題提出者一覧